白雪の魔女は今日も夢見心地
お手柔らかにお願いいたします。
「はあ…。」
この世で最も美しい豊穣の国の王妃は、窓の外を眺めながら小さなため息をついた。
悩みの種は自分の娘である白雪姫のことだ。彼女はもうすぐ十二歳。雪のように白い肌、黒檀のように黒い髪。そして鮮血のような赤いぷっくりとした唇は、老若男女問わず口づけしたくなるほど美しい。
そう、愛おしい娘。なのだ。なのだが…。
「あら、お母様!私のことを放っておいたりなんてしたら狼さんに食べられてしまうかもしれないわ!」
「まあ大変、私ってばお寝坊さん。お茶会にも寝坊して首を撥ねられてしまうかも!」
「お昼寝のお時間かしら?このまま永遠に眠りから醒めなかったら、きっと王子様が私を口づけで起こしてくれるはずね!」
いつからだろう。子供特有の夢見る瞳が、現実から乖離し始めたのは。
いつからだろう。彼女の瞳が恐ろしくなりはじめたのは。
最初は、ただ空想が好きなだけだと思っていた。王と共に、それが可愛らしくすら思えた。
しかし、しかしだ。スノウホワイトは十二歳になった今でも、現実には存在しないありえない空想を口走っては楽しげに笑っている。彼女の漆黒の瞳は、いつからか現実ではない「何か」を見ているようで酷く恐ろしかった。今日も彼女は、お気に入りの人形を抱えて嬉しそうにままごとに勤しんでいる。普通の子供ならままごとなどとうに飽きている年頃だというのに。
「…ねえ、鏡。あの子は一体、何を見ているのかしらね。」
嫁入り道具として祖国から持ってきた魔法の鏡に呼びかける。
王妃は魔法の国出身だった。不思議の力が次第に失われつつあるこの世界で、唯一魔法を日常的に使っている国。王妃自身も、ある程度の魔法の使い手だ。今となっては、もう使うことができないけれど。
「彼女は夢を見ている。」
「…夢……?」
夢を、見ている。やはり、彼女の瞳は現実を映してはいないのだ。
「私たち、どうすればいいのかしら。」
「できることなどない。夢から醒めるには、自分自身でここが夢であると気が付く以外に方法はないのだから。」
「…。」
王妃は悲しげに目を伏せる。その姿は水面に移る月の様に儚く、美しかった。
粉雪の降る白い日、スノウホワイトの十二歳の誕生パーティーが行われた。パーティーには隣国の王子や沢山の姫君が招待された。皆、スノウホワイトの生誕を祝うためにわざわざやってきたのだ。
だというのに、この娘は。いつもの様に訳の分からぬ戯言を繰り返しては、大事そうに抱えた人形に語りかけている。
「空想がお好きだとは、可愛らしい姫君ですね。」
「姫君はずいぶんと詩的な言い回しをされる。」
招待客はそう言って笑っていたが、城の者だけは、スノウホワイトのこれが空想なんて可愛らしいものではないことを知っていた。彼女の瞳は、現実など見てはいないことを知っていた。
「スノウホワイト様はお美しい!いつか必ず、私がお迎えに上がります!」
謁見の際、憧れと恋情のこもった目でそんなことを口走った少年がいた。スノウホワイトよりも年下の、隣国の王子だった。スノウホワイトは少しだけ驚いたように彼を見た後、蕩けるような笑顔で答えた。
「お待ちしておりますわ。私がどこにいても、必ず迎えに来てくださいね。」
隣にいた両親だけが知っている。そう答えた白雪姫の瞳に、獲物を狙う肉食獣のような熱が宿っていたことを。十二歳とは思えないような妖艶な微笑みに母である王妃は身震いした。この娘は、いつか必ず誰かを破滅に導くだろうと。
パーティーの最後に、両親からスノウホワイトへとプレゼントが贈られた。贈られたのは手鏡だった。己の姿を毎日見ることで、少しでも現実の世界に近づいて欲しいと言う願いからだった。
スノウホワイトは両親の予想をはるかに超えて喜んだ。ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、両親に抱き着いている。
「すごい、すごいわ!魔法の鏡を貰えるなんて!」
真紅の唇から洩れたそんな言葉に、王と王妃は硬直した。彼女に贈ったそれは、ただの鏡にすぎなかったのだから。
「鏡よ鏡、鏡さん。世界で最も美しいのはだぁれ?」
鏡を贈ってから、彼女の空想癖はさらに悪化した。どこに行くにも持ち歩いていた人形はポイと捨て、手鏡に語りかけるようになったのだ。
大好きだったままごともしなくなり、日がな一日鏡と向き合って過ごすようになった。こんな事だったら、ままごとでもしていてくれた方がよっぽど安心できたかもしれない。
そんな中、彼女に弟が生まれた。彼女ほどではないが可愛らしい赤ん坊だった。ようやく生まれた跡継ぎに、国中が喜んだ。意外なことに、スノウホワイトも満面の笑みで喜んでいた。彼女は甲斐甲斐しく弟の世話をし、どんなに離れていても弟が泣けばどこからともなく現れて泣きやむまで傍にいた。
どうして離れていても傍にいることができるのか、と聞いたことがある。
「だって、鏡さんが教えてくれるんだもの!」
王妃はゾッと背筋が凍った。現実にまで侵食する彼女の空想は、一体どこまで行くのだろう。
「好奇心は猫をも殺す、というが。夢見心地のままでは殺しても罪悪感など芽生えぬ。」
ある日、鏡がそう言った。
「どういうこと?」
「…手遅れになる前に、王子から白雪姫を遠ざけたほうがいい。」
鏡にしては珍しく直接的な物言いだ。あんなにも弟を愛している彼女を、どうして遠ざけると言うのだろう。それに、殺すって…。
スノウホワイトに着せる服の刺繍をしていたとき、ふと思い出す。魔法の鏡には、未来を見通す力があるということ。
まさか、まさか。嫌な想像は、こびりついたインクの様に王妃の頭から離れることはなかった。
「…痛っ。」
考え事をしていたら、指を針で刺してしまった。指先からしたたり落ちる赤い血は、嫌な予想を加速させた。やはり、一度様子を見に行くべきかしら。
「お妃様!王子様が…!」
ガタガタと大きな音を立てて、召使いが扉を開ける。立ち上がった拍子に刺繍が床に落ちて、カランカランと音を立てた。
王子の訃報は、瞬く間に国中に広がった。突然の死に、国民は大きく驚いた。
しかし、それよりももっと人々を驚かせたのは王子が「殺害」されたという事実だった。それも他でもない実の姉によって。
「毒って、本当に死ぬのね。まあいいでしょう?弟ならまた作ればいいんだもの!」
法廷で幼い少女が放った言葉は、世界を震撼させた。地に足つかぬ夢見心地の状態では好奇心のままに人を、実の弟さえも殺してしまうものか。
やがて、スノウホワイトの処刑が決まった。
しかし、国王と王妃は娘を殺すことができなかった。息子を失った今、ただ一人残る可愛い娘。夢から醒めることない可哀想な娘。二人は秘密裏にスノウホワイトを逃亡させ、身代わりの少女を処刑させた。
さて、可哀想なスノウホワイト。彼女は自分がやったことの善悪もつかぬまま、とある鉱山で働く小人たちに匿われることになった。
七人の小人。彼らは少女に仕事を与えた。掃除と洗濯、炊事。初めての体験に、スノウホワイトは意外にも楽しげだった。
「私ってば、可哀想な子。きっと王子様を殺した罰でこんなことになっているのね。」
分かっているのか、いないのか。そんなスノウホワイトのことを最初は警戒していた小人たちであったが、純粋で美しい少女にいつの間にか絆されていった。小人たちの家で過ごしていくにつれ、家事の腕も上達していった。
「お前は本当に美しいね。あんなことをしなければ、いずれどこかの王子様と結婚して幸せに生きていただろうに。」
「あら、過去のもしもを想像したって何にもなりませんわ、赤いお顔の小父様。」
「お前はいつも空想ばかりしているじゃないか。おかしなことを言うね。」
スノウホワイトはそれこそおかしい、とでもいうかのようにくすくすと笑った。この世の者とは思えないほどの美しさに、小人たちは息を呑む。
「いいえ、お耳の大きな小父様。私は未来のことを夢見ているのです。過去のことは変えられないですけれど、未来なら今からだっていくらでも変えられますもの。だからこれは空想ではなくて予想ですわ。」
「そんなことを言ったって、お前はここ以外では暮らしてはいけないだろう。もう死んだことになっているし…。」
小人の言葉にスノウホワイトは微笑んで、しかし真剣な眼差しで答えた。黒い双眸が見つめる先には、一体何があるのだろう。
「夢は信じれば必ず叶うのです、小父様方。弟が死んだように。」
十四歳になったある日のこと。スノウホワイトが家事を終えて手鏡を眺めている。彼女はふと顔を上げ、窓を開けた。窓の前には驚いた顔をした茶色いローブの老婆が一人、立っていた。
「初めまして、貴女は魔女さんかしら?私を殺しに来たの?それともここから助けに来たの?」
窓際の机に頬杖をついて、じっと老婆の答えを待つ。美しい少女に見とれていた老婆は、不意に沢山の林檎が入った籠を一つ、差し出した。
「お前さんに一つやるよ。好きなのを持ってお行き。」
「まあ!いいの?そうね、それじゃあ…。」
しばらく悩んだ末に、スノウホワイトは一番歪な林檎を手に取った。
「いただく前に、よろしいかしら?」
「なんだい。」
「もし毒でも入っていたら大変だわ。おばあ様、先に一口齧って下さらない?」
「疑っているのかい?」
「私ったら用心深いものだから。失礼なくらい。」
