命の実(25)10①
10①
まだ薄暗く、朝の気配のないうちからキャラバンは動き出した。
昨夜、寝付きが悪かったひかりは、少し重い頭で体を起こした。
暗いうちから朝食を取り、暗いうちに出発する。キャラバンとは何とつらいものだ。
そう思って空を見上げ、はっとした。
雲!
だから、暗いんだ。
水分をたっぷり含んだ黒い雲が、重そうに、空一面を覆っている。空気のにおいも湿っぽく、冷やりと肌を刺す。
二本足で立つ獣が近づいてきた。そいつが、イリューの声を発した。
「これを着て。すぐ出発だから」
それは、毛皮でできたフードつきのローブだった。
隊列が動き出す。獣の群れが移動していく。ひかりもその一匹となり、歩み始めた。
そうして、おそらく太陽が出る時刻になったとき、雨が降りだした。
それは、言葉にはできないほどの土砂降りだった。大粒の雨が真上から頭にたたきつけてくる。ローブのおかげで体は濡れないものの、暑苦しいことこの上ない。
しかし、隊列は止まらない。いつもは左斜め前から吹いてくる風が、今日は止んでいた。もし吹き降りだったら、とても進むことなどできなかっただろう。
ひかりは苦労してラムダをイリューの乗っているタウのそばに寄せた。それから、雨音に負けないよう声を張り上げた。
「どうして、雨宿りしないの」
イリューは振り返りもせず、一言だけ発した。
「どこで」
確かに。テントはあるにはあるが、もともと日よけのためのもの。この雨じゃあ、あっという間につぶれるだろう。
「久々の天の恵みだよ。楽しもうじゃないか」
アータガーンが、雨音に負けないほどの大声を上げた。
「そんなこと、考えらんなーい」
ひかりも負けずに声を張り上げた。かき消そうと、雨脚が更に強まった。
雨は、半日で止んだ。
雲は全て雨になって流れたのだろう。あとかたもなかった。代わりに、魔女の山の方角からアーム山に向かって、川が流れていた。地図に載っていた青い点線、水無川に、黄土色の濁流が渦を巻いている。
一体、どれだけの量の雨が降ったのだろう。
けれど、驚きもせず、キャラバンは進んでいく。
そういう場所なのだ。ここは。
川沿いを進んでいると、うじゃうじゃカエルが出てきた。砂の中から、瓦礫の透き間から、そこからも、ここからも、カエルが姿を現した。
カエルは水溜りの中で押し合い圧し合いしながら、手当たり次第に交尾を始めた。
その姿を嘲笑うように、アータガーンはつぶやいた。
「相手かまわずは嫌だなあ」
イリューもうなずいた。
「仕方ないさ。チャンスは今日一日だけなんだから」
「ええ? 何が」
「こいつ等は一日で恋をして、明日には卵を産む。そして、餌をたらふく食ったら、また砂に潜る。次の雨まで一年間、砂の中だ」
「雨は? もう降らないの」
「降らない。降るのは一年間で今日だけだ」
「卵は一日でオタマジャクシになる。水が干上がるまでに大人になれないと死ぬしかないからね。速さが勝負なんだ」
「水が減ってくると、場所の取り合いになって、共食いまでするんだよ」
それは、思っただけで恐ろしかった。
「そんなにまでして、どうして生きてるの。何のために生まれてくるの」
「子どもを作るためだろう」
「でも」
「ひかり、私達はカエルじゃない。カエルのことなんて分からない。それでも知りたいなら、自分で考えてごらん」
イリューにそう言われると、考えざるをえなかった。
東君なら、きっと、このカエルたちの存在も「自然環境」を保つために必要なものだとか、「食物連鎖」の一つの輪だとか言うだろう。そして、それは本当かもしれない。
でも、それだけかしら。
命の長さに違いはあっても、生きていることにかわりはない。
なら、わたし達は何のために生きているのだろう。
もし、わたし達の生きる意味がそれだけだとしたら、ちょっと虚しい。
夕食を食べた後、ひかりはノートに詩を書きつけた。
雨が降るまでぼくらは恋の夢を見る
雨が降ればぼくらは目覚め
雨の降る中恋をする
まだ見ぬ世界への憬れと
触れたことのない雨の優しさを
どうしてぼくらは知っているのか
顔も知らないぼくらの親が
心に刻んでくれたから
体に伝えてくれたから
ぼくらは雨に恋してる
まだ見ぬ空への憬れと
触れたことのない君の愛しさを
小石のように抱きしめて
瓦礫の中に丸まって
ぼくらは雨の夢を見る
ぼくらは恋の夢を見る
