第7話 ゼファードの影
黒銀の旗が、白の街に影を落とした。
北門から雪煙を巻き上げて、協会近衛が列を組んで入ってくる。鈴の乾いた音。靴底が氷を叩く規則正しい拍。
広場の張り紙が一斉に張り替えられ、刻印鏡の台座が据えられていく。人々は道の両側に退き、安堵と恐れを同じ顔に貼り付けた。
黒銀の隊列の中心、肩章に白い刻印を付けた男が馬から降りた。
灰の瞳は静かで、氷そのものみたいに温度がない。
「協会元帥、ゼファード」
名乗りより先に、空気がそう言った。
彼は広場の中心に立ち、布告を開いた。
「城下騒擾の鎮静、封印保全の監督に当たる。禁忌契約者への暫定拘束を命ず――」
一拍。
「レオン・アルディスを拘束せよ」
雪の音が止まり、名前だけが街の壁に残った。
胸の《炎紋》が、ほんのわずかに熱を返す。怒りではない。呼吸を整えるための微熱だ。
白銀の間。
王女エリシアは礼を尽くし、距離を保った。封印守スヴァルドは脇侍の位置で沈黙し、剣の柄に手を添える。
ゼファードは条文を淡々と読み上げた。禁忌条項、非常監督権、保全拘束――氷のように澄んだ法の言葉。
「氷封の儀の失敗は外部介入の疑いが濃い。検証のため、契約者の拘束が必要だ」
彼は視線だけをこちらへ寄越し、微動だにしない。
スヴァルドが低く言う。
「過剰な介入は均衡を壊す」
「折れた秤は作り直すのみ」
ゼファードの声は風のない夜みたいだった。
「世界は奪還されねばならない」
控えの間に移された俺の前で、近衛が銀色の枷を開いた。鎖に小さな霜の棘――霜封枷。紋反応の放射を鈍らせる拘束具だ。
「任意同行で構わない。装着を」
ゼファードが言う。
「俺は従う。ただし、救うために動くと誓った上で」
「炎は、燃やしてこそ秩序を照らす」
彼は一瞥しただけだ。
「温い火は雪に飲まれる」
枷が俺の手首に近づく――その間に白い裾が差し込まれた。
エリシアだ。王家の紋章を掲げ、まっすぐゼファードを見る。
「王家の客人として監視下保護を要請します。拘束ではなく、保護です」
スヴァルドが顎を引き、短く頷く。
「均衡上の妥協として認める」
ゼファードは表情を変えず、枷を引かせた。
「……よろしい。監視は強化する」
客間軟禁。
扉の外に二交代の近衛、窓の外の回廊に刻印鏡。呼吸の数まで数えられているような視線だ。
「監視、二重。刻印鏡は三台」
カイが窓の隙から覗き、指を三本立てる。
「上層の鏡ネット、逆走できる?」
ゼルフィアが顎で通風口を示した。
「やるなら今。交代の間隙、三分」
「行って」
俺が言うと、カイはふっと笑い、影みたいに消えた。ゼルフィアが稲光を指先にため、音のしない靴で続く。
留守の間、フローリアが床に耳を当てた。
氷に指先を押し当て、目を閉じる。
「……鈴の不整拍。城の下から上げてる。凍歌の模倣よ」
「儀を外から食わせたのか」
リアの声が低く沈む。祈りの母音が、指先の間でほどけかけた。
外では、街の鐘が別の拍で鳴り始めた。
広場の刻印鏡が常設され、検問の列に人々が並ぶ。子どもが耳をふさぎ、氷紋を持つ子らが顔を埋める。
「契約者のせいだ」
と叫ぶ声が、氷の壁でよく響く。
巡察の靴音が増え、雪は踏まれて汚れた色になった。
「ただいま」
通風口が小さく鳴って、カイが転がり込む。後ろからゼルフィアが肩で息をした。
カイは胸元から薄い板を取り出す。走り書きの線と丸、短い数式。
「外部位相送信盤。鈴の不整拍を作って、上へ送ってる。こっちのログ、少しだけ抜けた」
