筆頭執事は今日もおつかれです。
どうもこんにちは!
この度、『貧乏性の公爵令嬢』が週間に逆戻りしたということで(あれ?そもそも月刊→週5→毎日の順番じゃ…?)お詫びといってはなんですが、登場人物のマクスを主人公にした短編を書き下ろしました。イェーイ!
それではお楽しみください。
私はいつも、巨人が起きたような物音で目がさめる。
「おはようございます」
心得、第一声ははっきりと。
「おはよう。昨日はお疲れ様」
仕事場に来て早々、大欠伸をするのが私の雇い主、セレルド・カルレシアだ。
「今日の予定は…」
「どうせ書類の整理だろう?」
「ご名答です。それと明後日、王宮へ行くようにと手紙が。こちらに」
おっと書類のめくりすぎだろうか。絹製の白手袋の指先が黒い。
たとえ3日、職場に缶詰になっても、心得、身だしなみは整えるように。
「なんと!今から支度をしなくては。でもこの書類の山は…」
「馬車の中で…いえ、ペガサスを用意しておきます」
心得、時間厳守。
「あー…それでは明日の昼過ぎまではここに拘束されるのか?」
「ご不満でも?」
「大ありだ!…あ、なんでもないさ。さーてやるかなぁ…」
心得、たとえ主人でも正しい行動を重んじる。
「それでは、朝食を運んできます」
にっこりと笑うと、セレルド様は手を振っている。
あと二歩でドアの前だ。
振り返えればきっと仰け反っていることだろう。
「あ、セレルド様!」
「な!なんだ?」
正解だ。
「書類30枚は終わらせておいてくださいね」
「まあ、マクスじゃない!」
「ミア?どうしてここに」
「あら忘れちゃったの?奥様の手伝いよ。だって今日は奥様のお茶会の日じゃない」
「あれを忘れるわけがないだろう」
公爵家という名に群がる害虫たちは、いつも頭を痛める問題だ。
「頑張ってくれよ」
とキスをする。
「あなたもね」
とキスが返される。
心得、家族へのリップサービスは忘れずに。
「それじゃあ」
「ああ」
この心得の全てと、執事の仕事を完璧にこなす者。それが最高の執事だと思っている。
それは私の師匠からの受け売りだが、そういえば師匠もまた同じことを言っていた。
さて厨房はこっちだ。
妻と別れ、反対方向に右折する。
「旦那様の朝食を取りに来た」
厨房では叫ばなくては声が届かない。
料理人は4人。見習いが4人。彼らが手を伸ばしても届かないほど広いスペースが、この厨房という場所だ。
しかし忙しい時間は、他の使用人が手伝いに来て、もう何人か増える。すごく忙しく幸せを作る場所だと友人が言っていた。
「そこにある」
ひょっこりはんが現れた。
「おお、ハワード」
私はとっさに呼び止める。
彼こそがその友人だ。
「マクス最近寝てるか?クマできてるぞ」
「大丈夫、これで隠せる」
銀縁の眼鏡を指差す。
「片目だけな」
「それを言われてはおしまいだよ」
「じゃあまた夕食な」
ハワードは手を振って、また煙の出ている厨房に戻ろうとする。
「あ、まて。旦那様の昼食には、サンドイッチなど片手で食べられるものにしておいてほしい。あと、旦那様は夕食には出席されない。明日の昼前にはここを発つので、やはり軽食を用意しておいてほしい」
「わかった。マクスも栄養のあるやつだな」
「そうしてくれると嬉しい」
「俺の腕の見せ所はまかないだからな」
「それ、前にも聞いたぞ」
「そうか。じゃあ戻るぞ?」
「ああ。またな」
手を振って、片手で銀のトレーを持てば、厨房のドアを開く左手ができる。
入った時はよく困っていたが、ここ十数年は御手ものもだ。そういえばこのしょうもない秘伝を教えたのは、やはりハワードが初めてだったな。
ふとそんなことを思う。
本人曰く、料理人のくせに、とよく言われることがあると言っていた。しかしあの理解力、集中力、記憶力は本物だ。さすが王都で長勤しただけはある。
ハワードに事務的な指示を出すときに限って、よく実感するのだ。
さてもうドアに着いてしまった。
これからは戦争だ。
深呼吸をして、ノックする。
「マクスです」
「……」
私に対して返答はないのはいつものことだ。
何も言わずに開ける。
中も戦場だった。
…ように演出されている。
「セレルド様?」
「ぅんー?」
「何枚終わらせましたか?」
「4…いや2?1?」
「私は何枚と言いましたか?」
「10枚?3枚かな?」
「甘えてないでください。王様に嫌われちゃいますよ」
「あいつとはずっと長い友人だからな、そんなことで…」
「屁理屈をこねないでください?さっさと!やれ!」
ガチャン!!!!