老婆の前に林檎を差し出すと、しゃりしゃりと音を立てて老婆がリンゴを齧る。
「さ、今度はお前さんの番だ。」
「ありがとう!いただきますわ。」
瑞々しい林檎を、赤い唇が食む。
くすくすと、どちらからともなく笑い出した。老婆と白雪姫の笑い声が森の中に響き渡る。青い小鳥が、まだ手の付けられていない林檎を啄んで死んだ。
「まさか生き残るなんてね。分かっていたのかい?」
「私は空想が好きなんですもの、この程度の未来なら分かって当然ですわ。」
空想が好きな美しい少女は、歪な林檎を選んで生き残った。何も知らない愚かな小鳥は、毒林檎を食べて死んでしまった。スノウホワイトが生き残る確率は、籠いっぱいに詰められた林檎のうちのたった一つだけだったようだ。
「さて、これからどうする?私を殺すかい。」
「そんな恐ろしいことしないわ。ねえ、おばあ様。一体どうして私を殺そうとしたの?」
「小人のうちの一人に頼まれたのさ。穀潰しを殺してくれってね。」
「あら!小父様たちがそんなことをするだなんて。悲しいわ。」
顔だけは一流に悲しげな表情をしてみせて、スノウホワイトは嘆いた。
しかし、すぐに何かを思いついたらしく、いたずらっ子のような笑みを浮かべて老婆に耳打ちした。
「…ねえ、残りの林檎、私に下さらない?」
「別に構わんさ、何に使うんだい?」
「小父様方に林檎のパイを作って差し上げようと思って!きっと喜んで下さるわ。」
「…相変わらず悪魔みたいな小娘だね。」
老婆は林檎が山盛り乗せられた籠をスノウホワイトに手渡すと、彼女が林檎のパイを作る様子をじっと見つめていた。スノウホワイトは鼻歌を歌いながら機嫌よくパイを作っている。出来上がったパイを机の上に並べると、スノウホワイトは老婆に向き直った。
「おばあ様、おばあ様はきっと魔女なんでしょう?」
「どうしてそう思うんだい。」
「こんな森の奥深くまで一人で来られるなんて、魔女以外にいないですもの!どうしてすべての林檎に毒を入れなかったの?」
「お前さんの運を試してやろうと思ったんだよ。結果はこの通り、お前さんの悪運の勝利ってとこさね。」
スノウホワイトは老婆の顎を指で掬い取ると、年若い少女とは思えない艶やかな笑みを浮かべた。
「魔女様、私を貴方の弟子にして下さらない?」
「なんだって?」
「そうして下さったら、きっと貴方のお役に立つわ。」
「…思ってもいないことを。」
「まあひどい!」
そう言いながらも、スノウホワイトはくすくすと笑うばかりだ。
老婆は――魔女はため息を一つついて、かぶっていたフードを脱いだ。フードの下からは灰色の髪に青い瞳の美しい女性が姿を現した。
「まあ…。魔女様、随分美しい顔をしてらっしゃるのね。嫉妬してしまうわ。」
「お前さんに嫉妬されることほど怖いことはないね。」
魔女は真剣な眼差しでスノウホワイトを見ると、鋭い声色で彼女に問うた。
「魔女になれば、二度と人間には戻れなくなる。普通の生活はできなくなるよ。」
「元より普通の幸せになど興味はありませんわ。ですからお願い、魔女様。」
――私を貴方の弟子にして。
そう言ったスノウホワイトの瞳に映っていたのは、まぎれもない現実であった。少なくとも、私の眼にはそう見えた。
失敬、語り部である私の感想など、どうでもよいこと。このまま続きを語ることといたしましょう。
月明かりが照らす森の中を歩きながら、スノウホワイトは機嫌よく歌っていた。今頃は小人たちが林檎のパイを食べている頃だ。美味しく食べてくださっているかしら?なんて考えると腹の底からくつくつと笑いが込み上げてくる。
少し先を歩く魔女の隣に行き、美しい顔をのぞき込むようにして問いかける。
「ねえ、魔女様。お名前はなんというの?」
「まず自分から名乗ったらどうだい。」
「あら、ご存知かと思っていたわ。でも、そうね。改めまして。私はスノウホワイト。白雪姫、と呼ぶ方もいらっしゃるかしら。」
「私は……昔は「灰被り」なんて呼ばれてたかね。まあ、好きなように呼べばいいさ。」
「灰被りの魔女様。私のお師匠様になるお方。」
スノウホワイトはうっとりと目を細めた。頬は赤く染まり、まるで一目惚れでもしたかのようだ。そんなスノウホワイトを気怠げに見つめた魔女は、とある崖の上で立ち止まった。
「ここら辺でいいさな。」
そう言うと、魔女はパチンと指を鳴らした。すると、一本の美しい杖が姿を現した。魔女はその杖をスノウホワイトの前で一振りする。
淡い光を帯び始めたスノウホワイトの体は、みるみるうちに手のひらに乗るまで小さくなった。小さくなった上に素っ裸になってしまった彼女の白い四肢が、月明かりに照らされて艶めかしく光る。
「まあ、魔女様ったら大胆なのね。」
「ふざけたことを抜かすんじゃないよ。」
口調の割には丁寧な手つきで、魔女は地面に落ちているスノウホワイトを拾い上げポケットにしまう。魔女のローブのポケットからひょっこりと顔を出したスノウホワイトは、今から何が起こるのかと心を躍らせていた。
魔女が二度杖を振るうと、先程スノウホワイトを包んだのと同じ柔らかな光が杖から発せられ、杖は美しい箒へと姿を変えた。箒に跨ると、すぐにふわりと宙に浮く。空を飛ぶ、なんて初めての経験に胸を高鳴らせながら、スノウホワイトは外を見ようといっそう身を乗り出した。そんなスノウホワイトをみて、魔女は窘めるように言った。
「こらこら、あんまり乗り出して落ちるんじゃないよ。」
「すごい、すごいわ魔女様!一体どういうことですの?」
「魔女と言えば箒で空を飛ぶ。常識じゃないかい?」
「確かにそれもそうですわね!私にもできるようになりますか?」
「できるさ、お前さんならね。」
なにか根拠でもあるかのように、灰被りの魔女は断言した。
七つの山と谷を越え、魔女の家に辿り着いたときには東の空が白み始めた頃だった。魔法の国を超えた先にある深い森。その中にポツンと佇む魔女の家は、一人で住むにはあまりに大きな屋敷だった。
お城よりは小さいけれど、なんだか悪くない雰囲気だわ。どんなところであろうとあの狭苦しい小人たちの小屋よりもずっといい。魔女のポケットから外を覗いて、スノウホワイトはそんなことを考えていた。
「そら、着いた。」
小さなスノウホワイトを大地に下ろして杖を振るう。元の大きさに戻った彼女に魔法で服を着せてやると、魔女はうんと伸びをした。スノウホワイトよりも随分と背の高い魔女の顔を見上げながら、わくわくしたように聞く。
「中に入ってもよろしいかしら?」
「ああ、構わんよ。」
大きな屋敷の扉を開けると、まず飛び込んできたのは薬草の匂いだった。強い匂いだったが不思議と嫌な気分はしない。魔女はその内の一つの扉を開けて、スノウホワイトを招いた。
「適当に座りな。今お茶を入れてくるから、いい子で待っているんだよ。」
「ええ、分かりましたわ。」
魔女がハーブティーを入れている間、周りを見渡してみる。ここはキッチン兼食堂のようで、パンや果実、調味料やスパイスが所狭しと並んでいた。魔女が淹れてくれたハーブティーは甘く、体の芯が溶けてしまいそうなほど心地よい香りがした。
「さて、今日は疲れただろう。お茶を飲んだら湯浴みをしてゆっくり休みな。私も寝ることにするよ。」
「それならお水を汲んできますわ。井戸はどちらに?」
「そんなことしなくても魔法で出せばいい話さ。」
「まあ、そんなことまでできるなんて。魔法って便利なのね。」
「お前さんでもすぐできるようになるさ。」
魔女から与えられた部屋で湯浴みをしながら、スノウホワイトは考えた。
温かい湯で体を拭くのはいつぶりかしら。小人たちの家にいた頃は昼間に近くの川で水浴びをするだけだったから、こうしてゆっくり体を拭くのは久しぶりね。
魔女の魔法に感謝しつつ、スノウホワイトはふかふかのベッドの中で目を閉じた。
明朝、スノウホワイトは小鳥たちの囀りで目を覚ます。
「おはよう、小鳥さんたち。」
起こしてくれた小鳥にキスをして、魔女の元へ向かう。魔女は談話室にいた。ロッキングチェアに揺られながら暖炉のそばで本を読んでいる。すぐにスノウホワイトに気が付いて、淡く笑った。
「おはよう。随分早いね。」
「魔女様こそお早いですわ。」
「せっかく起きてきたなら、朝食ができるまでの間少し手伝ってくれやしないかい。」
「何なりとお申し付け下さいな。」
「小鳥たちにご飯を上げてきておくれ。餌は入口のすぐ横に置いてあるから。」
言われるがまま、スノウホワイトは小鳥たちに餌をやりに行くことにした。もうすぐ夜が明けきる頃合いだ。オレンジ色に光る空を眺めながら小鳥たちに呼びかける。
「おいで、ご飯の時間よ。」
スノウホワイトが呼びかけると、すぐに小鳥たちがやってくる。そこには今朝スノウホワイトを起こした小鳥たちもいた。
魔女のいるキッチンに戻ると、魔女は次の仕事を与えた。
「出入口とは反対にある温室に行って、薬草たちに水を与えてきておくれ。」
言われた通りにした。温室では様々な野菜や薬草が育てられていた。玉ねぎ、トマト、ニンジン、キュウリにカボチャ。どれもよく実っている。薬草たちに水を与え終わると、どうやら朝食ができたようだった。
「さて、頂こうかね。」
「朝から沢山働いたんですもの、きっと今日の朝食のおいしさはひとしおね。」
朝食を食べながら、魔女は今後について話しはじめた。
