第20話 エリシアの決意
夜は、薄金の縁取りをもらって静かに退いていった。
王城の北バルコニー。足元の雪は固く、息は白く、王都の屋根はまだ眠たげに丸い。遠くの街路には、昨夜、誰かが雪に指で描いた輪の跡が点々と残っていた。
「息を、合わせましょう」
エリシアが隣に立って、小さく笑った。
「ああ。均熱:丸め:間=三:二:一」
呼吸がそろう。温度が揃うと、言葉も無理をしなくて済む。俺たちはしばらく、街が目を覚ます音を聴いていた。雪が軒に落ちる音、坂を登る二輪の軋み、誰かが母音をひと節だけ試す声――誓環歌は、子守歌のテンポのまま、起き抜けの布団みたいにゆっくりした。
「被害状況のまとめは?」
「南市場は半壊。でも大通りの骨は残った。今は運河に橋を仮設して、食糧を回し始めてる。避難所の暖は、祈祷所からの儀礼路で」
「……よかった」
エリシアは胸に手を添えた。
「混血への視線は、たぶんこれからも揺れます。だから、橋の印章を配ろうと思うの。『あなたの隣に在ることを、私は認める』という意味で」
「いい案だ。命令じゃなく宣言で、ね」
「ええ。ここで私が命じてしまったら、昨夜ルシエル様が戻してくださった温度を台なしにしてしまう」
背後で、フローリアが気配だけ残して軽く一礼し、そっと離れていくのが分かった。――二人きりにしてくれたのだ。王城の風が、うれしそうにバルコニーを一周する。
「ところで……その、雫の件だが」
「工房の人たちが、もう仕上げてくれました」
エリシアは青白い外套の胸元から、小さな布包みを取り出した。ほどくと、透明な結晶が銀座金具の六花の座に据えられ、細いチェーンがかけられている。封晶の奥で、極小の光が鼓動のように明滅していた。
「氷雫ペンダント。核は《王の雫》、座は王家工房の銀。昨夜、王家工房で――」
彼女は少し目を細め、静かに語りはじめた。
◆
――夜更けの工房。
スヴァルドが最初に言ったのは「過剰な力学加工は禁忌」という確認だった。
王室細工師は頷き、《王の雫》を透明な封晶に封入して、銀座金具の六花の座にぴたりとはめ込む。ドームの内側に、淡金の微細な刻印が走った。
「ここに刻むのは従属じゃなく、通行許可です」
エリシアは掌を上に向け、短い付与詞を宣言で刻む。
淡金の線が白金へ瞬き、細工師がほっと肩を下ろす。
「効力は?」と俺。
「王城と王都の正規儀礼路への無害アクセス。着用者と、同行者一名まで。攻撃や拘束の機能は一切なし。その代わり――声は必ず通る。人にも、精霊にも」
スヴァルドが最後に頷いた。
「均衡を壊さぬ鍵だ。良い」
◆
話を終える頃には、バルコニーの縁が朝の色に磨かれていた。
エリシアはペンダントを胸の前に捧げ、短い付与詞をもう一度復唱し、それから俺の首へそっと掛けた。鎖が肌に触れ、中心の結晶が淡金→白金と一度だけ瞬く。
「鍵が通りました」
「受け取った」
胸の《炎紋》とペンダントの核が同拍で鳴った。
エリシアは、まっすぐ俺を見た。
「レオン」
彼女は言葉を選ばず、正面から置いた。
「私もいつか、この国を人と精霊が共に生きる地にします。混血だからではなく、間に立てるから――私は橋になります」
息を合わせる。三:二:一。
「隣に在る。道が細いなら、一緒に広げる」
ひと呼吸分の間が、やわらかく二人の間に置かれる。彼女は、安堵にも似た笑みを零した。
「……ありがとう」
「礼なら、昨夜の子守歌に。俺たちも、街に歌ってもらった」
階下から足音。ミルが顔をのぞかせ、にやりと笑う。
「おーおー、朝から青春。……って、リア、肘が飛んでくるの早い」
「静かに。今は言葉が形になる時間です」
「はいはい」
ミルは口チャックのジェスチャーをして、しかし目じりは楽しそうに下がっていた。
ゼルフィアが書簡束を手に上がってくる。
「王都外縁で黒銀の残響を検知。強度は低いけど、どこかで通信が動いてる」
カイが鎧の留め金を締め直す。
「送れるのは城門までだ。そこから先は、お前たちの拍だ」
スヴァルドは短く頷いた。
「城の均衡は我らが守る」
「フローリアは?」
「ここ」
柱影から顔を出したフローリアは、俺とエリシアを交互に見て、すぐに少し頬を膨らませた。
「……いいなぁ、その橋の証」
「やきもち?」
「べつに。私の六花は隣にいるもん」
それでも彼女は、エリシアに向き直って会釈した。
「ありがと。声が通るのは、きっとすごく大事」
エリシアはかぶりを振る。
「こちらこそ。――戻ってきたら、一緒にこの橋を渡りましょう」
「ああ。約束だ」
◆
王城の門前。
雪は朝の温度に合わせて音を変え、車輪の跡は浅く、足跡は丸い。見送りに集まった市民が、路面の雪に小さな輪をそれぞれ描いた。誰かが母音を一節だけ歌い、別の誰かが重ね、やがて薄い合唱になって門まで流れてくる。
「門を開けろ」
スヴァルドの合図で、厚い扉が低音で動く。
ミルが御者台に乗り、カイは片手を挙げ、リアは祈りの糸を一本だけ馬の鼻梁に結ぶ。
ゼルフィアが最後に俺の胸のペンダントへ視線を落とした。
「通路は安定。異常があれば、鈴みたいな音がするはず」
「鈴、か」
俺は指先で結晶を軽く叩いた。――ちり、と小さな音がした。空気が、遠いどこかに繋がっている感じがする。
「行ってきます」
エリシアに向かって言うと、彼女は胸に手を当てて深く頷いた。
「いってらっしゃい。そして、また」
最後にもう一度、三:二:一で呼吸を合わせる。視線がふくらんだ朝の色でほどけ、俺たちはゆっくりと馬車へ乗った。
車輪が雪を踏み、門の影が背中を流れていく。街の輪は残り、歌は消えず、ただテンポだけが旅立ちへ変わる。
風見塔の上で、黒銀の小さな鳥が翼をひらいた。――協会の通信端末だ。東の空へ細い影を走らせる。
胸のペンダントが、ほんのわずかに鈴を鳴らした。俺は顔を上げる。前を向く。
隣に在るために、次の拍を踏み出す。
まだ見えない戦いのほうへ、けれど歌の温度のままで。
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