命の実(16)5
5
日が昇る前に起き、歩く。
日が昇るころ朝食を取り、また歩く。
昨日と変わらぬ風景に、もう何年もこうして旅をしているような錯覚を覚え、めまいがした。
もし、このままエフィルが見つからず、何年も旅をしなくてはいけないとしたら……。
いや、その心配はないのだ。タイムリミットがあるから。
でも、その時がきても、まだ、見つかっていなかったら……。
その方が恐ろしい。
考えを追い払おうと、ぶんぶん頭を振る。
けれど、その日、変化があった。
いつものように天幕を張り、昼食を食べる。その手を止めて、イマニームが指さした。
「誰か来る」
砂ぼこりをもうもうと立ち上げながら、アドゥカルが一頭こちらに向かってくる。
ラムダと同じ獣とは信じられないほどのスピードだ。乗り手もたいしたもので、ひかりたちのすぐ手前で手綱を引くと、ひらりと飛び下りた。
黒髪、黒い瞳に小麦色の肌。紛れもなく、この土地の少年だ。
「こちらに、イマニーム・オータスさんはいらっしゃいますか」
イマニームは手を上げて、彼を招いた。
「私よ。もしかして、あなたはヨーブ・エラーム?」
「その通り。はい、あなた宛の手紙。確かに届けましたよ」
イマニームは手紙を受け取り、受領書にサインした。
少年は一礼すると、獣の背に跨った。「休んでいけば」というイマニームの誘いも、「仲間が待っているから」と笑顔で辞退し、来たときと同じように走り去った。それこそ、あっという間の出来事だった。
ゆらめく陽炎の向こう、幾つかの黒い影が見える。それを目指す後ろ姿を、ひかりは手をかざし、目を細めて見送った。
「知り合いだったの?」
「いいえ。初対面よ」
イマニームは、手紙を開きながら答えた。
「でも、名前を呼んでたじゃない。ヨーブなんたらって」
「ヨーブ・エラームね。沙漠を旅する人に手紙を届ける人たちをそう呼ぶの」
彼女の視線が手元に落ちる。
(そうか。彼は郵便配達少年で、あの影は移動郵便局なんだ)
「でも、どうやってここが分かったの? やっぱり、アドゥカルの力?」
言いながら振り返り、驚いた。
イマニームの表情が尋常ではない。かっと目を開き、食い入るように紙面を見つめている。しかも、手紙を持つ手が病気のように震えている。
「どうしたの。何かあったの」
イマニームは、泣きださんばかりに両手で頭を抱え込んだ。持っていた紙片が枯葉のように砂に落ち、そのまま飛ばされていった。
「母が、イシュールシュになった」
「え?」
「私が旅に出る頃、もう印は始まっていたはずなのに、隠していたのよ」
「どうして……」
「きっと、私の負担になりたくなかったね。イーヒットゥのエフィルを探す私のために、黙って耐えていたのよ」
「じゃあ……」
それ以上、かける言葉は見つからなかった。
パタパタという小さな音に、目が覚めた。
テントから顔を出すと、イマニームが旅支度を始めていた。
「ごめん。わたし、寝過ごした」
イマニームは、静かに首を横に振った。
「そうじゃない。私が眠れなかっただけ」
「ああ……」
彼女の置かれた立場を思い出し、口をつぐむ。黙ったまま天幕をたたみ、足を折り曲げる。
手紙はおそらくユーディンからだろう。今は、彼女が二人の看病をしてくれているはずだ。イマニームは、これからどうするのだろう。
応えるように、力強い声が響いた。
「探す。もう一本エフィルを探す」
まだ一本も見つけていないのに、そう言い切った。
「あきらめない限り、木は見つかる。それが、魔女との取り決めよ」
灰色の瞳は、自分がこれから見つけるエフィルがそこにあると信じ、地平の果てを真っすぐ見つめている。
それが沙漠の見せる悪い夢でないことを、ひかりは祈った。
ラムダの背に揺られながら、ひかりは落ちこんでいた。
イマニームの決心は、自分の気軽な考えを再度否定した。
実のついたエフィルぐらい、きっとどこかにあるだろう。よしんば見つからなくても、死ぬのは自分じゃない。とりあえず探してみよう。なくてもともと、見つかれば儲けもの。何もしないで、ただ死んでいくイラキーフを見ているのはつらい。
それが、ひかりの旅だ。
でも、イマニームは違う。絶対見つかると信じている。
(わたしも、信じたら見つかるのだろうか)
確かな約束なんて何もない。そうささやくように砂の紋が変わっていく。
話せば見つかると、彼女は言った。
本当だろうか。
もうすぐ夕暮れになる。私の話を、彼女は黙って聞いてくれるだろうか。
夕食を終え、パクスティーを飲む。
その夜、ひかりは自分から口を開いた。
「わたしの話、聞いてほしいの。もしよかったら、だけど……」
言ってから不安になった。今日のイマニームは、そんな気分じゃないかもしれない。もしかしたら、彼女自身、手紙の話をしたかったかもしれない。
けれど、返ってきたのは、寂しげな微笑みだった。
「ぜひ」
ひかりはほっと息を吐き、それからゆっくり息をすった。もう一度ゆっくり吐いて、唇をちょっと舐めた。
『ひかりがエフィルを探している理由』の話
わたしは、庭で草引きをしていました。そのとき、母の育てている花を食い荒らす奇妙な生き物を見つけました。カメだと思い、そいつの甲羅を捕まえました。でも、そいつはカメじゃなくて、バグだったんです。