我ながら上手くできたとほくそえんでいると、肩越しにイリューの声がした。
「何を書いているんだい」
「見たい?」
「見せてくれるのかい」
「笑わないなら」
「笑わない」
誉めてもらえたら、曲でもつけてもらえるかも。そんな期待でメモを渡した。
しかし、彼はそれを見て眉をひそめた。
(そんなに拙い詩だったかなあ)
膨らんでいた気持ちが、あっという間にぺしゃんこになった。
そのとき、イリューがつぶやくように言った。
「これは、君の国の言葉かい。私には読めないよ」
「えっ」
それは、思ってもみなかった返事だった。何しろ、この世界に来て言葉に不自由を感じたことなどなかった。同じ言葉を使っているのだから、同じ文字を使っているはずだと思っていた。実際、地図の文字を、ひかりは全て読むことが出来た。あれは、日本語ではないのだろうか。
訳の分からない不安と疑問で、体が震えるのを感じた。
しかし、イリューは笑いながらメモを返してくれた。
「おっと、ラブレターかい」
アータガーンが、いそいそと近づいてきた。
「違うよ。カエルの恋の歌だよ」
ひかりの反論に、彼は噴き出した。
「つまり、カエルは恋をするために生まれてくると、君は考えたんだね」
そう言われると、返す言葉に詰まった。
本能で子どもを作るのではなく、そこに恋とか愛とかいったものが存在する方が、生きている意味があると思ったのだ。
でも、自分が恋をするためだけに生まれてきたと考えるのは嫌だった。特に、今は。
そんな気持ちを知ってか知らずか、アータガーンは問いを続ける。
「ひかりには、好きな人はいないのかい」
ぶっきらぼうに答える。
「いた」
「おー。もしかして、東君?」
図星を指されて、うろたえた。
「ええっ、どうして」
「夕べの話を聞いて、すぐ分かったよ。どんな奴だったんだい」
自分はどんな話し方をしたのか、考えると恥ずかしくなる。
「動物好きでね、獣医さんになりたがってる」
「僕は人間の医者になるから、僕の方がいいと思わないかい」
「思わない」
ひかりがにらむと、アータガーンは肩をすくめて笑った。大きな目をぐっと細め、白い歯が口元に眩しい。どんなに怒っていても、つられて笑ってしまう。
「それより、昨日から気になっていたんだけれど、右足に怪我でもしているのかい」
「あ……、うん。ちょっと前にユーバに噛みつかれて……」
「手当てはしたの」
その口調は、患者を診る医師のものだった。緊張で声のトーンが落ちた。
「最初だけ。クォッフに襲われて薬もなくしちゃったから、今は……」
「見せて」
逆らいがたく、腰を下ろすとブーツのひもを解いた。
アータガーンは真面目な顔で包帯を解き、かかとを持ち上げた。傷を覗き込む、その目元が厳しくなった。
「化膿しかけている。もう少し放っておけば、熱が出てきただろうね。イリュー、すまないが、酒を少し貰ってきてくれないか」
イリューはうなずき、隊商のほうへ走っていった。
「ユーバの口を切り取るため、肉をえぐったのは正解だ。あいつらは、針のような刺を獲物に差し込むからね。それが残っていたら大変なことになる。ただ、傷口が完全にふさがる前に治療を止めたから、また悪化したんだよ。まあ、毎日手当てすれば、すぐ良くなるさ」
話しながら、腰の皮袋からいろんな薬を出す。貰ってきた酒を使って消毒薬を作る。傷口を洗い、軟膏を塗る。きっぱりとした眼差しと、てきぱきとした動き。
しっかりと包帯を巻き終えたとき、それがいつもの笑顔にもどった。
「どうだい。僕の方がいいだろう」
「バカ」
「でも、いた、てことは、過去形だろ。今はもう、好きじゃないんだろう」
鋭い質問に、思わず下を向く。
「今も好きだよ。振られちゃったけど」
「えー。そいつは見る目がないんだ。何時までも想ってる価値はない。僕に乗りかえなさい」
また、ひかりが睨む。けれど、アータガーンは涼しい顔で笑っている。
「じゃあ、今夜はその話をしてもらおうか」
「えー。やだよ」
「話せば、気も紛れるさ」
「人事だと思ってー」
ひかりは砂をつかむと、アータガーンに向けて投げつけるまねをした。アータガーンは笑いながら、受け止めるまねをした。
その笑顔とポーズを見たとき、ふっと、話してみようかなという気が起こった。バグに言ったような愚痴ではなく、きちんと、自分の気持ちを清算するために。彼らなら、受け止めてくれるかもしれない。




