命の実(41)18③
18③
しばらくひかりは見とれていた。
ひかりが何も言わないからか、魔女も口を開かない。
やっと我に返ると、恐る恐る尋ねてみた。
「あなたが、魔女ですか」
その人は、驚きを持った表情で応えた。
「人がそう呼ぶのなら」
自分がそう呼ばれているのを知らないみたいな言い方だった。
「じゃあ、名前はなんというのですか」
「ィアーサ・ドゥック・エドノィ・オータ・マシマーク」
(長い。覚えられない)
気持ちが通じたように、魔女が言った。
「ィアーサだけでいいですよ」
平然とした口調だったが、困ったように眉根をしかめている。
「あなたは、ひかり、ですね」
(なぜ、名前を。……いや、魔女だから当然か)
驚きをのみ込み、気持ちを整える。
「そうです。エフィルを探してここに来ました。一つ、分けてください」
「何故、分けなければいけないのですか」
「え?」
「これは、私が育てているものです。あなたのためのものではありません」
「わたしのためじゃありません。イラキーフのためです」
(こんなにたくさんあるのだから、一つくらいいいじゃない)
「そうはいきません。秩序というものがあります。なぜ、あなたがエフィルを必要なのか、はっきり聞かせてください」
「だから、イラキーフのために」
それだけでは不十分だと、魔女の表情が言っていた。もちろん、自分でも分かっていた。
言いたくないけど、きちんとしなくてはいけない。
「わたしが、イラキーフのエフィルを食べてしまったから。だから、代わりを探してるんです」
口に出すと、それがいかに甘い考えか、改めて痛感する。魔女が自分に同情してくれるとは、とても思えない。彼女がノーと言えば、望みは全て絶たれるのだ。
ひかりは、黙って返事を待った。
裁判所で判決を待つ人々は皆、こんな感じなんだろうか。
静寂を破ったのは、しわがれた声だった。
「この子が、イラキーフのエフィルを食っちまった子かい」
ここには魔女しかいないと思っていただけに、ひかりはうろたえた。
慌てて声の主を探す。それは、足もとから聞こえていた。
「バグ。いつ、ここへ」
いや、よく見ると、沙漠のバグとはどこか違っていた。
「わたしゃ、バグ・マ。この世界で一番の古株だ。今生きてるバグは、まあ、みんなわたしの孫みたいなもんさ」
「ここには、たくさんのバグがいるの?」
「世界には、たくさんのバグがいる。あんたが出会ったのはバグ・バといって、バグの仲間じゃ一番の怠け者でいたずら者だ」
ひかりは、バグ・バの顔を思い出し、少し笑った。わずかだが気持ちがほぐれ、余裕が出てくるのを感じた。
「バグはエフィルの花を食べる決まりなのに、あいつはすぐ他の花を食べたがる。ここじゃ他のバグに見つかるから、お前さんの世界まで勝手に出かけたんだろう」
「エフィルの、花?」
(今まできいた話に、エフィルの花が出てきたかしら)
「エフィルの花は、根っこに咲くのさ。人間はカビだと思ったようだがね」
「ああ」
(イシャギーフの話にあったかも)
「エフィルは地の底で、白いカビのような花を咲かす。バグはその花を食べ、代わりに大地の命を吹き込むのさ。命は、茎を駆け上り、実の中に閉じ込められる。半年かけて丁度よいだけ集めると、殻の中で人間が食べても良いように熟成させる。それがバグの、大地に棲まう者の役目さ」
(大地の命? 何、それ?)
「エフィルを育てた者の命さ。バケツで朝夕あげているのは、水ではなくて、血だ。その人は気づいてないけどね、同じことさ。わたしらバグは、大地に散らばったその命を集め、エフィルに吹き込んでいるというわけさ」
「じゃあ、ここにあるエフィルは、魔女の、ィアーサの命なの?」
「そうではありません」
魔女が話を継いだ。
「私やバグは、大地と一続き。命が巡ることはありません。ここにあるものも沙漠に生えるものも、皆、人の命です」
「でも、私が食べても、イラキーフの父さんは死ななかったわ」
「そう、分け与えたからね」
「分け与える」
「分け与えたものは、増えるのです」
ひかりは首を傾げた。さっぱり訳が分からない。
「お前は、バグ・バより考えなしだね」
バグ・マが、嘲るように言葉を吐く。
魔女は、静かに話を続ける。
「ここの実には、種があります。また、次の命につながるように。けれど、沙漠に実るエフィルは、育てた人が分け与えた命だから、種はありません」
頭の中がグチャグチャになってきた。今の話を整理するために、自分の持っている知識に置き換えようと必死になった。
H(水素)とC(炭素)とO(酸素)が、形を変え、大気と大地と生き物を形作り循環していく。バグは、それを助ける役目をしているのだろうか。
しかし、命とは、どういう元素なのか。それが大地や人の中を駆け巡り、分け与えて増えるとは、どういう状態になることなのか。
「分かんない」
考えなしだと笑われても、降参だ。
エフィルは、もらえないかもしれない。
悲壮な思いで目を上げると、魔女は、絶望したような表情でひかりに告げた。
「分かりました。エフィルを一つあげましょう」
「本当に?」
「嘘は言いません。ただし、ここの畑にある分はだめです。これらは、私が自分のために育てているものですから。けれど、ずっと向こうの丘には、自然に生えてきたエフィルの森があります。そこから一つ取れば良いでしょう」
「じゃあ、すぐに」