「お前さんを立派な一人前の魔女にするためには、大体五年くらいかかる。だから独り立ちする頃には二十歳くらいになってるさね。修行中の五年間、お前さんにはこの家の家事全般をしてもらう。授業料ってやつさ。ここまではいいかい?」
「構いませんわ。家事の腕には自信がありますの。」
「そうかい、期待してるよ。さて、今日から魔女になる為の第一歩を始めるとするかね。」
朝食を食べ終わると、早速授業に取り掛かることになった。
魔女修行の第一歩は、服装からだった。
「たかが見た目だけれどね。されど見た目は重要さ。私たち魔女の証、真っ黒いドレスに箒に杖。ちゃんとした箒と杖はまた今度専門家に頼むとして、今日はドレスからだ。私からお前さんに贈る初めてのものでもある。大事にするんだよ。」
魔女が杖を一振りすると、小人の家の家事で薄汚れた灰色のドレスが見る見るうちに漆黒へと変わっていく。黒い髪に黒い瞳、黒いドレスのスノウホワイトはその名前とは正反対だった。
同じ型のドレスを幾つか生み出した魔女は、満足げに頷いた。
「これだけあれば十分かね。小さくなったらまたお言い。」
「感謝しますわ。」
「お前さんが一人前になったら世界に一つだけのドレスとローブを作ってやるから期待しておくといいさ。」
魔女の授業は、座学から始まった。
「お前さんは魔法とは何か、知っているかい?」
魔女の質問に、スノウホワイトは首を振った。
先に説明した通り、この世界では魔法の力が薄れていっている。故に王女としてある程度の教養を身につけたスノウホワイトでも魔法についてはてんで素人なのだ。
「分かりませんわ。不思議な力、ということしか…。」
黒板に書いた図を指さしながら、魔女は説明を始める。
「魔法の力は「夢を実現する力」さ。夢を見る力が強ければ強い程、魔法の力も強くなる。大人になると現実を知り、夢見る力が失われていく。だから、魔法の国でも魔法が使えるのは子供とごく一部の大人だけなのさ。」
「どうして現実を知ると夢見る力が失われてしまうのかしら?」
「例えば、雲はわたあめでできていると信じている少年がいるとする。その子が大人になって、雲は水からできているものだと知った時、少年は己の中にあった夢と実際に存在する現実との乖離に絶望する。こうすることで、夢見る力は失われる。
最近は科学とやらの力でいろんなことが分かり始めて、夢見る余地が無くなってきているからね。魔法の国でも大人で魔法を使える人間は少ないってわけさ。」
「はい、先生。」
スノウホワイトが手を上げる。どうぞ、と魔女は頷いた。
「それでは、どうして魔女様は夢見る力を失うことなく魔法の力を使えているのでしょう?」
「良い質問だ。」
パチン、と魔女が指を鳴らす。光と共に現れた杖を大事そうに撫でながら、魔女は答えた。
「夢見る力は信じる力だ。現実よりも儚い夢を強く信じる力のことだ。叶えたい理想が目の前の真実を超えたとき、夢は現実となる。
私たち魔女は普通の人間よりもこの能力に秀でている。何故か?私たち魔女にとって願いとは存在意義そのものであり、その願いこそが私たちを私たちたらしめていると言っても過言ではないからだ。」
「えっと、つまり?」
「私たちは願いに生き、願いに死んでいく生き物なんだよ。スノウホワイト。魔女という生き物は、皆一つの夢を持っている。その夢を叶えるために生きているんだ。ある一つの夢を強く願っていると、不思議なもんで魔法の力は自分に着いてくるようになるのさ。」
「夢を、叶える…。」
「夢を叶えた時点で満足する魔女もいれば、また次の夢を叶えようとする魔女もいる。一人前の魔女になるためには、まず一つ目の夢を見つけるところからだな。」
「魔女様はどんな夢をお持ちなの?」
「私はこの前叶えてしまってね。次の夢を探しているところだ。」
強いて言えば、お前さんの夢を見つけることかね。そう言って魔女は笑った。
「では、どうして魔法の力を使える人間は少なくなっているの?夢を見て、それを叶えようと生きるだけだったら他の人にもできるような気がするのだけれど…。」
「言っただろう。願いに生き、願いに死んでいく生き物だと。私たちは願いを持たない状態では長く生きられないんだよ。それに、願いのために命を投げ捨てるほどの覚悟がないと魔法は使えない。そんな狂った覚悟を決められる人間なんてそうそういないのさ。
お前さんは何か決まっているかい?人としての死や誰かの命を踏みつけてでも叶えたい願いが。自分の一生をかけて叶えたい、両手でも抱えきれない大きな夢が。」
スノウホワイトは目をぱちぱちとさせて、それからうっそりと微笑んだ。
「決まっていますわ。私は――」
鮮血の唇から洩れた言葉に、灰かぶりの魔女は呆気にとられた。しばらくして吹きだした魔女を見て、スノウホワイトは不満げに口をとがらせた。
「笑うなんてひどいお方ね!」
「ふふ、すまないね。お前さんならできる気がするよ。さあ、そこまで決まれば大したもんだ。明日からは実践練習に取り掛かろう。」
スノウホワイトが魔女の家にやって来てから、半年が経った。箒で空を飛ぶ練習も板についてきた頃、魔女がこんな提案をしてきた。
「そろそろお前さん専用の箒を買ってもいい頃かもしれないね。」
「本当に?私、ずっとこの日を夢見ていたの!魔女様の箒はとても美しいから。」
「やっぱり自分の箒を持っていると気分も上がるだろう。それに、早いうちから自分の箒で飛ぶのに慣れておいた方がいい。」
そして次の日、スノウホワイトと魔女は初めて家の外へとやってきた。
灰被りの魔女の家は魔法の国のずっと西にあるけれど、そこよりもさらに西、世界の果てにはフェイロンという村がある。そこでは大勢の魔女たちが誰に知られずひっそりと暮らしている。灰被りの魔女の家も、一応フェイロンに属しているらしい。
フェイロンには失われた古代の魔法や神秘が数多く眠っている。それらを守ることがフェイロンの魔女たちの使命であると、灰被りの魔女は語った。
灰被りの魔女はまず、大きな広場へと足を運んだ。
「私も集会広場に来たのは久しぶりだ。」
「あのお方はどなた?」
大きな広場の中心に佇むヴェールで顔を覆った魔女を指さして、スノウホワイトは聞いた。
「あの方はこの村の長さ。一番長生きでね。中心のほうにやってきた魔女は挨拶に来ないといけないのさ。」
魔女たちの長は灰被りの魔女に気が付くと上品に手を振った。灰被りの魔女と共に近づくと、長からはふわりと良い香りが漂ってくる。
「貴女がここに来るのは久しぶりですね。二十年と五カ月と十四日ぶりです。元気にしていましたか?」
「ええ。そちらもお元気そうで何よりです。」
「後ろにいる子は白雪姫ですね。噂通りの美しさ、見惚れてしまいそう。」
「お初にお目にかかりますわ。灰被りの魔女様の弟子、スノウホワイトと申します。」
ドレスの裾を持ってぺこりとお辞儀をしたスノウホワイトは、彼女はどうして自分のことを知っているのかと不思議に思っていた。まあ、と小さな声を上げて、魔女の長は灰被りの魔女の方を向いた。
「貴女、名前を教えていないのですか?」
「必要がなかったものですから。」
「これを機に教えてあげたらいかがかでしょう?私の方から教えてもいいのですけれど、自分から言った方がよろしいのではないかしら。」
「…いえ、彼女が一人前になったら教えることにします。ですから、それまではどうか内密にお願いいたします。」
「貴女がそう言うのなら止めはしません。またいつでも来てくださいね。待っていますから。」
長に別れを告げて、二人は集会広場を離れた。
大通りから少し外れた静かな裏道に目的の店はある。店に入ると、木材の匂いが充満してスノウホワイトは噎せてしまいそうになった。店の最奥に座る赤毛の魔女は、二人を見て薄く笑った。
「いらっしゃい。アンタと会うのはこの前の集会以来だね。後ろの子は弟子かい?」
「ああ、久しぶり。お前さんの言う通り、弟子に箒を見繕いに来たのさ。」
「なんだかんだ言って、アンタも面倒見がいいんだから…。さて、どんな箒にする?」
赤毛の魔女は立ち上がると、一枚の紙を持ってきた。柄や穂先の材質の一覧表だ。
「これだけは外せない条件とか、決まってるかい?」
「柄は黒檀がいいと思っていたの!私の髪や瞳と同じ漆黒なんだもの。」
「じゃあ柄は決まりだね。穂はどうする?定番はエニシダだけど、竹や葦の方が飛びやすいとか人によって違うからね。そこらへんにおいてある箒で試してみるといいさ。」
そう言われて、外に出て色々な種類の箒を試してみることにした。けれどやっぱりエニシダが一番飛びやすいということになって、穂はエニシダで作ることに決まった。色は白で、穂先に向かう程深い緑の物を選んだ。
「あとは装飾だね。リボンやら宝石やら不死鳥の羽やら、好きなものを好きなだけつけるといいよ。」
様々な飾りの中から深紅のリボンと、柄の先に引っかけるランタンを選んで、その場で箒が出来上がるのを待つ。赤毛の魔女が杖を振るうと、ものの数秒で美しい箒が完成する。
「大事に扱うんだよ。」
「まあ、まあ!勿論だわ!」
出来上がった自分の箒。それは何とも夢のような心地で、スノウホワイトは胸を高鳴らせていた。そんなスノウホワイトを見て灰被りの魔女は満足げに微笑んだ。
