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どんどん設定を深くしていくことかもしれないので、登場人物、限りなく少なく。
僕の高校生活は、思っていた以上によろしくない始まり方をしてしまった。もともと、そんな華やかなものを求めていたわけではないが、入学式が終わるや否や一人きりで下校してしまったのはさすがに良くなかったと今になっては思う。
というのも、僕が帰宅してから我がクラスで催された「親睦を深めようの会」とやらによって、この1年B組の「僕」を除いたほぼ全員の親睦はしっかりと深まったらしいのだ。なんでもうちのクラスはいわゆる「陽キャ」などと呼ばれる、何かにつけて馬鹿騒ぎをするくせに団結力だけは高く、おまけに女子にもモテるとかいう能力さえ持ち合わせた別世界の存在が複数人所属しているらしく、その影響によって学年一の陽キャクラスとなってしまっているようだ。陽キャの力とはすごいもので、その会とやらに参加した人たちは、僕のようにあまり表立って生きることをしない人間さえも快く接し、一日にしてこのクラスの仲をかなり深めるに至ったという。
今となっては、僕が頼みの綱としていた同じく影に生きる人間らも、何人かのグループ内で自分の生きやすい場所を見つけてしまい、僕の能力では、到底その輪の中に入ることは不可能になってしまった。そんなクラスでの僕の生活は正直言ってかなり生き辛いものだ。そんな高校生活、これから三年間。退屈なんてもんじゃないだろうな、と諦めに近い覚悟を決めていた。しかし現在、僕に大きな転機が、それと同時に強いストレスが、のしかかってきている。
というのは、昨日のことである。
放課後に男女20人ほどでカラオケに行くってことで話が進んでいた。まだ隣の席の男と話すことすら出来ていない僕に、大人数の前で歌を披露する能力などは到底ないので、もちろん行く気はなかった。そもそも誘われるとも思っていなかった。なんて言ったって友達どころか、知り合いという域に達している相手すらいないのだ。淡い期待なんて持てるはずもないし、そもそも誘われることは期待することなんかじゃない。早足に教室を出ようとした僕だったが、右腕に違和感を覚え、ふりかえった。
長く、ストレートで顔が映りそうなほどに綺麗な髪に、目を奪われるほど美しい顔立ち、僕の語彙力では説明できないほどに美形なその少女が、僕の制服の袖口をやさしく二本の指でつまんでいた。華奢な体、短く折られたスカート。遠目に観ればまるで一輪の花のようにも見えるだろう。あどけない彼女の表情から、目が、離せなくなりかけていた。
「藤原君はカラオケとか、いかないのー?」
高く、透き通るように奇麗な声で、彼女はそう問いかけてくる。僕はドキッとした。別に特別な理由があるからではない。だが、女子に話しかけられるという僕の人生にまだあまり前例がないシチュエーションは僕のことを大きく動揺させたのだ。
「あ…今日はいかないです…」
もちろんそんな集団の中での生活で浮くことなく過ごせる自信がない僕は断る以外の選択肢を持たない。できるだけ普通に見えるように、相手に動揺を見せないように。そう強く意識した結果、かろうじて絞り出すことができた言葉は、それだけだった。少し悔しい。それどころか、この誘いが、こんな影の薄い僕への義理や憐れみの感情も孕んでのものだとだと考えるとなんだか情けない気持ちにもなってしまう。
しかしちらっと彼女の顔を見てみると、予想に反し僕が誘いを断ったことについて驚いたような表情を見せた。その顔は少し哀愁の色も含まれているように僕は感じた。
「えええーーーー。なんでぇ?藤原君、この前も来なかったじゃーん!!」
先程よりもはるかに大きな声で彼女は僕に問う。クラスにいた数人がこちらを振り向く。僕は心の中で頭を抱えた。これではまるで、僕が彼女に対して悪いことをしているように周りから見えるではないか。そうなれば、クラスの支配者である陽キャの者たちに目を付けられてしまい、この女との会話がこのクラスでの初めてのコミュニケーションである僕には助け舟を出してくれる人間などいるはずもなく、ただでさえスタートに失敗した僕の高校生活は、たとえようもないくらいに劣悪なものになってしまうだろう。そこまでを瞬時に予測した僕は彼女をなだめるように、