バグは、わたしに「放してくれたらお礼をする」と言いました。でも、わたしは放しませんでした。そしたら、今度はおどしをかけてきました。怖くなったわたしは手を放しました。それなのに、お礼どころか、沙漠に放り出されたんです。
わたしは、沙漠を一日歩きました。
水も食料も日よけも何も持っていなくて、終いには倒れてしまいました。
もうこのまま干からびて死ぬんじゃないかと思ったとき、風向きが変わって、エフィルの香りがしたんです。本当に、エフィルはすごいんです。香りをかいだだけで元気が出て、歩くことができたんです。
わたしは夢中で歩きました。実を見つけ、何も知らないままそれを食べました。瑞々しくて美味しくて、生き返るっていう言葉がぴったりでした。
ちょうど食べ終わったとき、イシャシーフさんがやってきて、いきなり殴られました。彼は、わたしの生き血を息子に飲ませると言い、わたしを縛り上げて家まで連れて帰りました。何が何だか分からないわたしは、ドゥニックさんに助けを求めました。
ドゥニックさんの取り成しで話をきいてもらい、バグの裁きを受けていることが分かりました。それで、命は助かったのです。
それから、初めてイシュールシュという病気のことを知りました。イシャシーフさんの息子のイラキーフさんが、イシュールシュにかかっていたんです。知らなかったとはいえ、大変なことをしてしまって……。だから、代わりのエフィルを見つけるために、今、旅をしています。
旅支度は、イシャシーフさんの奥さんの、イマナームさんがしてくれました。ドゥニックさんも、ラムダを貸してくれました。でも、うっかりして、地図の見方や、沙漠での過ごし方の注意を聞くのを忘れました。
そうして、道に迷い、ユーバに襲われていたのをあなたに助けてもらったんです。
話す前は怖かった。
けれど、話してみるとそうでもなかった。
事情を知らない人のほうが話しやすいのかもしれない。それに、「話の腰を折らない」ルールのお陰で、安心して話すことに没頭できた。
ところが、話し終わってもイマニームは何も言わない。一点を見つめたまま、何か考え込んでいる。
仕方なく、ひかりも黙って待った。
小さくなってきた焚き火に枝を足したとき、ようやく彼女が口を開いた。
「やっと、分かったわ」
「何が」
「イシャシーフって人が、あなたに沙漠のことを教えなかったわけが。彼は、あなたが沙漠で死んでしまえばよいと思っていたのね」
「え!」
「そうでなければ、沙漠が初めての人に、何の注意も与えないなんてはずがない。思い出してみて。ドゥニックがあなたのために準備するのを、イシャシーフはどんな風に見ていた?」
そう言われると、思い当たることがある。ブーツだ。
ドゥニックがブーツの話を持ち出した時の彼の表情。彼は貸したくなかったのだ。ユーバに血を吸い尽くされ、干からびて砂になってしまえ、そう思っていたのだ。
実際、イマニームが来てくれなかったらそうなっていただろう。
「彼は、あなたを殺したかった。でも、バグの裁きを受けた人間を殺すことはできない。
裁きを受けた者に危害を加えた人は、彼の罪を引き受け、裁きを引き受ける。
それが昔からの言い伝え。
だから、代わりにユーバやクォッフにあなたを殺してもらおうと思ったのよ」
さやさやと吹く風は涼しい。にもかかわらず、脇の下が汗でべっとりして、気持ち悪い。
「ドゥニックがラムスに行けと言ったのも、近いからというだけじゃなさそうね」
イマニームの話は続く。
「彼が紹介してくれたナサボさんご夫妻、とても子どもを欲しがっているの。子宝に恵まれなくて、泊まり客に若い人がいたら必ず、養子になってくれないか聞くらしい。
通りすがりの私にまでそう言うのだから、あなたにもきっと聞いたはず。
実のついたエフィルをゆずってもらうなんて、ヌースとナーキッシュが同時に空にあるようなものだし、あの人たちの養女になって暮らす方が幸せだって、ドゥニックはきっと、そう考えたのよ」
自分の死を願う人間がいる。
自分が犯した罪の重さがのしかかって来る。
それはイシャシーフの息子への思い。
イマニームの母親も、娘を思い病を隠していた。
それほどまで、親というものは子どもを思うものなのか。
(お父さんやお母さんはどうなんだろう)
急に、家が恋しくなった。
今頃心配しているだろう。イシャシーフのように、取り乱しているのだろうか。
でも、もし、平気だったら、どうしよう。庭があるからいいわって。
違う。きっと、心配してくれている。
心がどんどん乱れていく。落ち着かなくて、叫びだしたいほどイライラする。
お茶と一緒に、不安を飲み干す。はーっと、息を吐く。ピリッとしまったパクスの香が、平安を導いてくれる。
「元の世界に戻れないのかな」
「バグの裁きを受けてここへ来たのなら、無理かもしれない」
「でも、バグはいつでも戻してあげるって、本当に帰りたいときが来たら、だけど……」
どんどん自信がなくなっていく。あいつが、約束を守るだろうか。
けれど、驚いた表情と声が返ってきた。
「本当に? あなた、バグとそんな話までしたの?」
「う……ん」
「じゃあ、きっと戻れるわ。バグは嘘をつかないって、昔から言うから。ほら、夕べも話したでしょ。嘘をつくのは人間だけだって」
「嘘をつくのは、人間だけ……」
その言葉は、妙にずっしりと、心に沈み込んだ。