音がして差し出したのは、冷たーいミルクを入れた銀製のカップだ。
水滴は溢れることはない。
当たり前だ。私が入れたのだから。
朝食は部屋に入った直後に、私の机のとなりに置いた。
───さて、戦争だ。
………
……
…
私の中で戦争が終わったのは、私の電池が切れた時だ。
昔は10日完徹なんて余裕だったが、もう歳かもしれない。
しかしセレルド様が逃げないよう、マリコッタさんを呼んである。セレルド様が私以上に恐れる方だ。彼女がいれば書類を終わらせずに寝ることもできないだろう。
その辺は用意周到なので、今はちゃんと寝よう。
しっかりとした質の良い睡眠で、短時間で充電をフルにする。
セレルド様が電気について語るせいで、すっかり私も仕組みについて覚えてしまった。まあ理解こそする気は無いが。
それでは、おやすみなさい。
………
……
…
目が覚めたのは夕方。
ちょうど空が赤く染まった頃だろう。机に伏しているせいで、白い書類に背中から、淡い光が反射している。
「半日か…」
少々寝すぎてしまったかもしれない。
シャッ…シュシュッパサッ……シュッ…パサッ……ジッジッ…パサッ……
なにやらペンと紙のすれる音が聞こえる。
セレルドだ。
「お疲れ様です」
「おお、起きたか。もう少し寝ていても良かったのに、昨日は無理をさせたな」
セレルドは書類から目を離さずに話す。
「いつものことですからっ」
いつの間に身についた愛想笑いを浮かべ、私は自分の書類に手を伸ばす。
「ん?」
柄にもなく動揺してしまう。
自分の精神と勘がが張り詰める。そうであってしかるべき状況が訪れてしまった。
それは───書類の紛失。
いいや大丈夫だ。どこかにあるに違いない、探さなくては。
そう思って立ち上がる。正確な歩幅で三歩歩きかがむ。机の下にはない。
「そこの書類か?」
上からセレルドの声が降ってきた。
そこ、というとセレルドの指さす、セレルドの机の上の山、と考えるのが妥当だろう。
高く積み上げられた書類を何度かに分けて崩していく。
ざっと10枚ほどに読み通す。
探していた書類に違いなかった。
「これを、セレルド様が?」
「ああ。そうそう、マクスのまかないはそこだ。私はもう食べた」
「はあ…」
言われた通り、そこ、つまり私の机の正面の台にはサンドイッチが8枚置かれている。
「まさか終わらたんですか?」
「そんなわけがないだろう。積み上げておいたのは私が、他はマリコッタがやった」
「ああ、どうりであんな不安定な置き方を。何度も言いますが、紛失したらどうするんですかっ」
「私はどうもしない。困るのはマクスだろう」
「そういうのは屁理屈って言うんですよ、旦那様っ」
「そうだ、そろそろ夕食だろう」
「まだ、あと3時間はありますよ。それと書類が終わるまで、夕食には出席できません」
そういえば言い忘れていた事を思い出した。
面倒ごとになる前に、言っておこう。あわよくば、これがセレルド様の原動力になってくれれば何よりだ。
「なんだそれはっ!私の夕食だぞ」
ちょっとやそっとの苛立ちでは、この仕事は終わらないのですよ、旦那様。
そんな事を思いながら、ハワードに作ってもらったまかないをいただく。
「届けさせます」
「それでは意味がっ…」
「はいはい、愛しのアリコスお嬢様ですね。顔が見たければ頑張りましょうね」
「わかっている。だからマリコッタには残るよう伝えた。マクスもさっさと始めないかっ」
「はい?ではマリコッタ様は?」
「少し席を外しているだけだ。…ほら、早くやれっ!」
「はいはい、わかりました」
さっきのもう少し休んでいればいいのに、はなんだったのだろう。
そんなつっこみも口に出せないほど、今は忙しいのだ。
そうだ、急いで終わらせてしまおう。そして同行しなくて済むようにしよう。そしたら家に帰れる、ミアに会える、子供達に会える。
ちなみにこの一連の呪文が、マクスの原動力である。
マクスが極度の集中状態に昇華してまもなく、マリコッタが帰ってきた。
「お帰り」
「はい、旦那様。この分では終わりそうですね」
「ああ。だが夕食に出席させないとマクスが言うのだ」
「マクスは少々時間に余裕を持たすことに厳密ですからね。キストもそうでしたが」
ふと嫌な事を言われている気がした。
作業時間を数秒長めて、聞き耳をたてる。
「はははっそういえばそうだったな」
「お孫さんはどなたも執事にはならないようですが」
「そのようだな。マリコッタも全員に会ったことがあるだろう。キストがおかしかったのだ。それに毒され、より脅威になったマクスもマクスだが」
師匠がおかしいとはなんだ。毒されたとはなんだ。脅威は…それでセレルド様が仕事をしてくれるのならありがたい。
「私もお孫さんの内一人くらいは、なってもいいと思っていたのですが、誰も立候補しませんでした」