「わかった、分かったから。行くよ…」
途端に彼女の表情は先程の曇りの一切を晴らし、再び花のように、咲いた。
ほっと胸を撫でなおしつつも無論、本当にこの集団に交じって放課後を謳歌するつもりなんてない。とにかく今のこの場を穏便にやり過ごすことができればいい。変革よりも安定のほうがいいに決まっている。
しかし、彼女の口から飛び出した言葉は意外過ぎるものだった。
「本当、ほんとに!?やったぁ、藤原君と二人カラオケ~!」
「は、、え??」
間の抜けた声が、思わず出てしまった。
誰も予想できなかったであろう彼女の発言にさらにクラスメイトの視線が僕と彼女に集まる。僕を含め、彼女を除いた恐らくはこのクラスの全員が今の言葉の意味を理解するのに数秒を要した。クラスでも一番の美少女であるといっても差し支えないほどに可憐なこの少女と、それとはまったく別だといってもいいほどにかけ離れた存在である僕。本来交わることなど到底あり得ないであろう僕が、クラスメイトの面前でデート、といっても差し支えないお誘いを受けているこの状況。小学生のころに誰もが体験する、教師に指名され意味もなく起立をして大きな声で発言をさせられる、あれ。それと似たような恥ずかしさに、腰のあたりがぞわっとする感覚がした。
「ちょ、ごめ…。あ、明日にしてください!!」
たまらなくなり逃げ出すことを決意する。小さく「あっ…」と悲しげに呟く彼女の顔を見ないように、クラスメイトに自分の顔を見られないように。今となっては何とも情けない、無様なさまだと思う。
しかし何なんだあの女は。僕は名前すら知らないのに。なぜ僕なんかと二人で? それをどうして皆々の前で言うんだ?
二十四時間ほどたった今になってもなお、僕はその言葉の本意について考え続けていた。六時間目の、いつもなら退屈なはずの数学の授業を終えた放課後。学生としての本分から解放されたはずのクラスメイト達は、一部の部活熱心な生徒らを除いて、クラスにとどまったままだった。いつも以上に控えめに、小さく伸びをする。緊張、戦慄…って言っていいのかもわからない感情を少しでも解すためだ。
ひどい一日だった。クラスの人間から向けられる、視線。聞こえなくとも、肌で感じる陰口。自分がどんなふうに思われているのかが分からないのが、とにかく怖かった。しかし一つだけ、明らかにそれらとは違う性質の視線も感じていた。朝、遅刻をした生徒みたいに、目立たないように教室のドアを開けた時から、この瞬間まで。今日一日中、ずっと僕から目を離さなかった、花のような少女、魁彩菜の視線が背後に忍び寄る。
ぽん、と優しく両肩に手を載せられた。
「藤原くーん。じゃ、今日こそ行こっか。」
昨日とは違う、か細く、大人びたこえ。耳元で囁かれた声を聴き、背筋がキンっと強張った。しかし今後の生活を想像するに、僕のような身分の低い人間がクラスの一輪の花のようである彼女と出かけることは、ほかの男子の反感を買うなどとあまりにもリスクが高くに感じられ、そもそも母以外の女性とまともに会話したことのない僕には、二人でカラオケなんて限りなく不可能に近い所業である。僕は断る旨を伝えるために恐る恐る振り向いた。
そして、彼女を一日ぶりに視界に入れた。
「ひっ…」
僕は小さく悲鳴を上げてしまった。
魁彩菜の顔を、その時初めて見た。否、昨日だって何度かは目を合わせたし、そんなはずがない。しかし、僕はこれほどまでに欲望をさらけ出すことができる瞳を今まで見たことがなかった。まるで彼女にとって僕が、捕食対象であり殺害対象でもあるかのように感じられた。背格好や髪形、服装、顔のパーツまで全部昨日とおんなじものを持ってきているはずの彼女が、なぜこんなにも豹変した表情を見せることができるのか、僕には到底わからない。しかしこれだけは人の感情に疎い僕でも簡単に分かった。魁彩菜が僕に対して、狂気的な愛をいだいていることが。
いや、そんな言葉では全然足りない。もっと原始的な、生き物として人間がかつて持っていた、本能のようなものといったほうが、いくらか適当といったところだろうか。
第二話はいつになる事やら