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命の実  作者: 不動坊多喜
4/45

命の実(4)1③

1③


 どれくらい走っただろう。太陽はすっかり沈んでしまい、輝く星に負けまいと満月が昇ってきた頃、ようやく町の影が見えてきた。

 その間、ひかりは何度も獣から落ちそうになった。何しろ、お尻の下はぼこんぼこんと上下に揺れるし、しがみつこうにも両手は縛られている。男がしっかり支えてくれていなかったら、確実に落馬(?)していただろう。


 町は防砂林に囲まれていた。

 風の力を逃がすため、緩やかな弧を描くように丈高い木が並んでいる。その根元には、透き間なくびっしりと灌木が枝を張り、ガシャガシャした黒い影を落としている。その向こうは煉瓦塀だ。


 防砂林に沿ってぐるりと歩く。

 風が塀に当たらない方向、生垣の切れ目に小さな門があった。

 男は獣から降りると、その門を開けた。板を組み合わせて作った簡単なもので、押すとクィィーと金属のきしむ音が聞こえた。

 その音に応えるように、人の声がした。

「イシャシーフかい」

 掲げられた明かりが、背の高い老人を浮かび上がらせた。

「ああ、ドゥニックか。こんな時間にどこかへ行くのか」

「まさか。おまえさんを待っていたのさ。今日あたりエフィルが熟す頃だろう。イラキーフの回復を一緒に祝いたくてね」

 一瞬にして、周りの空気が怒りと殺気に染まった。ひかりは背中に荒い息を感じ、二人を乗せていた獣さえ、その気配に一、二歩退いた。


(今度こそ、殺される)