さて、さらに一年が経過した。スノウホワイトは魔法の力が強かった。それは、常日頃から彼女が多くの夢を見ていたからだろう。夢見心地の彼女の手にかかれば、現実を夢で凌駕することなど造作もないことだったのかもしれない。
初めて会った時から彼女は魔法の力が強いと分かっていた。本当は十年程度かかる魔女修行も、彼女なら半分で済むかもしれないと考えて五年と伝えたはずだったけれど…。このままいけば、あと二年ほどで独り立ちできるようになるかもしれない。灰被りの魔女はそんなふうに思っていた。
そんなある冬の寒い日、一人の少女が魔女の家の扉を叩いた。赤い頭巾をかぶった少女だった。年は十二、三かそこらだろう。白い雪の中で、赤い頭巾だけが目に痛い程飛び込んでくる。
「私を弟子にしてください!」
可愛らしい少女は頭を下げてスノウホワイトにこう言った。きっと少女が用のあるのは灰被りの魔女だろう。
しかし、魔女は珍しく用事があるとかで出かけており、屋敷にはスノウホワイト一人しかいなかった。
このまま彼女を家に上げてもいいものかしら?もしも襲われたりしたら、なんて。人間の娘一人抑えられないようじゃ魔女様の弟子を名乗る資格は無いわ。
「あら。大変だわ。こんなところまで一人で来たの?あなたみたいに可愛らしい子なら、狼にでも襲われてしまうわね。さあ、中に入って頂戴な。」
少女を屋敷に招いて、温かいお茶を入れてやる。そわそわと辺りを見渡していた少女だったが、お茶を飲むと少し落ち着いたようだった。
「わざわざ来てくれたところを落胆させるようで悪いのだけれど、今魔女様は出かけていらっしゃるの。帰ってくるまで私と一緒にお話ししていましょう。」
「え、じゃああなたは?」
「私は魔女様の弟子、スノウホワイト。」
「ス、スノウホワイト!?あの、弟殺しの!?だって、処刑されたはずじゃ…。」
「ふふ。お父様とお母様はお優しい方だったの。殺されたのは私の身代わりよ。その後魔女様に拾われて、今は修行中の身。」
美しいとは思っていたが、彼女が噂に聞く白雪姫だったなんて。赤ずきんの少女はごくりと唾を呑んだ。とんでもない所に来てしまったかもしれない。
「貴女、お名前は?」
「私はシャーロット。魔法の国のはずれの山村出身です。」
「敬語はいらないわ、シャーロット。もっとリラックスしていいのよ。」
「う、うん。」
魔女の家はフェイロンの中で最も魔法の国に近い所にある。と言っても、魔法の国から魔女の家までは山を二つほど越える必要があるのだが。
「どうしてこんなに遠くまでやって来たの?」
「人狼が私のおばあちゃんを殺したんだ。だから、そいつに復讐したいの。でも、私は弱いから…。魔女の昔話を聞いて、いてもたってもいられなくなって。」
「強くなるためにここまでやってきたのね。でも、大丈夫だった?ここに来るのは大変だったでしょう。」
「ううん、平気。私山育ちだから足は強いんだ。」
「襲われたりしなかった?」
そう聞くと、シャーロットは背負っていた大きな猟銃を取り出してにこやかに笑った。
「猟師のおじさんに鍛えてもらったから!」
「まあ、頼もしいのね。」
話していると、玄関から物音が聞こえてくる。魔女が帰ってきた音だ。
「ただいま帰ったよ…。って、珍しいこともあるもんだ。お客さんかい?」
「おかえりなさいませ、魔女様。」
「は、初めまして!私はシャーロットって言います!あの、私を弟子にしてください!」
ガタガタと立ち上がると、シャーロットは頭を下げた。いきなりのことに魔女も困惑しているようだ。スノウホワイトが事情を説明すると、魔女は小さなため息を吐いた。
「二度と人間には戻れないよ。覚悟の上だね?」
「はい。私、どうしてもあいつが許せないんです。絶対、絶対殺してやりたいんです!」
「…分かった。それじゃあスノウホワイト、夕飯を作っておくれ。その間に色々説明するから。」
「ええ。今夜はビーフシチューにしようかしら。」
ハーブと食材をぐつぐつ大鍋で煮込んでいる間、魔女はスノウホワイトが初めてここに来た時のようなことをシャーロットに話した。
「スノウホワイトは優秀だ。追いつけないからって焦る必要はないからね。」
スノウホワイトには聞こえないくらいの小さな声で、魔女はシャーロットに耳打ちした。すでに魔法を使っての料理をマスターしているスノウホワイトだが、普通なら倍の時間はかかるだろうと魔女は話した。
「私、きっとスノウホワイトに追いついて見せます。」
「そうかい、期待してるよ。」
シャーロットの目に宿る魔法の光に、魔女は楽しげに頷いた。
さらに一年が経過したころ、スノウホワイトは猛毒の製作に興味を示していた。弟を殺害した時は子供ゆえに死に至る弱い毒だったが、魔法を使うことでより高い毒性の薬を作りたいと願ったのだ。
その中でもスノウホワイトが目指していたのは、魔女が初めて会った時に持っていた毒林檎の作り方だった。見た目では毒林檎だと判別ができない程の美しい赤い林檎。
おやつのパウンドケーキを頬張りながら、スノウホワイトはため息を吐いた。既に両手では数えきれないくらいの失敗を積み重ねている。
「どんなに同じ分量で、どんなに同じ方法で毒を作っても。魔女様のような美しい毒林檎を作ることはできないの。一体なぜかしらね?」
「お師匠様に聞いてみればいいのに。どうやって作るんですかって。」
「勿論聞いてみたわ。けれどなかなか教えてくれないんだもの。」
「うーん、そっか。レシピはあってるなら、魔法の方かな。何かコツがあるのかも。」
シャーロットはケーキを咀嚼しながら出された課題のプリントを埋めている。
「うっ、かはっ!?」
突然シャーロットが喉を抑えて倒れ込む。その様子を、スノウホワイトは焦ることなく眺めていた。
「あらあら。どうしたの?シャーロット。まるで地上に打ち上げられたお魚のよう。」
「な…に、して……。」
「まあ大変!私ってばうっかりしていたわ。失敗作の毒林檎をケーキに使ってしまうなんて。けれどシャーロットは大丈夫よね?この前解毒の魔法を教わったばかりだもの。」
地面をのたうち回っているシャーロットに笑いかけるスノウホワイトは、天使のような微笑みを浮かべていた。シャーロットはやっとの思いで杖を手繰り寄せて、震える手で杖を振るう。解毒の魔法が成功して、ようやく苦痛から解放される。大きく息を吐いては吸って、ようやく落ち着いた頃にはお茶が冷めきってしまっていた。
「はあ、はあ…。」
「これで苦手が克服できたわね。力になれたみたいで嬉しいわ。」
心の底から嬉しそうに、スノウホワイトは笑っている。いつかスノウホワイトに殺されるかもしれないと思いながら、シャーロットは意識を手放した。遠くから魔女の焦ったような声が聞こえたような気がした。
「ちょっとは手加減してやったらどうだい、スノウホワイト?」
気絶したシャーロットの顔に濡れたタオルを当てながら、魔女はじっとりとスノウホワイトを睨んだ。
「あら、お言葉ですが魔女様。このままでは苦労するのはシャーロットの方だわ。苦手なことはなくしておくに限りますもの。」
「そりゃあ、お前さんは何でもそつなくこなせるから分からないだろうけどね。シャーロットだってまだ一年しかたっていないのによくやっている方だよ。」
窘めるような魔女の言葉に、スノウホワイトは不服そうに答えた。
「私はただ、私を超えたいと願っているシャーロットの力になりたいだけですのに…。」
「お前さんはスパルタが過ぎるんだよ。」
不満げなスノウホワイトに魔女は苦笑する。
「窮地に陥らせることで相手を成長させるやり方自体を悪く言っているんじゃないよ。ただ、今回のはやり過ぎだってだけでね。」
「もしシャーロットが解毒の魔法を使えなくても、私が何とかするつもりでしたわ。」
「それでもだ。魔女っていうのはなかなか死なないもんだけどね。お前さんたちはまだ見習いなんだ、気を付けないと取り返しがつかないことになるよ。」
「…次からは気を付けますわ。」
まあ、懲りないだろうな。そう思いながらもこれ以上咎めることができない魔女であった。スノウホワイトが独り立ちするまで、シャーロットが無事に生きていることを願うばかりだ。
スノウホワイトは、普通の魔女が十年かかる修行を三年でマスターしてしまった。十七歳になった彼女は、独り立ちのための最終試験に臨もうとししていた。
「試験の内容を発表しよう。」
最後の魔法を教え終わった次の日、魔女はスノウホワイトに向かってこう言った。
「私を殺せる毒を作ってごらん。」
魔女の言葉に、シャーロットが声を上げた。
「そんな、本当に死んでしまったらどうするのですか!?」
「無論、本番で毒を呷るのは私本人じゃない。私と全く同じ分身を作って、そいつに飲ませる。その分身が死んだらスノウホワイトは合格、死ななかったら不合格だ。」
魔女様を殺す毒を作る。ああ、それだけでスノウホワイトの胸ははちきれそうだった。頭が痛い程胸が高鳴っている。
「毒を作る期間は一年間。私も一年かけて完璧な分身を作るから、お前さんも最高の毒を作ってみせるんだ。」
「分かりましたわ。絶対に殺してみせましょう。」
黒い瞳が狂気的なまでに美しく輝いていた。
そして、スノウホワイトは師匠を殺す毒の製作に取り掛かった。時には自分で試してみて、まだ足りない、もっと強い毒をと貪欲に研究し続けた。そんな姉弟子の鬼気迫る様子を見て、シャーロットも負けられないと魔法の鍛錬にいっそう励んだ。
