第1話 北への旅立ち
――砂の色が、白に変わっていく。
霜を含んだ風が頬を切り、砂丘の端から先は雪の斜面だった。
足裏に伝わる感触が、ざらつきからきしみへ。
息を吸うと、胸の《炎紋》がかすかに脈を打つ。熱はやさしい。進め、と背中を押す温度だった。
見上げる北の空に、細い白帯が流れている。
オーロラの切れ端みたいな光だ。揺らぎながら、確かに“先”を指していた。
「うわ、寒っ! もう帰ろうぜ!」
背後からミルの悲鳴。振り返れば、彼女はマフラーに顔をうずめ、手袋の穴から親指を必死に隠している。
「北に入る前からそれを言うな」
ゼルフィアが淡々とツッコみ、肩の雪を払った。肩口で小さく静電気がはぜる。
「手、見せて」
リアが穏やかに歩み寄り、小さな炎の護符を配っていく。祈りのことばが風に溶け、掌の上に温もりが宿った。
「こっちはこっちで何とかする」
俺は胸の炎紋に意識を合わせ、風の層を薄く暖める。
熱が逃げない泡が生まれ、吐息の白さが少し和らいだ。
「助かる~……って、私のだけ穴が広がってるんだけど!?」
「そもそも縫え」
「うっ……」
くだらないやり取りが、雪の静けさを割って、少しだけ心を軽くした。
雪原は、きれいだった。
薄い日差しにダイヤモンドダストがきらめき、足下の氷の下では青い光がゆっくり脈を打っている。
遠くには氷樹林が立ち並び、枝葉ごと凍った音を風に鳴らしていた。
――世界は、息をしている。
炎の章で学んだことが胸の底で固まっていく。精霊はどこかにいる誰かじゃない。
俺たちが踏む大地、吸う空気、流れる水。それら全部が、精霊の断片だ。
「行くぞ。フロステリアは、まだ向こうだ」
雪の斜面に踏み出したときだった。風の向きが、急に変わる。
白いものが、世界を覆った。
地吹雪――ホワイトアウト。視界は五歩。雪が横に走り、耳が詰まる。
「方角を保つ」
ゼルフィアの周囲で静かに雷気が輪を描く。微かな放電が羅針の役目を果たし、俺たちの列が崩れない。
「風の刃を落とします」
リアが杖を掲げ、祈りの層で突風の角を丸めていく。
俺は前へ。熱で路面を柔らかくしながら足場を探った。
「レオン、足元!」
ミルの声――遅かった。白の下に黒い裂け目が口を開ける。
クレバス。踏み抜いた雪が崩れ、ミルの体が傾いた。
「ミル――!」
伸ばした手の先、何かが空を切り裂く高音を残した。
薄青の氷刃が走り、クレバスの縁と縁を縫う。
瞬く間に透明な橋が張られ、ミルの足がそこに乗った。
「え、え、いまの……!」
視界の端、吹雪の帳の向こうに、銀の髪が揺れた。
雪と同じ色の肌、光を吸う氷の瞳。細い指先に白い霜が集まり、空気の温度をすべらかに変える。
「……境界を荒らすな、人間」
氷の鈴みたいな声。
その少女――氷精霊は、雪片といっしょに形をほどいて消えた。
助けても、触れない。
敵でも、味方でもない距離。氷は、溶けたら負けなのだ。
「……今の、見えたか?」
「見えた。氷の精霊。人間にあんなに近い場所で行使……この国、ただ事じゃない」
ゼルフィアが眉根を寄せる。ミルは胸を押さえながら、まだ震える足で俺の横に立った。
「と、とと、とにかく助かった! ありがとう見えない誰かー!」
吹雪が収まるのを待って、俺たちは雪陰で焚き火を起こした。
通りかかった小さなキャラバンに手を上げるが、彼らは俺の胸元に目を止めた瞬間、視線を逸らした。
外套の下の炎紋――見えていたか。
「契約者かよ」
「協会に通報案件だって」
「最近、城下で連れてかれたやつが……」
小声が雪面を転がって、火にかき消される。
リアが祈りの灯を指で覆った。
「祈りと恐れは紙一重……この国では、恐れが勝っているようです」
「ああ。協会の情報も混ざってる。契約が禁忌にされたら、俺たちは害でしかない」
言いながら、胸の熱が小さく疼く。怖れは炎を曇らせる。だが、消しはしない。
午後、雪丘を越えた先に、それはあった。
白と青の街――氷都グラシエル。
谷底いっぱいに氷の家々が並び、中心の宮殿は凍った瀑布を背にして建っている。
宮の奥、氷壁のもっと奥で、微かに光が脈を打った。
――氷の心臓の封印。遠くからでもわかる、世界の心拍。
高いテラスに、ひとつの影が立っていた。
風に柔らかくなびく長い髪。白い手が欄干に置かれ、こちらを見ている――気がした。
目が合う前に、影は柱の陰に消えた。
北門は重く閉ざされ、門扉には布告が打ち付けられている。
《契約行為禁止》《紋所持者は申告の義務》《違反は拘束》
読んだだけで、肌の温度が下がった。
「隠して入るか、正面から行くか」
外套の襟をつまみながら問うと、ゼルフィアは即答した。
「まずは入る。話はそれからだ」
「異議なし~……そもそも私の指、もう感覚ない」
「手袋を縫え」
「うっ……」
そのとき、空から影がひとつ落ちた。
伝書魔鳥。俺の腕にふわりと止まり、くちばしで小さな紙片を押しつける。
――北門で落ち合う。
――カイ
「……来てるのか」
喉の奥が熱くなった。あの無茶をするやつが、こんな寒いところまで。
門番の視線は冷たく、街の空気はもっと冷たい。
ふと、背筋に別の寒気が走った。
城壁の上、氷鎧の巨影がこちらを俯瞰している。
人より大きい影。透きとおる甲冑が朝の光をわずかに弾いた。
――封印守。
この国は、記憶ごと凍っている。
溶かせるのは、きっと炎だけじゃない。
言葉と、手と、選択。俺たちの“繋ぐ”全部だ。
「行こう」
外套の襟を立て、布告の下をくぐる。
冷たい視線の街へ、一歩踏み入れた。
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