 恐怖に突き動かされ、ひかりは大きくもがいた。

 男は慌てたように腕を差し出したが、それをすり抜け、わざと獣から落ちた。砂の大地で身をよじり、老人を見上げる。

「お願い、助けて。殺される」

 ドゥニックと呼ばれた老人は、驚いたようにひかりを助け起こそうとした。それすら待ちきれず、ひかりは叫んだ。

「この人、わたしの生き血をイラキーフに飲ませるって言うんです」

 老人のしわに囲まれた細い目が、大きく開かれた。戸惑ったように、ひかりとイシャシーフを交互に見つめている。

「この子は、何を言っているんだ」

 イシャシーフは、いまいましげに唾を吐き捨てた。

「この小娘が、エフィルを食っちまったんだ」

「ええっ!」

 ドゥニックは、もう一度ひかりの顔を見つめた。

「だって、わたし、一日中何も食べてなかったんです。飲み物もなかったし、あのままだと、干からびて死んでるところだったわ」

 思い出しただけで、涙が出てきた。鼻をすすり上げ、声を張り上げた。

「あの実を食べなきゃ、死んでたわ」

「死んでりゃよかったんだ」

 もっと大きな怒鳴り声が返ってきた。ひかりの胸倉をつかみ、また、揺さぶりをかける。

「いいか。おまえがエフィルを食ったから、わしの息子は死ぬんだ。息子を助けるために、それだけのためにこの一年耐えてきたのに。おまえが台無しにしたんだ」


 ドゥニックが間に入ってくれなかったら、今度こそ本当に殺されていただろう。それほど、彼の怒りはすごかった。

「落ち着け。この子の話も聞こうじゃないか」

「何を聞くっていうんだ」

 イシャシーフは血走った目をぎらつかせ、狂犬のように歯をむき出した。本当に噛みつかれそうで、ひかりは、ドゥニックの背後に身を隠した。

「この子は、言っていることも変だが、着ているものはもっと変じゃないか。何か事情がない限り、こんな格好で沙漠をうろつくはずがない」

 言われて初めて気がついたように、イシャシーフはひかりを見た。ひかりもまた、彼と自分の服装を見比べた。


 頭には白いターバン、襟なしシャツにだぶだぶのパンツ。ターバンは銅の輪で止められ、耳たぶには緑の石のピアスが光っている。

 絵本やアニメで見たアラビアンナイトのようで、沙漠の生活にマッチしているのだろう。全体的にゆったりとした着こなしで、薄くて軽い布地が涼を誘う。


 それに比べ、ひかりのジーンズにトレーナーは、分厚く不恰好だった。おまけに、頭にはタンクトップを被っている。この世界には似つかわしくない。それははっきりしていた。


 しかし、彼の目はまだ血走っている。

「ィアーケス・オノトースの人間だろう」

「いや、わしの知る限り、ウスタトゥの向こう、海までの間に、こんな服を着る種族はいない」

「じゃあ、イーやエーンの向こうだろう。王宮辺りの道化師じゃないのか」

 それから、思いついたように手を打つと、あざけるように笑った。

「王の愛人だったんじゃないか。怒りを買って、放り出されたんだろう」

 ひかりは、かっとなって言い返した。

「馬鹿にしないで。わたしを放り出したのは、バグよ」


 とたんに、二人は固まった。

 ドゥニックの頬に緊張が走る。

 イシャシーフも怒りが飛んでしまったように、目を見張り、音を立てて唾を飲み込んだ。

 ひかりは意気込んだ。

「バグを知ってるのね」

 二人は顔を見合わせ、それから同時にうなずいた。

「娘さん、バグに遭ったって本当かい」

「本当です。うちの庭のパンジーを食べてたんです。それで、捕まえたんです」

「捕まえた?」

「ええ。甲羅を」

「甲羅を!」

 ドゥニックとイシャシーフが同時に叫び、顔を見合わせた。

 それから、そろってひかりに目を向けた。それは、鬼か悪魔でも見るような、驚きと恐怖にみちた表情だった。


 しばしの沈黙の後、イシャシーフが重々しく言った。

「そりゃ、裁きを受けて当然だ」

 ドゥニックもゆっくりうなずいた。

「裁き?」

 その問いには答えず、二人はヒソヒソ話をはじめた。

「どうやら、ィアーケス・オノトーシャラスからきたようだな」

「ああ。こちらの人間なら、バグのことを知っているはずだ」

「甲羅のこともな」

 ひかりはイライラしてきた。

「一体、何の話なの」

 イシャシーフは、ひかりの足もとにぺっと唾を吐いた。

「おまえなんか、沙漠に放り出されても仕方ないって話だ」

 その口調が怒りからあきらめに変わったのを、ひかりは聞き逃さなかった。


 何かが、彼の中で変わった。

 そして、それは、「バグ」と「裁き」に関係している。


「それより、これからどうするつもりだ」

 ドゥニックの声に、ひかりもイシャシーフもはっと顔を上げ見つめ合った。

「どうしようもない」

 目を反らせて、イシャシーフが吐き出す。

「食っちまったものは、どうしようもない」

「イラキーフとイマナームに、どう説明する」

 ドゥニックの控えめな声に、ため息が応える。

「とりあえず、家に戻ろう。もう、ユーバの出る頃だ」

 そう言って、すねたように背中を向けた。


 ドゥニックは黙ってひかりの両手を縛った紐を解くと、イシャシーフに並んだ。

 自由になった両手はしびれていて、自分のものではないような気がした。

 掌で交互にマッサージしながら二人の後をたどる。

 イシャシーフは背を丸め、ドゥニックに肩を支えられるように歩いている。誰も何も言わず、葬列のような重い空気があった。


 しばらく歩くと、樹木の陰に、煉瓦造りの円い家が見えてきた。裏の方から、フミーンフミーンと動物の鳴き声が聞こえてくる。

 周りには幹が太く丈高い木が数本立ち並び、その下の畑と住人を昼間の太陽から守っていた。


 イシャシーフは戸口には近寄らず、その一本の陰に隠れるように立ち止まると、ドゥニックを手招きした。

「家内を呼んできてくれないか」

 ドゥニックは少しためらったが、扉に近づきノックした。


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