期限の一か月前になっても、スノウホワイトの納得がいく毒は作れなかった。研究室に籠りっぱなしのスノウホワイトを心配したシャーロットが淹れてくれたお茶を飲みながら、真剣な表情で考える。
「どうしたらあの毒林檎のような美しくて強い毒が作れるのかしら。」
「美しくないとだめなの?」
「勿論だわ。美しくないものなんてこの世に存在している価値はないもの。」
「あはは…。」
とはいっても、スノウホワイトはらしくもなく焦っていた。どうしたら殺せる?どうしたら…。
『夢見る力は信じる力だ。現実よりも儚い夢を強く信じる力のことだ。叶えたい理想が目の前の真実を超えたとき、夢は現実となる。』
最初の授業で魔女が言っていたことが、ふと蘇る。
夢、私が思うべき理想は何かしら?強く願うのは、魔女様を殺す毒を作ること…?いいえ、いいえ違うわ。私が見たい未来は――。
試験当日がやってきた。魔女と見た目も声も全く同じ分身が姿を現す。
「準備はいいかい。」
「勿論ですわ。」
シャーロットが固唾を呑んで試験の様子を見守っている。
「これが魔女様を殺すための私の最高傑作。どうぞ、召し上がれ。」
手渡されたのは、真っ赤な林檎だった。見れば全員がそれを手に取って貪りたくなるであろう、美しい果実。しげしげと林檎を眺めていた分身は、シャリ、と音を立てて林檎に齧りついた。
ばたり、と分身が膝から崩れ落ちる。その表情は眠っているように安らかだった。しかし、息はしていない。痛みや苦しみに悶える暇さえなく、眠るように息を引き取っていた。
「…合格だよ。もうこれで私が教えることは何もない。お前さんは正真正銘、立派な一人の魔女になったんだ。」
魔女は満足げに笑った。ぱあっと、シャーロットとスノウホワイトの表情が明るくなる。
「やったね、スノウホワイト!」
「ええ、ええ!ああ、私死んでしまいそう!」
その日の夜は三人でささやかなパーティーが開かれた。豪勢な食卓に、シャーロットが目を輝かせている。
「改めて、おめでとうスノウホワイト。」
乾杯をして、夕食が始まる。美味しそうにローストポークを食べていたシャーロットだったが、少し寂しげな顔をして言った。
「それにしても、スノウホワイトとはお別れかぁ。結局、追いつけないままだったなぁ。」
「あら、今からでも遅くないわ。私いつまでも待ってるもの。」
「…うん、すぐ追いつくから!」
「それじゃあ、今まで以上に厳しくいかないとだね。」
「どんと来い、です!」
夕食を食べ終わると、最後に魔女とシャーロットから贈り物が渡された。
「じゃあ、まずは私から行こうかね。」
魔女から渡されたのは、黒いローブとドレス、それから美しい白銀の杖だった。
「まあ、綺麗…。」
「古い知り合いに作ってもらったんだ。独り立ち祝いってとこさな。大事にするんだよ。」
「ありがとうございます、大切にしますわ。」
「次は私だね。」
手渡されたのは、深紅の宝石がはめこまれたブローチだった。
「もしかして、シャーロットが作ってくれたのかしら?」
「うん。お父さんが細工職人でさ、私もちょっとはできるから…気に入ってくれた?」
「ええ、とても嬉しいわ。」
「ならよかった!」
スノウホワイトは受け取った品物たちを愛おしそうに抱きしめる。しばらくして、彼女は恥ずかしそうに銀の髪飾りと金の耳飾りを一つずつ取り出した。
「お礼、とは言えないかもしれないけれど…。」
どちらも林檎の花をモチーフにしていて、とても美しい。この二つはスノウホワイトがよく身につけていたものだと知っていた魔女たちは、目を見合わせた。
「いいのかい?」
「勿論。受け取ってくれると私も嬉しいですもの。どうか受け取ってくださいな。」
「わあ、すっごく綺麗!私は髪飾りを貰うね!」
「じゃあ、私は耳飾りを貰おうかね。」
その日の夜、シャーロットがスノウホワイトの部屋を訪れた。
「こんな夜更けにどうしたのかしら?珍しいわね。」
「えへへ、最後だからさ。少しお話したくて。いいかな?」
「ええ、勿論。温かいミルクを持ってくるわ。」
ミルクを飲みながらの、しばしの沈黙。落ち着かない様子のシャーロットだったが、不意に口を開いた。
「どうして毒を作れたの?ずっと納得いかないって言ってたのに。」
もしかして、それを聞きに来たのだろうか。確かにスノウホワイトは試験の一週間前まで完璧な毒を作ることができなかった。
「魔女様の初めての授業を思い出したの。叶えたい理想が真実を超えたとき、夢は現実となるって。あなたは覚えているかしら。」
「ああ、夢見る力は信じる力、ってやつ?」
「ええ、そう。私が見たい未来は何かを考えたの。私が見たい未来は「魔女様を殺す毒を作る」ことじゃなくて「魔女様を殺す」ことだったわ。私の本当の願いと私が思っている願いが違っていたから、理想の毒が作れなかったのね。」
「…それもそれでどうかと思うんだけど……。」
ぼそりと言ったシャーロットの言葉は聞こえないふりをした。
「初心に帰った、というべきかしら。私は魔法を使う上で一番大切なことを忘れていたの。あなたも最終試験で苦労したくなかったらちゃんと過去を振り返りなさいな。これは私を超えるためにも必要なことよ。」
「うん、分かった。」
それから、いろんな話をした。あんなことがあった、こんなことがあった。共に過ごした二年半、語り尽くせない程。話しているうちに、いつの間にかシャーロットは眠ってしまった。魔法で浮かせてシャーロットの部屋に運び込む。彼女と一緒に過ごすのも、これで最後だと思うと少し寂しいような気がする。
そうして、次の日がやってきた。独り立ちの時だ。魔女に貰ったドレスとローブを身に纏い、シャーロットから貰ったブローチを胸につけて別れを告げる。
「今までお世話になりましたわ。」
「元気にやりな。」
「また会いに来てね!」
「ええ、きっと。」
出発の間際、魔女がこんなことを口にした。
「独り立ちする時、私たち魔女は師匠から通り名を貰うんだよ。大体あだ名だったり名前からとったりすることが多いんだけれどね。」
ここはシンプルに行こう。そう言って、灰被りの魔女はスノウホワイトの前に跪いた。
「お前さんはこれから白雪の魔女を名乗るといい。お前さんの夢が叶うことを、この家から願っているよ。」
「ありがとうございます、灰被りの魔女様。」
礼を言って、歩き出す。しばらく歩いたところでふと立ち止まり、スノウホワイトは魔女の元へ戻ってきた。
「忘れ物かい?」
「ええ。最後に一つだけわがままを。」
「言ってみな。」
「魔女様の本名を教えていただきたいのです。私が一人前になったら教えて下さる約束だったでしょう?」
「…お前さんもよく覚えてるね、そんなこと。一度しか言わないからね、よくお聞き。」
一陣の風が吹いた。すぐそばにいるシャーロットにも、灰被りの魔女が何と言っているのかは聞き取れなかった。耳と口が触れ合う程の至近距離で聞いているスノウホワイトだけに、本名は伝わった。
「…ええ。これでもう、思い残すことはありませんわ。」
そう言うと、スノウホワイトは。
シンデレラの脇腹にナイフを突き立てた。
「…!?かはっ…。」
ばたり、とシンデレラが崩れ落ちる。その様子を見ていたシャーロットは、指先一つ動かせずにいた。
「お、お師匠様…?」
「…ふふふ、負うた子に殺される気分はいかがかしら?」
「っ…しゃ…っと、にげ……。」
「ああ、喋らない方がよろしいわね。傷に障るわ。」
地に伏せるシンデレラからナイフを引き抜くと、スノウホワイトは恍惚とした笑みでシャーロットの方を向いた。その眼に宿るのは、狂気以外の何でもなかった。逃げろ、逃げろ、逃げろ。頭では分かっているのに、身体が動かない。
「ごめんなさいね、シャーロット。」
微塵もそう思っていなさそうな声色で、スノウホワイトは杖を一つ振るった。視界が、暗転する。意識が遠のいていくのが分かる。
だめ、だめだってば!動いて、私の足!
そう思っても、意識は暗闇の底に沈んでいくだけ。
「…けほっ、かふっ……!」
自分の咳き込む声で目が覚めたシャーロットは、真っ赤な視界に衝撃を受けた。辺り一面火の海だった。シャーロットは縛られて、談話室の中心に転がされている。隣には動かない師匠。
なんで、どうして?魔女は死ににくいはずじゃ…。そう考えて、ふと思い至る。まさか、毒林檎の毒をナイフに…?
「あ、ああ。あああああああああああああああああ!!!」
赤き少女の咆哮が、暗い森の中に響いていた。
魔法の国を超えて、スノウホワイトは祖国である豊穣の国へやって来ていた。懐かしい景色、懐かしい空気。魔法でシンデレラに姿を変えて、王城を眺める。どうやらあの後すぐに、王と王妃は王族に連なる家系の男の子を引き取ったらしい。
この国のことは、今は後回しだ。スノウホワイトの目当ては隣国、花の国。
花の国はその名の通り一年中花が咲く常春の国だ。スノウホワイトが城にいた頃はよい関係を築いていたと言うが、今はどうなっているのだろう。花の国の王子はスノウホワイトの処刑に最後まで反対していたと聞くが…。
王都にあるカフェでコーヒーを飲んでいると、近くの席に座っていた中年男性が新聞を忘れていったのに気が付く。勝手に呼んでみると、ちょうど花の国の記事が載っている面が開いてあった。
――――花の国の王子、またもや婚約が破談に!
