遠くから響くのは
小学校の休み時間。
友達の机の周りで女の子達が賑やかに集まっていた。
「ねぇ、これ知ってる?」
そんな中、1人の女の子が身を乗り出して話し出す。
なにやら意味深な様子に、他の子達も興味を惹かれたように顔を向ける。
「この前聞いたんだけどね。
近所のおばちゃんがね、前に山城神社の前を通った時にお祭りの時みたいな笛の音を聞いたんだって。
その日はね、神社でお祭りもなんにもやって無い時で変だなぁって思って神社に様子を見に行ったの。でも、神社にはだーれもいなくてね。おかしいなって思ったら、笛の音がしなくなったんだって。
その時はおばちゃん、気のせいかなって思ったみたいなんだけど、その少し後にね」
そこで、饒舌に話していた女の子がさらに身を乗り出して声を小さくした。
「その家の、おばあちゃんが死んじゃったんだって」
「えー、何それ!」
「こわ〜い!」
話を聞いていた周りの子達が、面白がるように次々と声をあげる。
「しかもね、それだけじゃないんだって!」
話しをていた女の子は、再び声を小さくしてさらに続ける。
「その前にもね、違う家の人が山城神社でお祭りも何も無い時に笛の音を聞いててね。それから暫くして…その家のおじいちゃんが、死んじゃったんだって」
「ほんとに〜!」
「あ、その話、私も聞いたことある!」
「えぇ〜こわ〜い」
みんなが知っている身近な神社で起こったという話に、子供たちは驚いたり腕を摩り怖がっているような反応を見せる。
そこで、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「みんな、席に着いてくださーい」
教室に入ってきた先生の声で、騒いでいたみんなはバラバラと席に戻っていった。
その中で話を聞いていた1人であるコトハは、
あんなのただの噂話だよね…
と、内心怖くなってしまったことを隠していた。
というのも、話に出てきた山城神社は通学路の途中にある神社で、毎日登下校の時はその神社の前を通るのだ。
ヒマリちゃん、ああいう噂話好きだし。でも、リンちゃんも知ってるって言ってたし…
先生の話しが始まっても、コトハの頭の中では先ほどの噂話が離れなかった。
そんな噂話をしてから、3ヶ月程が過ぎた。
神社で聞こえたという笛の音の話はすっかり記憶の彼方へ行ってしまい、夏に向かって日に日に暑くなる中、熱中症に注意する話が頻繁に飛び交うようになっていた。
その日は曇っていたが蒸し暑く、太陽の熱が雲を突き抜けて降り注いでいるようだった。
そんな日の学校帰り。
帰り道の途中で友達と別れたコトハは、1人で道を歩いていた。住宅街の端を通る道は静かで、たまに車が通るくらいである。
アスファルトの上を歩く靴音を聞きながら歩いていると、前方に木々が集まり薄暗くなっている場所が見えてきた。登下校の時には毎日見る、家までの距離の目印になる山城神社だ。
今日は曇っているからか、いつにも増して薄暗くなっているように見える。それ程大きな神社ではなく、お祭りの時以外は無人になる静かな場所だ。それでも、入り口の階段を数段上がった先にある鳥居は大きく、威厳のある佇まいをしている。
神社に近づくと、木々の間から鳥の鳴き声が聞こえてきた。いつもと変わらないその姿を眺めるともなしに見て、そのまま神社の前を通り過ぎようとした時だった。
何処か遠くから、笛のような音が聞こえてきた気がした。
小さく途切れ途切れに聞こえる音を疑問に思い立ち止まるが、そこで音が聞こえなくなってしまう。
空耳だろうか?
