家族の在り方
月乃森未白
弐乃為美紀
火野日アリス
それぞれ性の違う自分たちは、それでも、確かに家族だった。
アリスが血を分けた子供でないとか、美紀が自分のことを嫌っているとかは、些細なこと。
「いや、さすがにそれは勘違いであろう。
お主の嫁さん、めっちゃ誇り高いぞ?
アリスの為とはいえ、嫌いな奴と一緒になることはないと思うが」
―――なんて、
以前、ハッチンにそう言われた時は、さすがに自分の耳を疑った。
どうやら彼には、頭の中も筋肉になってしまったらしい。
……なんて幸福。
彼は未だに、男女の甘酸っぱい何かを、信じていられるのだ。
しかし、そんな幸せは許しませんと、
あくまで友を気遣う親切心から、とある恐怖体験を語り聞かせた。
■
結婚当初、夫婦が同じ部屋で寝るべきだと、まだ二人とも律儀に考えていた頃の話だ。
「…………変なことしたら、明日、あんたの朝食なしだからね」
―――その程度のリスクでいいの? なんて言葉を飲み込んで、ベッドに潜り込む。
一応、自分だって健全な男子だ。
この状況で、胸が高まらない訳がない。
隣から聞こえてくる衣擦れの音や、彼女の吐息。
それに。
―――なんて、いい香りがすんの?
これって、あれでしょ?
かなり奮発したって自慢していた、香水でしょう?
なんで、寝るときにつけてんの?
―――唐突に、昔話を思い出す。
それは、とある旧人類の女性の逸話。
永遠のセックスシンボルと言われていた彼女は確か、寝るときは服代わりに香水をつけていたのではなかったか―――
思わず寝返りをうつ振りをして、隣で眠る美紀に背を向けた。
甘い香りに脳がクラクラする。
心臓が意志に反して脈うっている。
これは、だめだ。
よもや、自分の中の獣性がここまで強かったとは。
だけど押さえ込め、そして、思い出せ。
自分たちが、何で夫婦になったのかを。
決して、自分のことを好いていない美紀が、自分よりもなにを優先したのかを。
火野日アリス。
この世界では決して珍しくない、親に捨てられた子供。
彼女と、彼女の生みの親の為に、自分たちは手を取り合ったのだ。
このくそったれな世界でも、子供が笑顔でいられることを、証明するために。
ここで自分が熱に身を任せてしまったら、それこそ彼女への裏切りに他ならない。
………息を止め、左右のこめかみに指を当てる。
気が進まないが、しょうがない。
これが、今の自分に示せる精一杯の誠意だ。
ある意味では自家発電。
正確に言えば、セルフ電気ショック。
覚悟を決め、指先に力を込める。
稲妻の乾いた音と同時に、意識は急速に闇に飲まれていった。
――――――で。
朝起きた瞬間に、自分は生命の危機にさらされていた。
隣の布団の上で、枕を抱えた美紀が、自分に向けて殺意をまき散らしている。
ヤバイ。本能より先に、理性が悲鳴を上げた。
だって、美紀は今まで見たことのない表情をしている。
クマをたたえた真っ赤な目は、「オマエ」、「超コロス」と言外に語っていた。
オーガ・クラスの機械獣でも一目散に逃げるレベルの圧倒的な怒気である。
「…………えーと、オハヨウゴザイマス?」
「――――――!!」
どうやら受け答えを間違えたらしい。
気まずい空気は、あっという間に氷河期に突入した。
デンジャー・デンジャー。
このままでは、新婚家庭が、たった一晩で凄惨な殺害現場に変わってしまいます。
なぜ、美紀がこれほどまでに怒っているのか。
正解にたどり着かないと、自分の命が危ないのは明白だった。
「……何にも、しなかったよね?」
家庭の平和のために、自らの意識を絶ってまで我慢したのだ。
……もし、無意識にコトをいたしていたのなら、いろんな意味でもったいなさすぎる。
そんな曖昧な気持ちが声にでてしまったのか、美紀の瞳が、一段とつり上がった。
「…………あんたと同じ部屋で寝るなんて、冗談じゃないわ」
こうして自分は、新婚初夜に何もせぬまま、奥さんに三行半を突きつけられたのである。
以降、夫婦は別室で寝るようになり、日々、家族全員が、平穏に過ごせるようになったのだ。
■
―――本当にあった怖い話を語り終えた後、
ハッチンはなぜか、自分を可哀想な生き物のように見つめてきた。
「お主、一見まともそうに見えるけど、もしかして、メッチャアホなのか?」
……なんで?
