命の実(24)9②
9②
ひかりは、前を行くイリューの背中が気になって仕方がなかった。
そこには、動物が張り付くように背負われていた。なぜか尻尾が上で頭が下で、けれどぴくりとも動かない。つらくはないのだろうか。おまけに、尻尾の先に爪が三つついている。
じっと観察するうちに、そいつは死んだ生き物であることが分かってきた。
もしかしたら、楽器だろうか? ウクレレみたいな。
夕食の後、思い切って聞いてみた。
「ああ、これはトゥールだよ」
イリューは、気軽に手渡して見せてくれた。
それは、ウスタトゥという小動物を丸々一匹使って作られるそうだ。
まず、腹と背を切り離し、肉や内臓をえぐり出す。固い皮でできた背が、楽器の胴になる。次に、尻尾の部分に心棒を差し込みネックとし、腹の皮を薄くなめしてもう一度張り直す。そこに、腸から作られた三本の弦を張り、足の爪から作ったギアに巻きつけて調弦する。
短いネックには、ギターのようなフレットが無いため、演奏するのは難しそうに思えた。
「イリューは、トゥールの名手さ。王に招かれ、碧の館に向かう途中なんだよ」
アータガーンが、自分のことのように自慢した。
「王様付きの楽師になるんですか」
「いや。私はもっと世界を見てみたいから、長く滞在する気はない」
「でも、王様が行くなって命令したらどうするの」
「私を縛ることは、誰にもできない。私の王は私自身だからね」
「でも、牢に閉じ込められたり拷問されたりしたら……」
「可愛い顔をして、恐ろしいことを考えるんだねえ」
アータガーンが驚いたように言い、イリューが笑った。
「そうしたら、王にバグの裁きが下るだろう」
それから、急に真面目な顔になって、ひかりを正面から見つめた。
「ひかりは、どんなことで裁きを受けたんだい」
言いたくないのに、どうしてみんな聞くんだろう。
叱られているようで、思わず下を向く。
「ほーらほらほら、そんな怖い顔で問い詰めたら、ひかりが困っているじゃないか。もっと、甘く、優しく聞かないと」
アータガーンは茶化すように笑ったが、本気でひかりを口説こうとするように、甘い口調で語り始めた。
「ひかり、僕たちはみんな家族でも何でもない。ただ方向が同じなので一緒に旅をしているだけだ。だから、相手のことを知りたいんだ。知って、信頼し合いたいからね」
分かるだろうと、ひかりの顔を覗き込み、にっこりと微笑む。丸い大きな瞳が、三日月のように細くなる。人懐っこい優しい表情に、ひかりもうなずいた。
「でも、何の話を」
「じゃあ、君の世界の話を。どんなところに住んでいたのか」
「わたしの世界……」
ひかりは、思いつくまま話し始めた。
『引っ越し』の話
わたしは、団地の三階に住んでいました。団地っていうのは、コンクリートの同じ建物が幾つも並んでて、その一つひとつに3DKの家が一杯つまってるんです。分かんないかもしれないけど、小さいころはそういうとこに住んでいたんです。
同じ階には、同級生の友理ちゃんと東君もいて、いつも三人で遊んでました。みんな一人っ子だったから、兄妹みたいに思ってました。
引っ越しが決まったのは、三年生の夏でした。初めは、転校するのかと思って泣きそうになったけど、よく聞いてみると、引っ越し先は校区のはずれで、アミというカメを見つけた川の近くでした。
父さんも母さんも、子どものようにはしゃいでいました。
「小さいけれど一戸建てだぞ。みんな自分の部屋がもてるんだぞ」
「しかも、庭付きよ。ああ、憬れのガーデニング。さらば、ベランダーよ」
ベランダーっていうのは、マンションのベランダで園芸を楽しむ人のことで、母が作った言葉ではありません。
引っ越しの話をすると、友理ちゃんはあっという間にべそをかきました。
