最終話 ルティアは友達
俺は扉をノックすると、ガチャリとドアノブを捻り、保健室内へと足を踏み入れた。
中にはナース服のナース先生がおり、奥の教員机の椅子に腰掛けていた。
「あら、夜くん。先生に会いに来てくれたの?」
ナース先生は俺に焦点を合わせると、からかうように言った。
「いや……」
「ふふ。わかってるわよ」
ナース先生は背もたれつきの椅子から立ち上がると、俺の左にあるカーテンに仕切られたベッドまで歩いて行き、俺を振り向く。
「ルティアさんの様子を見にきたのでしょう?」
「……はい」
俺がためらいがちに言うと、ベッドの方からがさがさ、と反応がある。
「ルティアさん、お見舞いに来てくれたみたいよ? それともお迎えかな。ともあれ、カーテン、開けても大丈夫かしら?」
「は、はい……」
ナース先生がカーテン越しに声をかけると、中からルティアのくぐもった声が聞こえてきた。
がさごそ、と起き上がるような音が聞こえる。
「じゃあ、開けるわね?」
言って、ナース先生はカーテンを開いた。
開くと、そこには髪の少し乱れた、金髪内巻きボブの、綿のマスクをつけ、顔が赤い、半身だけ起こした状態の、ルティアの姿があった。
「千夜さま……」
ルティアの大きな碧眼が俺を捉える。
顔が赤く、とても苦しそうだった。
「具合は、どうだ……?」
俺はナース先生のいる位置まで近付きながら、尋ねた。
「はい……。まだ少しくらくらしています……」
「……そうか」
「で、でも、いつものことですから、千夜さまは、あまり気になさらないでください」
ルティアは深刻げな俺の返事に、慌てたように手を振って言いつくろう。
「じゃあ、ちょっと私は、外に出ているわね。資料集めもしないといけないし。ルティアさんも、帰れそうだったら、帰ってもいいからね。じゃああとは、2人でごゆっくり~」
ナース先生は含みのある態度で俺とルティアを見て言うと、例の如く、さっさと保健室から出て行ってしまった。
「……」
「……」
バタリ、と扉が閉まると、しーんとした空気が保健室内を包み込む。
黙ってしまうルティアの代わりに、俺がなんとか声を出す。
「……帰れそうか?」
俺が聞くと、ルティアはなにかをためらうように、困り顔をした。
ルティアは間を開けると、言った。
「私は……千夜さまが来てくれるのを、待っていました……」
「え……?」
ルティアの口から出てきた意外な言葉に、俺は困惑する。
「本当はいつでも帰れたのですが……待っていたら、千夜さまが迎えに来てくれるんじゃないかと思って……ごめんなさい……」
言って、ルティアは申し訳なさそうにうなだれたまま、また黙ってしまう。
「……」
俺はうなだれるルティアを見て、なんと返答していいのか困る。
……俺が来なかったら、どうしていたんだ? そう言おうとして、俺はその言葉を飲み込んだ。
そんなこと、聞いても意味がないと思ったからだ。
「……そうか」
とりあえず、俺は相槌を打った。
「はい……ごめんなさい……」
「……どうして、謝るんだ?」
「……。それは……」
「……」
私が、千夜さまを試すようなことをしてしまったからです。
ルティアは口籠るが、その次に言わんとすることが、容易に想像出来てしまった。
「いや……悪い。変なことを聞いてしまったな。今のは、なし」
「ごめんなさい……」
「……」
ルティアがごめんなさいばかり言うようになってしまった……。
せっかく仲良くなったのに、また気まずい関係になってしまうのは御免だ。
俺はルティアに言った。
「ルティア……俺の肩につかまれるか……?」
俺が言うと、ルティアは顔を上げた。
「は、はい」
「じゃあ、つかまってくれないか。一緒に、帰ろう」
「はい」
俺は一歩近付くと、ベッドの上のお姫様の前に、片膝をついた。
ルティアはベッドから足を出して上履きを履くと、腕を伸ばし、俺の肩に手を置いた。
ブレザーが擦れる音が保健室に小さく鳴る。
「……立っていいか?」
「は、はい」
ルティアが頷くのを確認すると、俺はおそるおそる立ち上がる。
立ち上がった瞬間、ルティアがふらつき、俺は手をルティアの身体に回して、押えた。
身体がひっつく。
ルティアの身体は驚くほど軽かった。
「ご、ごめんなさい」
「まったく問題ない」
俺がルティアの身体を支えている。
俺がゲルモンに襲われたときと、立場が逆転していた。
「ゆっくりでいいからな」
「は、はい」
ルティアの顔が間近にある。ルティアの髪がふわりと肩にかかる。
俺はルティアを支えながら、保健室を出た。
