第15話 氷の王、覚醒す
「――契約者よ、なぜ封印を解いた」
白い声が、広間の天蓋から降りてきた。音より前に、温度が落ちる。耳の奥で鈴がひとつ、深く響き、従属誓文の命令位相が一段鈍った。
床下で、巨大な氷翼がひらいた。
封印紋の最後の花弁が消えた瞬間、天窓の霜が内側から弾け、粉雪が落ちる。白い昼のような明るさが、白銀の広間を満たした。
スヴァルドが王核室の前で剣を立て、儀礼姿勢に移る。敵に刃を向ける構えではない。――王に対する剣だ。
俺は胸の《炎紋》に手を当て、呼吸を合わせる。右手の六花が小さく同拍で鳴った。隣ではエリシアの混血紋が痛まずに揺れ、彼女の肩がほんの少し下がる。
「解いたのじゃない」
俺は宣言で返す。
「正しく開いた。奪わず、閉ざさず、隣に在るために」
「私は――」
エリシアが一歩、前へ。
「人でも精霊でもない間。この国の橋として、ここに立ちます」
白い声はすぐには返らなかった。かわりに、広間の光がわずかにやわらぐ。淡金の輪紋が床にひとつ、増えた気がした。
外では鐘の拍が避難配列に切り替わる。運河は静音のまま凍り、屋根の霜が花を咲かせる。遠景で吹雪の壁が立ち上がり、王国を包囲するように閉じていくのが分かった。
その白さの縁で、灰の外套が動く。
ゼファードだ。広間の周縁に、黒い柱――位相アンカーが等間隔に立ち上がった。柱と柱を棘の線が結び、薄い輪になって床に沈む。
「後段式、起動」
彼の声は淡々としていた。
「覚醒出力を奪還する」
黒銀の棘環が広間の外周に現れ、鈴の痛み拍が持ち上がる。
俺は反射で六花を灯し、半径数歩の無音帯を張った。凍焼の痺れが右の指先へ走る。大丈夫、まだ保てる。
「契約者」
白い声が落ちる。
「誰のために開いた」
「隣に在る者すべてのために」
俺は言う。
「この国をはじめとして――輪の外にいる者へも橋を」
エリシアが続ける。
「王に届く道を、人の声から精霊の声へ繋ぎ直すために」
白い気息が、天蓋から一度、ゆっくり吐かれた。
その呼気の底に、古い痛みが混じっているのが分かる。――滅びの約定の、冷たい名残。
「輪は裂けた」
声はつぶやくようで、広間全体に響いた。
「なぜいま、再び開く」
フローリアが小さく息を呑む。彼女の六花が胸もとで震え、指がわずかに握られる。
俺の視界の端で、白い都市の昼が重なる。レオニスの拍が薄くつながり、胸の中で白金の輪が広がる。
「民の母音が、届いています」
リアが控えめに言った。
「城下で――誓環歌が始まった」
ゼルフィアが位相盤を見せる。街路に沿って淡金の線が灯り、広間の色が一段明るくなる。
ゼファードの棘環が唸り、覚醒出力の一部を偏流させる。広間の奥で移送門が半分だけ形を取りはじめた。
「保全のための搬送だ」
彼は視線も寄越さず言う。
「神座は空席であってはならない」
「空けたのは、名を捨てた王の責任だ」
俺はゼファードに視線だけで返す。
「俺たちは隣に在る責任を継ぐ」
棘環の縁が広間の淡金を噛む。痛み拍が刺さり、無音帯の輪が軋む。
「結び目、三点」
ゼルフィアの声が早口になる。
「北、東、南――同時なら落ちる」
「承知」
スヴァルドが剣を半ば構えて静かに踏み出す。ミルは風で視界を白にし、カイが血を滲ませながらも囮へ回った。
「十拍、稼ぐ」――息が荒い。だが立っている。
俺は六花でミュートを一段厚くして、エリシアの脇から北の結び目を刺す。
白金の輪紋が黒銀の角を丸め、一瞬、噛み合わせが緩む。
「今!」
スヴァルドの剣先が東の結び目に正確に入る。
ゼルフィアの逆相が南へ落ち、棘環がばちりと火花を散らして裂けた。
移送門が崩れ、黒銀の柱が呻く。その反動が逆流になって、広間いっぱいの冷気が爆ぜた。
膝が笑う。指先の凍焼が肘へ伸びる。カイがよろめき、ミルが片肩を抱いて支える。リアの祈りが糸になって各所を縫い止めた。
そのとき、白い声が二度目の問いを落とす。
「輪は誰のものか」
俺の口が、自然に動く。
「名のものではない。隣に在る者のものだ」
エリシアが頷く。
「橋のものでもある。渡る者、渡される者、どちらかだけのものじゃない」
短い静寂。白い気息が、今度はほんの少しだけ温を帯びる。
氷翼の中心に、人の輪郭が立ち上がった。顔は白光に覆われ、視線だけが――確かに、こちらを見ている。
その視線が、一瞬、フローリアに合った。
彼女の肩がわずかに震え、次の瞬間、震えが止まった。
六花の光が、ぴたりと定まる。
「――私が王の意志を受け止めます」
フローリアが前に出た。
王の呼気が、そこだけ深くなる。
白光の内側で、古い記憶が形になりかける。滅びの約定の冷たさ、手放した名の痛み、雪に紛れた泣き声――。
「フローリア!」
呼びかけるより早く、氷意の奔流が彼女へ落ちた。
氷花の盾が音もなく砕け、フローリアの身体が弾かれる。床に片膝をつき、息を詰めたまま顔を上げる。
「――あなたの記憶が……残酷すぎる」
言葉は掠れ、しかし確かに届いた。
広間をめぐる白の気配がわずかに揺れる。
王の輪郭が、もう一段、鮮やかになる。
六花が胸で跳ねた。俺は一歩、彼女の方へ踏み出す。
ゼファードの残る柱が、低い唸りで再起動の拍を刻み始める。外の吹雪は厚みを増し、時間は細っていく。
次の問いが、白い風に積もっているのが分かった。
――ここで、受け止める。
俺は呼吸を整え、凍える指を握り直した。
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