「びっくりした」
「なので師匠はおかしくありません。ところでそういえばセレルド様?このままでは夕食どころか出発にも間に合いませんよ?」
「そんなの帰ってからやれば…」
「向こうに何日拘束されると思ってるんですかっ。長くて半年。短くて2日。その間の公務のほとんどは決められません。十分にご存知でしょう」
「あー怖い怖い。さあ旦那様、終わらせてしまいましょうか」
「そうだな」
いつも私が嫌われ役だ。それで公務に支障がないならいい事だが、このマリコッタ様の説き伏せようといったら。
今はわんぱくなご息女、アリコスお嬢様の家庭教師もしている。アリコスお嬢様は普通にいえば問題児なのにもかかわらず、マリコッタ様は赤子の手を捻るように事を進めていく。このセレルド様も例のひとつだ。
だからマクスはマリコッタが来ると、必ず頼りにし、必ず一挙一動を観察するようにしている。そのおかげでマクスは、一流執事として世に知られるキストを超える名として刻まれている。
カチ…カチ…カチ…カチ…
時計が鳴っている。
音が聞こえるようになったのは集中力の切れた証だ。
そろそろかと、時計を見ると7時10分。夕食までは20分だ。
ちょっとした未記入の書類の束が残っている。他は、すでに記入した書類だ。
マリコッタも私に負けない速さで書類を繰っている。
セレルド様も文がまともに読めていないのではないかという速さで、サインをして、すでに顔の隠れるほどの書類の小山ができている。
ざっと見積もって私とマリコッタであと4時間ほど。予定よりずっと早い。上出来だ。
「セレルド様?」
「…んん?」
空返事に聞こえるが、それでここに残ってくれるのならなおいい。
「なんとか夕食に行けるようになりましたが、行きませんよね?」
「ん…う…っ!いく!」
セレルドが突然に顔を上げる。
「言ったからには行っていいのだな?」
「そうですね。行かなくてもいいですが」
「そんなわけがないだろう。着替えてくる」
「いいの?」
「私の計算に狂いはありませんから」
「キストも同じこと言ってたわ」
「そう…なんですか?」
「旦那様を言いくるめる技については、あなた方以上の人は見たことがないわ。さて、続けましょうか。あなたも奥さんに会いたいでしょう?」
「ええ、まあ」
「もうっ、素直に言ってあげなさいね。私もセサリーに会いたくて仕方ないのだから」
マリコッタはシワだらけの顔に、もっとしわを増やして笑った。
そして互いにペン先に力を入れる。
ラストスパートだ。
時間はどんどん経っていく。
セレルドが帰ってきたのは8時半少し前。
未記入の書類を消費していくことに、セレルドも加勢して、終わったのは午後11時前だ。
「お疲れ様でした」
「では私、もう帰るわね」
「はい」
「あ、待って?セサリーはどこに泊まっているの?」
「アリコスお嬢様の館の二階です。案内しましょうか?」
「ううん。大丈夫。他の人を探すわ。マクス、あなたはもう帰りなさい。明日のあなたの分は私が終わらせるわ」
「そうですか?…ふわぁ。ありがとうございます」
すごく眠い。
話していないと寝てしまいそうだ。
そして帰路につく。
我が家はカルレシア公爵家の母屋にある、執務室から徒歩で一時間の場所に位置する。
しかしもうあとやる事といえば、ミアと話してゆっくり眠ることくらいだ。
「瞬間移動《
こうして玄関の前にワープする。
「ただいま…」
眠い。
あくびが後を絶たない。
そんなぽけっとした中、ドアノブをにぎる。
「あなた、お帰りなさいっ!」
「ただいま」
ミアな首に飛びつく。
「「お父さん!」」
「ヘネスン、セントリューも!」
目をこする息子たちにも出迎えられる。
「今日は帰ってきてくれるかもしれないからって、私が待っていたら、この子達もね、一緒に待っててくれたのよ」
「それはそれは嬉しいな」
師匠。大変でしたが、今日も心得を遂行して一日を終えましたよ。
楽しいですが、正直なところヘトヘトです。
師匠、いつになったら私も師匠のように引退できるでしょう。
「今日もこき使われたんでしょう?」
「その通りだよ」
「あなたも本当にお疲れ様ね」
「まあな」
「私もクタクタよ〜」
「じゃあ早く寝よう。明日も頑張らなくちゃいけないからな」
「ええ。ヘネスン、セントリュー布団に入れて」
「わかったっ。ほらセントリューゥ、寝る前にベットにはいって」
「ほぇ?わかっただ…」
師匠、でもやっぱり、今の生活がすごくすごく好きです。
「ほら、おやすみなさい」
ーちなみにこの主人公は『貧乏性の公爵令嬢』にて絶賛稼働中ですー
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