だいだらの里
だいだらの里。
木と岩と、スクラップでできたこの集落には、百人足らずの亜人たちが生活をしている。
夜空の果ては白み始めているが、まだ、活動している者は少ないのだろう。
風の音が良く聞こえてくる。
機械獣の残骸を運び、報告を終えた自分とハッチンは、里の中心にある篝火がたかれた広場で、何をすることもなく、時間をつぶしていた。
「いや、お主はさっさと家に帰った方が良くないか?
嫁さんに無事を知らせるのも、亭主の役目であろう?」
「……仕事に家庭を持ち込まない主義だから」
「ふむ。一見いいことを言ってるようで、実は当たり前のことを言っている上に、
むしろ、使い方逆じゃね?と思うんだが……」
それは、順番を逆にしたら怒られるからです。
命をチップに働く防衛隊の仕事の意義は、幼い子供にはまだ早いと、我が奥さまはお考えなのです。
実際、その考えは自分も同意なので、出来るだけ尊重したいのだ。
「ふむ。それは立派な考えだが、別に家に帰らない理由になっとらんぞ?
むむ! さてはお主、遅れてきた反抗期の真っ最中とみた!」
「いや、どちらかというと年齢的にはあってるんだけど……」
そもそも、旧人類の基準で考えるなら、結婚するには、ちと年齢が足りない。
まあ、自分たち亜人の結婚観は、生物としては、だいぶズレているのだが。
「まあ、我はずいぶん前に反抗期をすませたがな。
具体的には、去年、お主の嫁さんをからかった時。
我は、心から、女性には優しくするべきだと悟ったのだ。
でないと、命が危ない」
「―――――――――」
何があったのか、怖くて聞けません。
あと、その時に反抗期が終わったのではなく、トラウマが産まれたんだと思う。
「ぬふう!? それはまことか!
つまり、我が女性にモテないの、そのトラウマもせいかもしれぬと?
何をどうすれば克服できるのだ? やはりあれか? 新たな筋肉が必要なのか?」
どうだろう?
それだと新たなクリーチャーが爆誕するだけだと思う。
だけど、嬉しそうにスクワットを始めたハッチンを止めるのも忍びない。
そもそも、トラウマは忘れることは出来ても、消すことは出来ないと思う。
自分にとっては、変なタイミングに心を占拠して、呼吸を苦しくする存在だ。
……ハッチンのスクワットが百回を越えたのを見届けて、立ち上がった。
「ふぬん?帰るのか?」
「そろそろね」
赤かった月が、ずいぶんと薄れている。
そろそろ、里のみんなが起きる時間だ。
これ以上遅れたら、それはそれで怒られてしまう。
「では、我もそろそろ寝床にいくとしよう。嫁さんによろしくな」
「なんなら、うちで朝飯でも食ってく?」
何となくの気軽なお誘いはしかし、
「はっは!我は家族の団らんを壊すほど無粋ではないぞ?
何より、お主の嫁さん超怖い」
納得せざるを得ない、心からの本音で返されてしまった。
■
2人では持て余し、3人ではちょい手狭な我が家にたどり着く。
手をふれた岩の壁は、夜の冷気で冷やされていた。
出来るだけ音を立てないように、家の中に入る。それでも、小さな音を立ててしまったらしい。
家の奥からトタパタと、軽い足音が近づいてきた。
「父ちゃん、お帰り!」
飛び込んでくるモコモコも毛玉。
受け止めるように支えると、自分の娘―――火野日アリスは、快活な笑顔で見上げてきた。
「もう起きてたのか? アリス」
「うん! 父ちゃんお疲れ! ほら、お水お水!」
昨日までは空だった水瓶は、今は透明な水で満たされている。
アリスが渡してきたコップ一杯の水を、ゆっくりと飲み干した。
ここ数週間、だいだらの里は日照りが続いてた。近くの川は干上がり、井戸も枯れ果てた。
脱水症状で倒れた人数が十を越えて、ようやっと里長は一つの決断をした。
旧人類の遺物。
壊れかけの掘削機を稼働させ、干上がった井戸を掘り進めようとしたのだ。
強引にくっつけた火室に石炭を放り込み、ボイラーに水蒸気を発生させ、何とかモーターを回転させる。
果たして、掘削機はガタガタと破滅的な音を発しながらも、何とか井戸を掘り進めた結果、深い地の底から水が吹きあがった。
かくして里の水不足は解消。
めでたしめでたし…………にはならないのだ。
里長が決断を躊躇していた理由。
それは、機械獣の襲撃を危惧していたからだ。
旧人類の悪意か、はたまた別の理由か、機械獣は亜人が機械文明を持つことを良しとしない。
例外はなく、機械を稼働させるとたちまちに、機械獣たちは襲ってくる。
空に目でもついているようだと、誰かがぼやいていたのを覚えていた。
掘削機を稼働させたのは昨晩。
まさしく日が変わってすぐに、機械獣たちは襲撃してきたのだ。あと数日は、念のために警戒が必要だろう。
「父ちゃん。今日はキカイジューやってきたか?」
なるほどと、アリスの早起きの理由を理解する。
普段は母ちゃんが嫌な顔をする、父ちゃんの仕事を聞きたいのだ。
…………うん。
好奇心に満ちた子供の目を向けられるのは、正直こそばゆい。
よーし、父ちゃんお話しちゃうぞーっと、腰を下ろそうとしたとき、すぐそばの階段から、冷たい足音が降りてきた。
表情がこわばる自分とアリス。
おそるおそる顔を上げると、冷たい目で僕らを見下ろしてくる、我らが母ちゃんがそこにいた。
脇から腰まで深いスリットのある上着を着ているのは、彼女の背中と手の間に、皮膜があるからだ。
……幼い頃から、あまり成長していない彼女の胸でも、隙の多すぎる服装のせいで、そこはかとなくエロい。
ツルペタに感謝。我が家の貞操観念は、危ういバランスで保たれている。
そんなことを考えていたら、なぜか思い切り睨まれた。
「きたのね」
………………きたのねって言われた。
おかしい。
ここは一応、自分の家でもあるはずなのに。
相手は一応、自分の嫁さんのはずなのに。
見下ろしてくる険しい目に、自分は思わず。
「愛しているよ、ハニー」
隣でアリスが小さく悲鳴を上げた。
絶対零度の視線にさらされて、寒気を感じたのかもしれない。
ええ、自分はもう凍死寸前です。
やがて母ちゃん―――弐乃為美紀は、小さくため息をついた。
「あんたまた、雷を使ったでしょう? もう! 服が焦げちゃってるじゃない。
……はあ。朝ご飯用意するから、その間に着替えてきて。
ほら、アリスも顔を洗ってくる!」
「「サー、イエッサー!」」
自分とアリスの声が重なる。
どうやら朝ご飯は無事にでるようだと、アリスと二人、洗面場に向かう。
――――――と、大事なことを忘れていたのに気がついて、振り返る。
まだ少しだけ眠そうな美紀と目があった。
「なによ?」
「ただいま」
「…………おかえり」
うん。今日も自分の嫁さんはメンド可愛いのです。