命の実(33)14②
14②
『バグの祝福』の話
昔、この地は花と緑に覆われていた。様々な花が様々な果実を実らせ、人も獣も好きなだけそれらを食んで生きていた。
そのころ、バグと人はとてもよく似た形をしていた。
背中に甲羅があり裸なのがバグで、そうでなければ人だった。
もう一つ違うのは食べ物で、バグは花を食べるのだ。長いざらざらした舌を伸ばし、花を額まで巻き込むようにして茎からちぎりとる。そうして、丸めた舌の中ですりつぶして飲み込むのだ。
ところが、花をまるまる食べられた草木は、実をつけることができない。
そのため、動物たちは口々にバグを罵った。
別にバグがそれほど大食いだったわけでもない。彼らが食べたから食料に困った、ということがあったわけでもない。
それなのに、生き物たちは、自分たちと違うものとしてバグを嫌がったのだろう。
それで、バグたちは、次第に他の動物たちを避けて暮らすようになった。
あるとき、親を無くした一匹のバグが、食べ物を探して歩くうちに群れを離れ、迷子になってしまった。
そのうち美しい花畑に出くわした。
おなかのすいていたバグは、夢中で花をむしって食べた。と、いきなり後から殴られ、引っくり返ってしまった。
這いつくばったまま顔を上げると、それは人間の子どもだった。
「この、泥棒」
「ここの畑は、俺たちのものだぞ」
「美味しい実がなるよう世話をしているのに、その花を食べるなんてけしからん奴だ」
皆は口々に罵り、足蹴にした。
バグは頭をかばいながら、地面に泣き伏した。
「わたしは花しか食べられないんです」
「他の物を食ったことがあるのか」
「そうだぞ。食わず嫌いはいけないぞ」
そのうち一人が、手に持っていたどんぐりを投げつけた。
「これでも食ってろ」
「そうだ、そうだ」
他の子どもも次々と、手にしたどんぐりを投げつけた。
そのうちの一つが、額に小さな掻き傷をこしらえた。とろりとした粘っこい血が、目の上に垂れてくるのが分かった。けれどバグは怒りもせず、頭を抱えてうずくまり、彼らの気が晴れるまでひたすら我慢した。
子どもたちが去った後、バグはどんぐりを拾い集めた。
確かに、これを食べられれば、もう仲間はずれではない。
「頑張れば、食べられるようになるのだろうか」
試しに口に含んでみた。
舌で包み込み、花と同じようにすりつぶそうとした。
しかしどんぐりの皮は硬く、何時までたっても、花のようにとろとろにはならなかった。
それでも、懸命に転がした。とうとう舌が痛くなって、ふっと気を抜いた瞬間、どんぐりが咽の奥に入り込んだ。
「うう」
咽が塞がり、息ができなくなった。苦しさのあまり首を掻きむしったが、詰まった物が取れるはずもない。
青くなり、泡を噴いて伸びていると、一人の少女が通りかかった。
少女は驚いて駆け寄ると、バグを下向きに抱え、甲羅をトントン叩いて吐き出させた。
吐いた物を見て、少女はまた驚いた。
「どうしてこんな物を食べたの」
バグは、泣きながら子ども達のことを訴えた。
話を聞き、少女は自分がしたことように謝った。同じ人間のしたことなので、恥ずかしかったのだろう。傷の手当てをし、摘んできたナファルの白い花を差し出した。
「お詫びにこれを」
そんなに親切にされたのは初めてで、バグはかえってうろたえた。
「お礼に、何か困ったことがあったら呼んでください。何でも手伝いますから」
そう約束した。
言葉通り、次の日から毎日バグがやって来た。
始めは笑って相手にしなかった少女も、だんだん疎ましく思えてきた。
そこで、早く帰ってもらおうと、薪を拾ってくるよう言いつけてみた。
バグは大喜びで、一日かけて山ほど枯れ枝を拾ってきた。
次の日は木の実を取って来いと言ってみた。
やはりバグは、抱えきれないほどの木の実を持って帰ってきた。
そんなことが続くうち、少女は面倒な仕事は全て、バグに言いつけるようになっていた。
けれど、バグは喜んでそれらをこなした。
