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命の実  作者: 不動坊多喜
7/45

命の実(7)2①

2①


ふるるるる、ふるるるるる……。

不思議な呼び声で、ひかりは目を覚ました。


体を起こしぼんやりと辺りを見回すうちに、自分がどこにいるのか思い出してきた。


そう、ここはィアーケス・オニーシャ。ドゥニックの家のテラス。

夕食の片付けがすんだ絨毯の上に、シーツを被ってごろ寝した。

天井代わりの棚を覆いつくすのはウォドーブ。甘い実がなって、お酒やジュースの材料になる。

葉の透き間から漏れる月の光がまぶしくて、疲れていたのになかなか眠れなかった。

これからのことを考えて憂鬱だったのもあるけど……。


また、ふるるるる、ふるるるるるという声が聞こえてきた。


誘われるようにテラスを下り、外に出る。空は、夜明け前の薄い青だった。

かなり眠ったと思っていただけに、ひかりは驚いた。

昨夜はすることも無く、夕食後すぐ床についた。

寝つきが悪かったのに早く目覚めたのはそのせいだろう。


家は、大木に寄り添うように建てられていた。強い日差しを避けるためだろう。イシャシーフの家もそうだった。広がった枝葉は、まさしく「屋上屋を重ねる」だ。しかし、決して無駄ではないに違いない。

太い幹には、ぼこぼことしたこぶがある。もしかしたら、そこに水を蓄えてあるのかもしれない。ストローを突き刺して飲んでみたら、どんな味がするだろう。

自分の想像が気に入って、思わずくくっと笑い声がこぼれる。


裏に回ると家畜小屋があり、ドゥニックが獣に餌をやっていた。

「やあ、早いね。夕べはよく眠れたかい」

ひかりは、こっくりとうなずいた。

「はい、おかげさまで」

それから、小屋の中の獣を観察した。

体は、砂色の長くごわごわした毛で覆われている。そのくせ、長い足には全く毛がなく、トカゲのように硬い皮で守られている。

「これは、何という動物ですか」

「アドゥカルだよ。見るのは初めてかい」

「はい」

アドゥカルは、全部で五頭いた。乳を搾ったり毛を刈ったりする以外に、エフィルを探す人に貸し出したりするらしい。

「あそこの門をぬけるとオアシスがあるから、顔を洗っておいで」


オアシスは、思ったほども広くなく、けれど、澄んだ青い水をなみなみとたたえていた。

周りには木々が茂り、その陰を選んで家が建っている。

洗い場は、桟橋の横にあった。

ひかりは板を渡ると、据え付けられた桶に水を汲んだ。手を洗い、口をすすぎ、最後に顔を洗う。指紋の中にまで入り込んでいた細かい砂が、水を砂色に染めていく。その気持ちよさに、ほーと息をつく。

桶の前に座り込むと、しばらく手を浸してその冷たさを味わった。指先は魚になったように感触を楽しみ、水から出たがらなかった。名残惜しさを振り切って、立つ。

桶の水をオアシスに戻そうとして、止めた。何となく、汚すのがためらわれた。といって、捨てるのも忍びない。せっかくの水だ。

ひかりは、真奈美がよくしていたように、手近な木の根元にそれをかけた。

それから少し歩いてみた。


道の両側は、果樹園が続いている。椰子の木だろうか。丈高い木々の陰に、無花果やオレンジによく似た木が植えられている。その下には高く詰まれたうねが続き、スイカやメロンのようなものが植えられている。二重、三重にも陰を作り植物を守るその知恵に、自分の置かれている境遇も忘れ、見入っていた。

