第肆話。通常日程の始まり。壱
肆。通常日程の始まり。
〜 壱 〜
結局うなされて目が覚めてからは一睡も出来やしなかった。
しかし昨日の夢は一体なんだったのだろうか?思い出そうとしても、思い出すことはできない。
考えれば考えるほど記憶は、尾をひいて俺の重荷へと変わっていくのだ。
ならば、そう。
考えなければいいのだ。
ということで、俺は己の重荷を忘れることにした。
結果。現在俺は、ある紙の束の前でただ日の出を待ち惚けていた。
昨日は始業式のため授業や部活はなかったが、春休みの余韻に浸ることすら許されず通常授業はスタートするのだ。挙げ句の果てには明日は課題の内容から構成される「課題テスト」という厄介なものが待ち構えている。
しかもだ。昨日帰ってきてすぐに行き倒れてしまった身の俺なのだから、終わっていなかった課題もいまになってギリギリやる気になったところだ。
そんなこんなでまだ日が昇らず静寂そのものである外から僅かに入り込んでくる光と、デスクライトの光を頼りに白紙の課題に手をつける。
春も半ばとはいえ、やはり朝方は少し冷える。昨日の時点から着替えていない制服のシワを伸ばし、軽く毛布を羽織ると、俺は憂鬱に今日までに終わらせるべきだった課題にシャーペンを走らせる。
そこでふと気が付いた。
なんだ。この問題簡単じゃないか。
春休み中は何がなんだか分からず、全くできなかった問題を今はなぜかスラスラと解くことができる。この事を俺は単に春休み怠けすぎて頭が鈍くなっていただけだろうと簡潔にまとめるが、どうも負に落ちないものがあった。そうこうしている間に、数十ページもあった課題が、わずか一時間たらずで終わってしまった。まさしくこれは「YDK」ということだろうか?
と、そこで一匹の猫が俺の側へと近づく。
そろりそろりと近づく猫が俺の足に触れようとしたその瞬間。
「オレのそばに近づくなぁぁあああ!」
唐突に訳のわからないほどの大声で叫ぶ。当然猫はビクリと数cm宙に浮くが直後に余裕の表情で、
「主殿。多分そのネタは大多数の人間に理解してもらえないと思うのだが…」
猫は首をそらす様な仕草をしながら言うと、俺の足元で座り込む。多少残念そうな表情を浮かべると、俺は猫と会話を続ける。
「通じる人間が一人でもいれば良いんだ。俺は多くの人間に理解を求めようとしてこんな事をしているのではない。ただ、一人のオタクとして誇りを持ってだな…」
「そんな様だから世に言うオタクは懸念され差別されているのではないのか?まあ差別は言い過ぎとしてもオタクの誇りがどうだこうだは拙者などのお主以外の人間にとってはどうでも良いのじゃよ。まあ拙者は猫じゃが。」
「確かにそうかもしれないな。だが、オタクというのはそう言うもんなんだよ。今の世は社会人から子供まで、ほとんどがオタクなのだ。数が多ければどうということはない。」
そう言い返すと、猫はもう言うことはあるまいという感じで呆れ気味に部屋から出て行った。
よし勝ったと、心の中でガッツをし、俺は再び机と向かい合った。と言っても、もうすでに出されていた課題は全て終了している。
「参ったなぁ〜。家出るまであと二時間もあるじゃねえか…とりあえず風呂でも入るか。」
そして俺は特にすることも無いため、昨日から汚れたままの身体を洗いに風呂場へと向かった。
前述したとおり、俺の家は無駄に広い。その為、自分の部屋から風呂場まで行くのにも結構な時間がかかるのだ。と言ってもゆっくり歩いて三分程度だが…。
そして実は、うちには露天風呂があった。
ここで過去形なのはもちろん、今は無いからだ。
理由はといえば、去年の夏頃だっただろうか?防犯システムが飛び抜けていた我が家であるが、それにもかかわらずどこからともなく露天風呂設備という情報を仕入れてきた輩が、俺の妹のことを盗撮したのだ。その一件以来露天だった部分に天井や壁をつけて完全に塞いでしまったのだ。まあ、俺は記憶喪失という生活にようやく慣れてきた頃だったからあまり気にはしていなかったが、妹は夜の風呂で星空を眺めるのが好きだったためかなり残念そうだった。そんな妹の熱烈な頼みもあり、現在は露天ではないもののプラネタリウムが設置されている。まあ正直、都会で星なんかほとんど見えない空に比べればこちらの方が断然綺麗である。
