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エッセイ

僕らの書きたいという欲求はどこから生まれるのか

作者: いかぽん

 趣味で創作活動をする。

 これは非常に楽しく、僕の日常を心躍るものにしてくれているように思うが、一方で最近、少し限界のようなものを感じ始めている。


 おそらく、アマチュアの創作活動の原動力は、大きく以下の四つぐらいに分けられると思う。


 一つ目は、自分の実力を認めてもらいたいという承認欲求、自己顕示欲。

 二つ目は、プロになりたいという欲求。

 三つ目は、ただただ自分の内側からあふれる、表現したいという欲求。

 四つ目は、自分の作品で他者にプラスの影響を与えたい(読んだ人を幸せにしたい、ハッピーな気分にさせたい、感動させたい、生きるための活力を与えたい)という貢献欲求。


 これらの欲求を否定することは、アマチュアの創作活動の原動力そのものを否定することであって、まったく建設的でない。

 この四つのうちで、多くの人が最も美しいと感じるのは三つ目で(四つ目は偽善的と感じる人もいるだろう)、多くの人が最も醜いと感じるのは一つ目であろうが、実際にはどれも承認してあげるべきだろう。

 原動力は、多い方がいい。


 ところで、「趣味で創作活動をする」と断言してしまう場合、二つ目の原動力が消えてしまう。

 となると、残りの三つで創作活動の原動力をやりくりしなければならなくなるのだが、これがなかなか、エンジンとして馬力が低いのである。


 一つ目の承認欲求、自己顕示欲。

 これを原動力にして書くと、書いている途中で「あ、この作品じゃ無理だ」と感じてしまうと、先を書けなくなってエタる。

 また一方で、書いている途中でこれらの欲求が満たされてしまえば、やはり先を書く原動力を失ってしまってエタる。


 これらの原動力を失わないためには、完結してから発表するという手段が有効だが、お預けを受けている犬のようで、書いている最中は大変にもどかしい。

 人間、そんな超長期のお預けに耐えられるものでもないので、通常おそらくは十万文字強、文庫本一冊分程度が限度だろうと感じる。




 三つ目の欲求で書いて、それが面白いもので、きちんと完結して、というのがおそらくすべての作者の夢のコースである。

 ただこの欲求で書いている場合、自分が「そのように表現したいもの」が、読者の需要と「偶然に」一致しない限り、「読者にとって面白い作品」にはならない。


 承認欲求やプロになりたいという欲求で書く場合、そのスタンスは「読者にとっての面白い」を追求する方向に視野を向かわせるのだが、執筆動機が単純な表現欲求に基づいている場合、そのスタンスは「読者にとっての面白い」を志向するエネルギーを持たないのである。

 結果として、書いている本人は楽しいが、読む側は面白くないという作品が出来上がる可能性が高くなる。


 また、作者が表現したいものが「物語」であるならばよいのだが、例えば僕のように「こういうキャラを描きたい」「こういうシチュエーションを書きたい」とかそういった欲求しかない場合、作者の中でそれを書き切ったときが、作品を書き終える終了タイミングになってしまう。

 そうなると、物語としては完結しないでエタる、ということにもなってしまう。


 ちなみに、作者が「そのように表現したいもの」に関しては、ケチを付けられても作者にとっては気に入らないだけなので、読者から感想で「悪い点の指摘」をされても、「うるちゃい、うるちゃい、うるちゃーい!(><)」という子どものような感情しか湧いてこない。

 「そのように表現したいもの」は「そのように表現したいもの」であって、「改善」のしようはなく、何かを変えるとしたらそれは作者にとって「改悪」でしかないのである。


 純粋に「そのように表現したいもの」だけで構成された小説の感想欄は、作者が本音でレスを返すと、感情的になった作者による罵詈雑言によって荒れること必至である。

 したがって、感想がスルーされるか、心にもない表面的なルーチンワードによるレスを返す対応が、最も見苦しくない対応形式になるであろう。


 そして作者は、何ヶ月あるいは何年という時間をかけて、読者から受けた言葉をかみ砕き、自身の中にゆっくりと浸透させてゆくというのが、おそらくは理想的なフィードバックの形だろう。

 ただし、これは極めて人徳にあふれた我慢強い対応であり、大部分の作者にとって易々とできることではないと思われる。




 最後。

 四つ目の貢献欲求は、原動力の補強にはなるが、これだけで長編作品を書くというのは少々しんどい。

 原動力の馬力としては、小さいものと言わざるを得ない。


 やっぱり人間、自分が一番大事なので、とてもしんどい想いをしてまで他人の幸福だけのために貢献することなどできないのである。

 とても身近な人物の、大きな不幸を打ち壊すため、とかならその限りではない(物語の主人公によくいるあれだ)が、見知らぬ誰かの幸福のためにものすごく頑張れる人というのは、きわめて稀有な存在だろう。

 (そうでなければ世の中の多くの人が、自身の力と時間と労力をありったけ使った募金とボランティア活動を行なっているはずである)




 したがって、やはり二つ目の「プロになりたいという欲求」が、面白い作品を書き、そして完結させるためのエンジンとして、きわめて優秀であると言わざるを得ない気がする。




 ちなみに、エタらせないための原動力として「読者に対する責任感」というものもあるだろうが、責任感というのも、エンジンとしては馬力の低いものと感じる。

 7万文字書いて、あと3万文字書けば完結できる、という程度なら頑張れる人もいるだろうが、あと93万文字書かないと完結できない、とかだと、まず責任感だけで完結させることは不可能だろう。


 やはり、人間の原動力として最も大きい力を持つのは、「欲求」だと感じるのだ。


感想レスはほどほどにサボると思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最初に、何をきっかけに小説を書こうと思ったのか。 そこを突き詰めると、自分がどの動機から入ったかの手掛かりになるのではないでしょうか。 あの作品を見て感動した、自分もそんな話を書いてみたい…
[一言] 私の場合は五つめとして「書ける内に頭に浮かぶものを発表したい、そして反応も含めて考察したい」という動機があります。三つめに近いのですが、少し感覚が変わって、時限式って感じですね。 年をとるの…
[良い点] 概ね納得です。 [一言] ただ、最近、僕は何のために小説書いてるんだろうと思って初心に帰ってみましたところ、 これは非常に特殊ケースなんたけど、性格的に社会生活ではお客さんとか周りに気を…
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