命の実(13)3⑤
3⑤
『イマニームの恋』の話
私は、アームの山のはるか向こう、ファラームで生まれ育ったの。
ファラームは豊かな国で、美しい花の咲く野があり、ほとんどの人は農業を営んでいる。父もファラームの農家の生まれで、でも、母はアーム出身だった。
アームは絵師の国。母も子どものころは絵師を目指していたみたいだけど、その才が無く、それが悲しくて国を離れたのね。
旅の商人に頼み込んで、一緒に山越えをしたみたい。幾日も旅をしてファラームにたどり着き、そこで父と知り合い、結婚し、私が生まれた。
何もなければ、今もそこで畑を耕していたに違いない。
けれど、ある日、父が谷に落ちて死んでしまった。慣れた道なのに、油断して足を滑らせたのね。
母は、
「背負い水を使いきったのね。この国には水がふんだんにあるから、無駄遣いしたに違いない」
そう嘆いてた。
「背負い水」っていうのは、母の故郷で親から子へ伝えられていく格言で、
「一生に使える水の量は決まっているから、水を大切にしないと早死にしますよ」という意味みたい。
アームは砂の国だから、水を無駄遣いしないように戒めてるのね。
アーム人はプライドが高っていうけど、母もそう。それで、父のご両親とうまくいかず、アームに戻ってきた。三年前、私が十三のときのことよ。
戻っては来たものの、絵師にはなれない。けれど、絵画の魅力からは離れらない。それで、絵の具作りをすることにした。そして、それは正解だったみたい。
異国で長い間暮らしてきた母は、古い概念には囚われず、新しい色を作り出すことに成功したの。山に登り、人が見過ごしたほんの小さな岩のかけらから、足元に這いつくばる雑草から、美しい色を取り出す。それを水に溶かしたり油を混ぜたりして、どこにもない色を作り出す。噂が広まるにつれ、有名な絵師達が絵の具を求めてやってきたわ。
ユーディンもその一人だった。
彼女は、絵師である父親の注文した絵の具を取りに来たの。
私たち、すぐに気が合って、毎日のように食事を共にしたわ。
会話を楽しみ、一緒に母の手伝いをし、岩を砕いたり草をすりつぶしたり。
他の女の子は爪を染めたり化粧をしたりしてるのに、私たちは指先を染めて喜んでた。
でも、私達の立場は全然違うって、彼女の家を尋ねて、知った。
大きな屋敷と広い庭。庭に井戸があるのよ。自分の家の。もちろん、絵を描くために必要だからだけど。
たくさんの小部屋があって、幾人もの弟子達が作業してた。花や鳥の絵を描く人もいたし、地図を描いている人もいたわ。それらはキャラバンに運ばれて、他の国に売られていく。同時に、彼らの名前も諸国に広まっていく。王や金持ちに気に入られたら使いが来て、どこかの国で絵を描くことになるかもしれない。
そんな夢を見て、お金や名誉のために絵を描いている人が多かった。
でも、イーヒットゥは違った。彼は、本当に絵を描くのが好きだったの。
私の巻き毛が珍しいと言って、私の絵を描きたがった。
彼の前に座って、私を描く彼を見つめる。胸がどんどん苦しくなっていくのが分かった。
二人でそうしていると、息ができなくなって死んでしまいそうだった。
けれど、モデルをやめると本当に死んでしまったに違いない。
「ねえ、イーヒットゥって、あなたの地図を描いた人でしょう」
昼間見たサインを思い出し、ひかりは尋ねた。
イマニームは眉をしかめながら、「ええ、そうよ」と簡単に答え、話を続けた。
でも、ある日気づいたの。ユーディンも彼が好きだって。
彼女の父は、有名な絵師。彼は、その弟子。
でも、私は父親がいなくて、何の後ろ盾もない。
知らぬ間に、焦りと恐怖だけが私の心を占めていた。
何とかして、ユーディンを蹴落とさなくてはいけない。
だから嘘をついたの。彼女が私のことを馬鹿にしてるらしいって。
貧乏人のくせに態度が大きいとか、イーヒットゥは自分の恋人なのに横恋慕してるとか、そんな陰口をたたいているらしいって。
つまり、彼女が私の悪口を言ってるっていう噂を流したの。そしたら、私は被害者だから同情してもらえるし、同時に彼女という人間を貶めることができる。
でも、それが成功したかどうかは分からない。
分かったのは、ユーディンには父親が決めた婚約者がいたことと、イーヒットゥは最初から私のことが好きだった、てこと。
好きだから絵のモデルになって欲しいって言ったんだって、そう言われたとき、私はうれしくて泣いた。
でも、家に帰って、自分のしたことの恐ろしさに怯えた。きっと、バグの裁きが下るに違いない。
そして、本当に裁きが下った。
イーヒットゥに印が現れた。
私のせいで、彼がイシュールシュにかかった。
「え、どうして」
再びひかりは口を挟んだ。
