十話:善悪の境
「最初から、疑われていたって事ね……。だが何故、私だと気付いた?」
「“幸運の女神”が囁いたのさ」
「つまり、勘というわけか……」
経緯の概要を聞いた朱鳥来美は、ゆっくりと息を吐く。
彼女にもう戦意は無い。この状況から脱する事は不可能だと理解しているのだ。しかし、理解した上で、彼女は武器を手放さない。
鳴海翔梧は笑みを浮かべ、敵意が無いことを示しながら彼女に近寄る。
「来美ちゃん、刀を渡してくれるかい? もう終わりにしよう」
「フフッ、“ちゃん”付けは気に入ってないと思ってたけど、こんな状況だと心地好いものね」
淑女の笑みを唇な端に浮かべ、昼間に見た優しい眼差しで翔梧を見詰める。「そんな笑顔、させたのは私か」そう悲しげに呟き、刀の柄を両手に持ち、正眼に構える。
カチリ、と撃鉄の起きる音が厨房に響く。
「来美ちゃん!? ――木羽さん、待って!」
「貴方の推理、ほとんど合っていたわ。けど、敵の規模を読み違えてるようでは、まだまだね」
背後の木羽祐吾が見えていないのか、朱鳥来美はずっと翔梧だけに意識を向け語っている。
「私の任務は世の中の害虫駆除。汚職政治家や過激派テロ組織とは違う、世間が軽んじている身近な犯罪の抹殺。――私の買い主は、そんな犯罪に家族を奪われたと言っていたわ。警察はろくに捜査などせず、うやむやのまま事件は迷宮入り」
「個人的復讐心の為に、全国で人を殺して回っていたのか?」
彼女は木羽祐吾の言葉には答えない。
答えられないのではなく、答える義理は無いと言わんばかりに。
「君に殺人を命じたのは、一体誰だ? そして何故、君はそんな命令に従っていたんだ?」
「買い主の名前は飯草満。ある組織に加盟する人よ。暗殺を行った理由は、あの人に正義があったから。大義の為に戦うと言って、結局は壊したがりで目立ちたがりな餓鬼畜生共とは違う。本気で罪を憎んでいた人だから、私は命令ではなく私の意思で強力していた」
「自らの意思で?」
「そう、私はホムンクルスの癖に、心を持っているの。だから心に従った。けどね、あの人は人間らし過ぎた。私を人形として扱い切れなかった。…………だから、こんな感情を持ってしまった」
翔梧の目をじっと見詰めたまま、憂うような声色をして言った。
翔梧もホムンクルスについて、何の予備知識が無いわけではない。人間兵器として造られた生命体で、必要限度の理解力と会話力だけ付加された人形の事だ。
心を持ったホムンクルスなんて、今までに無かった。
「心があるなら、善悪の判断は出来たはずだ」
「そうね、確かにそうだわ。人間の世界では、私の行為は絶対的な悪。けどね、探偵さん。この世の悪は、いつも正義と二人三脚なのよ。善はね、見方によっては悪になる」
それが真理だ、と彼女は憂いを帯びた瞳で翔梧に訴えかける。
確かにそうだ。
悪を滅すべく善を為せば、そこに新たな悪が生まれる。
戦争が良い例だ。
正義と信じて人を殺したと兵士は言う。けれど殺された側からしてみれば、それは紛れもない悪だ。その悪を滅ぼすべく武装し、正義を詠い人を殺す。
何という虚しき循環だろうか。
「私の知っている事を、全て話しちゃったわ。これって命令に従うなら、秘密を知った者を、全て消さなくてはならないの」
カチャリ、と乾いた音が鳴る。刀の柄を握り直した音だ。
ゆるゆると、刀身が持ち上がる。
「やめろ、鳴海を想うなら」
「新型ホムンクルス・ドミニオンとしては貴方を“Death”らないといけない。ただの少女・朱鳥来美が居れば、必死に止めるだろうけど」
“Dシリーズ”のホムンクルス“Dominion”は、漆黒の瞳に殺意を漲らせた。




