第17話 絆の共鳴
鏡門の縁を越えた瞬間、世界が音の前に温度で形を持った。
足の下は静かな氷鏡湖。一歩ごとに白銀の輪紋が広がって、遠くでやわらかく重なり合う。
湖上には細い回廊が組まれ、頭上では一本の樹が鏡の葉を茂らせていた。葉に触れる風が、誰かの昔語りみたいにさらさらと鳴る。
胸の《炎紋》を白金域へ。右手の六花がそれに同拍して光る。
均熱:丸め:間=三:二:一。呼吸を整えるほどに、湖面のゆらぎが落ち着いていく――信の秤は正直だ。
背後――現実の広間は遠い。けれど、糸はつながっている。ミルの風が通路を押さえ、カイが囮で時間を買い、リアの祈りが拍に温を与え、ゼルフィアが「安全三拍」を刻んでくれている。そのどれもが、ここでの俺の一歩を軽くした。
鏡の葉をそっと撫でる。淡金の文字が流れ、指先に昔の昼が触れた。
◆
黄金時代の昼。
白い庇の影で、少年が笑っている。俺に似た面差し――レオニス。隣には白い王、そして幼いフローリアの姿。
何でもない午後。何でもなさが、たまらなく貴重だ。
「――精霊は人を信じたい。人もまた、精霊を信じるためにいる」
レオニスが言う。
その一文が湖に落ち、長い輪紋になって広がっていく。
胸の奥で《炎紋》がこつと跳ね、右手の六花が答える。――ここが、始まりなのだと体が理解する。
次の葉に触れる。昼は夜へ傾き、都市の上に黒銀の棘線が広がっていく。
命令の言葉、従属誓文。
レオニスは宣言で立ち向かおうとするが、主語の角があちこちに食い込み、輪が軋む音がした。
思わず拳を握る。ここで俺ができるのは、言葉を整えることだけだ。
◆
湖の中央、白い気息が下りる。問いは刃ではない。けれど鋭さは変わらない。
「名を捨てる理由を言葉で示せ」
俺は頷き、主語を捨てた構文で返す。
「奪わず、閉ざさず、隣に在る――輪を守るため、名は重ねない」
言葉が落ちる。湖面のゆらぎがすうっと引き、信の秤が静まった。
いい。間は確保できている。
次に現れたのは、湖心に沈む凍涙だった。触れれば、過去の痛みがこちらへ流れ込んでくる。
「……逃げない」
右手を伸ばし、触れる。冷が骨に入ってくる。均熱で温度差を削ぎ、丸めで角を受け流し、最後に間を空ける。
胸の奥が軋む。けれど、切れない。
遠い現実から、水の音が届いた。フローリアの――涙継ぎ。
彼女が痛みを分けてくれている。エリシアの“橋”が通路を安定させ、リアの祈りが波をならす。
俺は一人じゃない。輪の上に立っている。
「――もう一度、聴いてくれ」
湖と樹と白い気息に向けて、宣言で言葉を置く。
「輪は名のものにあらず。隣に在る者のもの」
呼吸を合わせ、もう一節。
「そして――精霊は人を信じたい。人もまた、精霊を信じるためにいる」
鏡の葉が一斉に震え、細い歌が降りてくる。湖の淡金は白金に明度を上げ、《誓文樹》の影さえやわらいだ。
白い気息が、問いの鋭さをほんの少し抜く。
――聴いている。王は、聴く者の相へ半歩移った。
湖底から、六花の欠片が浮いてきた。掌に乗せると、右手の印が二重に重なって、第二層の紋が刻まれる。核鍵片。
皮膚の下で六花と六花が呼び合い、フローリアの気配が近づく。
これで――共鳴路が整った。
遠景の吹雪が、少しだけ薄くなるのを感じた。現実の広間で、市民の誓環歌が一段強くなっているのだろう。
同時に、黒銀の棘の拍がわずかに戻った。ゼファードが後段式の改を仕掛けている。スヴァルドが結び目を見張り、ミルとカイが持ち場を死守してくれている姿が目に浮かぶ。
白い気息が、最後の一降りをする。
「問は尽きぬ。ならば――見せよ」
湖心の氷が裂け、黒く深い凍核片が姿を現した。
「……この氷を融かしてみせよ」
力押しの命題ではない。位相を合わせ、痛みを分け、角を丸め、歌に戻す作業――そういう種類の試練だ。
俺は凍核片から視線を外さず、右手の六花に拍を落とす。掌の奥で、新しく刻まれた第二層が鈴のように微かに鳴った。
――届く。フローリアへ、繋がる。
「受け取った」
小さく言って、回廊を振り返る。鏡門の向こうで、白い広間が遠さをやめる。
あの手はそこにある。俺の隣に。
◆
現実へ戻った瞬間、吹雪の音が耳を打った。
六花紋が高く鳴り、フローリアの六花がそれに答える。視線が交わるだけで、通路が明るくなる。
「どうだった?」
ミルの声。
「短く言えば――鍵は入った」
ゼルフィアが盤面をのぞいて頷く。
「共鳴路、安定。短時間なら二重負荷を許容できる」
「三拍は稼ぐ」
カイが苦笑して、まだ立っていることを示す。
リアが祈りの糸を太くし、エリシアが静かに一歩、前へ。
「橋は、保つ」
白い声が、最後にもう一度だけ降りてきた。
問いの形をした――信頼。
「契約者よ」
俺は答えるために、肩の力を抜いた。
均熱:丸め:間=三:二:一。
六花と六花が、同時にきらりと光る。
「やろう、フローリア」
「うん」
二人で息を合わせる。
輪の上で、歌の前の静けさが成立した。
――融かすのは力じゃない。
痛みを分け、角を丸め、隣に在ることの温度で。
俺たちは手を取った。
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