命の実(34)15①
15①
次の日の昼前、ようやく、ギーヴと呼ばれる大きなオアシスについた。
たくさんの宿があり、皆、思い思いの家に入って行く。きっと、馴染みの宿があるのだろう。
ひかりもイリューとアータガーンについて、小さな宿に立ち寄った。
「ここで、イシャギーフと待ち合わせているんだ」
イリューがそう言ったとき、その本人が現れた。二人は、久しぶりに出会った家族のように抱き合い、キスを交わした。
イシャギーフは、アータガーンの言葉通り、ズバリ、良い男だった。
彫りの深い顔立ちに切れ長の大きな目。黒に近い濃茶の瞳は、どんな嘘でも見通すような鋭さがあった。頬からあごにかけてやや骨っぽいが、かえって男らしさを増していた。身長はアータガーンほども高くはない。が、体つきは彼よりがっしりして、同い年だというが、ずっと大人に見えた。
「髪のせいだろう」
アータガーンがそう笑ったが、よく分からない。
「ここでは、成人したら髪を切るんだよ」
イリューに言われて、改めてみんなを見直した。確かに、イリューもアータガーンも長い髪を束ねていた。が、イシャギーフの濃茶の髪は肩までもなかった。
「成人式は、何歳でするの」
「特に決まってないよ。大体、十六から二十の間だね」
「どうしてそんなに幅があるの」
「見習い期間さ。きちんと仕事が決まったら、髪を切って独り立ちする」
なるほど。
「じゃあ、イシャギーフはもう就職したんだ」
「ああ、親父の仕事を手伝っている」
彼の父親はイムの出身で、王宮ご用達の商人だという。髪を切ったのは去年のことだが、小さいころから親について旅をしていたため、取り引きのやり方も、王宮での対応も、それまでに全て身につけていたという。
「優秀なんだ」
思わず、ため息が出た。すかさず、アータガーンが口をはさむ。
「僕も、優秀な医者だよ」
「まだなってないくせに」
「国に帰れば、髪を切る。一緒においでよ」
「丁重に、お断り致します」
アータガーンが本当は優しく、信頼できる人間であることを、今では知っていた。だからといって、ついて行くわけにはいかない。
「イリューは、イシャギーフとどういう仲なの」
「私の故郷はウスタトゥだが、イムとの国境でね。それで、小さいころから知っているんだよ」
「彼の歌は、子どものころから有名だった。だから、俺の方から会いに行ったんだ」
「実は、王宮に私の話を持ち込んだのも彼でね」
イリューが肩をすくめたので、イシャギーフは困ったような顔をした。
「迷惑だったかい」
「いや。旅をしたかったから」
「そういえば、イリューはもう楽師なんでしょう。髪を切らないの」
「楽師は、切らない」
「そうだね。その方が雰囲気良いもんね」
みんなが笑った。アータガーンが、一層陽気な声を上げた。
「さあ、風呂に入って、大切な髪を洗うか」
「風呂!」
ああ、幾日ぶりだろう。この世界に来て、初めての風呂。
それは露天風呂で、といっても、温泉ではない。
ここは太陽の通り道の真下だから、水が自然に温まる。それを利用した小さなプールのような風呂で、はっきり言ってぬるま湯だ。が、今は贅沢を言えない。
大きなたらいに水を汲み、髪を浸す。ネッケスという木の実を石けん代わりにして、体と頭を洗う。すすいだあとの水は土色で、頭を振ると、砂混じりの雫が滴り落ちる。
洗ったあとは、ずいぶん頭が軽かった。髪から垂れる水滴が虹を呼んで涼を増した。
夕食のとき、イシャギーフはひかりの隣に席を取った。反対側は、いつものようにアータガーンが陣取った。イリューは、向かいに腰を下ろした。
イシャギーフはどちらかというと無口で、商人らしくなかった。(それとも、アータガーンが明るすぎて、みんな遠慮するのだろうか)
「ここはね、魔女の山に一番近いオアシスだ。どうだい、見に行かないかい」
アータガーンの誘いに、ひかりは首を横に振った。
「時間がないから」
観光に来てるわけじゃない。
「エフィルを探さなきゃ」
イシャギーフが、少し驚いたように顔を上げた。
「それにしては、のんきそうだね。何時から探してるんだい」
ひかりは、指を折った。
「えーと、ここに来て十五日目だから、探し始めて十四日かな」
「ふーん。じゃあ、まだまだ日数はあるんだな」
「そんなことないよ。だって、イラキーフの父さんは、あと二十日ほどしかないって言ってたもん」
その場にいた全員が、一斉にひかりを見た。集まった視線が痛いくらいだ。
何か、まずいことを言ってしまったのだろうか。
イシャギーフが、きわめて冷静な声で言った。
「それでは、育てられないだろう」
「だから、実のついてる木を見つけるの」
「そんなものがあると思っているのか」
「探さなきゃ、分からないわ」
イラついたように、イシャギーフの声のトーンが上がる。
「分かった、仮に見つかったとしよう。それで、帰りはどうするんだ」
「えっ?」
「だから、帰りだ。実を見つけて、持って帰る時間はあるのか」
その声は、完全に怒っていた。
「考えて、なかった……」
ひかりは、呆然とした。
そういえば、イシャシーフもイマニームも「帰り道で見つけた」と言っていた。残りの日数が半分になったところで帰るべきだったんだ。
不気味な沈黙が続く。それを、自ら破いた。
「わたし、また失敗したんだ」
ほろりと、熱いものが頬を伝っていく。
「わたし、いつだって思い込みで行動するから、失敗しちゃうんだ。物語の主人公になった気分で、自分もうまくいくって思い込んで……。東君の時だって思い込みで失敗したのに、もう忘れてた」
「でも、ひかりは自分の役目を忘れていたわけじゃないだろう。見つからなかったとしても、ひかりのせいじゃないよ。運が悪かったんだ」
珍しく、アータガーンがフォローしてくれる、その言葉が空しかった。それが真実とは思えなかったから。
それに、そのことを一番よく知っているのは彼自身のはずだ。度々ひかりに「すべきことを忘れるな」と注意してくれた……。のに、自分はそれを疎ましいとさえ思ったのだ。
「そうだよ。ただ思い込んでいただけではないだろう。見つけるという信念があったから、つらい旅を耐えぬいてこれたんじゃないか」
イリューも自分をかばってくれる。でも、それもあてはまらない。
この人たちには、本当のことを言わなくてはいけない。認めるのが辛くても。
「でも、わたし、浮かれてた。みんなが優しいから、辛い旅なんて思わなかった。自分が何のために旅してるのか忘れて、この旅を楽しんでた。イラキーフは、私のせいで苦しんでるっていうのに。忘れて……、自分ひとり、楽しんでた……。こんなだから、わたし、裁きを受けたのに。それを忘れて……。楽しんじゃいけなかったのに……」
皆が口を閉ざす中、イシャギーフがそれを否定した。
「ひかり。楽しむことは悪いことじゃない。むしろ、大切なことだ。どんな苦境に置かれても、その状況を楽しめる人間もいる。そういう人こそ、そこから抜け出すことができるんじゃないだろうか」
「苦境を楽しむ?」
「そう、正しく言うと、苦境にあっても希望を見失わず、そこから何かを学び取ろうとする姿勢、かな」
イシャギーフはそう言うと、自分も何か思うことがあったのだろう、下を向いて考え込んだ。
ひかりも黙って下を向くと、これからどうすればいいのか考えた。
しかし、最悪の結末以外は何も思い浮かばなかった。




