第參話。予兆
參。予兆
俺は寝ていた。
確かに自分の部屋で眠っていたはずだ。
しかし、俺は全く見に覚えのない雪林の中に立っていた。
夢?
そう。夢だ。
そう認識するのに無駄に長い時間を有してしまった。
無理もないだろう。夢だと言うふうに区切ってしまうにはあまりに現実味のある夢だったからだ。
そんな雪景色の中、俺は一歩一歩確実に足を踏み入れていった。
ザクザクと音を立てる地面は、足を10cmほど飲み込み絡みついてくる。同時にヒリヒリと刺さる様な冷たさが足の感覚を奪い去り、歩行を阻止する。
身につけているのは恐らくスニーカーの様なものだろう。グチョグチョに濡れ、重たさや冷たさを与えるその履き物は、雪の中を歩くにはあまりに不向きなものだった。
しばらく歩くと、俺はこの雪林が山であることに初めて気がつく。そして下を見下ろすと、微かに滲む光を捉えることができた。
こんな山の中孤独に徘徊していた身のせいか、歓喜に溢れながら光の見えた方角へと足を急がせた。
ザクザク、ザクザク。
体温と、体力を奪っていく雪を掻き分けながら俺は走り出した。
すると、突如轟音を挙げながら吹雪が吹き荒れ始め、風が俺に生きる事を諦めろと言っている様に感じるほどだった。そんな中肌がひび割れそうなほど冷たい風を手で防ぎながらゆっくりと前進する。
雪のせいで何も見えず、ただ手探りに前へ前へとひたすらに山を降りていると、先刻見たであろう光の元へとたどり着いた。
強い吹雪のせいで正確に捉える事はできなかったが恐らくは村の様な小規模の住宅地だろう。
俺は、あまりの寒さに耐えかねて一番近くに建っていた民家の様な建物へと飛び込む。
途端、今まで肌を抉る様な感覚を与えていた寒さが解け、少しずつ温もりが体を包んでいく。
このまま眠ってしまいそうな重たい瞼を開くと、そこには心配そうにこちらを覗き、声をかけてくる老夫婦がいた。
何と言ってるかも聞き取れずただボーッと横になっていると、そんな状況で俺はおかしくなってしまったのだろうか?
唐突に思い浮かんだ文字と文字を繋げ、途切れ途切れに声を発した。
「ト…ラ…―ズ。…トラ…べラーズ。私は、私達は、トラベラーズ。…」
どうしてこんな事を言ったのか、自分ですら分からない。いや。自分ではないのかも知れない。
所詮は夢の中の出来事だ。気に留める必要はない。そんな風に冷静になると、どうも安心してしまい、夢の中のはずなのに意識は遠のき、そのまま深い深い眠りについてしまった。ーーーーーーーーーー
俺は目を覚ました。
それも安静な目覚め方ではなく、勢い良く起き上がる俊敏な目覚めだ。
なぜ目覚めたかは分からない。唐突に睡眠を妨げる何かが、俺を襲ったのだ。
その何かを思い出そうとするが思い出せない。
雪景色は思い出せる。しかしその雪景色の中何をしていたかがどうしても思い出せないのだ。
その何かはどこか納得させる様な、思い出させる様な何かである事は感覚的に分かった。
それでも思い出せない。
頭痛と共に揉み消されてしまう。
と、必死に記憶を呼び覚まそうとする俺の集中を遮る様に室内で何者かが喋る。
「どうされた?うなされておったぞ。悪夢か?」
口を開いたのは喋る黒猫だった。
猫は耳と背中を立てて緊張の態度を露わにしていた。
「うるせぇ。今思い出しそうなんだ。重要な事を。」
しかし時は既に遅し。
夢の内容は完全に記憶から消え去り、どんなものを見たかも分からなくなってしまった。
そんな暗闇の中で輝く猫の瞳は紅色に染まっており、己の主人の姿をしっかりと捉えていた。
「いずれその日も来ますぞ。主殿は己の力のみで過去を暴かなければいけません。それが使命だと其方の母上殿は申しておりましたぞ。」
「何で教えてくんないんだ?美葉も知らないみたいだし、親父や兄貴はそもそも口聴いてくんないし…お前も教えてくれないのかよ?」
意気消沈する俺を不死身の黒猫は只々、無言でジッと見つめているだけだった。ーーーーーーーーーーーーーーー