ゼルフィアが頷く。
「この波形なら、儀式の母音を欠落させられる。……外から痛みの拍を送っている」
フローリアの睫が震えた。
「やっぱり――意志に触れている。封印を書き換えただけじゃない。精霊の意志そのものへ手を伸ばしてる」
扉が叩かれた。
ゼファードが一人で立っていた。近衛はいない。代わりに枷がまた、彼の手にあった。
「改めて。霜封枷の装着を」
「断らない。ただ、俺は救うことをやめない」
「救いは秩序の外にあるか」
彼の灰の瞳が、わずかに細くなる。そのまま踵を返し、無言で去っていった。
扉が閉まった後、胸の中の熱がひとつ跳ねた。
同じ瞬間、遠い地下から鈴の拍が強くなる。誰かが出力を上げた合図だ。
その夜。
窓辺に薄い影が立った。外套のフードを深く被った少女――けれど、声で分かった。
「……入っても?」
エリシアだった。変装の下でも、静かな気配は変わらない。
「城の下に、古い道があります。協会の刻印が届かない場所。あなた方をそこへ案内します」
「理由は」
ゼルフィアの問いに、王女は短く答えた。
「記憶に触れる必要がある。封印を隔離ではなく循環に戻すには、古い誓いを通らなければならない」
フローリアが床に掌をつけ、耳をすます。
「……聞こえる。壁の下で、古代契約文字が呼んでる」
俺は外套を羽織り、頷いた。
扉の外へ出ると、巡回の靴音が遠くで途絶えた。
スヴァルドだ。正面では動かない。だが、見逃す間だけをこちらに渡している。
剣の中立。それが、今は救いだった。
廊下の影から影へ。
エリシアの導きで、井戸のさらに下へ降りる。
封蝋に王女の印。内扉が音もなく開いた。
蒼い光。冷たい呼気が頬を撫でる。
そこは氷の回廊だった。
壁一面に曲線の文字がびっしりと刻まれ、薄い光で脈を打っている。
フローリアが掌を当て、そっと読み上げる。
「この文字……古代契約者の誓約よ。――『炎は奪わず、氷は閉ざさず、共に環を成す』」
胸の炎紋が、静かに答えた。
燃やさない炎。閉ざさない氷。間に架ける橋。
「ここなら、協会の鏡は来ない」
エリシアが振り向く。フードの奥、精霊の瞳がまっすぐだ。
「急ぎましょう。上は長く持ちません」
カイが顎をしゃくる。
「上では送信盤の出力がまた上がった。市中で凍歌の擬似が連発だ」
ゼルフィアが短く舌打ちした。
「証拠はある。だが出る道を確保してからだ」
進む途中、カイが耳飾りを叩く。
「拾えた音声、ノイズ混じりだけど」
低い、凍った独白が、耳の奥で再生された。
『……神は座してはくれぬ。ならば――奪還するのみだ』
ゼファードの声だ。
法の言葉の裏にある、硬い意思。
奪うことでしか整えられない秩序。俺の炎とは、最初から相容れないやり方。
回廊はゆるく曲がり、やがて行き止まりの扉に突き当たった。
氷の鏡扉。中央に、小さな穴が開いている。足元の碑に刻まれた文字が、かすかに瞬いた。
「記憶の世界の入口」
エリシアが息を整え、胸に手を当てる。
フローリアが六花を灯し、俺は炎紋に指を置く。
「行こう」
俺は言って、二人と視線を合わせた。
燃やさない炎で。閉ざさない氷と。間に立つ王女と。
背後で、遠い鈴がまたひとつ、不整の拍を刻む。
追手は近い。
でも、ここから繋げる誓いがある。
氷の扉に、手を伸ばした。
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