しばらく歩くと、集落を囲むレンガづくりの塀と防砂林が見えてきた。

そこに、昨日入ってきた門があった。

門には、横木を渡すだけの閂がついていたが、既に棒ははずされていた。

そっと押すと、音を立てて開く。その向こうは、沙漠だ。

そこに、踏み出す。


これからどうすればいいのだろう。


ぼんやりと地平線に目をやる。

どこまでも続く砂の世界。帰る方法は分からない。

ならば、このままここに留まるか。

しかしそれは、刻々と石になっていくイラキーフの最期を見届けるということだ。

耐えられるだろうか。


ため息をつき、視線を落とす。

その目の前で、砂がゆるゆると同心円を描き始めた。

「?」

砂は、ゆっくりと形を変えていく。

アリ地獄のようにすり鉢形になったかと思うと、中心が盛り上がり、筍が頭を出すように丸いものが現れる。それは、紛れもなくバグだった。


ひかりは一瞬息を止めたが、すぐ怒鳴り声を上げた。

「ちょっと、あんた。どーいうつもり。元の世界に帰してよ」

バグを捕まえようと右腕を伸ばす。

しかし、その姿は吸い込まれるように砂と同化した。と、左側から首を出す。

「本当に戻りたいときがきたらね」

「今、戻りたいのよ」

今度は、思い切り蹴りを入れた。が、それは空振った。

はずみで、尻餅をつく。その鼻先、五十センチほどのところに首が出た。

「本当に、戻りたいの」

「そう、戻りたいの」

バグの細い目が、もっと細く横に伸びた。口元が、微かに笑っている。

「じゃあ、イラキーフはどうするのかなぁ?」

心底、意地が悪い。

「どうしようもないじゃない」

「確かにね。おまえが食べてしまったから、吐き出したって戻らない」

ひかりは、座ったまま拳を振り上げた。が、間に合うはずがない。

叩きつけた拳は砂にめり込み、代わりにほこりが舞い上がる。

少し先に、バグの頭がある。また、拳を振るう。今度は右だ。いや、左だ。

そのたびに砂煙がたち、せっかく洗った口の中がざらざらする。


疲れた犬のように這いつくばり、あえぐように叫んだ。

「どうしろっていうのよ」

顔の下に、バグが頭を出した。

クルルルとプロペラが回るような笑い声が、のどの奥で響いている。

「それは、おまえが考えることだ」

そうして、出て来たときと同じようにゆっくりと、波紋を描きながら砂に融けていった。


本当に、何もできないのだろうか。

できることがあるのだろうか。

ひかりは、よろよろと立ち上がった。服のほこりを払いもせず、下を向いたまま垣根をくぐった。


小山のような潅木の茂みの傍を通ると、つんと鼻をつく匂いが迫ってきた。

「パクスだ」

誰にともなくつぶやく。

カイヅカイブキのような細い緑の葉の上に、雪の粉を散らしたように花が咲いている。小さく白い十字の花が、うなずくように揺れていて、黙ってひかりを見つめている。


考えるまでもなく、しなくてはならないことは分かっていた。

する勇気がなかっただけだ。


重い足を引きずって、イシャシーフの家の扉を叩く。

昨夜と同じように、イマナームが顔を出す。しかしその顔は、昨夜よりももっと疲れていた。げっそりと頬がこけ、目の下には隈があった。肩を落とし、背中も丸まって、一晩で十は老けたように見えた。

「ああ、あんたかい」

憎しみと憐れみの混じったような、何ともいえない表情と口調がやるせなかった。

「まだ生きてたのか」

後から、イシャシーフも姿を見せた。こちらは明らかに憎しみだけだった。


ひかりはぐっと息を呑むと、はっきりとあごを動かした。

「わたし、エフィルの実を探してきます」

二人は、驚いたように顔を見合わせた。それから、ひかりの方を見た。

「どこを探すっていうんだ。自分の言ってることの意味が分かってないだろう」

食ってかかるような強い口調に、イマナームも同意した。

「エフィルは沙漠にしか生えないのよ。これは、大昔から、魔女との取り決めなの」

「どこにあるかも分からない、探すことから始めるんだ」

「それから、育てるのよ」

「毎日、朝と夕に水をやらなければいけない。それも、半年」

「半年続けて、やっと実ができるのよ。でも、それが食べられるようになるのは、まだまだ三か月先」

二人は、交互にそう言った。それは、ひかりに教えているというよりは、自分達に言い聞かせているように見えた。

「その作業がどれだけ大変か、分かるか?

おれ達は、たまたま家の近くで見つけることができたから、二人で交替して水遣りをした。しかし、中には、遠く離れた土地で、一人で育てている人もいるんだ。水辺に近いところで見つけられればいいが、そうでなけりゃ悲惨だ。一日が水汲みと水遣りだけで終っちまう。他のことなんか何もできない」

「それに、たとえ、今日、新しい木が見つかっても、もう間に合わないの」

イシャシーフは息子の部屋を振り返ったあと、声をひそめてしぼり出した。

「イラキーフに残された時間は、あと二十日もない」

「えっ」


ひかりがこぼした音に、返事はしばらくなかった。

どんよりした空気に、もっとよどんだ息が吐き出される。

「イシュールシュにかかると、残された時間は一年だ。だが、エフィルは、食べられるようになるまで九か月かかる。つまり、分かるか。エフィルを探す時間は、三か月しかないんだ。そしておれは、見つけるのに二カ月と十日使っちまった」


ひかりは、ぐっと両手を握り締めた。体が引き締まる。

「それでも、わたし、行きます。もしかしたら、誰のものでもない実があるかもしれないから」

ひかりとイシャシーフは、にらみ合った。

「それは、おまえの自己満足だ。謝ればすむと思っている、自分勝手な考えだ」

ナイフのような言葉だった。切り開かれた心は、流す血もなく、戸惑い震えていた。

「それでも……」

イシャシーフは、フンと鼻を鳴らした。

「おまえがバグの裁きを受けている身でなかったら、殺してやりたいところだ。だが、そうもできない。だから勝手にするがいい」

最後の言葉を投げつけると、イシャシーフは背を向けた。


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