我が国の王女スノウホワイト様が処刑されてからはや六年。しかし、花の国の王子はいまだに王女を忘れることができないらしく、婚約が破談になるのは今回で八度目となる。
花の国の国民は王子の結婚を今か今かと待ち望んでいるようだが、王子がスノウホワイト様の幻想を断ち切るためには今しばらく時間がかかりそうだ。――――
その記事のすぐ隣には、王子の面影が残る端正な顔立ちの青年の写真が掲載されていた。愛おしそうにその写真を撫でながら、スノウホワイトは甘い溜息を零した。
いくつか新聞や雑誌を読んでいく中で分かったことだが、今の豊穣の国と花の国はあまり関係が良くないらしい。二国を分ける河川の水量が減っており、どちらがどのくらい水を得るかで喧嘩になっているのだそうだ。
スノウホワイトにとっては、どれもこれも好都合。無意識に上がる口角を何度押さえたか分からない。
花の国にやってきたスノウホワイトは、早速王城の門を叩いた。卑しい老婆の姿で、だ。
「なんだ貴様!下賤な…ここはお前のような者が来る場所ではない!分かったらさっさと帰れ!」
「どうか王子様にお目通り叶いませんでしょうか…。」
「帰れ!さもなくばその首へし折ってやる!」
当たり前だが、締め出されてしまう。さて、ここからだ。
その日の夜は綺麗な満月だった。銀色の月が照らす夜空の中を、王子の寝室がある城の塔まで箒で飛んでいく。王子は丁度テラスで本を読んでいるところだった。近寄って声をかける。
「何を読んでいらっしゃるのですか?」
「誰だ!?な、ま、魔女!誰か、んん!」
箒で空を飛んでいるスノウホワイトを見て驚いている王子をよそ目に、テラスに降り立つ。王子が大声を上げて衛兵を呼ぼうとしている。その直前に彼の唇に指を当てて、微笑んでみせる。少し寂しげに、悲しげに。
「私のこと、覚えていらっしゃいませんか?」
「お前のようなものなど知らん!」
「酷いですわ。婚約を誓い合った仲だというのに…。」
「うるさい、僕が婚約を誓ったのはスノウホワイト様ただ一人だ!」
「しぃ。」
唇が触れあいそうなほど顔を至近距離に近づけて、スノウホワイトは王子を見つめた。息を呑む美しさに、王子がぴたりと動きを止める。
「私の目をよく見てくださいな。」
黒い瞳と目が合って、彼は震える声で呟いた。
「…ま、さか。貴女は……。」
「私のこと、思い出していただけましたか?」
「なんということだ、忘れていたなんて。ああ、スノウホワイト様…!」
二人はきつく抱きしめあった。幼い頃に結婚を誓い合った者同士が果たした、感動の再会。少なくとも王子の目にはそう映っただろう。
「ご無事でよかった…!」
「今まで会えなくてごめんなさい。私、私…。」
はらはらと涙を流すスノウホワイトを、王子はより一層強く抱きしめた。
「どうか泣かないで。貴女のお話を聞かせてください。」
「ええ、話しましょう。私に何があったのかを、全て。」
美しい漆黒の瞳に涙を浮かべながら、スノウホワイトは真剣な眼差しで王子を見た。用意された椅子に座り、彼女は話しはじめた。
「私は、実の両親に謀られたのです。」
「謀られた?それは一体…。」
「弟が生まれ私のことが邪魔になった両親は、私を殺そうと計画しました。王子を殺したと嘘の事件をでっち上げたのです。」
「弟君を殺したのが嘘?では、殺された弟君はどこに…。」
「私がいなくなってすぐに、両親は男の子を引き取ったでしょう?その子が私の実の弟なのです。私がいなくなってから、城の警備は厳しくなり王族の者が国民に姿を現すことも少なくなりました。違う人間と偽って第一王子を育てることもできるはずでしょう。」
あまりにも現実離れした話に、王子は目を回し始めた。これは現実ではないのだから、無理もない。
「し、しかし。どうして君は生きているんだ?あの時処刑されたはずじゃ…。」
「幼い私が殺されることを不憫に思った人たちによって、私は助け出されました。あの時殺されたのは身代わりの少女です。その後、私はとある鉱山に匿われることになりました。ですが…。」
スノウホワイトはまたぽろぽろと涙を流し始めた。
「鉱山にいた小人たちは、私に、その…。奉仕を強要してきて……。」
「そんな…。辛かったね。」
二人は再度抱きしめあいながら、話を続けた。
「そこから、とある魔女が助け出してくれたのです。魔女は私に色々な魔法を教えてくれました。しかし、私の美しさに嫉妬した魔女は私にある呪いをかけてきたのです。」
「呪い?」
「醜い老婆のような見た目になってしまう呪いです。満月の夜だけはその呪いが解けるので、こうして会いに参りました。」
「どうすれば、君の呪いを解いてあげられる?」
「老婆の姿でいる時に、キスをしていただきたいのです。真実の愛のキスを…。今朝も門を叩いたのですが、兵士たちに追い出されてしまいました。」
「君の呪いを解いてみせると約束するよ。明日、朝九時の鐘が鳴った時に門を叩いて兵士たちにこう言うんだ。「花を一輪、お届けに参りました」と。君の姿が元に戻ったら、婚約しよう。」
「本当ですか?嬉しい、嬉しいですわ。」
にっこりと微笑みながら、スノウホワイトは一筋の涙を流した。
「けれど、どうか私がスノウホワイトであるということは内密にしていただけないでしょうか。両親に知られたら殺されてしまうかもしれない…。」
「分かった。では、人前ではブランと名乗るといいよ。」
「私を好きでいてくださって、ありがとう。殿下。」
そうして、二人は惜しみつつ別れを告げた。翌日の再会を誓って。
明朝、九時の鐘が鳴ると同時に花を一輪持って城門へと向かう。
「お前は昨日の!また来たのか、さっさと帰れ。」
「花を一輪、お届けに参りました。」
「花など知らんわ!殺されたくなければ…。」
昨日と同じ大柄な兵士がスノウホワイトを蹴り飛ばそうとする。後ろにいた兵士がそれを止めてくれたおかげでなんとか蹴られずに済んだ。
「お、おい。この婆さんって殿下が言ってた人じゃないのか?」
「はっ、まさか!こんな汚い婆さんなわけないだろ!」
「でも、昨日も来て今日もこんな時間ピッタリに来るなんて…。それに、他に婆さんなんて見当たらないぞ。」
「連れて行くならお前が行けよ。間違った婆さん連れてって怒られるのなんてゴメンだね。」
というわけで、別の兵士に連れられて王子の元へと連れて行かれた。
「王子様、お話しされていた方をお連れしました。」
「本当か!」
「ああ、殿下。お会いしとうございました。」
スノウホワイトが近づくと、王子はあからさまに顔を引き攣らせた。まあ、無理もない。今の私はただの卑しく醜い老婆にしか過ぎない。
さあ、あなたの愛を本物かどうか示してくださいな。
「う、うん。少し二人だけにしてくれないか?」
「承知いたしました。」
王子とスノウホワイトの二人きりになる。王子は老婆の姿になったスノウホワイトの手を握り、覚悟を決めたようにキスをした。それと同時に、スノウホワイトの身体が淡い光を帯び始める。光が収まった時には、元の美しい少女が姿を現していた。
「ありがとうございます、殿下。あなたこそ私を真の意味で愛してくださっているお方。」
「ああ、ス…ブラン。愛しているよ。」
こうして、作られた感動と偽りの涙によって花の国の王子はスノウホワイトと結婚することになった。彼女が本当に王子を愛していたのか、それとも夢のために利用しただけだったのかは分からない。
花の国ではぽっと出のどこの馬の骨ともわからない、それも年上の小娘との結婚を決めた王子を批判する声で溢れた。しかし、スノウホワイトの顔を知った国民たちは手のひらを返したように結婚を認めるようになった。老婆の姿に変えられていたエピソードが新聞に載ってからは、二人の結婚を批判する人たちはいなくなった。
スノウホワイトはブランとして生きるために、自分がスノウホワイトだとはバレないように魔法をかけていた。そのおかげで、結婚式の写真を見た豊穣の国の王たちも彼女がスノウホワイトだとは気が付かなかった。
結婚してから三年後には花の国の王が死に、スノウホワイトは花の国の王妃となった。スノウホワイトは魔女としての力を発揮し、兵士の怪我を治したり貧しい子供にご飯を与えたりして国民からの好感度を上げ続け、着々と王妃としての地位を確立した。
また、政治にも積極的に参加し、財政難に陥っていた花の国を立て直すなどの偉業を積み重ねていった。
そして、歯車は動き出す。
スノウホワイトは花の国のとある貴族を暗殺した。豊穣の国に攻め入る理由を作るためだ。実はこの頃二つの国を分ける恵みの川の所有権を巡って、花の国と豊穣の国は冷戦状態にあった。今回暗殺した貴族は恵みの川沿いに領地を持っており、この国の防衛を任される立場の人間でもあった。
国王や外務大臣が参加する緊急会議で、スノウホワイトは声を上げた。
「これは豊穣の国から私たちに対する宣戦布告ですわ。」
「しかし、豊穣の国がやったという証拠がありません。証拠なしに戦争を始めるのはあまりにも…。」
「では、証拠があればよいのですね。」
翌週、花の国の外務大臣が死んだ。恵みの川問題についての全権を委ねられていた人物だった。自宅の執務室で首を掻き切られているところを発見されていた。部屋からは豊穣の国の軍人が付けるカフスボタンが見つかっており、これが証拠となって花の国は本格的に豊穣の国へと攻め込むこととなった。
