第三話
正面玄関の壁が一面ガラス張りとなっている能力調査局のロビーに、三國日向が立っていた。
目立つことに、鍔の広い黄色の帽子を被り、『烏賊』とイカつく達筆な文字が描かれた全くセンスの感じられない扇子で自身を扇ぎながら。
「そんな暑いなら、上着を脱げよ。七月だぞ」
「日焼け、嫌なんです。染みになるし」
二人の間に挨拶は不要だ。
突拍子もなく会話が始まるのは、この二人の間では常識となっている。
「貴方だってジャケット着てるじゃないですか。七月ですよ」
三國日向はダークグレーのスーツに、怪訝な眼差しを送る。咎める事が面倒だった為、「ここは俺の仕事場だ」とだけ言っておき、本題に入る。
「それより、何しに来た? あんたが来るようなところじゃ無いだろ?」
「ここの開発部の方々と連携してます」
「ほう、そうなのか。なら、呼び出す相手を間違えてる。開発部の部長なら、大抵は実験室に居るぞ」
「そうですか。じゃ、案内して下さい」
何でだよ、と言いそうになるところを、寸でのところで止まった。
ちょっとくらい一緒に居ても、バチは当たらないだろう。折角、汗の匂いがするし。
「来客用の名札」
「――――?」
「貰ってないのか?」
キョトン、と首を傾げる様子から、それは明白だった。
祐吾は受付でこちらを物珍しそうに見ている若い受付嬢二人の方へ行き、「来客者用の名札、あるか?」と問う。
すると二人は何がそんなに楽しいのか、お互いを肘で突つき合いながら、どっちがどうするかもめ出した。
「無いのか?」と少し苛立った口調をすると、片側が慌てて名札を差し出した。そして衝撃的な発言をする。
「あの、そこの方は奥様なんですか?」
「…………は?」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
耳が可笑しくなければ、この何かの花の香水の匂いのキツい女は、事もあろうに、三國日向が木羽祐吾の妻だと、そんな夢のような事を言ったのか?
「い、いえその、お呼びする際、そう仰られたので……」
「けど、奥様とは言わずに呼ぶようにと仰られたので、名字も違うし変だなって……」
そんな馬鹿な事が、と怒鳴りそうになって一筋の光が脳裏を過った。
刑事部の人間ではないが、こういう時は『謎は全て解けた』と言うべきだろう。
「おい、俺の妻だと名乗ったのはどういうつもりだ?」
背後でそっぽを向く三國日向は、特に悪びれた様子もなく「その方が何かと都合良さそうでしたので」と言った。
「助教授と名乗るより、話の通りが良さそうですし」
「あんたな……」
「ちゃんと気は使いましたよ。匿名で呼んで貰いました」
予想通りだ、チキショー。
まぁ、特殊部隊の人間を呼び出す時、身内以外の人間は手続きがいるとは言ったことあるけど、それは祐吾のような立場の人間には適用されないとも言ったはずだ。大体、そんな嘘がバレない程、うちのセキュリティは“紙”ではない。
クソッ、気を使っただって?
そりゃ、使って頂けましたでしょうよ。
お陰様で、一瞬の内に色んな情景を思い浮かべる事ができましたよ。その後の現実の厳しさに、見事なまでに打ちのめされましたけどね。
「急激に頭が痛くなってきた……」
「二日酔いですか?」
「あんたと一緒にするな」
「失礼な。昨日は飲んでません」
ムッと膨れっ面を作る三國日向を見て、ちょっと可愛いと思う一方、ちょっとした疑惑が浮かび上がってきた。
「飲んでないのか?」
「飲んでません」
「飲んでないんだな?」
「飲んでませんよ」
「本当に、飲んでないんだよな?」
「……まぁ、飲み掛けのをちょっと」
尋問の経験は乏しいが、この人が嘘をついているかどうかは分かる。
簡単な話し、膨れっ面をすれば嘘をついている。本当に怒った時は、眉間に皺を寄せる。
まぁ、今回の場合はそんな表情の変化を見るまでも無く、簡単に見破る事が出来た。何故なら、この人が飲まない日は、研究が立て込んでいる時以外に、まぁ無いだろうから。
「ったく、仕事がある時くらい、飲むの控えろよ。体に悪いぞ?」
「控えてはいます」
「…………そうかい」
何を言っても無駄なようだ。
まぁ、分かってはいたが。
それはそうと、三國日向がとった行動に悪気というものは存在しない。無意識に、天然に祐吾をからかい傷付けているのだろう。
仕方の無いことだ。勝手に惚れているのは祐吾だ。
頭の痛みは溜め息で誤魔化し、名札を彼女に渡す。
「胸ポケットに引っ掛けてろ。ていうか、予定とかどうなってるんだ? 来客者があるなら、出迎えるものだろ、普通」
「約束の時間は、二時間後です」
「はい?」
この女助教授様は、今、何て言った?
「……二時間って、早く来すぎじゃないか?」
「いえ、そうでも無いのです」
「何で?」
「能力調査局の喫茶店に、美味しいパフェがあると聞いたもので」
そう言えば、そんな話を聞いたことがある。
能力調査局の地下一階には、リラクゼーションスペースがある。簡素な言い方をすれば、休憩所だ。そのリラクゼーションスペースには喫茶店があり、そこのスイーツが絶品なのだそうだ。祐吾はもっぱら、コーヒーとフレンチトーストだが。
「……食べたかったからか?」
「それ以外に何の目的があるとお思いで?」
「いや、そうだよな……うん……」
えっへん、とふんぞり返る三國日向に、祐吾は何も言う気が無くなった。
彼女に限って、予定外の行動をするような事は絶対と言っていいほどあり得ない。二時間も前にここに来る事も、計算の内なのだろう。
意外な事に、この人は一日の予定をきっちり立てる人だ。
「分かった。着いて来い」
観念して喫茶店まで案内する事にした。何言っても聞きそうに無いし、仕事も無いし。
「ところで、何種類あるんですか?」
「全種類食べる気じゃないよな……?」
何も答えなかったが、その足取りが心無しか軽かった事から、やりかねないな、と祐吾は苦笑した。