辺りには神社の木々が風で揺れる音が、先ほどと変わらずに流れている。いつもと変わらない様子に、それ以上特に気にすることもなくそのまま家へ向けて足を進めた。
それから1週間以上が過ぎた。
あの日以来、笛の音らしきものを聞くことはなく、あの時聞いたのは気のせいだったのだろうと気にする事なく日々同じ道を歩いていた。
その日はよく晴れていて、帽子のつばの先に見える景色に陽炎が見えるような気がする程に暑かった。
「暑い…」
背中の鞄が当たっている部分が暑く、鞄を背負い直しながら帰り道を歩いていると、不意にいつもは聞かない音が聞こえた気がした。
顔を上げて見ると、少し離れた所にいつもその前を通る神社の姿が見えた。
だんだんと近づく木々に覆われた神社を視界に入れながら歩いて行くと、一度途切れて聞こえなくなっていた音がまた聞こえてきた。まるで遠くから漏れ聞こえてくるかのように、短い音が部分的に聞こえては静まることを繰り返している。不規則に間を開けながら聞こえる音は、初めは小さかったが徐々にはっきりとしたものになってくる。その音を耳を澄ましてよく聞いてみると、やはりピアノとは違う少し高めの笛の音のようだった。
ふと足を止めると、目の前には木々が生い茂り熱い日差しを遮って日陰をつくっている神社が迫っていた。
神社の外観を眺めていると、一度途切れて止まっていた笛に似た音が思い出したかのようにまた聞こえてきた。以前聞いた祭囃子で使われるような笛の音が、途切れ途切れに一音づつ聞こえてくる。曲の一部が聞こえてくると言うよりも、単音で間をとりながら2回続けて吹いては止まる。それをゆったりと時間を空けつつ繰り返しているようだ。
ピー…ピー…
何処からか聞こえる不思議な音に引き寄せられるように、コトハは神社の境内へ足を進めた。
入り口の僅かな階段を登り、大きな鳥居をくぐる。辺りの木々がつくる木陰が不規則に揺れる中、誰もいない静かな境内を歩いていく。周囲を見渡してみるが、お社やその周辺にも人のいる気配は無い。
笛のような音は、神社から聞こえてきているわけではないのだろうか。
再び聞こえてきた音が、先ほどよりも僅かに大きくなった気がした。音の出所を探そうと、境内を見回して背後を振り返る。
すると、不意に耳元で一段と大きな笛の音が響いた。
まるで、背中側の直ぐそばで鳴らされたような、音が一瞬にして近づいたような感覚に息を呑み後ろを振り返る。
しかしそこには何もなく、先ほどと変わらない誰もいないお社が静かに佇んでいるだけだった。
思わず詰めていた息をゆっくりを吐き出すと、今度は笛の音が小さく聞こえてきた。大きく聞こえた時と比べると、まるで急激に遠くまで離れて行ったかのようなその音にもう一度周囲を見回す。
そこで神社の入り口側から、境内の外を走る1台の車の姿が見えた。日の光を反射させながらシルバーの車が走り去るのを見ていると、一気に普段の生活空間へ引き戻されたかのような感覚になる。
車の反射する日の光の眩しさに瞬きをしていると、先ほどまで聞こえていた笛の音が聞こえなくなっていることに気がついた。少し待ってみたが、それまで聞こえていた間隔以上に間が空いても笛の音は聞こえない。
周囲では木々が風に揺れる音が溢れ、その合間に鳥の鳴き声が響く。
自分は何をしていたのだろうか。
日常のありふれた様子に呆けたような感覚になったコトハは、ふと以前聞いた噂話を思い出した。
たしか、神社で笛の音を聞くと何か良くないことが起こるって話だったよね。
それまで、音が何処から聞こえてくるのかを探す事に気を取られていていたが、改めて思い返すと噂話と今の状況がそっくりであることに気がついた。
噂話では笛の音を聞いた後、家族の中で良くないことが起こると言われていた事を思い出し、急に背筋が寒くなるような気がしてくる。今の状況に不気味さを覚えると、それまで何とも感じていなかった周囲で木々が揺れる音も何処か知らないところへ誘い込む怪しい音のように感じ始める。
その時、不意に鳥の大きな鳴き声が聞こえコトハは毛が逆立つ感覚と共に飛び上がった。薄暗い周囲を見れば、揺らめく木の影がまるで神社へ引き込む黒い手のような気がしてくる。このまま留まっていると、その場から動けなくなってしまいそうでコトハは慌てて駆け出した。神社を飛び出すと、早くその周囲から離れようと家までの道を走り続けた。
大丈夫、大丈夫!私のおばあちゃんもおじいちゃんも、何かあったって聞いてないし。きっと何ともない!