スノウホワイトは豊穣の国の王都を包囲させ、王城中に自らが作り出した睡眠作用のある煙を焚いた。
「ブラン様、危険です!お一人で行かれるなんて…。」
「あら、私あなた達の誰よりも強いわ。」
そう言って、一人。煙に満ちた城の中に消えて行った。
豊穣の国のお城、久しぶりに歩くわ。ああ、ここでよく遊んだ、ここで転んだこともあった。玉座に行くまでの道のりの中で、沢山の思い出が蘇る。倒れ込んだ兵士たちを避けながら、ようやく玉座に辿り着く。玉座には王と王妃、そしてスノウホワイトがいなくなった後に引き取られた少年が重なり合って倒れていた。
杖を一振りすると、玉座から煙が消える。まず最初に起きたのは王妃だった。
「あ、貴女は花の国の…。」
「久しぶりね、お母様。」
「お母様?何を言っているの?」
王妃の顔に強い困惑の色が浮かぶ。そう言えば、正体を隠す魔法をかけていたんだったか。パチン、と指を鳴らして魔法を解く。すると、王妃は目を丸くして言葉を失った。
「…………ああ、スノウホワイト……、貴女なのね…。」
「六年ぶりかしら、お元気そうで安心したわ。お母様。」
「どうして、こんなことを…。」
「これも私の夢の為。ですからお母様。」
彼女は真っ赤な林檎を一つ、差し出して笑った。
「私に殺されるのと、自ら死ぬのだったらどちらがよろしくて?お好きな方をお選びになって頂戴な。」
「…貴女は、魔女よ……。」
「あら、最上級の褒め言葉ね。」
赤い果実をひったくって、悔しげに、悲しげに王妃はこの世を去った。
「…お母様?」
次に目を覚ましたのは少年だった。少年はこと切れた母を見て泣きじゃくる。
「あなたにはまだ生きていてもらわなくちゃね。だから、少しの間おやすみ。」
少年の額に指を当てると、少年は再度深い眠りに落ちる。
最後に起きたのが王だった。こと切れた妻、この場所にいるはずのない実の娘、その腕の中で眠る息子。
「これは、一体…?」
「お父様の生はここで終わりということです。」
「何を言って」
スノウホワイトがコンっと杖で床を叩くと、王の首が飛ぶ。これでこの国は私たちのものだ。
王家に連なるものを殺す。そんなやり方で国を乗っ取ったものだから、勿論反発が起きる。しかし、スノウホワイトの魔法によって第一王子だと認識された少年の存在と、スノウホワイトの生存、嘘の告発によって同情を得、スノウホワイトたちの王権に賛同するものが増えた。
それでも逆らうものは、皆不可解な死を遂げた。老若男女問わずだ。
そして、スノウホワイトと王の間には一人の女の子が生まれた。スノウホワイトは娘にも同じ名前を付けた。「白雪姫」と。
白雪姫は可愛らしい赤子だった。自らと同じ名を冠する、愛おしい我が子をスノウホワイトなりに愛していた、と思う。
産後だというのに今まで通りに公務を続けるスノウホワイト。最近の彼女には一つ悩みがあった。夫である王の様子がおかしいのだ。スノウホワイトのおかげで安定している国や支持率だというのに、それを自分の功績であるかのように振る舞っている。使用人や兵士たちへの態度も厳しくなり、気に入らない使用人は手酷い折檻の末に道端に捨て置く始末。最近では密かに作った闘技場で物乞い達に殺し合いをさせることに嵌っているらしい。
「はあ…。」
「気を落とされないでください、お妃様。」
揺り籠の中で安らかな眠りにつく白雪姫の頭を撫でながら、スノウホワイトはため息を吐いた。昔の優しい彼はいったいどこにいってしまったのかしら。それに、彼はスノウホワイトに仕える下働きの娘を寵姫にしようと考えているらしかった。それを知っているその娘は、スノウホワイトを見下したような態度で接してくる。私の方が愛されているのよ、貴女はもう女としての価値を失ったの。そう言いたげな可愛らしい瞳は、愛らしく憎らしい。
大切な手鏡に手を伸ばす。そこには、まだ美しい女の顔が映っていた。正直に言えば、見た目なんて魔法でどうにでもなる。けれど彼には本当の自分を愛していてほしかったんだもの。でも、そうね。彼がその気なら、私も覚悟を決めなくては。
「鏡よ鏡。世界で最も美しいのは、誰かしら。」
他の者には聞こえない手鏡の答えに、スノウホワイトは満足げに微笑んだ。
「ええ、そう。そうね。」
彼女は、いまだ夢見心地。
スノウホワイトは、森の奥に一つの小屋を持っていた。夜更けに訪れては、新たな魔法や薬の開発に勤しんでいた。
ある日、大きな荷物を抱えてやってきたスノウホワイトは、まず荷物の中身を取り出した。大きな肉塊。それを解体して一口サイズにして、鍋に放り込む。様々な薬やら毒草やらを投げ入れていく。ぐつぐつと煮込まれる新たな毒。そこに、杖を一振り。スプーンで一口掬って食べてみる。ええ、思っている以上に美味しくできたわ。
城に帰って、出来上がったスープを給仕長に渡す。玉座に戻ってきたスノウホワイトは王に甘い声をかけた。
「ねえ、あなた。今夜は二人きりで晩餐会を開きませんこと?」
「…ん、ああ、いいな。久しぶりだ。」
心ここにあらず、といった風に王は答えた。大方、今日はどんな難癖をつけて使用人を解雇しようかと考えているのだろう。
食堂に料理を用意させて、人払いをする。正真正銘、二人きりだ。
「それでは、乾杯。」
「ああ、乾杯。」
杯を交わして、晩餐会が始まる。用意された食べ物はどれも最高級品。この日の二人の為だけにあつらえた特別なディナーだ。
「このスープ、おいしいな。何の肉なんだろう?」
「あなたが最も好きな肉を用意したの。気に入ってもらえたかしら?」
「鯨の肉か!良く手に入ったね。…うん、今まで食べた中で一番おいしいよ。」
おかわりまでして、王はスープを美味しそうに頬張った。それを満足げに見つめるスノウホワイトの瞳の奥には、一体何が浮かんでいるのだろう。全ての料理を食べ終わった頃、王の視界はだんだんとぼやけはじめた。酒にでも酔ったのだろうと思った王は、早めに自室に引き上げることにした。立ち上がると、足元がふらつく。随分と悪酔いしてしまったみたいだ。
「少し、酔いが回ってきたみたいだ。僕はもう自室に帰るよ。」
「あら、残念ですわ。口直しのデザートを用意していたのに…。」
残念そうに目を伏せるスノウホワイトは、昔と変わらず美しかった。折角久しぶりの晩餐会だし、デザートも食べていこうか。そう思い直した王は椅子に座る。スノウホワイトが王の前に持ってきたのは、人の、とある使用人の生首だった。寵姫にしたいと願う程に執心した少女の生首を見て、王はぼんやりと笑った。
「ああ、おいしそうだね。」
「あなたのために特別に用意したものですわ。さあ、召し上がれ。」
頭を切り開き、頭蓋骨を砕いて脳を食らう。その味は甘く、この世のものとは思えない程だった。
スノウホワイトは身震いしながら、デザートを食べ終えた王を抱きしめる。
「おやすみなさい、私の愛しい人。なんて哀れで、なんて可愛らしいの。」
王はもはや言葉を発することもできずにいた。スノウホワイトはうっそりとした笑みを浮かべて、王の唇にキスを落とす。
翌日、王が失踪したという報せが瞬く間に国中に広がった。王妃との晩餐会の後、自室に帰ると言って食堂を抜けだした直後から姿が見えないというのだ。城中を、国中を探した。しかし、どんなに国民とスノウホワイトが手を尽くしても王が見つかることはなかった。
その後、スノウホワイトは女王として即位した。幼い白雪姫を抱えながらの即位式は、国民たちの胸を打った。強く美しい母であり、王。新しい王の誕生に国中が歓喜した。そんな国民たちを見て、スノウホワイトは咲っていた。
スノウホワイトが王になってから、五年が経った。この五年間の間に、スノウホワイトはいくつかの国を攻め滅ぼした。領地を拡大していき、逆らうものは皆殺していった。それでも国民はスノウホワイトのことを愛していた。彼女が夫を亡くしてからの苦悩を、国民たちは分かっているつもりだったからだ。
「愛い子ね。あなたが一番価値のあるものだわ。」
白雪姫が眠りにつくとき、スノウホワイトはいつもそう言ってキスを落とした。白雪姫は母のことを心の底から愛していた。
白雪姫は、母が作った空中庭園が好きだった。暇さえあれば空中庭園で花や蝶、鳥と戯れて過ごしていた。その日もいつもと同じように、空中庭園で花冠を作って遊んでいた。
「何しているの?」
「あら、どなた?」
鮮血のフードを被った、緑の瞳の美しい少女。彼女はしゃがみ込んで、白雪姫と目線を合わせた。顔の右半分は醜く焼け爛れている。
「まあ!ケガをしていらっしゃるのね!だいじょうぶ?」
「…あなたは優しいね。私は赤ずきん。あなたは?」
「あたしはスノウホワイトよ。おかあさまとおなじなまえなの!」
嬉しそうに語る白雪姫。少し辛そうな顔をしながら、赤ずきんは白雪姫を抱き上げる。白雪姫は突然の浮遊感に歓声を上げた。
「ごめんね。」
そのセリフと共に、赤ずきんは空に消えて行った。
白雪姫が城内から姿を消したことは、すぐにスノウホワイトに知らされた。内心はそこまで驚きもしなかった彼女であるが、悲しみに暮れている素振りを偽った。
一度ならず二度までも場内から大切な人が姿を消した。その辛さは計り知れないものだろうと、国民たちは総力を挙げて白雪姫の捜索に打ち出した。しかし、白雪姫は見つからない。一体彼女はどこに消えてしまったのだろうか。
