命の実(30)13①
13①
その日は、朝から風が強かった。
突風に吹き上げられた砂塵が、度々一行を襲った。その都度、ひかりは目を閉じ、顔を背け、腕で隠した。しかし、キャラバンの一行にはこの程度の砂嵐は日常茶飯事らしく、決してその歩を乱すことはなかった。
時おり、かさかさと干からびた草が丸まって走っていく。
沙漠の草は根が浅く、突風が吹けば転がって移動するらしい。雨が降れば、浅く広く根を張り、一気に染み込む水を集める。
この草たちも、先日の雨で息を吹き返し、けれど早くも乾いてしまった土地からまた逃げ出し、まだ水の残っている場所を探して旅をしているのだろう。
もうすぐ昼休憩だなあと、ぼんやり思い始めた頃だった。
隊列の先頭で、何か声が上がった。騒ぎは波のように後ろに伝わってきた。誰かが前方やや左寄りを指さし、叫んでいる。何かあるのだろうかと目をこらしたが、特に変わったものは見つけられなかった。
それでもざわめきが収まらないのでじっと見つめていると、はるか向こうに、黒い棒のようなものが立っていて、こちらに近づいてくるのが分かった。
「あれは、何」
「竜巻だ」
「竜巻!」
「ああ、近づいてくるようだ」
「だ、だ、大丈夫なの」
ひかりの頭の中は、既に、竜巻にさらわれ魔法の国へと旅立った少女の物語で一杯だった。
「このまま行けばぶつかるかもしれないね。通り過ぎるのを待とうじゃないか」
イリューの落ち着いた声を聞くと、ひかりも余裕が出てくるのを感じた。
しかし、アータガーンは眉をひそめた。
「このあたりは竜巻が多いから、まだまだくるかもしれない」
「来るときもそうだったのか」
「いや、一つも見かけなかった。だが、駆け抜けるほうが得策だろうな」
知ったかぶりのその態度は、何となく反抗してみたいものがあった。
「見たことないのに、どうしてそう言えるの」
「常識だ」
イリューがひかりの顔を見て、やれやれと肩をすくめた。
しかし、隊列は歩を早め、アータガーンの言うように駆け抜けるつもりらしい。
アータガーンがまたもやみんなを促がしたが、ひかりはその気にならなかった。イリューや他の少年達もそうらしく、みんなで-通り過ぎるのを待つことにした。
「お先にどうぞ」
ひかりが意地悪く言った。
アータガーンは舌打ちしたが、一緒に残ることにした。
巻き込まれないよう距離をおき、それを観察する。黒い渦巻きは、行く手にあるもの全てを巻き込み、吹き上げ、吐き出している。といっても、そこにあるのは砕けた岩と砂だけだ。それらが空を黒い幕で覆い、黒い雨となって周囲に降り注ぐ。
そんな雨に降られたくなかった一行は、仕方なく少し後戻りした。
嵐の去った後は、はっきりと瓦礫の道がついていた。
「やれやれだな」
えぐられた大地は見るからに痛々しかった。その傷痕に足をとられぬよう慎重に進まねばならず、自然歩みは遅くなった。
キャラバンは、随分遠くまで離れ、しかも、どんどん遠ざかっていく。
「待ってくれてもいいのに」
不満を漏らすと、怒ったようなアータガーンの声が返ってきた。
「不平を言うなら、最初から走ればよかったんだ」
初めて聞く口調に、思わず彼を見た。アータガーンは黙ってひかりを見つめた後、ほんの少し顔を動かして、左手斜め前をあごで示した。
ゆっくりそちらを見る。
声にならない驚きに、息が止まった。
黒い柱が、幾本も並んで、こちらに向かって走ってくる。その進路を予測すると、引き返すことも留まることも、どちらを選んでも渦の餌食になりそうだった。そして、進むにしても素早く行かねば同じことになるだろう。
旅慣れたキャラバンは、それが分かっていたから待つことができなかったのだ。経験の浅い少年達は、取り残されてしまった。自力で乗り切るしかない。
「急ぐぞ」
言うなり、アータガーンを乗せたクシーは駆け出した。
