02.地獄の日々
この世界は二つの大きな人種で構成されている。
それは人族と魔族。
太古の時代から争いの絶えない両族は長い歴史を辿り、不毛な争いを続けていた。
だが、その長きにわたる争いももう幕を閉じつつあった。
そのきっかけとなったのが勇者召喚である。
500年前、この世界に初めて勇者という存在が降誕した。
勇者はその奇跡的ともいえる圧倒的な力で魔族を蹂躙し、次々と魔族領の主要人物たちを殺していった。
そのおかげで今やこの世界の領土の8割方は人類側の手にあり、成す術を持たない魔族領自体が消滅するのも時間の問題となった。
そして今日、また新たな勇者が召喚された。
魔族領に住むものを還付なきまでに叩きのめすために。
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「ぐはっ!!」
「おい、もう終わりか? まだ躾は終わってねぇぞ。さっさと立ちやがれ」
胸倉を掴まれ、僕は強制的に立たせられる。
もう体力も気力も残っていないというのに。
「おい、リク。それ以上やると彼が死んでしまうよ」
「そーだよ。もし殺しちゃったら流石に国王様に怒られるって」
訓練場の脇で観察している他の勇者たちが野次を入れてくる。
僕は今、彼らから躾を受けていた。
その実態は、躾という名の一歩的な憂さ晴らしだけど。
「別にいいだろうが。国王からもご自由にお使いくださいって言われてるだろ」
「そんなラーメン屋のカウンターテーブルに置いてあるトッピングじゃないんだから」
「なにその例え。マジウケる」
やめてやれとそういう割には他の勇者たちの表情は笑っていた。
本気で止めるつもりはないのは一目瞭然だ。
「外野は黙ってろ。おい、続きだ」
「……はい」
僕はこの後、数時間に渡って一方的に殴られ続けた。
リクが満足した頃には僕はもう自力で動くことが出来ないくらいになっていた。
「ふぅ、ようやく鬱憤が収まったぜ。おい役立たず、今日までにコレを磨いておけよ。ちょっとでも汚れがあったらまた躾だからな!」
そう言って自分の聖具を地面に投げ捨てた。
彼らの持つ聖具も僕が管理しているのだ。
「う……うぅぅ……」
「返事は?」
「は……い……」
地面に伏しながら、何とか声を出す。
リクはそんな僕を見下しながら舌打ちすると、訓練場から消えていった。
「く、うぅ……」
力が出ない。
もうこんな日々を続けて二週間になる。
毎日朝から晩までこき使われ、気に入らなければこうして暴力解決。
それ以外にもリク・シンドウのように個人的な鬱憤でも俺が駆り出され、一方的に痛めつけられる。
にも関わらず、僕からは一切の反撃は出来ない。
勇者という神聖な存在に反撃なんてした日にはそのまま処刑ものだ。
有無を言わさず罪人扱いになる。
「おか……しい。なんで……こんな……」
護衛とは名ばかりの理不尽な毎日。
もちろん、周りの人間も僕がどんな目に遭っているか分かっている人もいる。
でも見て見ぬふりだ。
関わりたくないのかみんな僕から目線をそらす。
ただ、一人を除いては……
「デル……タっ!」
噂をすれば、僕の方に駆け寄る人影が。
意識が朦朧としているため、途切れ途切れに僕の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
多分ティアナだ。
「またこんなに……すぐに直すわ!」
そういって声の主は回復魔法を施す。
身体の内側から暖かな温もりが全身に駆け巡る。
同時に少しずつ失いかけていた意識が元に戻っていく。
「ごめん……ごめんね。いつも来るのが遅くなって……」
涙ぐみながらフィアナはそう言った。
「大丈夫。フィアナは忙しいんだから、仕方ないよ」
僕はそんなフィアナを優しく宥めた。
「それに、フィアナがいなかったから今頃死んでただろうし」
フィアナはいつも仕事が終わると、僕の様子を見に来てくれていた。
ただでさえ、激務で疲れているだろうにいつも僕のことを気にかけてくれた。
こうして死にかけていても必ず飛んできてくれて僕を癒してくれる。
情けない限りだが、それが僕の命を繋いでいた。
「こんなのおかしいよ! いくら勇者様だからって物事には限度があるわ!」
「気持ちは分かる。でも、逆らえば終わりなんだ。勇者様たちは人間じゃない……神に等しい存在なんだから」
「……」
この世界は狂っている。
初めは僕も疑いを持たずに人生を過ごしてきた。
勇者という存在は神聖なものだと。
でもこうして勇者という存在に触れてみて、その考えは変わりつつある。
あんな狂人たちが神に等しい存在?
そんな冒涜もいいところだ。
でも世の中の摂理には、どう足掻いても逆らえない。
それ以前に、逆らうだけの力すらない。
あんな狂人でも、中身は常軌を逸脱する力を持ったバケモノだ。
過度に刺激すれば、処刑される前に殺されてしまう。
「もう大丈夫」
「本当に大丈夫? 痛いところはない?」
「まだ少し痛むところはあるけど、後は自然治癒で何とかなると思う。いつも思うけど、流石はフィアナだ。こんな短時間であのケガを直しちゃうんなんて」
「べ、別に大したことじゃないわ! それよりもこれからどうするの? やっぱり護衛の任務から外してもらった方が……」
「それは無理そうだ。一応もう上と掛け合ってみたけど、ダメだった」
「な、なんで……」
「変わりがいないんだとさ」
まぁ十中八九、誰もやりたくないからだろう。
初めは何故僕が護衛役に指名されたのか分からなかったが、その意図がようやく分かってきた。
宮廷魔術師の中でも親族がおらず、スラム出身の異端者ということもあって僕が最適任だったのだろう。
万が一のことがあっても、大事にならないように。
そりゃ他の人間にあんな狂人たちの世話をして、死んでしまったら国からしたら面倒なことになるだろうしな。
「要するに僕は国にとって都合の良い人間だったわけだ」
「酷い……なんでデルタだけそんな……」
差別なんて今に始まったことじゃない。
宮廷魔術師になる前も色々あったものだ。
「ごめんね。苦労をかけさせて」
「苦労なんて……私はやりたくてやっているんだから!」
フィアナは真剣な眼を向けてくる。
その姿を見るだけで、不思議と生きる活力が湧いてくる。
彼女のその優しさが身体全体に染み渡る。
ホント、フィアナには敵わない。
「でもこのままには出来ないよ。私も色々と手段を探してみるから!」
「ありがとう。でも無理はしないで。フィアナには騎士団長としての役目があるんだから」
「無理はしないわ。デルタも何かあったらすぐに私に言いなさい」
「うん、分かったよ」
そんな会話をした後、僕たちはしばらく訓練場で一緒に夜空を見上げていた。
今日は快晴日だったからか、空に輝く星たちは一段と綺麗に輝いていた。