命の実(23)9①
9①
その日、ひかりは手綱を操る気力も失せ、ラムダの歩くままに任せていた。
ラムダは、やはり、ためらうことなく歩を進める。
いつしか、足もとは礫混じりの砂漠になっていた。ごろごろした土地はお尻に響く振動が大きく、一週間前なら耐えられなかっただろう。けれど、アドゥカルに乗りなれた今は、ゆーらゆーらと体を任せているのが心地良かった。
気になるのは、右足のかかと。揺れるたびにじんじんする。そういえば、昨日から包帯を替えていない。何かしたほうがいいのかもしれないが、薬も何もない。面倒なだけだ。
太陽が右手から昇り始めた。どうやら、魔女の山に向かっているようだ。ということは、キャラバンのルートだろうか。
予想は当たっていた。
日の出から三時間余り進んだとき、行く手に人影が見えた。その人は、真っ直ぐひかりに向かってくる。ラムダも迷うことなく影に近づいていく。
とうとう、お互いの顔がわかる所まできた。
相手はひかりと同じ年頃の少年で、長い黒髪に縁取られた、彫像のように美しい顔をほころばせた。耳たぶにつけたガラスのような石が、白い光を反射した。
「ようこそ、お客人。向こうで仲間が待っていますよ」
少し低めの、張りのある声が響いた。頭の輪が銀だから、物作りだろうか。
「わたしが来るの、分かってたんですか」
「ええ、この子が教えてくれましたから」
そう言って、彼は自分の乗っているアドゥカルの首筋を撫でた。
タウという名のその獣は、顔の下半分が白く長い毛に覆われ、ひげを伸ばした老人のようだった。ひかりを見て笑うように目を細めたが、その仕草が一層年寄り臭くて可笑しかった。
全く、この間の抜けた顔つきの動物たちは、一体どんな力を秘めているのか計り知れない。
先を行くアドゥカルと乗り手の背中を見つめながら、ひかりは黙って後に続いた。
たっぷり二時間は歩いただろう。
おなかがすいてぐうぐう鳴り始めたころ、白いテントの群れが見えてきた。
昼食の仕度をしているのだろう。焚き火の煙が、パクスの強い香りと一緒に、食欲をそそる匂いも運んでくる。香りがどんどんきつくなって、おなかもどんどんすいてきて、やっと到着した。
皆が、ひかりを笑顔で迎えてくれた。
がっしりした体つきの中年の男が、ひげに埋もれた口を大きく開けた。太い金の輪に刻まれた幾何学模様が、太陽を乱反射させている。耳には、やはり白い石をつけている。
「ようこそ、お客人。お待ちしておりました」
それから大きなごつごつした手を差し伸べて、ひかりがラムダの背から降りるのを助けてくれた。
「ありがとう。お邪魔してもよろしいのですか」
「もちろん。それより、昼食はまだでしょう。よろしかったらご一緒しませんか」
心からの出迎えに、自然に気持ちも素直になる。
「ありがとう。喜んで」
銅の輪というのは、本当に有り難いものだ。金銭の心配もいらず、向こうから喜んで施しをしてくれる。
もちろん、それは本当の無欲の行為ではなく、そうすることによって自らが繁栄することを願ってのことだが、困っている人間にとっては地獄に仏。ひたすらありがたい。
ひかりを迎えに来てくれた少年は、イリューという名前だった。彼の案内で、同じ年頃の少年達が陣取っている場所に導かれ、その輪に入れてもらった。
少年は、イリューを除いて六人。
そのうち五人は金の輪をはめ、耳に白い石をつけていた。皆、イリューと同じ小麦色の肌に黒髪、黒い瞳で、ィアーケス・オニーシャの少年だろうと思われた。
しかし、一人、くるくるとした薄茶の巻き毛の少年は銀の輪で、石もつけていなかった。肌の色もずっと白く、一目で外から来たと分かった。背も高いようで、座っていても他の少年達より頭ひとつ分飛び出している。
イリューは彼の隣に腰を下ろし、ひかりはその隣に座り込んだ。
取り留めのない会話とともに食事が始まる。