アームはアドゥカルとは違い、もともと草原で駆け回るのに適している種だ。クシーはまだ若く、久しぶりに走るのがうれしいというように弾んで駆けて行く。
少年達が、その後に続く。若いアドゥカルに跨っている者や、巧みな乗り手はどんどん前へと進んでいく。イリューの乗ったタウも、一足ごとに離れて行く。
しかし、ラムダはかなりの年寄りだ。しかも、下手な乗り手を落とさないように走らなくてはならない。
今までに走ったのはたった一度、クォッフから逃げたときだけだ。
あのときは明け方で、気温も低く、十分休息を取った後だった。
今は昼休憩の直前で、気温も高く、空腹で疲れている。たちまちひかりは最後尾になった。
一番後ろを走る少年とひかりの間に、小さな竜巻が割り込んできた。ラムダは、自分の判断で前足を高く上げ、急ブレーキをかけた。
突入は避けられたが、はずみで乗り手を振り落としてしまった。
「きゃっ」
落ちたところに岩があり、したたか背中を打ちつけた。一瞬、息が止まる。
ぜいぜいと呼吸を整えていると、目の前に黒い渦があった。
降り注ぐ瓦礫の山に、目を閉じ、身を伏せ、両手で頭をかばう。小さく身をひそめ、ひたすら行き過ぎるのを待つ。ラムダが足踏みしいななく音が、風の悲鳴に引きちぎられる。
ほんの数秒の後、頭を上げると竜巻の後姿が見えた。一先ずやれやれだ。
しかし、まだまだ次が来る。しかも、もっと大きいのが。
(急がないと)
背中の痛みで呼吸が落ち着かない。何とかラムダに這い上がる。
待ってましたとばかりに彼は走る。しかし、間に合わない。
連なる渦の全てが、ひかり一人にターゲットをしぼったように向かってくる。
(お母さん!)
思わず目を閉じた、その耳に、アータガーンの声が聞こえた。
「ひかり!」
真剣な瞳が真正面にあった。
そのままスピードを緩めることなく見事なターンを披露すると、ぴたりと体を寄せてきた。彼の腕が腰に絡む。
「こっちへ」
言うより早く、強引に抱き寄せられた。
ラムダが離れて行く。
宙ぶらりんで訳も分からず、ひかりは悲鳴を上げた。
「座るんだ。早く」
力強い腕が、体を引き上げてくれる。
そのまま横座りでクシーに乗ると、彼にしがみついた。
細く力強い四本の足は、ひかりを乗せても衰えなかった。
「ハッ」
姿勢を低くして、アータガーンはクシーを走らせる。
前に座ったひかりは、押し倒されるような格好になり、少々辛かった。
広い胸の向こうに、走るラムダが見えた。お荷物がなくなり、今までの倍も速そうだ。
二頭は、一気に柱の群れを駆け抜けた。
二人を巻き込むことができずくやしがる嵐の叫びが、だんだん小さくかすれていく。
どれくらい走っただろう。ようやくクシーが速度を落とした。
アータガーンは額の汗をぬぐうと、大きく息をついた。
「すまなかった。気が動転して、一人先に逃げてしまった。許してほしい」
「でも、戻ってきてくれたし……」
と、言葉が詰まった。代わりに、ぱらぱらと涙がこぼれた。
涙は彼に見えなかったはずだ。でも、一粒二粒、腰に回した腕に落ちたかもしれない。
その腕に力がこもった。熱い息が頭に触れる。心臓が止まりそうになる。
慌てて涙を拭うと、彼から逃れようと体を動かした。
「わたし、もう大丈夫。ラムダに乗るよ」
けれど、腕の力は一層強くなった。
「すぐそこだ」
言葉が脳裏をくすぐる。くらくらするような震えが全身に伝わっていく。
少し先に、荷物を下ろしているキャラバンが見える。テントを張り、昼食の準備に取り掛かっている。
彼らの手前で、アドゥカルに跨ったままこちらを見ているのは、きっとイリューだろう。本当に、すぐそこだ。
イリューの視線が恥ずかしくて、目を閉じた。自分はきっと、完熟トマトよりも真っ赤になっているに違いない。
さっきの爆走が夢のように、クシーは、ゆっくりキャラバンに近づいていく。
蝸牛よりも、もっとゆっくりと。




