アテナイ所有の争い
アテナイという名前なのだから、それはかの偉大な戦乙女の神アテナのゆかりの地であるということは、想像に難くない。身投げが大好きな王アイゲウスが息子を失ったと勘違いし入水したエーゲ海に面する、アッティカ半島の地である。乾いた地で知られているのだから、ワインの名産なのではないかと邪推する者もおろう。何事も断言できぬ地理に疎い私をどうか赦しておくれ、きっと、諸君の想像通りだ。アテナイはもちろん、こういう場所だ。ワイングラス片手にチーズを貪り食う、鼻の高い連中の楽園だろうよ。いや、知らん。
さて、地理の話は地図屋やら学者やらにでも聞けということで、あの高潔なアテナがいかにして、この街を所有したかの話を致したく参った。お楽しみにしておけよ? 普段は一つもふざけることのないお堅いアテナ嬢の、渾身のギャグが炸裂するのだ。私はあまり笑わなかったが、海の王様たるかの男は、大いに笑いなさっておったからな。
アテナイの何が良かったのかは二者のみぞ知ると言ったところだが、アテナとポセイドンがどうしてもそこを所有したいと、争っていたのだ。とは言っても二者は戦争を好まないわけであるから、ご上品なルールに則った試合をして、この街の命運を決めることにした。兄貴分の娘ということで、ポセイドンからすれば姪っ子のアテナなわけである。姪っ子にも本気なポセイドンの、何と大人げないことだろう。いや、だがね、私はそれも一興かと思うよ。
「アテナ嬢ちゃん。ここを所有するのは、ここに住む人間どものお気に入りを、完璧に把握した者であるべきじゃないかい」
「おっしゃる通りです」
「よーし決めた。この街に贈り物をしようじゃないか。彼らの心を打った者が、ここを所有するものとする。準備は、よろしいかね」
「ええ、負けませんよ」
二者は本気であった。本気で試合を楽しみたいのだ。彼らは人間を異常なまでに観察して、本当に欲しいものを見定めた。ポセイドンの旦那は、何にしたと思うね? 人間は戦争が大好きなのだから、戦争を有利に進められる駒が良いだろう。そう言って、馬を寄越したのだ。人馬一体という言葉があるだろう。不思議なことであろうが、人と馬というのは、男と女よりも相性が良いのだ。男女が集えばいびり合うが、人馬が集えば同一の目的を真っ直ぐなままに共有してみせる。一体全体、どうしてそうなっちまうのかね? きっと、馬の方が利口だからだろう。
さてさて所が変わって、アテナ嬢はお父さんのゼウスに相談をした。天下のゼウス様なら、もちろん答えて見せるだろう。人間の趣向は熟知しているはずだ。株式会社オリュンポスの、代表取締役にして、名誉会長だぜ? ネームブランドは十分すぎるであろう。
「父さん、人間という生き物は、何を差し上げれば喜ぶでしょうか」
「ああ、そんなことより」
ゼウスは自分の尻をさするばかりであった。おいおい、何を馬鹿なことをやっているんだい会長。娘さんが困っているだろう。助けてやっておくんな。
「私を助けてからにせんか。ほれ、尻に……尻にだね……」
威厳のあるお父様が、みっともなく露出した尻を向けてきたのだから、顔を赤らめたアテナ嬢はありったけの力でお父様の尻を叩いて見せた。激しい痛みに悶える声と、どこか悦んでいるような声が混ざって聞こえてきた。おいおい、さすが至上神だ。男性らしい一面も持っている。ああしかし、人間界にもこんな情けない父がいるかね?
ゼウスに尻に、それはそれはでかい異物が付いていた。アテナ嬢は叩いたことを詫びた後、かわいそうに思った。親孝行な彼女は、父さんの苦しみを何とか救ってあげよう。そう考えていた。しかしどう立ち向かえばよいのか。これが、いぼ痔なのか。これが、諸悪の根源か。こんなものがあっては、王座に座ってもいられないだろう。
「……その、私は、どうしてあげたらよいのです」
「引っこ抜いてェ……?」
弱弱しい声で、甘えるように言った。ああ、もうちょっとでいいから威厳を保っていたまえよ。すぐそうやって女性に甘えるのだ、貴方は。底なしの女性愛は、娘さんにも見境なしかね?
