第2話 凍る街と冷たい視線
北門をくぐった瞬間、温度とは別の冷たさが肌に張り付いた。
風が止み、音が消え、代わりに視線だけが増える。ざわめきは一拍遅れて途切れ、露店の布が緩慢に下ろされた。
門扉の脇、布告板に赤い封蝋がいくつも押されている。
《契約行為禁止》《紋所持者は申告》《違反者は拘束》。協会の印章が、氷に沈む血の色で光っていた。
「……目立つな、俺たち」
外套の襟を立て、無意識に胸の《炎紋》へ手が行く。隠す動きそのものが、逆に目を引くと分かっていても、体が先に動いた。
「わ、わ、私たちもしかして雪男?」
「違う。告発の対象だ」
ミルのひそひそ声に、ゼルフィアが淡々と返す。二人の会話ですら、ここでは凍って落ちる音になった。
門番は鋭い目つきだったが、リアの誓言式と旅券で通された。
祈りの文言に嘘はない。――けれど、この国では“祈り”も疑わしいらしい。
市場に入ったが、露骨に距離を取られた。
店主が手を引っ込め、子どもが母親に抱き寄せられる。たまたま目が合った老人は、慌てて視線を逸らして首の前で指を立てた。唇に当てて「静かに」の合図――この街の沈黙だ。
乾いた口で、塩干し肉と白毛皮を指した。
店主は相場の三倍を告げ、肩をすくめる。
「北の巡察に通報されたくなけりゃ、黙って買って出な」
「巡察?」
「協会のだよ。最近は目が良い。余所者は、なおさらね」
通りの向こうで、黒布の腕章を巻いた男たちが寺院の前に立っている。
壁の張り紙には《契約の徴候を見たら鐘を》。鐘の縄は手垢で黒かった。
細い声が上がる。
手甲の隙間から、少年の手に薄い霜紋が浮いたのが見えた。母親が慌てて袖で隠し、肩越しに周囲を見回す。告発係が近づく。
俺は一歩踏み出しかけ――リアに袖を引かれた。
「今は、レオンさんまで対象になります」
「助けないのか?」
「助けます。でも、ここでは『触れた』という事実が、彼らをさらに傷つけます」
俺の靴裏が、石畳の上ですべった。止めた足が震える。
少年と母は、誰にも触れられないまま、通りの端に消えた。
触れたいのに、触れられない距離。
それを冷たいと呼ぶしかない自分が、嫌だった。
北門脇の倉庫に偽装された休憩所で、俺たちはカイと落ち合った。
フードの影から覗く目は、いつもの軽さを押し隠している。
「よ。ここは言葉が耳を持つ」
「ひさしぶりだな」
「生きてりゃまた会える。で、状況だ」
カイの声は低い。
「数ヶ月前から協会の宣撫官が入り、王国の保守派と組んで『契約=災厄』って物語を広めた。雪崩も不漁も封印の不調も、全部契約者のせい。通報制度を敷いて、夜間外出を禁じ、刻印検査の鏡まで持ち込んでる」
「鏡?」
「紋を可視化する魔具。門でたまに抜き打ちがある。城壁上には氷鎧の巨兵――スヴァルド。封印守で権限は絶大。王城内には協会の査閲官が常駐中。背後に、ゼファードの名」
喉が焼けた。氷の街で、炎が逆流する。
「この国では精霊との契約が禁忌扱いか……。契約者は災いの媒介、協会は秩序の回復者。――最悪の絵が、完成してる」
カイが言った。言葉は雪みたいに静かに降りて、骨の中で凍る。
宿を探したが、どこも満室の一点張りか、保証金三倍+身元照会。
角を曲がるたびに、門の上の衛兵がこちらを見る。
そのとき、フードの少女が衛兵に短く指示を出し、巡回を別路へ逸らした。
すれ違いざま、彼女はほとんど息のような声で囁く。
「……目立たない場所で火を使って。城壁の影は風が弱い」
「ありがとう――」
礼を言う間に、少女は人混みに溶けた。白い横顔。凛とした気配。
名前は知らない。けれど、悪意ではないってことだけは分かる。
結局、北門近くの倉庫の二階を一夜だけ借りた。
窓の外、城壁上を大きな影が行き来する。透きとおる甲冑が、月の光をかすかに弾いた。
――封印守、スヴァルド。
夕刻、倉庫の隙間から協会の馬車列が城内を北へ抜けていくのが見えた。
旗印、魔具箱、刻印検査の鏡。俺たちを写して色を変える、いやな輝き。
「ゼファードは氷の心臓を直接押さえに来る。城のどこかで、何かが鳴ってる」
カイが呟く。
「封印の鼓動が乱れてるのだろう」
ゼルフィアの声は平静だが、掌の稲光はいつもより深い青だった。
「急いで動けば即バレる。でも、夜を待つのも罠だよね」
ミルが肩をすくめる。
俺は胸の炎紋に触れて、熱を均した。焦りを燃料にしない――イグニスの教えだ。
「声を待つのも、ひとつの方法です」
リアが窓に掌を向けて言った。
「救いを求める精霊は、たまに囁きます。閉じた檻の中から、凍った空気を震わせて」
倉庫の階段下で、子どもたちが囁いているのが聞こえた。
「今夜も雪が鳴くって」
「城の外で助けてって呼ぶんだ」
「外へ出るな、連れていかれるよ」
母親が慌てて制す。子どもは唇を噛んで、こくりと頷いた。
「凍歌」
カイが小さく言う。
「雪が歌う夜に、誰かの名前を呼ぶ。昔話じゃない。最近は頻度が上がってる」
「自然現象にしては狙いが良すぎる」
ゼルフィアが窓の外に目を細める。
リアは眉根を寄せ、静かに頷いた。
「……誰かが、閉じ込められています。鈴を鳴らすみたいに。あれは求救の音です」
夜が深まる。
街の灯がひとつ、またひとつと消え、風音が一瞬だけ止む。
沈黙の凪に、薄い声が滑り込んできた。
「……たす、けて……」
氷の粉よりも細い、けれど確かな呼気。
胸の炎紋がコッと弾け、微熱が指先に宿る。氷素と呼応する感覚――方向が分かる。
「やめとこ、罠かもしれない」
ミルの声は現実的だ。
「でも、あれは“嘘の重さ”じゃない」
カイが即答し、リアが続ける。
「封印の鈴音。氷結の檻の響きです」
俺は頷いた。短く、深く。
「行く。城外の雪原の縁だ。足跡は残さない。声の輪郭だけ追う」
「なら、風の層は私が抑える。痕跡は薄くできる」
ゼルフィアの雷が静かに揺れ、ミルが外套を強く結ぶ。リアは杖を抱き、祈りの灯を拡げた。
扉を開く。冷気が肺を刺し、意識が澄む。
窓の外、城壁の上でスヴァルドがこちらへ顔を向けた――気がした。
氷の兜の奥、視線は読めない。ただ、見られているという確信だけが残る。
扉を静かに閉じる。
夜の雪原へ、白い囁きを追って踏み出した。
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