雇用契約無事締結!
連続投稿2話目。前話からお読みください。
さて、アルベルトの発案で漸くわたくしの仕事内容が決まってきた。道筋が見えると老文官の仕事は早い。先程までの弱りきったヨボヨボオーラが吹き飛び、怜悧な眼差しで詳細を詰めていく。古狸らしいじゃないの!
その間、わたくしは領地の急ぎの案件をどうするかとか、どの辺りの仕事ならフレッドにお願いできるかとか、町屋敷に帰ってからの予定を考えていた。
ツンツンと背中をつつかれた。まあ布とコルセット越しなので直接ではないが。アルベルトが父上の方に視線を送った。なるほど。話が収束してきたから、案件交渉のタイミングだと知らせてくれたのね。さすが歴戦の……しつこいな。
「お父様! 契約書を交わしましょう? 仕事の時は契約を交わすものくらいはわたくしも知っていますわ」
わざわざそんなものを…と渋る父上をなだめすかして、文書を用意してもらった。
1. エリシュナ・レインベルト侯爵令嬢は、後宮管理官の任にあたり宰相の指示を受けるものとする。
2. 宰相は、後宮管理官の任務のために侍女2名、女官2名とその他必要な措置を準備するものとする。
3. 後宮管理官は、後宮内での私闘を取り締まること、正妃選出の場を整えることのみを職務とする。
4. 後宮管理官の任は、正妃による後宮支配が可能となる状態まで解かれず、特別期間を設けない。
5. 侯爵令嬢の受け持つ執務は、期間内においては宰相とその息子が受け持つこととする。
6・ 後宮管理官はその任務中、できる限り国王陛下の生活に影響を与えないよう努力すること。
いい感じの文章ですね! 特に3番! 夜伽なし! これ重要!
あと、私が言うのも何ですが、陛下の件が最後で良いのか? できる限りってことは、多少の不便は目を瞑るって事で間違いございませんねふふふふふ〜!
さすが腐っても宰相ね。こういう文章を適当に作っても、何というか言い訳の隙をいっぱい作ってるのね!勉強になるわ♪
……いけないですわ。キャラ崩壊しています。品を失うばかりでなく暴走までしては、事を仕損じますわ!
「お父様、殆どこの条項で満足ですが、わたくしの帰還後の要件も足しておいてくださいまし」
今、一瞬父上の右眉がひくりと動いた。あれ、見慣れないと分からない程度なんだけど、お生憎様。娘のわたくしは見破れますのよ? 動揺してるって。
「先のことはまだ分からん。ある程度先が見えた後で再締結しようじゃないか」
いやですわーバレバレですわー白々しいですわー。先程の後宮から出すとか言うのも、場合によってはさせないつもりかしら。そんな事したら、アルベルト率いる領騎士団に暗殺されますわよ?
「人の記憶ほど曖昧で移ろい易きものはありませんわ、お父様。ならばこの無期限の任用期間を半年にしてもよろしいのですよ?」
「半年で仕事が終えられるような状態ではないのだよ」
「イヤですわ、お父様。娘の辣腕をお信じくださいまし。これでも騎士団の内輪揉めは全てわたくしが解決しておりますの。その手腕は団長たるアルが証明してくださいますわ」
アルが苦笑気味に父上に笑いかけた。真実であると。そして、そのやり方が言葉にできないやり方であると。
父上は、その言外のメッセージを受け取ったのか、あからさまに顔を歪ませた。己の放任主義を後悔するがいいわ。
「フレッドとの橋渡しはこの条件と引き換えですわ。帰還後のわたくしの自由と、フレッドへ王都学院
に通うようにとの説得。これをのんで頂かない場合は交渉決裂で」
扇を広げて口元を隠し、目線で勝負をかける。相手は交渉のプロですもの。一歩も引かないという気概で望まなければ。これがわたくしが望む未来。
――広い領内を自由に渡り歩き、フレッドに地方の情報を伝えながらのんびりと政争も政略もない世界で生きていく事
これが、わたくしの願い。そして叶えるべき将来。アルベルトと心の傷を癒しながら手に入れたわたくしの夢。