お優しい娘さんは、汚い奴の尻にも屈せず任務を遂行して見せた。ああ、親孝行な娘だ。さてさてここからが本番だ。このいぼ痔の残骸を、アテナ嬢はなぜか、大事にしまっていた。二者の争いの、約束の日まで。
ポセイドンには悪い癖があったようで、すぐに自分の成果に驕ってしまうというのだ。馬を得た人間は満足そうに彼らを使役していたわけであるから、ポセイドンは勝ち誇って見せていた。アテナの贈り物に、一切の興味を持たないままその日が訪れた。
「こいつを見てほしいんだが、ほれ、どうだね。人間はあんなにも楽しそうに、馬に乗ってぱからぱからと走っているよ。まったく、どちらが馬鹿かわからんね、ガッハッハ!」
「良い贈り物をしましたね。でも私も負けておりませんよ。そちらをご覧になって?」
「こいつぁ楽しみだねえ、アテナ嬢ちゃんは、いったい何をお与えに?」
ポセイドンが目を向けたそちら側には、馬を囲う以上に人だかりができていた。可笑しな光景であった。こんなに乾燥した地に、木が生えているなんて。それに、実までつけている。その実はなんだか黒ずんでいて、汚らしいようにも見えた。だが人間は、それらを採って幸せそうにしているではないか。いかつい彼の目が見開いた。これは一体、どういうことか。
「おいおい! 何だねあれは! あいつら嬉しそうにあの実を採っているぞ! それに実を、炒めて、干して、絞って油を取って! 何をやっているんだ!? あいつらあれを食べるつもりか!?」
アテナ嬢は、笑って見せた。あの実の、本当の正体を打ち明けながら。
「オリーブという名で、人間には語られています。この地方の食事に、持って来いな実なんですよ。でも、あの実の正体。実は……あなたのお兄さんの、お尻のおでき。面白いでしょ? 人間は、あんなものを食べたりするんです」
少しばかり理解が追い付かなかったか、頭の上にクエスチョンマークを被せていたポセイドンであった。しかし思い出したように、急にどっと、笑い始めた。
「おいおい、あの実、兄貴のいぼ痔なのかよ? ギャッハッハ!! なんて……なんてざまだ人間どもめ! あいつらゼウスの肛門から汁採ってんぞ! そのまま料理にでも掛けるのかよ!? ギャッハハハハ!!」
「ええ。顛末をお話しすると、父さんのおできを植えてみたら、生えてきたんです。あんな立派な木が。こんなカラカラの土地で、よくあんなに育ちましたよね」
「いやぁまったくだ! 年老いた今なお、元気な兄貴にそっくりじゃねえか! ガッハッハ!」
ゼウスの野郎の黒歴史が聞けたと、ポセイドンはすっかりいい気になった。そうして、すべてを理解したのだ。
この勝負は、ポセイドンの完全敗北であった。奴らからの人気では負け、さんざんにアテナに笑わされた。一本取られたのだ。完全敗北と言わずして、何と言おうか。
「ああ、こいつぁ、俺の負けだよ。この地は、お嬢ちゃんが貰ってくれや。久しぶりに、大笑いさせてもらったよ」
「本当ですか? ありがとうございます。ちなみに、オリーブの木って、どんな花言葉か知っていますか?」
ポセイドンは口をぽかんと開けて、彼女に尋ねた。またまた難しい言葉を、この勤勉なお嬢ちゃんは知っているなと感心しながら。
「おいおい待ってくれ、花言葉ってなんだ?」
「人間が考えた、花を象徴する言葉です」
「そうかい。このオリーブにも、花言葉があるって? そうだなあ、思いつかねえ」
「正解は、『平和』と『知恵』なんです。父さんのお尻は、人間に平和をもたらすそうですよ」
「ギャハハハハ! それに知恵だってよ! あいつら尻に知性なんか求めてんのかよ! ワッハッハッハ!!」
こうして、昔以上に二者は仲良くなって、アテナイの所有権は円満に、アテナ嬢に引き渡されたわけでございました。さて、世の男性をひきつけてやまない、胸派と尻派の論争に、一石を投じることとなりましたかね。