湖湖箕晴(ココミ・ハル) ③ アイ・シルフィー ③
「わあっ!」
二限目が終わる。俺は一限目の授業に参加していない。
HR後に身体測定で保健室へ行った後、一限目の授業に途中から参加するのが嫌だったので図書室で適当に時間を潰した。
図書室に行ったら銀髪の女が下着姿のまま書架の裏に隠れていた。俺がそいつに気付くと、そいつは慌てて図書室から逃げ出した。
そして今、10分間の休憩時間。
斜め後ろには、ココミハルが満面の笑みで立っていた。
だが俺はどうしてか、そちらには向かず、真ん中の席に座っているレレイナクラウンを見つめていた。
二限目の授業中も、けっこうな頻度でチラ見していたような気がする。
どうしてしまったのだろう俺は。
そいつから目が離せなかった。
「わあっ!」
斜め後ろからリピート音が聞こえてくる。だが俺は、レレイナクラウンを見つめていた。
「やあっ!」
後ろから脳天に空手チョップを受ける。だが俺は、レレイナクラウンを見つめていた。
「えいっ!」
両の耳たぶを引っ張られる。くすぐったい。だが俺は、レレイナクラウンを見つめていた。
「ううう……」
後ろから抱きつかれる。柔らかい感触が頭から肩胛骨にかけて伝わってくる。そこで俺は我に返った。
「うわお!」
俺が振り返ると、すぐ隣でココミハルの顔が俺を寂しげに見つめていた。眉の端を下げている。
俺が見返すと、ココミハルは一転、はにかむ。
「な、なんですかココミさん」
俺は近すぎる距離にあるココミハルに敬語で話し掛けた。
「あそぼ!」
「え、何だって?」
「あそぼ! あそぼ!」
「……なにして?」
「あそぼ! あそぼ! あそぼ!」
両肩に手が置かれ、がくがく身体を揺すられる。
「うあうあうああう」
「あそぼ!」
「わかりましたういよおうおあうおう、わかりましたよココミさんんああえうい」
そこで両肩から手が離される。がくがくが収まる。
「で……なにして遊ぶの?」
俺が問いかけると、ココミハルは床に散らかしていた色とりどりの折り紙といくらかのクズと化した折り紙の無残な姿を指さした。
どうやら何分か前からココミハルは床で遊んでいたらしい。気付かなかった。
「つるさん!」
「……つるさん?」
「折って!」
「鶴?」
「つる」
「折る?」
「そう!」
「つるべえ」
「つるべえ」
「鶴の恩返し」
「つる、折って!!」
「はい」
鶴の折り方か。知らねぇな……。
俺は折り紙の散乱した床に座り込むと、平面鶴を創作した。
「どうだ」
「違う!」
「鶴だ」
「これじゃない!」
鶴だろうが。チューリップ鶴。ぶっちゃけチューリップ。三回折り曲げて頭を作ったチューリップ。
俺は四苦八苦しながら折り紙と格闘し、ココミハルはそれを対角線上からじっと見つめている。
やばい。
ココミハルは俺が何も言わずに折り紙を折り始めたもんだから、鶴を作れると信じた瞳をしている。
素直に作れないと話すべきだろうか。
いや、駄目だ。この邪気のかけらもない可愛い子にそんな酷なことは言えない。
俺は額に汗を浮かべて折り紙の折り目を増やしながらそんなココミハルの顔を垣間見る。
10分の休み時間がもう終わる。
アイ・シルフィーが次の授業の準備をするため、席に戻ってきた。
アイ・シルフィーなら鶴の折り方を知っているかも知しれない。
話し掛けるか。
いや、話し掛けづらい。そういえば俺は自分からアイ・シルフィーに話し掛けたことがなかった。
迫る時間。のどを鳴らす。
俺は意を決し、椅子に今座ったアイ・シルフィーに声をかけた。
「あの、あ、あああああ、アイ」
「ぇ……?」
アイシルフィーが振り向く。桃色のショートの髪が揺れる。
「こ、この、折り紙で、鶴、折れる?」
俺は冷や汗じゃーじゃー流しながら聞いた。名前、で良いんだよな? 引かれたかな? 名前にさんをつけるのも何となく気が引けた。
「……う、うん、折れるよ」
アイシルフィーは顔を赤らめてうなずいた。
「頼む、折ってくれ」
折り目まみれでボロボロの折り紙を渡す。
俺は他人に任せた。また他人任せ。だがしかたない。俺には、鶴は難しすぎた……っ(四つん這いで悔し涙)!
アイ・シルフィーは一分とかからず折り鶴を作る。ふっと息をかけて腹部をふくらませた。
「つるさん! ありがとう!」
ココミハルはアイ・シルフィーから折り鶴を受け取ると、折り紙を散らかしたまま自分の椅子へと帰って行った。
ちょうどその時フランソワが教室に入ってくる。
「みなさん、席についてくださ~い」
フランソワの声と共に、空席の多い椅子に人が着席していく。
「ありがとう。また助けられてしまった」
俺は自分の席に戻りながら言った。
「……どういたしました、てっ」
「……噛んだ?」
「噛んでないよ……」
「噛んだでしょ」
「噛んで、ないよっ……」
「噛んだよ」
「ううっ……」
カアアアアアアア、とアイシルフィーの顔がさらに真っ赤になる。心なしか目に涙が浮かんでいるよう。
「いや、やっぱり噛んでなかった」
「え?」
「うん、噛んでなかったな」
俺は教科書を取り出しながら独り言のように言った。
「それでは、はじめます!!」
フランソワが号令をかける。
俺は席を立ちながら、こちらに視線を向けたままのアイシルフィーに対して、反対方向の、窓の外を見つめていた。