時が経ち、少女は美しい乙女になった。
ある日、乙女は、「ナファルの花束を、昼までに作ってくること」と命令した。
バグは、大急ぎで花を摘みに走った。
それから大きな花束を抱えて戻ってくると、乙女の婚礼が始まるところだった。
「遅いじゃない」
労いもせず、乙女は花束をひったくった。
それから、夫となる人の待つ広場へと行ってしまった。
取り残されたバグは、それでも何か彼女の役に立ちたいと願い、毎日様子を伺っていた。
そんなある日、いつものように家を覗いて見ると、彼女は床に伏せっていた。
よく見ると、体中にベージュの斑点ができている。
イシュールシュだ。
バグは、自分の体が砂と砕けてしまうような苦しみを感じた。
バグは走った。幾日も幾日も走り、魔女の山のふもとまで来ると、頂上に向かって声を張り上げた。
「あの人を助けてください。代わりにわたしの命をあげますから。だから、どうかあの人を助けてください」
魔女の声が、空から降ってきた。
「私は、人の命が好きなのだ。汚れた命ほど美味いものはない」
「あの人の命は、汚れてなどいません。清く、美しいものです」
「いいや。あの女は、おまえの好意を踏みにじっても平気でいるではないか」
「あの人は、踏みつけにされていたわたしを救ってくれたのです」
「そして、他の男のもとに去った」
「それでも、あの人を助けてください。代わりにわたしの命をあげますから」
「おまえの命など、不味くて食えたものではない」
「それなら、わたしの命をあの人にあげてください」
魔女のため息が聞こえたような気がして、バグは耳をすませた。
気づくと、体は棒のように細くなっていた。手は枝になり、足は根になった。髪は葉になり、甲羅は実になった。実の中には、バグの命が詰まっていた。
魔女の導きがあったのか、乙女の娘がそれを見つけ、家に持ち帰って母に食べさせた。
乙女が食べた瞬間、バグの心がなだれ込んできた。
「わたしの命を大切にしてください。あなたの中で、あなたと共に生き続けることができるように」
乙女は、自分がバグにしたことを、初めて恥じた。けれど、もう謝ることもできないのだ。
バグの最後の願いを命の中に抱いて、乙女はずっと後悔し続けた。
これからは、バグであれ人間であれ、全ての生ける物に優しくあろう、そう誓い、それを忘れなかった。
そうして、自然の死が彼女に訪れたとき、バグの願いは祝福となり、その胸の内を幸福で満たしたのだった。
以来、人間は、イシュールシュを「バグの裁き」と呼ぶ者と、「バグの祝福」と呼ぶ者に分かれてしまったと言われている。
それは、イマニームに聞いた『バグの裁き』の話と、全然違った。
「どちらが正しいの」
「どちらも」
部族が違えば、伝えていく人も違う。
この世界にある国の数だけ「言い伝え」もあるのだろう。
「裁きと祝福は、同じものなの?」
「そうだね、感じ方の違いかもしれない。
自分の罪に気づくことは苦しいことだから、できれば目を閉じていたい。けれど、目を反らさずそれを償うことで、罪は祝福に変わる。たぶん、そういうことじゃないかな。
だから、ひかりがその胸の内に荷物を抱え込んでいる限り、裁きと感じるかもしれないね」
「祝福ってのは、只で手に入るものじゃないってことさ」
アータガーンが、少し意地悪く笑った。
いきなり、イリューがトゥールをかき鳴らした。
その日の音楽は、いつもよりずっと、躍動感に富んでいた。ジャズのような憂いを含んだ旋律と、ラテン音楽のような軽快なリズム。
パパパン、パパン
時おり、胴に張った皮を叩き、太鼓のように拍子を取る。
罪には祝福を
祝福には愛を
罪を犯したる者は
その罪を償わん
罪を償いし者は
祝福を与えられん
祝福を与えられし者は
愛を得ん
その罪を恥じるなかれ
その罪を隠すなかれ
イリューの澄んだ歌声が胸に迫ってくる。
ああ。
どうかわたしにも、バグの祝福がありますように。




