命の実(17)6①
6①
ひかりは、ぐっすり眠っていた。
絨毯の上で天幕にくるまって、イマニームと背中合わせに眠る。二人を囲むように、三頭のアドゥカルが眠る。荷物はまとめて枕もとに置いてある。いつもと同じ夜だった。
いきなり、ヒュウォーとラムダがないた。その声の異常さに、ひかりは薄目を開けた。
月がまぶしい。金色の光の中、イマニームが大きな目を更に見開いて一点を見つめている。アドゥカル達は立ち上がり、足踏みを始めた。その足の透き間に、ちらちらと動く影が見える。それは砂の動きに逆らうように、風下から自分達に向かってくる。
「逃げるのよ」
叫ぶより早く、 イマニームはファイに飛び乗ると走り出した。カイも後を追う。荷物も何もほったらかしだ。ひかりは何が起こったか分からず、天幕を抱きかかえたまま呆けていた。その間にも影は近づいて来る。
影の中に、満月のように光る玉が二つ並んで見えたため、ようやく獣だと分かった。
猫ぐらいの大きさで、月に照らされた沙漠と同じ色の毛皮に包まれている。ウサギのように長い耳が絶えず動いていて、抱きしめて頬ずりしたいほど可愛かった。
しかし、ラムダが間に立ちはだかった。獣がジャンプする。耳まで裂けた口が、くわっと開かれる。並んだが牙が月光にきらめく。
ラムダが右に走る。獣はその肩に食らいつこうとした。しかし、牙は肉までとどかなかった。口もとから抜けた毛をはみ出させ、砂に着地する。その背中に、ラムダの蹄が振り下ろされる。獣が砂の上を転がる。ラムダが後足で蹴りを入れる。獣は後ろにすっ飛んだ。
「ひかりー。後ろー」
イマニームの声に振り返る。目に入ったのは、大きく開かれた口と、サメのように幾重にも並んだ牙だった。
「キャー」
叫びながら、夢中で天幕を投げつけた。ふわりと広がった幕の下で、そいつがじたばたしている。
ラムダが、乗れ、と姿勢を低くする。何とかよじ登ると、その首筋にしがみついた。
立ち上がりしな、ラムダは荷物をくわえ上げた。その曲げた首筋を目掛けて、戻って来た獣が再度ジャンプしてきた。ラムダはくわえた荷物を振り回してそいつにぶつけると、弾き飛ばした。
ラムダが駆け出した。今までの歩調からは信じられないほど速く、イマニームの後を追う。背後からクェーン、クェーンと、二匹の獣が声を掛け合いながら追いかけてくる。その声が、だんだん小さくなる。
聞こえるものが風の音だけになっても、まだ、三頭は駆け続けた。
ようやく、ファイの足が緩くなった。カイも、歩みを止める。
ラムダは口から皮袋を落とすと、そのまま崩れるように砂に伏した。
「ラムダ!」
ひかりは飛び下りると、彼の顔を覗き込んだ。よほど疲れたのだろう、砂の上にぐーと首を伸ばし、真夏の猫のように伸びていた。ひかりの呼びかけに、一度まぶたを細く広げたが、すぐまた閉じた。
「全く……、ひかりったら、本当に……」
イマニームが、息と一緒に、途切れ途切れの不満を吐き出した。
「ごめん。何が何だか分からなくて、出遅れた」
愛らしい姿とは裏腹な凶暴な牙を思い出し、急に震えがきた。へなへなとラムダの傍に座り込む。イマニームも腰を下ろすと、ラムダの首筋を撫でた。
「感謝しなさいよ、この子に。アドゥカルは獣の中では一番賢いって言われてるけど、その中でも最高級ね。私なんて、もう何にも無しよ」
言われて初めて気がついたが、イマニームもひかりも、何も持たずに逃げてきたのだ。しかし、ラムダは皮袋を持ってきた。
「荷物、取りに戻る?」
「まさか。きっともう、食い荒らされてぼろぼろよ」
「でも……」
食料も水もないのだ。ラムダが持ってきた袋に入っているのは、地図とナイフと測量器具だ。
しかし、イマニームはにっこり笑った。
「大丈夫よ。もう少し進めばキャラバンの道に出るはずだから。運がよければ出会えるわ」
キャラバンの道がどういうものかは分からないが、そんなに人が通っているのだろうか。それに、上手く行き会えたとしても、お金がない。
はー、と大きく息をつく。
とりあえず、生き延びたことを喜ぼう。
