命の実(39)18①
18①
地平線が明るくなる頃、ひかりはひざをついた。
(少し休んだ方が良いかも)
気持ちはあせるが、夜通し歩いた疲れがそろそろ出てきたようだ。
(ちょっとだけ、水を一口飲んで、方向を確認する間だけ)
自分に言い聞かせ、砂の上にへたり込む。
ポケットから、手帳を出す。間に挟んでいた地図を広げ、その上に磁石をのせた。
地図は、昨夜月明かりのもと書き込んだ直線で、ずいぶん見づらくなっていた。
それは、ため息が出るほど残念なことだった。美しい地図のまま置いておきたかった。けれど、これは必要なことなのだ。自分にそう言い聞かせて、線をひいた。そうして得た目的地の位置を、確かめる。
ほんの少し、右よりにずれている。
わずかなずれでも、魔女の山から離れるほど距離は広がっていく。危ないところだった。
ホッと息をつくと、皮袋の口を開き、中身を一口飲んだ。水が体の内側に広がっていく。その感覚をしばし味わい、袋の口を固く縛る。
もう少し、座っていたい。
その気持ちを振り切って、立つ。
暑くなるまでに、残りの距離を今の半分以内に、いや、三分の一に縮めておかないと、夕方までに到着できない。真昼に歩くのは無理だから。
ぐっと顔を上げ、歩き出す。一歩を踏み出せば、二歩目は軽かった。
太陽が、ほぼ真上にさしかかった。動くものを焼きつくすために、照りつける。
休まなくてはいけない。けれど、眠ったが最後、涼しくなるまで起きられないかもしれない。それでは間に合わなくなる。目覚し時計が必要だ。もしくは、それに代わるものが。
ひかりは、掠れる咽から声を絞り出した。
「バーグ」
バグは、姿を現さなかった。
「いるの分かってるから言っとくけど、二時間経ったら起こしてね。それまで眠るから。それ以上は……」
声はだんだん間延びして、最後はあくび交じりで、消えた。
突然、顔の上に何かがババッと降ってきた。
「うわぉ」
ひかりは飛び起きた。
開けた口の中にジャリジャリしたものが入り込んできた。干からびた咽から唾を搾り出し、べっべと吐き出す。砂だった。顔の表面に汗で張り付いているのも、砂だった。ということは、今、顔に降り注いだのも、砂だろう。
何で、そんなものが降ってきたんだろう。まさか、竜巻!
慌てて周囲を見回したが、それらしきものは影も形もなかった。
と、バグの間延びした声が聞こえてきた。
「ようやくお目覚めで」
声のした方を、ぐいっとにらみつけた。
「あんたが、砂を降らせたの」
「起こしてくれって、言ってただろう」
「もっとちゃんと起こしてよ」
「いくら呼んでも起きなかったのはそっちだろう。それに、もし起こさなかったら、もっと腹を立てただろう」
イヒヒと笑いながら、バグは砂へ逃げ込んだ。
バグの消えた辺りの砂を蹴り上げて、ぺっと唾を吐いた。口の中は、まだ埃っぽい。
悩んだ末、少しだけ水を含み、うがいする。
それから、皮袋を背負うと歩き出した。
道は、まだまだ遠い。
ヤーキッシュが昇り始めた。青い空の抜け道のように、白い半欠けが浮き上がっていく。
計算では、あいつが真上に来る頃、ィアークはやってくるはずだ。それまでに、目的地につかなくては。
目的地。
それは、ィアークの道筋とヤーキッシュの道筋の交点だった。
昨夜、ひかりは考えた。
バグの話してくれたヤーキッシュのダンスは、ヤーキッシュが毎日どれだけずれるかを表しているのではないか。進んで戻って進んで戻って、その進み方と戻り方を示している。だから、彼の動きは、この話を知らない人間には予測できない。気まぐれにしか見えない。
そうして、ィアークが逢瀬を果たし新しい命を生み出すということは、二つの道筋の交差点にエフィルの種を植える、つまり糞をするということじゃないだろうか。
進んで戻って、進んで戻って、プラスマイナス、プラスマイナス。進み方はばらばらだが、何か規則があるはずだ。ヒントは、きっと、話の中にある。
数学の文章題と同じで、必要なことはすべて問題文にかかれている。条件を見落とすな。
そうだ、ヤーキッシュの仕事は何だった。年を刻むことだ。一年で一巡り、今はィアークがその仕事をしている。一年三百六十五日、いや、違う。この世界では、三百六十日。
「分かった、角度だ」
イシャギーフが言ってたじゃないか、ィアークは、毎日一度ずつずれるって。じゃあ、ヤーキッシュも、きっと。
しかし、そこで、はたと気がついた。
スタートはどこだ?