「いいえ、今日はもう日が暮れました。明日にしましょう」
「でも……」
(時間がない)
その不安を見透かしたように、魔女は言葉を続けた。
「帰りは、ィアークを貸してあげましょう。あれに乗って行けば間に合うでしょう」
嘘みたいに、話がうまくいく。
(何か、罠があるんじゃないだろうか)
「罠はありません」
また、魔女は心を読んだ。
「今夜はここにお泊まりなさい。といっても、雨露をしのぐ場所が必要ですね」
「わたし、大丈夫です。ここに来てから、ずっと外で寝てますから」
ひかりは強気で答えたが、魔女は相手にしないであっさり言った。
「沙漠は雨が降りませんからね。でも、ここは気候が違います」
「ィアーサは、どこで寝るんですか」
「土の中で」
平然と言い返され、言葉を失った。
「でも、あなたはそういうわけにはいかないでしょう」
目の前から魔女の姿が消えた。
呆然と佇んでいると、微かなつぶやきが聞こえてきた。
振り返ると、魔女は石のステージの上にいた。
両腕を胸の前で組み、何かつぶやくように唱えている。それから、腕を前に突き出し、ピアノを弾くように指を動かした。
何が起こっているのか、しばらくは分からなかった。
気がつくと、魔女が伸ばした腕の先に四本の木が生えつつあった。
細く真っ直ぐな幹から、枝が幾本も伸びる。それらは互いに手をつなごうと伸び、それによって斜交いが、梁が、棟が組み上げられていく。見ている間に枝から葉が茂り、壁ができた。同時に、枝は屋根型に伸び、緑の瓦を幾重にも重ねていた。
家が仕上がるまで、三分もかからなかっただろう。
「さあ、お入りなさい」
はっと振り向くと、魔女はもうそばにいた。しかし、ひかりは動けなかった。
魔女は、恐ろしいものでも見るような視線をひかりに向け、それから目を閉じた。違うと言うように首を振り、また目を開けると、すべるように家に入っていった。
ひかりは呼吸を整えると後に続いた。
家の床は、当たり前だが草地のままだった。そこに魔女は腰を下ろしていた。その向かいに座る。どうも落ち着かず、壁やら天井やらを見回す。
急に室内が明るくなり、回りの緑に陰影がついた。
どうやったのか、魔女の持つ棒切れの先に柔らかな明かりが灯っていた。風があるのに揺れもせず、煙も出ていない。もちろん熱も発しない。
(魔法の火は、寂しい)
夕食の折、みんなで囲んだ焚き火が恋しかった。
突然、芳しい香りが満ち、思いの帯を断ち切った。
「エフィル!」
どこから現れたのか、四匹のバグが、大きな平たいざるを運んできた。その上に、山盛りのエフィルが輝きを放っている。
どさりと草の上にざるを下ろし、バグたちは地面に消えてしまった。
魔女は、真っ白いしなやかな指先でよく熟れた実を一つ取り、ぱかんと二つに割った。溢れ出す甘い香りは狭い空間に入りきらず、薄紅の風になって入口から外へと流れていく。
思わず、ゴクッと唾を飲む。
「ひかりも召し上がりますか」
魔女は、なぜか物欲しそうに、上目遣いでひかりを見ながらそう言った。
ひかりは、どうしようかと、手を伸ばしたり引っ込めたりした。
随分ためらったが、欲望を抑え、開いた指を閉じるとぎゅっと握りこんだ。拳を胸にひきつけ、何とか言い放った。
「やめます。これ以上の荷を負うことはできませんから」
魔女は、少し苦しそうにうなずいた。その表情は、どことなく残念そうで、やっぱり物欲しげだった。
(嫌みったらしい)
ひかりは歯をくいしばり、怒りを抑えた。
魔女は話もせず、口を動かし続ける。ため息をつくように食べ終えたエフィルの皮を地面に捨て、種はざるに戻す。すぐに、次の実を手にする。再び流れる甘い風が、ひかりを誘惑する。それを、じっと耐える。三つ、四つと、魔女は平らげていく。
(一体、いくつ食べるつもりなの)
次第に腹が立ってきた。
「これだけたくさんあるのですから、今、イラキーフの分を下さっても良いのではないですか」
魔女をにらみつけ、わざと丁寧に言葉を吐き出した。
「だめです」
今度は、おねだりをする子どものように、わがままな顔つきだった。
ムカッときた。
(全てが自分の物なのに、これ以上何をねだるの)
唇をかみしめ、魔女をにらみつける。
(盗んでやろうか。一つくらいなら分からないに違いない)
知ってか知らずか、魔女は悪意に満ちた視線をちらりとひかりに向けた。
口の端から、真っ赤な汁が垂れている。汁は、美しい白いあごを、血のように伝っていく。
と、落雷のように、一つの挿絵が脳裏に浮かんだ。
真ん中に不死鳥の宿ったリンゴの木、右下にはその実を一つ手にした少年。左上、木の陰に潜んでいる白い魔女。
ィアーサが白い魔女なら、自分は少年だ。
彼が母を助けるためリンゴを盗むという誘惑に打ち勝ったように、自分もまた、勝たねばならない。
不当に手に入れたエフィルは、たとえ人のためであっても不幸の種でしかない。
もちろん、わたしは元の世界にもどるから、盗んだエフィルを食べたイラキーフがその後どうなるか、見ることはない。
けれど、きっと思い出す。そして、平気でいられない。
もう二度と、お気に入りの本を開くことができなくなる、いや、本棚に置くことさえできないかもしれない。今を、このシーンを思い出すから。
握り拳に力が入る。爪が痛かった。
(明日まで待つんだ。どうせ、帰りはィアークが必要だ)