「あいつら、追ってこなかったね」
「置いてきた食料だけで十分だったんでしょ。一番だけだったしね」
「一番だけって、本当はもっと多いの」
「クォッフは、普通、群れで行動するから。あれはきっと、群れからはぐれたか、そうでなきゃ追い出されたかどっちかだと思う。あと二、三匹多かったら、こんな風に無傷で逃げるなんてできなかったはず」
「あれが、クォッフかぁ」
「そう。沙漠の殺し屋よ」
クォッフは、もともとはアームの山岳地帯に住んでいたらしい。
しかし、絵の具にする鉱物を探しに山へ入る人が増えるに連れ、沙漠に追い出され、今では、魔女の山からイジュスティフの間に出没するという。
昼間は岩陰に隠れ、日が暮れると這い出して、集団で狩りをするそうだ。
「それにしても、この辺りまで出てくるなんて。もうすぐ雨が降るからかしら? ラムダが気づいてくれて、本当によかった」
「本当に感謝だね。それより、どっちに行く」
「そうね、戻るのは気持ち悪いから、アドゥカル任せで行きましょうか」
全財産を失ったというのに、あまり落ち込んだ様には見えない。そのため、自分だけ荷物を持ってきたという後ろめたさも、いくらか軽くなった。
ラムダの回復を待って、一行は出発した。
行く先はアドゥカル任せ。のんびりと、彼らの行きたい方向に進ませる。彼らは、申し合わせたように同じ方向に進む。
そうして、今度こそアドゥカルの力を信じるしかない出来事が起こった。
日の出から一時間ほどで、二人はキャラバンの列に出くわしたのだ。
数十頭のアドゥカルが、歩調をそろえて遠くから近づいてくる。皆、人や荷物をたっぷりと積んでいる。そのシルエットが、アラビアンナイトを彷彿とさせた。
イマニームの乗ったファイが駆け出す。先頭の男がそれに気づき、右手を上げて仲間に合図した。隊列が止まる。
「私たち、クォッフに襲われて、命からがら逃げてきたんです」
イマニームの言葉に、男達がうなずく。
「それはお困りでしょう。水と食料とパクスと、あと必要なものをすぐ取り揃えましょう」
男が後続の人々に連絡に走る。見ていると、皆アドゥカルを降り、荷物を開き始めた。これはと思うものが見つかった者から順に、二人の前に持ってきては並べていく。
「わたし、お金を持ってないんですけど」
こらえきれず、ひかりは小さな声で言った。
けれど、立派な黒いあごひげをたくわえた男は、にこやかな眼差しを向けてきた。
「あなた方からお金を取ろうという人は、誰もいないでしょう」
そうして大きな水袋を二つ、どさりと置いた。
それは本当だった。誰も金をよこせとは言わなかった。それどころか、口々に、
「ここは、王宮からアームまでの最短コースだ。途中にオアシスもあるしね」
「だから、皆このルートを辿る。食料や水を手に入れたかったら、このルート上で待てばいい。きっと誰かに会えるよ」
等、必要な情報を教えてくれた。
「それでは、また。バグの祝福がありますように」
リーダーらしき男が、笑顔で別れを告げる。そうして、彼らは一糸乱れずアームの山を目指して旅立ってしまった。
一行が完全に姿を消してから、ひかりは恐る恐る聞いた。
「なぜ、彼らはお金はいらないって言うの」
もし、後で払えと言われたら……。そんな不安が拭えない。
しかし、イマニームは、やっぱり落ち着いている。
「私たちが、バグの裁きを受けているからよ」
「どうして裁きを受けてるって分かるの」
イマニームは笑いながら、自分の頭を指さした。
「これよ、これ」
つついたのは、日よけの被りものを留めている銅色の輪だった。一センチほどの幅で、表面に細かな模様が刻まれている。
ひかりも同じような銅色の、もっと細い輪で布を留めている。
「金は金を扱う商人の印。銀は物生む手を持つ職人の印。そして銅は、罪深き裁きの印」
歌うような口調とは裏腹に、その瞳は悲しそうに遠く地平線の彼方を見つめていた。その先にこそ、彼女の探すエフィルがあるのだ。
ひかりは、そっと頭の輪に触れた。
輪が急に重くなったような気がして、せつなかった。