イマニームがにらむように振り向いたが、ひかりはかまわず言葉を続けた。
「ドゥニックは、罪を犯した人が裁きを受けてイシュールシュになるって言ってたよ。だから、イマニームが罪を犯したなら、あなたが病気になるんじゃないの」
「ドゥニックがなんと言ったか知らないけれど、それはィアーケス・オノトースの話でしょう。
ここでは、罪を犯した人間が、それを償うためにエフィルを探すのよ。
それより、私の話はまだ終わっていないの」
強い口調に、ひかりは下を向いた。
「ごめんなさい」
イマニームは、フーと大きなため息をついた後、気分を変えるように空を見上げた。それから、何度も深呼吸して息を整えると、やっと話を始めた。
イーヒットゥには、家族がいないの。小さいころ死に別れて、ユーディンの家の仕事を手伝うことで生活してきたのね。だから、ユーディンの父親が彼女の夫を選ぶ際、彼は候補にも上がらなかったみたい。皮肉よね。
母に看病を頼んで、旅支度をしたわ。そしたらユーディンがやってきて、一緒に行こうかって、二人で探す方が早いに違いないって、そう言ってくれた。
でも、断った。だって、そうでしょう。私が二人にしたことを考えたら、彼女の助けを借りられるはずがない。
私はそう伝えたかった。のに、口から出た言葉は「人のことは放っておいて」だった。
プライドが高すぎて、謝ることもできなかった。頭を下げ、自分の非を認めるのが怖かった。
でもね、旅を続けるうちに心の整理がついてきた。今はまだ、謝れないかもしれない。でも、もう少し時間がたてば、そう、この旅が終わるころには、きっと謝れる。
たまらなくなって、ひかりは問いを発した。
「もし、許してくれなかったら、どうするの」
イマナームは、大きなため息をついた。
「ひかり。聞き手は話が終わるまで、質問や意見を述べないことになっているのよ」
度々話の腰を折られ、うんざりしたに違いない。表情と口調に怒りやいら立ちが溢れていた。
ひかりは顔が熱くなるのを感じ、下を向いた。
「ごめんなさい。わたし、何も知らなくて」
「いいのよ、私も忘れてたわ。あなたがィアーケス・オノトーシャラスから来た人間だってことを」
きつい口調でそう言うと、憐れむように微笑んだ。
その笑みになぜか屈辱を感じ、肩が震えた。
「ああ、ごめんなさい。つい、意地悪な言い方をしてしまって。これだからバグの裁きを受ける羽目になってしまった、ていうのに」
こつんと自分の頭を拳で叩くと、イマニームは薪を一本くべた。
小枝のはぜる音が、寂しく響いた。
パクスのきつい香りが煙に乗って、砂漠の乾いた空気を深緑に染めていく。
「さっきの問いの答えだけど、相手が許してくれるかどうかは問題じゃないの。私の気持ちがすまないから」
「でも……」
イマナームは、「謝ってすむことじゃない」と言った。イシャシーフは、「俺たちの気持ちを考えるなら何も言うな」と言った。
つまり、謝るということは、単なる自己満足にすぎないんじゃないだろうか。
とは、言えなかった。
「でも、なあに」
「う、ん。その、ユーディンは、あなたが悪い噂をたてた本人だなんて知らないかもしれないじゃない。だから、わざわざ言う必要はないんじゃないかなあ」
「確かにね。でも、それって、卑怯じゃない」
「やっぱり、気がすまない?」
「そうね。単なる自己満足かもしれないけど」
心を見透かされたようで、ぎくっとした。
もちろん、そうじゃない。そう思われることを承知で謝るんだ。
「ねえ、ひかり。本当は、私もずっと思ってたの。謝っても許してくれなかったらどうしようって。でもね、それじゃあちっとも先へ進めないって、気がついたの。
もちろん、すぐにそんな気持ちになれたわけじゃない。旅に出て、いろんな人にこの話をして、自分の中の答が見つかったからなの」
「自分の中の答?」
「つまり、これから自分はどうするべきなのか、ということ。
私達はみんな、自分の中に答を持っている。知らないだけ、気づかないだけで。あるいは、気づいていても認めたくなくて知らん振りしてる……、私のように。でも、本当は、みんな答を持っているのよ」
「話せば、それが見つかるの」
「たぶん。少なくとも、私の場合はそうだった。あなたも、話してみれば分かる」
話す。
何をだろう。
わたしがどうすべきかって?
決まってる。エフィルを探す。もう答えは分かってる。
それ以外に何かあるのだろうか。
……ある。
でも、これは言えない。絶対言えない。
そうして、前に進めない。
ぎゅっと胸が苦しくなる。
ひかりは、天幕をかぶると、ぐいっと引き上げた。自分を見つめる月からその姿を隠そうと、頭までもぐりこんだ。
背中をくっつけて眠っているラムダが、暖かかった。