赤ずきんは迷っていた。復讐のためとはいえ、何の罪もない幼子を殺すことは、あまりにも残酷ではないのか。それは己の快楽のために師匠を殺したあの女と何ら変わりないのではないか。
迷った末に、赤ずきんは白雪姫を生かしておくことに決めた。豊穣の国に属していた鉱山の近くにある小さな家。今はだれも住んでいないその家で、赤ずきんと白雪姫の奇妙な同居が始まった。
赤ずきんはあまり家にいなかったけれど、白雪姫はこの家が好きだった。お城にいた時とは違って、夜眠る時も一人じゃないから怖くない。赤ずきんも優しいし、近くには川や花畑があって退屈はしなかった。
赤ずきんは幼い白雪姫に家事の方法を教え、家にいる間掃除や洗濯をするように指示した。最初は慣れない作業に苦戦していた白雪姫だったが、一年も経つ頃には難なく仕事をこなせるようになっていた。
そんな白雪姫を見て、赤ずきんは心を痛めていた。この優しい子から、私は母親を奪わなくてはいけない。いいえ、迷ってはダメよシャーロット。業火に焼かれたあの日、この世のすべての悪を消し去ると誓ったのだから。
赤ずきんはスノウホワイトが統べている領地に燻る反乱分子たちを集めて革命を起こそうとしていた。スノウホワイトによって恐怖を植え付けられた人々の心を動かすのは容易なことではなかったが、赤ずきんは諦めなかった。
「このまま虐げられ、自分の国を奪われたままでいいのですか!あの女は必ず、私たちを破滅させる!」
必死の説得に突き動かされ、今や革命軍の人数は人口の三割にまでのぼっていた。
最後にスノウホワイトと戦い、首を獲るのは赤ずきんの仕事だ。師匠が使っていた杖と、故郷の猟師から受け継いだ猟銃を握りしめて、赤ずきんは誓った。必ずやあの女を殺して復讐を果たすと。
「赤ずきん様、こわいお顔をしないで。折角美しいお顔なのに。」
「火傷で醜いでしょ。」
「そんなことないわ、あたしは赤ずきん様のお顔が大好きよ。」
白雪姫と接していると、胸が痛む。しかし同時に、彼女を守りたいという決意も漲ってくる。白雪姫は私が母親を殺したと知ったらどんな反応をするのだろうか。彼女に嫌われたくはないな。
革命前夜、いつも通り白雪姫を寝かしつけて呆然と星空を眺める。いよいよ明日、決着だ。
次の日、いつも通りに家を出た赤ずきんは、近くの村で革命軍と合流する。行先は花の国の王城だ。
王都を包囲し、王城に紛れ込んでいる革命軍のスパイと合流する。とうとう自室までスノウホワイトを追い詰めて、最終決戦の時がやってくる。
「本当に一人で行かれるおつもりですか?」
「うん。これは私の仕事だから。二人きりで話したいこともあるしね。」
「リーダーが言うなら止めないですけど…。」
他のメンバーと別れて、赤ずきんはスノウホワイトの部屋の扉を開けた。彼女は扉に背を向け、火が放たれた王城をベランダから眺めている。今なら、殺せる。
「待っていたわ、シャーロット。」
銃を構えて引き金に指をかけた瞬間、スノウホワイトはこちらを振り返った。
「私の娘は元気かしら。」
「…お前、どこまで知ってる。」
「何もかもよ。貴方が生きていたことも、スノウホワイトの居場所も、計画もすべてね。」
「じゃあどうして逃げ出さなかったの。」
カツンカツンとヒールを鳴らしながら、スノウホワイトは歩み寄る。
「あなたとお話がしたかったのよ。どうしてスノウホワイトを殺さなかったの?あなたなら殺してしまうと思っていたのに。」
「それは…。」
「情が湧いた?私と違って純粋で、愚かで可愛らしいでしょう?」
チッと舌打ちをして、シャーロットはスノウホワイトを睨んだ。
「…ええ、そうよ。それに、お前と一緒になるわけにはいかないから。自分の私利私欲のために他人を害すようなやつにはなりたくない。」
「ふふ、そうやって冷静に物事を考えられるところ、嫌いじゃないわ。」
「何故お師匠様を殺した!どうして私たちを裏切った!」
叫ぶシャーロットに、スノウホワイトは微笑んだ。
「大切なものを失った時、どう感じるかしら?」
唐突な問いにシャーロットは困惑する。しかし、怯むわけにはいかない。できるだけ気丈に答える。
「…悲しいし、守れなかったことが悔しい。」
「ええ、そう。普通はそうでしょうね。じゃあ、自分で壊した時はどう感じるかしら。」
「何が言いたいの。」
眉根を寄せて、赤ずきんは苛立ちを抑えていた。猟銃を構えなおす。こいつのペースに乗せられるな。
「大事なものを自分で壊した時って、とても悲しくて…身震いするほど気持ちいいの。絶頂、というと分かりやすいかしら。大切で大切で仕方なくて、絶対に失いたくないものを自分の手で壊すとき…はしたないけれどね、ああ、私。堪らなく興奮するのよ。」
「な…。」
「あなたには分からないと思うわ。分かりたくもないでしょうし。だから…。」
スノウホワイトは美しい林檎を一つ取り出した。
「自分という一番大切なものを失う時って、どれほど幸せなのかしらって。生まれてから今まで、この瞬間を心待ちにしていたの。」
「おい、やめろ!」
こいつ、自ら命を絶つつもりだ。させない、そう思って引き金を引こうとする赤ずきんだったが、身体が動かない。スノウホワイトの魔法で体を固定させられてしまったようだ。必死にもがいて、なんとか指を動かそうとする。
「やだ、やめろ。お願いやめて!」
「お先に失礼するわね。さようなら、シャーロット。」
殺せなかった。今日この日のために準備してきたのに、あいつは自ら死を選んだ。革命軍のメンバーは私が持ってきたスノウホワイトの首を見て歓声を上げていた。勿論、革命は成功した。けれど…。
シャーロットは心ここにあらず、といった感じで家の扉を開く。
「ただいま。」
普段なら返ってくるはずの「おかえり」の声が聞こえない。昼寝でもしているのかと思い、顔を上げると。
目に飛び込んできたのは倒れ込んでいる白雪姫だった。目を見開き、硬直する。
「白雪…?」
側には、齧られた後のある真っ赤な林檎。まさか、まさかまさか!駆け寄ろうと足を踏み出したところで、背中にどんと衝撃が来る。最初に感じたのは痛みではなく、熱だった。次第に苦しさと共に痛みがやって来て、その場に膝をつく。
「かは…っ。」
後ろを見ると、そこに立っていたのは殺したはずのスノウホワイトだった。静かに微笑んで、シャーロットの脇腹に刺さったナイフを引き抜く。
「久しぶりね、シャーロット。あなたはさっきぶりかしら。」
「お…まえ……なん、で。」
地に伏すシャーロットの前にしゃがみ込んだスノウホワイトはにこやかに笑った。
「シンデレラ様が作っていた分身、覚えているかしら。革命の日に間に合ってよかったわ。」
「う…そだ。」
「ああ、今日はなんて悲しい日なのかしら。妹弟子と娘を同時に失うなんて。…でもいいわね、すごくいい。」
恍惚とした笑みを浮かべて、スノウホワイトは呟く。
「っ…異常、者。おまえは、くるっ、て…る。」
「ええ、そうね。私、きっと狂っているんだわ。」
動けないシャーロットを抱きしめて、スノウホワイトは妹弟子が息絶えるまでじっとその様子を眺めていた。やがて最後の吐息が口から漏れ出ると、絶望を宿した瞳からは光が消えた。そんなシャーロットに口づけをする。
二人の遺体を夫と同じところに置いて、彼女は王城へ向かった。死んだはずの女王が生きていると言うので、革命軍は大混乱だ。国民の三割にあたる革命軍を皆殺しにして回って、女王はもう一度国のトップに君臨した。
長い年月がたっても、スノウホワイトは国の頂点に居続けた。それどころかまわりの国々を攻め滅ぼし、ついに女王の支配から逃れているのはフェイロンの魔女たちだけになってしまった。
フェイロンの魔女たちはスノウホワイトに対抗しようと戦いを挑んだが、どんな魔女もスノウホワイトに勝つことはできなかった。そして、最後の魔女の前に立って、スノウホワイトは笑う。
「それが、語り部の魔女。フェイロンの長であり、この世界で最も長く生きているお方。」
「…。」
私は持っていた本を閉じて、目の前に佇む血塗れの魔女を見た。先ほども新たな魔女を屠ってきたのだろう。
「世界の全てを知りたいと願い、この世界のあらゆるモノを超越した上位存在。世界の全てを見通す者。あなたが持っている本には、この世界の誕生から今までの出来事が全て記載されている。…そうですわね?」
「…貴女の夢はあまりにも破滅的すぎる。けれど、私は語り部。語ることしかできません。」
「ええ、そうね。だからあなたは受け入れるのでしょう?己の終わりであっても。」
「物語には必ず終わりがあります。それが私にも訪れたというのなら、私はそれを受け入れましょう。」
ぐしゃり。音がして、私の首からは大量の血が溢れだす。
「あ…っうう……。」
「さようなら、すべてを見ていた人。」
「…あら、語り部様が死んでも物語は終わらないのね。」
「ふふ、シンデレラ様とシャーロットのページもあるわ。今度読んでみましょう。」
「…そうだわ。物語といえば、ハッピーエンドで終わらないとね。」
「こうして、スノウホワイトは世界の全てを手に入れました。自らの夢を叶えたのです。」
「そして、手に入れたものを、今度は自分の手で壊しはじめました。現実をぐちゃぐちゃに書き換えて、自分以外の全てを消してしまったのです。」
「そうして最後に、世界にはスノウホワイトだけが残りました。」
「スノウホワイトは己を失う快感に身悶えながら、幸せに死んでいきましたとさ。」
「めでたし、めでたし。」