そんなこんなで、俺は今の風呂に大変満足している。口すら聞いてもらえないし、記憶も無く本当の親かすらあやふやだがつくづく親あってこその己の命だと実感する。俺はそう心の中で両親の顔を思い浮かべながら浴場の中に入ると少しお湯を浴びた後、体と頭の毛の一本一本の汚れを落とすつもりで洗い始める。シャカシャカと髪の音が響き渡り、少し肌寒い空間で一人孤独感を感じながらただ何も考えずに洗浄の全ての工程を済ませる。
再びシャワーに手をかけ、体や髪の毛を覆う泡を丁寧に落としていき、顔を覆った水を払うとそのまま湯船へと向かった。そしていざお湯に浸かろうとしていたその時だった。
ガラガラ
風呂場の扉が開き、誰かが入ってきた。
「オッ!にぃちゃんじゃんか!珍しいなぁにぃちゃんが朝風呂なんて。」
「まあな。今日はなんだか寝つきが悪くて暇つぶしに入ってたってわけよ。」
「そうかい。ほんで、にぃちゃん。昨日の夜中に悲鳴とかあげんかった?」
「あぁ…悪い。目ぇ覚ましちまったか?」
「なぁに気にすんなよ。にぃちゃんも色々あるしな。」
朝の挨拶の代わりに軽く会話を交わしながら茶髪のギャル妹は、自分の裸など何も気にせずトテトテと近づき俺のそばで湯船に入った。2年半ほど前からしか記憶のない俺だが、それでも彼女のバストは間違いなく一つ以上はランクアップしているだろう。実の妹にこんな視線を送るのはまさしく外道で恥ずべき行為かもしれないが、何度も言う様にアニメでは兄妹で禁断の恋なんていうのはありがちな展開だ。あまり気にする必要はないかもしれない。現に偶々と言えど彼女のその豊満な胸に触れたことは一度か二度は普通にある。兄妹としてそんなに仲が悪くないというのも大きいかもしれないが、こんなハプニングがあっても我が妹は恥ずかしがることも、俺のことを罵ることも無い。むしろ、
「オォ〜にぃちゃん欲求不満かい?可愛い可愛い妹ちゃんが処理してあげようかい?」
と、冗談なのだろうか?冗談とういうことにするとして、そんなことを言ってくるのだ。まあ実際に処理をしてもらったことは流石に無いが、こんな経験をしているのだ。大きさのみならず、形や感触の違いまでもが大きく変わったことが俺には分かる。(とは言え、実際に触れて違いを確かめているわけでは無いので、いたって健全である。)
「なんだよ。にぃちゃん、そんな熱い視線をうちの胸に向けちゃってさぁ。欲求不満?また美葉ちゃんが処理し…」
「おぉまえ、誤解を招く様なこと言うなよ!?」
「良いじゃんか〜ここにはうちとにぃちゃんしかいないんだから誤解する人なんて一人もいないじゃん?それにうちはにぃちゃんとなら本番までウェルカムだぜ?」
「読者という貴き存在がいるんだよ!お前には分かんねぇのか?あと、たとえお前が良くても俺はお前とする気は無い。」
「えぇ〜釣れないなぁ。つーか読者?なんじゃそれ。」
そう。あくまでこの物語は俺の自分語りと、たまに出てくる作者の解説によって成り立っている。つまりは空想だ。美葉に理解できないのも当然。しかし読者の諸君にはどうかバカの戯言だと思って聞き流して欲しい。
そんなことはさておき、もう既に登校時間の一時間前である。
「ヤベッ美葉!学校行くまであと一時間だぞ早く上がろうぜ。」
「にぃちゃんはな。うちは学校すぐそこだからあと三十分はゆっくりできるのだよ。ハッハッハー!羨ましいだ…」
「良いからお前も早めに行くんだよ!」
えぇー と、めんどくさがる妹を湯船から引きずり出しながら風呂場から出た。
俺の高校も家からそんなに遠い訳では無いが、妹の通う中学校は、この家が建つ通りにあるため非常に近い。まぁ妹と兄の通う学校はみんな同じになるとは思うが…。
「なぁ、にぃちゃんって本当に記憶喪失なん?」
風呂上りの脱衣所で妹は突然そんな事を尋ねてきた。
当然俺は不思議に思った。妹がこんなことを聞いてくる意味を知りたいというよりかはまず、俺が記憶を持ったままだと何かまずいことでもあるのか?と思ったからだ。まあ本質的な意味は変わらないかもしれない。しかし俺はなぜかネガティブな方へと思考がいったのだ。
かと言って無視やなにも言わないわけにはいかなかったので俺はシンプルにこう聞き返した。
「何故?」
この質問に妹は何の嫌気もなく気軽に、かつ何一つ偽りなく答えた。
「何故って、いやなんかさ〜…記憶なくしたら人ってまるで別人みたいに変わっちゃうっていうじゃん?知らんけど。でもにぃちゃんは、事故の一つや二つじゃ何一つ変わらないんだなって。うちの知ってるにぃちゃんは、にぃちゃんのままだぜ?なんかにぃちゃん、最近自分に自信なさそうだから、もしかしたらなんか気にしてんのかと思ってねぇ。」
何この子、良い子過ぎない?