互いに睨んでいたが、フッと父上が表情を緩めた。
「負けだ。エリシュナ。私ではお前をどうこう言うことはもう無理だろうな」
そして、自ら7項目目を作ってくれたので、わたくしは扇を下げて微笑んだ。
7. 後宮管理官は任期後は後宮から辞するものとし、その後は宰相権限から離れるものとする。
わたくしの自由は、保証された。
互いの署名を交わし、応接室から下がったわたくしとアルベルトは人気のない王宮廊下を歩き始めた。
「最初は何て馬鹿なことをと思ったけれど、言質が取れましたわね」
「左様で、良うございました」
「……誰も居ないんだから、その気持ち悪い外面の喋り方止めて頂戴」
ふふんと、アルベルトを睨み上げると、参ったといった様子で表情が崩れた。
「エレナ、ついにやっちまったな。あんまり旦那様イジメが酷すぎて笑い出しそうになっちまった」
「ほほほ。後宮という面倒な所に一生閉じ込めようとするなんて、向こうの都合の良い事ばかりさせようとするからだわ。そんなことを娘にさせたいなら、幼少から洗脳しなくちゃダメよ。それをせずしてこちらに押し付けるばかりだから、返り討ちにあうの」
「旦那様は今からフレッド抱き込もうとしてるようだが、止めなくて良いのか?」
「まあ、王都学院への入学は領地経営に必要な知識以外のことや、特に人脈が築けるから両方に益があるもの。これが無くてもフレッドに勧めたわ。でもフレッドはまだ世間ずれしてないし、入学前に副団長あたりに仕込んで貰いましょう」
おー怖い怖いとニヤニヤ笑いながらアルベルトが、心底面白いといったリアクションをしている。わたくしもそれに笑い返して、
「あら、怖いのは貴方もよ? 弁論術だけでなくて、戦術や戦後の交渉術までわたくしに仕込んでくれたおかげで父上を言い負かせたわ。獲物の追い詰め方をか弱い令嬢に教え込むなんて、よっぽどタチが悪いのは貴方よ」
「か弱いなんて、女性はそんな見た目通りなわ……お嬢様っ」
角を曲がって来たのは、侍女を引き連れたどこぞの令嬢だ。領地に引き籠もりのわたくしは、家名こそ覚えたものの、顔は全く分からない。王宮や公式の場では、爵位が下の者から上の者へ声はかけられないという面倒なルールがある。わたくしの家よりも上になると王族に連なる公爵家だが、公爵の姫君ではなさそうだ。となると、わたくしから話しかけねばならない。
向こうのご令嬢が少し困惑した顔をしながら、少し道を譲って礼をとった。控え目な女性みたい。
「ご機嫌麗しゅうございます」
挨拶しながら、わたくしもゆっくりと淑女の礼をとった。……後ろの騎士、笑いを耐えようと頬がピクピクしてるわよ!
「ご機嫌麗しゅうございますわ」
わたくしよりも小柄で儚げな令嬢はわたくしの顔色を伺いながら礼をし続けている。何者か分からないから、焦ってらっしゃるようだ。
「お初にお目にかかります。わたくし、エリシュナ・レインベルトでございますわ。普段は領地に居りますので、貴女様のお名前が思い出せず申し訳ございません」
綺麗に礼をとってみせた。雰囲気から察すると、万一向こうが上位でも怒らなさそう。
「まあ、レインベルト侯爵様の家の方でしたの。失礼致しました。私はテレーザ・フロレイウルと申します」
「フロレイウル様ですのね。以後お見知りおきくださいませ。お急ぎの所足止め致しまして。またどこかでお会いしましょう」
にこりと微笑めば、テレーザ嬢も会釈して去って行った。それを見送りつつ、
「…………フロレイウル伯爵令嬢か」
「エレナ、どうした?」
「彼女達が来た道って、奥の宮に行く道よね。後宮関係者かと思って」
「かもな。登城用にめかしこんでいた割に顔色も良くなかったから、何か問題があったんだろう。ここで最も問題が頻発するのが後宮だから、可能性としては高い」
「ふーん……仲良くしておいた方が良かったかしらね」
スカート翻しながら、わたくしたちは王城を後にした。