イリューの動きは上品で、パンをちぎる所作も口に運ぶ手の形も、物を噛む唇の動きさえ洗練された美しさがあった。
思わず見とれる自分が恥ずかしく、といって、黙っていると緊張で胸が詰まりそうだった。
何か、話題はないだろうか。
そうだ。
「あのー、この世界には竜がいるんですか」
「竜?」
ひかりは、昨日見た話を聞かせた。
「ああ、ィアークのことだね」
「ヤーク?」
「ィアーク。知らないところを見ると、ィアーケス・オノトースから来たんだね」
答えるより早く、イリューの向こう側から声がした。
「僕もオノトースから来たんだよ、ひかり」
思った通り、巻き毛の少年だった。たまご型の顔にふっくらした頬、丸く大きな目、明るく人懐っこいその笑顔は、宗教画の天使のようだと思った。
「僕はアータガーン。エーンの向こうから来て、イムまで行ってきた。今は帰る途中なんだ。ひかりはどこから来たんだい」
「えーっと、ィアーケス・オノトーシャラスってとこ」
少年達の視線が、一斉に集まった。ヒューと口笛が鳴る。
「すごいや。初めて見るよ。異世界の人だね」
赤くなってうなずく。
「道理で、私達と違うと思った」
「ああ。持っているものが違うんだよね。雰囲気が神秘的だ」
「魅力的だよね」
口々に誉められ、頬がぼんぼん熱を増していく。
ひかりは、はっきり言って美人ではない。そこらへんは自覚している。元の世界の人間なら、目の前にいる少年達の方がよほど美形で神秘的だと、百人いれば百人とも言うだろう。
もちろん、可愛くありたいとは願っている。
しかし、よく言われるのは「ぼーっとした顔つきをしている」である。たぶん、夜更かししてまぶたが半開きになっているからか、それとも、空想の世界に浸りきって現実を生きていないからか、あるいは、その両方のためだろう。
もしかしたら、はっきりした顔立ちのこの世界の住人には、そういう顔が珍しくて、それで神秘的に思うのかもしれない。
そう理由付けをしてみても、そこは女の子。やはり心が浮き立った。
ひとしきり盛り上がった後、アータガーンが再び問いかけてきた。
「そこには、竜はいないのかい」
「うん」
「ィアークなら、太陽が沈む少し前に見ることができるよ。今、この地域はヤーキッシュだから」
「ヤーキッシュ? それって、月の名前じゃないの」
「そうだよ。でもね、もう一つ、『ィアークの来る季節』ていう意味もあるんだ」
「ィアークの来る季節?」
「そう。だから、明日は雨だよ」
「雨!」
驚いて大声をあげてしまった。
この晴天に?
空を見上げても、やはり、雲ひとつない。
確かに、イマニームも、もうすぐ雨が降ると言った。
でも、どうしてそれが明日だと分かる?
昼寝の後、出発の時間になった。
寝ぼけ眼を擦りながらテントをたたみ、あくびを堪えながら荷物を積む。
すぐ近くで、アータガーンが同じように伸びをした後、荷物を積み始めた。その動物を見て、ひかりはいっぺんに目が覚めた。
「ユニコーン!」
アータガーンが、ひかりを振り返った。
「何だって」
しかし、興奮しすぎて上手くしゃべれない。
「だって、角が、一本」
アドゥカルとは明らかに違う、馬のようにスマートで真っ白いその獣は、細い足にユーバよけのブーツを履いている。そうして、確かに、額の真ん中に真っ直ぐ伸びた一本の角を持っていた。
アータガーンは軽く笑うと、獣を座らせた。
「アームを見るのは初めてかい。残念だけど、二本だよ」
彼の指差す場所には、なるほど、もう一本小さな角があった。場所は頭のてっぺんで、下から見上げたときには長い角の陰になって見えなかったのだ。
ひかりは、がっかりした。
「何、これ。サイみたい」
頓狂な声に、彼はまた笑った。
「何だか知らないけど、面白い子だなあ」
よく笑う天使は、その極上の笑みで親しみを示し、仲間を増やしていくのだろう。
どちらかというと無愛想で、声を立てて笑うことの少ないひかりには、眩しすぎた。