「要するにだよ。にぃちゃんはにぃちゃんのままで良いんだぜ。今は今。過去は過去だよ。もしなんか悩んでいるなら自分を責めるようなこと考えないほうがいいんじゃないかなぁ?」
まさにその通りだ。
意識はしていなかった(いや、していたかもしれないが…)。確かに俺は過去の自分と今の自分を照らし合わせ、勝手に悩み今の自分を攻めてきたのかもしれない。結果それは俺自身の自身への嫌悪と自信の損失へと繋がっていたのだ。過去の俺は、将来自身の記憶の喪失とともに今の自分が未来の自分を傷つけるなんて思いもしなかっただろう。
しかしそんなことももう既に過去のことだ。俺は改めて妹の存在に感謝しながら一回り小さい頭に手を乗せ、わしゃわしゃと撫でながら猫の様に気持ち良さそうにする彼女の顔を眺めていた。
「ありがとな、美葉。そうだな。今は今、過去は過去だもんな。今度から気にかけてみるよ。」
「何だよにぃちゃん。辛気臭いなあ。もっとシャキッとしなよシャキッと!」
そう二歳ほど歳の離れた妹に背中を押され俺は脱衣所から出て、そのままフラフラとしながらも廊下に置きっぱなしになっていた制服に着替え、荷物を持って玄関に向かい靴を早々に履くと小走りで外に出た。
いってきます。と、控えめに言うとまたしても無駄にでかい駐輪場に向かい、そこから己の自転車に跨り歩道に滑り出た。
同じく家を出て徒歩で学校に向かい始めた妹の姿が見えなくなるところまで俺はずっと彼女が気がかりで仕方がなかったが、気持ちを入れ替え学校へと車輪を急がせた。
しかし、その途中俺はいま現在最も顔を合わせたくなかった人物に会ってしまう。
そう。鬼塚 百合恵である。
まあ仕方がない事だ。家が隣同士なのだから嫌だろうと顔を合わせることはあるだろう。もちろん顔を合わせたくないのは2、3mほど殴り飛ばされたからに違いない。そのまま俺は彼女を無視して学校へ向かおうとしたが、案の定彼女から逃れることはできないらしい。
「あっ…永龍君!」
これは想定外だった。昨日はあんな様子で何も言わず帰ってしまったからてっきり声をかけられるとしても、オイ!ゴラァ!のように殺すぞと言わんばかりに食いついてくると思ったのだが、その予想に反して彼女はいかにも乙女らしく、それでいて透き通るような、オオルリの様な美しい声をあげたのだ。そんな声に俺は動揺してしまい、逃げるために加速した自転車を思い切りよろめかせながら派手に横転した。ズガガガと音を立てたのは自転車なのか、それとも俺の肘なのかは最初わからなかった。
自転車だ…良かった…
と、安堵する間も無く彼女は駆け寄ってきた。
「...って大丈夫!?怪我はない?」
非常に心配そうな顔でこちらを見つめてくる彼女は、名前にも入っている百合の花のように白く美しかった。俺は、この子とはこんな出会いがしたかったなぁと思いながら彼女に自分の安否を伝える。
「あ…あぁ。大丈夫だよ。」
「そう…...ならよかったわ...。」
彼女は安堵で、ふっくらとした胸のラインをなぞる様に撫で下ろした。その撫で下ろされたまな板の様に薄いわけでもなく、かと言ってメロンの様に大きすぎるわけでもない彼女の胸は、全年齢に好まれるものだろう。
そんな彼女は、まさに美体型と言える。腰はいい感じにくびれているし太腿も太すぎず、細すぎずむっちりとしている。脹脛は運動部のようにある程度筋肉の筋が浮き上がり足首に沿って細くなっている。頭もまるでアニメのキャラの様に大きく綺麗な形をしていて、全身の皮膚は例えるならまさしく百合の如く白く、透き通る様である。その白い肌とは対極するかの様な黒く長い髪は、後ろで翼のように美しく風に靡いていた。黒髪ロングは嫌いな人間はいないと言われるほど人気があるものだ。長い分拡張性が高く、どんな髪型にも変化することができる。が、その分洗ったりするのは非常に面倒臭く、細部まで手入れするのは一苦労なものである。それ故に良く几帳面に手入れされた髪は美少女にはよく似合う。(美少女に限る)もちろん、鬼塚百合恵も黒髪ロングは嫌というほど似合っている。そんな彼女に、俺が惚れ惚れしていると、
「昨日の件、考えてくれた?」
と、鬼塚百合恵は質問をしてくる。俺は何を考えてこなければいけなっかたのだろうと一瞬首を傾げるが、もしかするとと思い、彼女に質問で返す。
「…..まさかとは思うけど、…セフレのこと?」
