第19話 氷王の赦し
吹雪はもう、刃じゃなかった。
白い粒は音を持って降り、床に触れる前にふっとほどけて和音を置いていく。胸の内側には、その余韻だけがきれいに積もった。――《氷華契約》の余波が、冬を歌へ変えている。
「レオン、息……合わせよ?」
隣でフローリアが囁いた。彼女の指先が、俺の手の甲の氷華輪紋をそっとなぞる。
「ああ。均熱:丸め:間=三:二:一」
数えるたび、空気の角がまるくなった。胸の《炎紋》は白金域で静まり、右手の六花がそれと同拍で呼吸する。
王――ルシエルは、氷翼を外套のように畳み、白光の輪郭のまま広間の中央に立つ。低く、静かな声が落ちた。
「苦しみは奪うのではなく、眠りに返す」
その言葉に、王都全体の拍が一段おだやかになるのが分かった。遠くの誓環歌はテンポを落とし、祈りから子守歌へ移っていく。
「……街の波形、変わったわ」
位相板をのぞいたゼルフィアが、息をのむ。
「痛覚相がなだらかな曲線へ。うまくいってる」
「へへ、やっと刺々しさが抜けた空気だな」
ミルが肩の力を抜いて、天蓋の雪へ口笛で母音を重ねた。
「気を抜くな。……けど、いい音だ」
壁にもたれているカイは苦笑して、脇腹を押さえたまま片目をつむって見せる。
「王よ」
俺は一歩出る。
「忘れさせるのではなく、返すのだな」
「そうだ、契約者」
白光がゆるく揺れる。
「出来事は残る。だが角は、眠りに沈む」
◆
王都へ白い風が走る。視界の膜が薄くなり、広間の外の情景が音といっしょに胸へ入ってきた。
「もう大丈夫だよ。いっしょに息、吸って……吐いて……」
大路で、屋台の骨組みにもたれたパン職人が、見習いの少年の背をさする。少年の瞳に凍っていた恐怖の像が、雪に滲む墨のようにぼやけていく。
「お母さん、まだいる?」
「いるよ、ここに」母が子の額に輪を描く。「今日を眠りへ」
運河沿いの窓辺では、老兵が雪の音に耳を澄ませていた。
「……鈴が、遠い」
自分の声に驚いたように笑い、握りしめていた拳をゆるめる。
「お帰りなさい」
妻の低い母音が、男の肩へ乗る。
祈祷所では、女司祭が雪の上へ小さな輪を描く。
「この輪は、閉じ込めるためではなく――隣に在るための形です」
子どもたちがその仕草をまねして笑い、合わない拍が、いつのまにか重なる。
「こっち、息合わせ!」
屋根の上の衛兵が向かいの屋根へ叫ぶ。
「おーい! あ――う――え!」
母音が往復し、通りの上に橋がかかっていく。
◆
広間に戻る。ルシエルの白光がさらに低くやさしく揺れ、俺は均熱で王の拍を支えた。フローリアは涙継ぎで余剰の痛みをそっと肩へ取る。彼女の頬を伝う一粒は、もう結晶ではない。水のまま六花に吸い込まれ、光に変わる。
「街全体、成功。でも、北区画のノイズがまだ強い。ミル、風の幕をもう半拍延長できる?」
「やってやらぁ。ほら、雪も協力してくれてる」
「リア、祈りの糸を一本増やして」
「通る。今なら通るわ」
短く飛び交う声が拍を整え、空気の縁が滑らかになっていく。
スヴァルドが一歩進み、剣を胸の前で立てて儀礼へ移った。
「均衡、戻る」
彼の合図で、広間の中央に眠りの王床が整えられる。四隅に小さな氷花、中央に淡金の輪紋。封印の形ではない。帰るための場所。
ルシエルが、まっすぐ俺を見る。
「――お前の炎が、また世界を照らす日を願おう」
胸の奥がひとつ、静かに灯る。俺は短い宣言で返した。
「隣に在る。それが――俺の炎です」
「うん」
フローリアが目だけで笑う。
「その炎、あったかい」
その時だ。外套の裾から、透明の滴が一粒、音もなく落ちた。床に触れた途端、滴は花形に固まり、淡い光を内に閉じ込める。
「……!」
エリシアが歩み出て、両手でそれを受け取った。掌の上で、結晶は鼓動する小鳥みたいに微かに震える。
「それは王の雫。正規の橋として用いよ」
スヴァルドが頷く。
「わ、私が……?」
エリシアは自分の胸の紋へ視線を落とし、そっと頷き返した。
「はい。――大切に、繋ぎます」
王の白光は、眠気に似た明るさをさらに薄めていく。
「レオン」
リアが囁く。
「この静けさ、……きれい」
「ああ。音が、残ってる」
ミルが小声で笑う。
「ねえカイ、終わった?」
「終わりじゃない」
カイは肩をすくめる。
「でも、終わらせられた痛みは確かにある」
ルシエルの輪郭がやわらぎ、広間の天蓋から落ちる雪が最後の和音をひとつだけ響かせた。誓環歌は最弱音まで落ち、王都に静寂が訪れる。空っぽの無音ではない。歌い終えた後、胸の奥にまだ振動が残っている静けさだ。
「……きれい、ね」
エリシアの頬を、一粒の涙が伝う。彼女は指で涙の跡を拭い、掌の上の結晶にそっと触れた。
「ありがとう。――赦してくれて」
白光が最後に、俺たちを包むようにやわらかく揺れ――眠りは完了した。
◆
遠い城壁の外。撤収の隊列の影で、ゼファードが一度だけ王都を振り返る。
「赦しは秩序ではない」
副官が控えめに問う。
「計画は――」
「次相に移行する」
「追いますか」
「追うのではない。値を変える」
灰の瞳は揺れない。黒銀の足跡は雪に消え、音だけが、後味のように残った。
◆
俺は深く息を吸い、吐く。均熱:丸め:間=三:二:一。
「レオン」
フローリアが同じ拍で呼吸し、氷華輪紋が応えるように鈴の音を立てた。
「ありがとう、いっしょに受け止めてくれて」
「一人じゃ無理だった。……輪で、な」
「ふふ、ずるい言い回し」
笑いながら、彼女は王床へ一礼する。
「エリシア、その結晶……重くないか?」
「不思議と、軽いんです。……でも、意味は重い」
彼女は胸もとに抱え、目を細めた。
「橋として、必ず正しく使います」
「任せた」
俺が言うと、エリシアは小さく笑ってうなずいた。
「ゼルフィア、街の曲線は?」
「安定。北区画の乱れも沈静傾向。……このまま眠りへ移行する」
「ミル、風を一段落とせ」
「りょーかい。……ほら、雪がありがとって言ってる」
「カイ、今日くらいは横になれ」
「横になったら起きられなくなる。――門番がいるだろ?」
「じゃあ俺が代わりに門見るから」
「それは心強い、けど、やっぱり自分で見る」
やれやれ、と肩を竦め合って笑う。笑い声が、静けさを壊さない程度の音量で広間を滑っていく。
白い雪が最後にひとひら、王床へ落ちた。
扉を閉める音じゃない。――また開くための、静けさだ。
俺は氷華輪紋を見下ろし、それから隣の二人へ視線を移す。言葉は要らない。拍で足りる。
「行こう」
「うん」
「……はい」
三人の返事が、同じ高さで重なった。
王は眠り、街は歌に守られている。
ここから先は、俺たちの番だ。
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