第6話 氷封の儀式
白い朝だった。
天蓋の結晶が薄青の光を返し、氷燭が呼吸みたいに明滅する。封印宮の中央――氷の鏡池に浮かぶ円壇の上で、王女エリシアが静かに立つ。
「儀礼路には触れないでください。……補助は均すだけを」
彼女の確認に頷き、俺は胸の《炎紋》へ意識を沈めた。隣ではフローリアの六花が淡く点る。暫定同調は今日もつながっている。
リアが杖を胸に抱き、ゼルフィアは掌に微細な雷の輪を描く。ミルとカイは周縁、兵らの動揺と視線を抑える配置だ。
エリシアが一歩、鏡池の中心へ。
唇が開く。最初の母音が広間にほどけた。
――あぁ、い――。
曲線の祈りだ。氷の文字が床下で柔らかく光り、光脈が水面の下を循環しはじめる。
だが、同時に。
円壇の縁、角張った新しい刻印が鈍く目を開けた。隔離の符――協会の書き換えだ。
循環を狭める逆位相が、祈りを吸い取る感覚で広がる。
「……母音が、削られてます」
リアの声が細く震え、ゼルフィアが即座に補足する。
「隔離ルーンが還流を遮断。位相が食い違ってる」
耳の奥で、氷の鈴が低く鳴った。
次の瞬間、鏡面に白い線が一本――ミシ――と走る。音は小さい。けれど、嫌な種類の音だ。
線は蜘蛛の巣みたいに枝分かれし、鏡面の下から霜が噴いた。
穴のようなひびの口から、白い影が飛び出す。
霜狼が、氷の鴉が、蛇のような冷気が――痛みの形だ。封じきれなかった凍痛が獣になる。
「下がれ!」
兵が槍を構える。だが、ここで突けば封印面がさらに割れる。
上層から視線が降りてきた。氷鎧の巨影――封印守スヴァルド。柄に添えられた手が、しかし剣を抜かない。
「不用意な介入は均衡を壊す。……見極める」
低い声が白銀の間を渡った。
なら、やることはひとつだ。
「フローリア、半径三歩で花を」
「あなたは縁を――ならす」
俺は炎紋を白金域へ押し上げ、ひびの縁に掌を滑らせる。
溶かさない。焦がさない。ただ、温度の段差を削る。割れ目は温度差が好きだ。なら、その梯子を崩せばいい。
フローリアが指先で空を撫でると、花弁の薄膜が次々に重なり、獣たちの関節を丸く縛った。
「氷花束縛」
動きが角から丸へ変わる。痛みの尖りがやわらぐ。
「間をください」
リアの母音が、エリシアの歌の隙間を縫って降りる。二つの声は争わない。足りない拍を、そっと埋める。
「位相、固定」
ゼルフィアの雷が鏡面に微振動を刻み、ひびの拡大を抑え込む。
ミルは雪塵を起こして兵の視界を整え、カイは上層の刻印鏡の位置を手信号で示す。無駄な視線をこちらへ向けさせない。
「合わせるよ」
フローリアが囁く。六花の冷が、俺の熱の輪郭にぴたりと重なった。
足元に生まれた白い輪――内側は白金の熱、外側は六花の冷。霜火の輪が、静かに広がる。
獣が輪に触れるたび、冷と熱の勾配に導かれて、眠りの位相へ落ちていく。
吠え声は起きる前の息に変わり、やがてただの気化雪になって、輪の外へ“戻る”。
エリシアの歌がもう一度通った。ひびの縁が暗くなり、鏡面の輝度が落ち着いていく。
……息が合う。
燃やさない炎と、尖らせない氷。
間に橋が架かる感覚。
最後の霜蛇がほどけたとき、俺は掌を上げ、熱を引いた。
鏡面には主だった亀裂が一本残ったが、広がりは止まっている。床下の鼓動も、不整を抱えながらも静まった。
エリシアが膝を折りかけ、フローリアが距離を保ったまま冷の支えを送る。額に汗。頬は蒼白だが、瞳は折れていない。
上層からスヴァルドが階を下りてきた。
「……今は助力を認める。だが均衡は未だ偏る」
肯定でも、拒絶でもない。剣の言葉だ。
ゼルフィアが位相の記録を確かめ、眉を寄せる。
「内部の隔離ルーンだけじゃ、この乱れは作れない。外から位相が入ってる」
「……歌が食われる感覚がありました」
リアの声が細い。
「母音の端を誰かが切っていく……そんな――」
「上層通路で、小さな送信盤を見た」
カイが短く伝える。
「刻印鏡の中継じゃない。別の何かの網だ」
フローリアが目を閉じ、六花を胸に当てた。
「……私たち精霊の意志が乱されている。封印を書き換えただけじゃない。外から意志に触れている者がいる」
広間の空気が、わずかに軋む。
誰かが、精霊を道具ではなく系統としていじろうとしている。
嫌な、冷たい、やり口だ。
儀は中断。公式には「不測の外部介入により失敗」。
査閲官は素早く報告書をまとめ、「禁忌契約者の補助が破綻を招いた」と婉曲に責任を寄せようとした。
エリシアは公の場では反論を飲み込み、私的に小さく頭を下げる。
「助けは事実です。……必ず、再評価の場を」
「俺たちは、いつでも均す」
短く返す。それしかできないが、それで十分だとも思う。
そのとき、塔鐘が不吉な拍で鳴った。
遠く、北門から黒銀の軍旗が列をなし、重い足音が氷道を渡ってくる。
広間の端で伝令がひざまずき、声を張った。
「――協会元帥、ゼファード殿、入城! 布告を伝達――」
一拍。
「レオン・アルディスを拘束せよ」
名前を呼ばれた瞬間、鏡面の主ひびが、目に見えないほどだが、かすかに震えた気がした。
氷が、嫌な音を――ほんの少しだけ――覚えた。
黒銀の影が、城の廊を満たしていく。
俺は胸の炎紋に触れ、息を整えた。燃やさない炎。ならす炎。
間に立つ覚悟は、もう決めてある。
――さあ、来い。
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