またしても無責任な台詞である。学習するということを諦めたかの様な頭脳に、俺は自分でも飽き飽きする。もはや、彼女の反応に期待してわざとやっているとしか思えないレベルだ。
しかしそんな俺の台詞へ彼女はこう返した。
「………ハァ...そんな訳ないでしょ。まあ別にいいけど、それはもう少し経ってから……ね...?」
「え?」
「……….......ん?」
彼女は、自分が何を言っているのかわからなくなったかの様な調子で、え?と困惑する俺に ん?と返した。
反応に僅かな時間を有したが、途端に耳の端から首まで真っ赤になった彼女は反射的に俺へと拳を振りかざす。
しかし、そうくると思っていた俺は難なく彼女の平手打ちをするりと躱してしまう。
そしてまさか避けられるとも思っていなっかた彼女は体勢を崩し、その場でつまずきそうになってしまった。が、もちろん最愛の人物に怪我をされてしまうのも困るので俺は彼女の腹を抱える形で抑え、地面へと突進していた彼女の動きを止める。
しかしアニメのお約束通りそれはラッキースケベへと変貌し、腹に回したはずの腕はそのまま上へとずれて、胸を下から撫で上げる形になってしまった。
そのまま彼女の顎を打ちつけそうになった俺は慌ててもう片方の腕で更に少女の体を支えるのだが、
「ンッ……あ…ちょ…...ヤァ......」
正直ドキッとした。俺もまさかこんなことになるなんて考えていなかったし、彼女が喘ぎ声をあげるとも思っていなかった。
理性が飛んでしまいそうなのを抑えて、何とか彼女の体を起こす。このあと散々な目に遭うのだろうなぁと、冷や冷やしていると、彼女は意外にも冷静に俺と会話を続けようとした。
「……あ…ありがとう。」
冷静なのも意外だったが、この場面で助けてくれたことにお礼を言うなんて想定外中の想定外だし、ましてや胸を触られて普通にしているのなんて考えもしなかったことだ。うちの妹ならまだしも…。
「…て言うか…ブラ外れちゃったんだけど…」
「え?」
「だからッ貴方が強く抱き上げるからブラがズレちゃったのよ!しかも弾みでホックまで取れちゃったんだけど!……どうしてくれるのよ…」
彼女はどうにでもなれっと言わんばかりに俺に怒鳴りつけてきた。
そんな彼女を、朝の通勤や通学とで行き交う人々は訝しそうに眺めていた。
「服に……服に擦れて痛かったのよ?」
何が?とは大体察しがついたため、聞かなかったがそれを俺にどうしろと彼女は言うのだろうか?
まさか俺に直して欲しいのだろうか?そんな甘々なことは望まないでもないが、流石に実行へと移すことはできないだろう。
ならば男の俺にも理解を求めているのだろうか?まあその痛みを分からんでもないが、彼女が感じているほどの痛みを俺は知らないだろう。
ならばどうして欲しい?こんなとき女性は何を求めているのだろうか?
結論は出なかった。俺には到底理解できるものではなかったからだ。とりあえず思い浮かんだ最良の回答を俺は口にする。
「悪い。わざとじゃないんだ。」
「あ...いや、う...…ううん。…ごめん。私もついヒステリックになっちゃって..........で...でも!今後はエッチなことはあまり言わない様にして欲しいわね〜!女の子がみんなエッチなのが好きって訳じゃないのだから……!?」
こんな風に目を細めながらだが、律儀にお願いしてくる彼女はどこか真剣で切なそうだった。しかしその顔はとても美しく朝日に照らされていた。
「わ、分かった。ごめん。もう言わないよ。」
こんな彼女の願いを断るわけもなく俺は了承し、謝罪すると再び自転車へと股をかけた。
「別に怒ってはいないからあんまり気にしないでね。私こそ昨日は手を上げてしまって、ごめんなさい。」
「うん……良いよ別に...それじゃあまた後で。」
そう言うと俺は再び自転車を漕ぎ始める。
「永龍君ー!私のことは百合恵で良いわよー!」
そんな声が後ろからは聞こえ、俺は急いで自転車を止めて彼女に言い返した。
「俺も、和真で良いぞー!」
俺も全力で叫び返し、百合恵から手を振り返してもらうことができた。そんな彼女は何故か衝撃を受けたような顔をしたが、その時の俺は気付くことなく走り去ってしまった。
と、そんなこんなで出会いはパッとしなっかたものの俺と鬼塚百合恵は関係を深めていくのだった。ーーーーーーーーー