走りながら、心の中で自分に言い聞かせるように大丈夫だと何度も繰り返す。
そして、あまり怖がっていると本当に良くないことが起こってしまいそうで、コトハは不安な気持ちが良くない事を引き寄せてしまわないように違う事を考える事に集中した。
そうして、気合を入れて次の日の登下校の時に神社の横を通ったのだが、あの笛の音は聞こえずその次の日も笛の音を聞くことはなかった。
そうこうしているうちに、神社で笛の音を聞いてから1週間程が経った。
笛の音を聞いてから少し時間が経ったため、特に気を張ることもなくコトハはいつものように帰り道を歩いていた。
その日も暑く、何処かから蝉の鳴き声が聞こえてくる。友達と別れてからは、蝉の声や暑さがより顕著になった気がする。
日差しを避けるように俯きがちに歩いていると、不意にあの音が聞こえてきた気がした。
顔を上げると、いつもの神社の姿が見える。
また笛の音が聞こえたのだろうかと、神社を視界に収めながら歩いていると今度はしっかりと聞こえてきた。やはり以前聞いたものと同じ、2回続けては途切れる笛の音が遠くから響いてくる。
ピー…ピー…
コトハは、知らず知らずのうちに足を速めながら神社に向かって歩いていた。
神社に近づくにつれ、笛の音が大きくそしてはっきりと聞こえるようになってくる。神社まで数十メートの所まで近づくと、笛を吹く時の僅かな掠れまで聞こえるような気がするほどしっかりと聞こえてきた。
そのまま引き寄せられるように神社の入り口に向かって歩いていると、俄かに後ろの方が騒がしくなった。
何やら物々しい音に後ろを振り返ると、一台の車が異様なエンジン音を響かせながらこちらへ向かってきていた。不自然にふらつきながら走るシルバーの車は、猛スピードでこちらに向かって走ってくる。
車が日の光を不気味に反射させながら迫る様子に、一瞬で全身に恐怖が駆け上がったコトハは急いで駆け出した。
目の前に見える神社の入り口へ向かおうとするのだが、脚が空回ったかのようになかなか前へ進めない。
背後から車の異様なエンジン音が迫る中、頭の後ろから急き立てるように大きな笛の音が響いてくる。
まるで、危険を知らせる警笛のように。
喘ぐように走るコトハの直ぐ後ろへ唸るような車の音が迫り、頭の中では笛の音が大きく鳴り響く。
必死に走り神社の階段を駆け上がり始めたその時、突然背後から突き飛ばすかのように強く押された。両足が浮くほど強く押されたコトハは、正面から勢いよく神社の境内へ倒れ込んだ。激しく視界が揺れ、衝撃に両目を強く瞑る。
視界が暗くなった背後からは、何か固い物がぶつかったような大きな音が響く。
コトハはお腹側を強く地面にぶつけ引きずったところで体の動きが止まったが、突然の衝撃に動くことができなかった。
どれくらいそのままでいたのだろうか。
暗闇の中暫くすると、後ろの方が騒がしくなってきた。何人かの人の声が聞こえてくると、コトハの下へ近寄る足音と声が聞こえてきた。
「大丈夫⁈聞こえる⁈」
慌てたような声を聞き、コトハはようやく目を開けた。
「あぁ、良かった!わかる?」
コトハが身動きしたことがわかったのか、安堵したような声が聞こえてくる。その声に頷いて少しずつ体を起こす。
「痛くない?無理しないで」
コトハを覗き込むようにして、女の人が話しかけてくる。
後ろを向いて座り直すと、鳥居の向こう側の神社の外で車が横転しているのか、こちら側に車の底を向けて片方のタイヤが高い位置に浮いていた。
茫然としながらその様子を見ていると、コトハの下へも人が集まりだした。なにかと声をかけてくれたが、首を縦に振るか横に振るしか返す事ができなかった。
そうこうしているといつの間にか学校の担任の先生が来てくれて、馴染みのある顔を見たからかそこでやっと「うん」と返事をする声だけが出た。
それから直ぐに救急車で病院へ行くことになったが、周りで大人達がいろいろとしてくれている間も「うん」と「ううん」の首を縦に振るか横に振るかの返事だけしかできなかった。病院についても何処かぼんやりとした感覚のまま返事をして、案内をされるがまま座っていた。
「コトハ!」
そうして暫く座っていると、何処かから母親の声が聞こえてきた。
振り向くと、母親が走ってきて直ぐにコトハへ手を伸ばす。
「大丈夫?痛いところは?あぁよかったぁ」
母親はまるでコトハの存在を確かめるかのように体を触ると、コトハが大丈夫だと返事をするのを見て優しく抱きしめた。
コトハは、母親がこれほどまでに焦った様子を初めて見た。その勢いに驚きながらも、抱きしめられたところからじんわりと温かさが広がっていく。その温かさがまるで心の中にまで広がって行くかのように、胸の中から何かが溶けて溢れてくる感覚が広がってきた。
「うっくっうぅ」
コトハは胸から溢れてくるものをそのままに、母親にしがみ付きながら声を上げて泣いた。
その後、コトハは車の暴走事故に巻き込まれたにもかかわらず軽傷で済んだため直ぐに家に帰ることが出来た。それから暫くは事故の様子を聞かれたり慣れないことが続いたが、程なくして元の生活に戻っていった。
ただ、学校の登下校の時にはいつもの道を通ることが出来なくなってしまった。神社の前の道を通るとなるとどうしても怖くなり、遠回りになってしまうが通学路を変更して登校するようにした。
そうして、事故が起きてから数ヶ月が過ぎた。
その日の授業で使ったリコーダーを仕舞いながら、ふと神社で聞いた笛の音の事を思い出した。
あの日以来、神社の前を通っていないからか同じような笛の音は聞いていない。
もしかしてあの笛の音は、良くないことを引き寄せるものではなくて、危ないことが起きる事を事前に教えようとしていたのかもしれない。
そんな事を思ったコトハは、今度神社へお参りに行ってみようかと思い始めていた。