歩きながら、おんぶした方が早いか、と思ったが、ロムならともかく、ルティアには、ためらいが生まれてしまった。
でも……。
「……おんぶ、しようか」
「え……!?」
やっぱり言った。
断られるかもしれないが、それでも言った方がいいと思った。
なんとなく、そんな気がした。
ルティアの顔が、赤く、否、もともと赤い。ただ、驚く。
「そそそ、そんな……千夜さまに、おんぶなんて……」
「じゃあ、お姫様だっこ」
「ええ……!?」
「いやか」
「え……? い、いや……では……その……」
「……」
「えっと、あの……」
ルティアが恥ずかしそうに、床に視線を彷徨わせる。
「……嫌だったら、頷いてくれ」
「い、いえ……!」
「じゃあ、いいんだな……?」
「……(こくこく)」
「……よし」
俺はルティアが俯いたままこくこくと頷いたのを確認すると、腰を落とし、ルティアを膝からすくうようにして担いだ。
お姫様をお姫様抱っこが完成される。
今度はルティアが俺を見上げる形になる。
「……(赤面)」
「……あの、無理、しないでくださいっ」
「いや……してないけど?」
平然を装って、俺は廊下を歩き出した。
誰かに見られたら、俺の立場が危うくなる気がする。
だが、この方が、経済的だ(適当)。
「あの……っ、重く、ないですか……? 重かったら、言って下さい。すぐ、降りますから」
「いや……すごい軽い。透明人間みたい」
「ええ……!?」
歩いている最中、ルティアはそわそわさせながら、身体を縮こまらせていた。
あっという間に下駄箱に到着した。俺は靴を履き替えるため、ルティアを下ろす。
「あ、ありがとうございます……! ここからは、自分で、歩きますから……!」
「そ、そう……?」
ルティアは慌てて下駄箱から自分のローファーを取り出すと、慌てて履いた。
昇降口を出る。
夕日が俺とルティアと、学園と、その敷地を照らしていた。
俺とルティアはゆっくり歩く。校門まで。
校門に到着した。
お別れだ。
「……」
「……じゃあな」
何も言わないルティアに対して、俺は言った。
「は、はい……それでは」
これで本当に終わりだ。
俺とルティアから始まった、ひいてはパタ子の貼り紙から始まった、隣のクラスでの生活は。
こんなあっけない言葉で終わらせていいのだろうか。
そうは考えるが、他に言葉は見つからない。
別にこれくらいの方が、逆にいいのではないか。
そんな気もした。
俺は背を向けると、魔眼を発動させた。
魔方陣が俺の周りに浮かび上がる。
「あの……、千夜さま……!」
その時、後ろから、ルティアに呼ばれる。
俺は魔方陣を閉じることなく、振り返る。
「……なんだ?」
手を前に添えて立っていたルティアは、今にも泣きそうな顔をしていた。
夕日が、ルティアと俺の影を長く伸ばしていた。
「私は……なれたでしょうか……?」
「……?」
「私は……千夜さまの……願いを叶えることが出来たでしょうか……?」
「……」
「私は……千夜さまの……本当の友達になれたのでしょうか……?」
「……」
ルティアの声は、次第に涙声へと変わっていた。
そこで俺は、魔方陣を一度閉じると、ルティアの方へ一歩足を出した。
また一歩。
そうして、もう一歩、足を出すと、ルティアとの距離はだいぶ縮まっていた。
俺は喉を鳴らすと、口を開いた。
「ルティアは、どうなんだ……?」
「え……?」
ルティアがきょとんとする。
「それは、俺だけが決めることじゃない」
「え……」
「俺は、ルティアと友達になれたと思ってる。でも、やっぱり、俺が言うだけじゃ、不安だ。だから、ルティアにも聞きたい。ルティアは、俺と、友達になれたと思うか……?」
「……」
ルティアは俺の問いかけに、黙ってしまう。
しかし、その後、ルティアは顔を上げると、俺を真剣な眼差しで見つめ返した。
「私は、思ってます。千夜さまと、友達になれたと」
「……。そうか」
俺は、俺のことを友達だと言ってくれたルティアに、涙が出そうになり、ぐっと堪えた。
「……俺とルティアは、友達だ。形だけの友達じゃない。……本当の、友達だ」
俺はなんとか、そう言って、再び魔方陣を周囲に呼び出した。
「……じゃあな、友達」
俺の言葉に、意味が掴めなかったのか、ルティアは口を開いたまま、ぼーっとする。
しかし、少しして理解したのか、ルティアは笑った。
「はい……それではまた……千夜さま」
「……」
……そこは千夜さまじゃなくて、友達じゃないのかよ。
そう思ったが、まあいいや、と思い、俺はルティアに手を挙げると、そこはもう、宿屋前だった。
こうして、俺の隣クラ生活は、幕を下ろした。
第2部 完