■
「わーい、ヒトガタの兄ちゃんがきたぞー!」
里の西側にある、学び舎と孤児院をかねた教会を訪ねたら、今日も元気なクソガキどもが、そんな言葉を投げつけてきた。
「ヒトガタだぞー。悪い奴なんだぞー」
キャッキャ、キャッキャと、走り回り、自分を楽しそうに揶揄していくる。
最近のガキどもは教育がなってないなーと思っていたら、その中に見知った顔を見つけた。
…………てゆーか、アリスだった。
父ちゃんがいじめられているのに、笑顔満面なひどい娘である。
「コラ! やめなさい!」
血相を変えて、近づいてきたのは、自分も美紀も幼少時代にお世話になった、シスター鈴香だ。
肌の半分は鱗に覆われ、夏はひんやりと涼しいご婦人である。
「ごめんなさいね。すぐ止めさせるから……」
申し訳なさそうに、お辞儀をしてくるシスター鈴香。
しかし、多勢に無勢である。
蜘蛛の子を散らすように逃げまどう子供たちに、彼女は一人でオロオロするしかない。
「大丈夫です。悪気はないようですし」
アリスが笑っているのがよい証拠なのだ。
悪意も知らない無邪気故の暴言なら、まあ、耐えられる。
「ええ…………でも…………」
シスター鈴香の顔色は優れない。その理由を自分は知っている。
―――あれは、アリスがこの教会に通い始めて間もない頃だ。
「…………父ちゃんって、ヒトガタだから悪者なの?」
泣きはらした目でそう聞いてきたアリスをみて、何があったのかは容易に想像がついた。
無邪気な言葉は、打たれ慣れていない者にとっては暴力になりうる。
育ての親が、仮初めとはいえ凶状持ちだったなんて、子供にとっては一大事だ。
再び泣き出したアリスの間で途方に暮れていると、隣にいた美紀が静かに立ち上がった。
「―――ちょっと、いってくるから」
どこに、とは聞かなかった。
彼女の表情をみれば、一目瞭然だったからだ。
憤然と歩き出した美紀を、止めようとはしなかった。
いや、むしろ後押しをしたかったのかもしれない。
なぜなら……彼女のことを誇らしく感じていたのだ。
当たり前のようにアリスの為に怒った彼女は、正しさに満ちていた。
真っ赤な夕日に向かって歩いていく彼女を見つめていた自分は、
―――その数時間後に、大いに後悔することになる。
縛ってでも、彼女を止めるべきだったのだと。
教会を訪れた美紀は、はじめは落ち着いてシスター鈴香の説明を聞いていたらしい。
しかし、相手側の親の一言で激昂したらしい。
シスター鈴香曰く、その親御さんは口を滑らせたとか。
「……私からは、具体的なコトは言えません。美紀さんから教えてください」
と悪戯っぽく微笑まれたが、もちろん美紀が教えてくれるはずもなく。
ともかく、
美紀はあらん限りの声を出して、怒鳴り散らしたらしい。
日々の手加減を忘れ、腹の底から盛大に。
その結果、数キロ先まで、耳の良い者は泡を吹いて昏倒し、教会自慢のステンドグラスは粉々に砕け散った。
目の前で音の暴力を浴びた相手は震え上がり、巻き添えを食ったシスター鈴香は白目をむいていたらしい。
後に、弐乃為山の大噴火と揶揄される事件である。
「いえ、いいんです、気にしないで。あのステングラス、古かったですし」
後日、憔悴したシスター鈴香の言葉に、自分の胸は痛んだ。
昔お世話になった方に、迷惑をかけるのは、さすがに心苦しい。
困り顔の彼女を強引に説き伏せ、少ない自分のお小遣いから、何とか教会の修理費を賄ったのである。
あの日以降、アリスは泣いて帰ってくることはなくなった。
しかし、父ちゃんの悪い噂は消えた訳でなく―――
「アリスの父ちゃんあれだろ? この里を裏で仕切る、悪の親玉なんだろ?」
「ちげーよ! 一番強くて偉いのは母ちゃんなんだよな?」
「………四本腕の未奥尼って人が部下だって聞いたよ」
「知ってる! ソイツには近づくなバカになるって、シスター鈴香に言われた!」
「雨の日に雷を落とすのがお仕事なんですよね?」
むしろ、ちょっとしたカオスなヒーローになっていた。
でも、まあ……
「父ちゃんはスゲーんだぞ! 今日だって、機械獣を雷でやっつけたんだから!」
アリスが楽しそうだから、きっと些細なことなのだろう。