数字をプラスとマイナスに置き換えて計算したら、答えは七だ。
つまり、毎月七歩ずつスタートがずれていく?
「そうだ。逆算すればいいんだ」
そうひらめくと、手帳を開いた。イマニームと出会ってから毎日、ヤーキッシュの出てくる位置を観測し記録していた。彼女との思い出を大切にしたくて、教えてもらったことを忘れたくなかったからだ。
雨が降った日が一日だから、そこがスタートだ。
(そこから四歩前……)
一歩が一度とすると、観測値と大きくずれた。
角度を測ってみると、二十八度。
「そうか、一歩は七度なんだ」
次々と数値を地図に書き込んでいく。美しい円を描く山脈上に記す。
それらは、ダンスのステップとぴったり当てはまった。
ひかりはうれしさのあまり、ため息をついた。
習ったことを毎日復習しておいて正解だった。知識なんてものは、いつ役に立つか分からないもんだ。
しかし、沈む位置が分からない。それは記録しなかった。
全ての星は、月も太陽も、エーンとアームを結ぶ線を軸として対称な位置に出入りする。
けれど、ヤーキッシュだけは違う。どこから出るか分からない、どこに沈むかも分からない。出る時間も同じじゃない。
沈む位置が分からなければ、進路が予測できない。
いや、待て。これも規則があるはずだ。
じっと地図を見つめているうち、はっと気づき、またメモを繰った。
ィアークを初めて見た日、ィアークの着地点。その点を地図に記す。
その点と、その日ヤーキッシュが出た地点を結ぶ線を書き込む。
次にもう一本。その日のィアークの道筋。
書き込まれた二本の線分は、みごとに直交していた。
「見つけた」
胸が大きく波打った。
震える指で、明日のィアークの進路を書き込む。魔女の山とアームの山を繋いで、その線より九度右。
次いで、明日ヤ―キッシュが出るはずの点からそのラインに垂線を下ろす。
交点は、ぐっと魔女の山に近づいた。
歩いて行けない距離ではない。ラッキーだ。そう、運が良い。
そうして、ひかりは眠ることもせず歩き出した。
水が飲みたかった。が、我慢した。
もう少し、本当に我慢できなくなるまで頑張ろう。そう言い聞かせた。
残りはあと一口ほどしかない。飲んでしまったら歩けなくなりそうで怖かった。
(死ぬほどつらくても、わたしは死から逃げ出すことができる)
バグは、そう約束した。戻りたければ、何時でも元の世界に返してやろうと。そして、バグは決して嘘をつかない。なぜなら、嘘をつく生き物は人間だけだからだ。
(でも、イラキーフは逃げることができない)
その状態に追い込んだのは、自分だ。だから、歩かなくてはいけない。本当に間に合わない時まで、あきらめてはいけない。
ヤーキッシュが真上に来る前に、何とか目的地に着くことができた。
砂の上にへたり込み、皮袋から水を飲む。最後の一滴まで飲み干してしまい、舌打ちする。
空の袋を砂の上に放り出し、ひかりは大の字になって寝転がった。
陽炎の揺らめく大地。行き先は、空だ。一片の雲が、魔女の山から風にのってゆったりと旅してくる。少しの間でいいから、わたしの上に留まって影を落として欲しい。
けれど彼は、目的地を知っているかのように行き過ぎていく。残された青がまぶしすぎて、目を閉じる。
「皮袋は捨てちゃダメだ」
いきなりバグの声が耳もとでした。ハッと上半身を起こすと、声のした方を凝視した。バグの鼻先だけが、筍のように砂を盛り上げていた。
「ナイフがあったろう。あれで長いひもを作っておけ。きっと役に立つ」
ひかりはうなずいた。めんどうくさかったし、疲れていて動きたくもなかった。が、バグが今まで自分を守ってくれたことを考えると、言う通りにした方がよいと思えた。
ナイフで皮を引き裂く作業は、思ったより困難だった。ギザギザと切れ込みの入った、太さもまちまちの紐が十五本取れた。それを、結び合わせて長くする。
結構な長さの紐ができたが、入れておく袋がない。仕方がないので、腰に巻きつけ、リボン結びしておいた。