「学校で会えるし、いつでも遊べるよ」
そう言っても、やっぱり泣いていました。
それに引きかえ東君は、
「いいなあ、一戸建てだろう。ペットが飼えるじゃん」
と、大層うらやましがってくれました。それから、「何か飼ったら、絶対教えてくれよ。見に行くから」と、指きりまでしました。
でも、その約束は果たせませんでした。母さんが、動物嫌いだったからです。
「犬が飼いたいなあ」と言うと、
「あれは土を掘るのよね。骨とか肉とか、食べ物を隠すために花壇を荒らされちゃあたまらないわ」と、肩をすくめました。
「そんなことないよ。秋田犬とか、柴犬とか、賢いし、番犬になるよ」
「でもねぇ、散歩が……」
「室内犬ならいいじゃない。チワワとかプードルとか」
「洋犬は可愛いけど、臭いのよねぇ」
「じゃあ、猫は? 散歩もいらないし、臭くもないよ」
「ダメよ。猫は芝生に糞をするでしょう。そしたら、そこだけ茶色く枯れちゃうのよね。うちだけならともかく、よそでされちゃあ近所迷惑だし、苦情がくるわ」
「だから、家の中で飼えば」
「柱で爪研ぎするしねぇ」
そんな会話を繰り返すうちに、ようやく、母にペットを飼う気がないことに気がつきました。それならそうと言えばいいのに。そう思うと、だんだん腹が立ってきて、何か言ってやらないと気がすまない感じになってきました。
「じゃあ、イグアナ」
さすがに、これには怒り出しました。
「何バカなこと言ってるの。そんな物飼って、どうするっていうの。第一、家のローンを払うため、今度から母さんもパートに出るのよ。分かる? 昼間は留守になるの。餌は誰がやるの。とにかく、口のあるものは、ひかり一人で十分よ」
それで、話は終わりでした。これ以上は無駄だと思ったわたしは、もう二度と、ペットの話はしませんでした。
イグアナが飼いたかったのは本当です。イグアナを飼う女の子の本があって、主人公とそのBFに、自分と東君を重ねていたんです。イグアナを飼えば、そんな楽しいことが起こって、東君とうまくいくと思ってたんです。
引っ越しは、四年生になる春休みに行いました。
新しい家は川筋からはずいぶん離れていて、アミを見つけた時はまだ造成中だったバイパスから最も遠い、校区の一番外れでした。たぶん、そこが一番安かったんでしょう、きっと。
四月、始業式の日。
新しい家からの登校は、自分も新しくなったような、そんな弾んだ気分になりました。
それが壊れたのは、校門の前で、友理ちゃんと東君にさよならしたときでした。
それまではずっと、三人で登校して三人で帰っていたのに、今日から私だけが反対方向に帰る……。
そこまで話して、ひかりは口を閉ざした。
それ以上話すのはためらわれた。自分の醜い部分をさらけ出すことになる。
「どうしたんだい。もう、終わりかい」
アータガーンが微笑む。
「うん。一人だけ反対方向で寂しかったって。それで終わり」
ひかりも笑って見せた。
「一人が寂しいなら、ずっと一緒に旅をしようよ」
「エフィルを探してくれるなら」
「もちろん。君のためなら何本でも」
「口の上手い奴は信用できないって、父さんが言ってた」
みんながどっと笑った。そうして、その夜はお開きになった。
ひかりは、絨毯の上で、織物にくるまって考えていた。
そう、あれが初めてだったんだ。
東君と並んで歩く友理ちゃんの背中に、軽い嫉妬を覚えた。そうして、初めて、自分が東君に恋してることに気がついた。友理ちゃんでさえ憎らしく思えるほどに。
そして、思い込んだ。
友理ちゃんも東君が好きなんだって。
それが本当かどうか確かめもせず、勝手に思い込んでいた。
自分が道を間違えたとしたら、きっとあそこが始まりだ。
そしてまた、悶々とした夜が始まる。。




