九話:彼女の仮面
喫茶『銀猫』はカウンター席に椅子が六つとテーブル席が二つだけという、小さな喫茶店だ。人気もあまり無く、昼時が過ぎれば基本的に暇になる。
その為、店長はアルバイトの府摘栞に店を任せっきりにして、いつも何処かへ行ってしまう。
それで回せてしまえるので、客の少なさをお分かり頂けるだろう。しかし、毎日が開店休業中にも関わらず、経営が黒字だという。
何か法外な商売でもしているのか、疑いの念を抱かない分けではない。が、お給料は貰えているし、他にこんな楽な仕事も無いので余計な詮索はしない。
触らぬ神に何とやら、だ。
そんな喫茶店でも、常連客は居る。
鳴海翔梧がその一人だ。
彼は栞の通う高校の先輩で、私立探偵なんていう自営業を営んでいる変わり者だ。
元は剣道部に入部しており、期待の新人とか言われていた。実際、一年生にして県大会優勝という偉業を成し遂げた強者である。
まだ中学生だった栞は、彼の噂を聞き付けた剣道部の友人に連れられ、地区大会を見学に行った時、情けない事に一目惚れしてしまったのだ。進路も彼目当てで決めた程、惚れ込んでしまっていた。
しかし、高校入学早々、彼を求めて剣道部を訪ねたのだが、彼は剣道部を辞めてしまっていたのだ。
その時は、大してショックは受けなかった。子供ながらに、怪我か何かで辞めざるを得ない状況に陥ったのだと予想が出来たからだ。
別に彼は彼だから、剣道をやっていようがいまいが、関係は無かった。
それに、部活を辞めたならそれだけ時間が余っているという事なので、一緒に居られる時間が増えたと、プラス思考に捉えていた。
しかし、私立探偵として栞の前に現れた時は、ショックを隠しきれなかった。
別に探偵にアレルギーがあるとかではない。ただ単に憧れていた先輩のイメージが、百八十度逆転してしまっていた事に、ショックを受けたのだ。
剣道をやっていた彼は、何というか、凄くクールだった。相手に反撃を許さない容赦の無い攻め、そして完封勝利をしたというのに、顔は笑いながら何一つ満足していないと言わんばかりの冷めた瞳は、危険な香りがして栞の身体に電撃を走らせた。
けど、探偵になった彼は、いつも楽しそうに笑っていた。爆発寸前のダイナマイトみたいな剣道少年は、人畜無害を絵に描いたような拍子抜けの少年探偵に変わり果てていた。
それが悪いとは言わない。
ただ好みに合わないのだ。
ここでスッパリ諦めていれば良かったのだが、どうやら一度本気で好きになってしまえば早々簡単に諦められないらしい。
栞は何とか彼に探偵を辞めさせ、剣道に復帰するよう説得を始めた。
そんなこんなで半年があっという間に過ぎ去り、今だ彼は探偵を続けており、栞の片想いは実らずにいた。
この日も栞は、彼に探偵を辞めさせる手段は無いかと、誰も居ない喫茶店で思案していた。
入り口を背にするカウンター席に座っていた栞は、彼が店の近くで“ロミオとジュリエット”を演じていたという珍事を知らずに居た。
「府摘、何処か休める場所は無いか?」
だから彼が、見知らぬ美少女を抱きかかえて現れた時、床が崩れ落ちるような感覚を味わった。
こっちがあれこれ思案している内に、泥棒猫に彼を奪われたと、本気で落ち込んでしまった。
茫然自失のまま熱中症を起こしたらしい少女の介抱を手伝っていると、今度はもう一人の常連客が現れた。
木羽という公務員は、栞と目が合うなり自分の口元に人差し指を立て、カウンター席に着いた。多分、他人のふりをしろ、という意味だろう。
「ご注文は?」
「今日は暑いから、オレンジジュースを。――府摘くん、探偵がこっちへ来たら、これを渡してくれ」
小声で言いながら、木羽は手帳のページを破ったような紙切れを差し出した。
そこには『関係がハッキリするまで、少女を尾行し接触はするな』とだけ書かれていた。
「かしこまりました」と紙切れを受け取り、鳴海先輩がカウンターに来るまで待った。
木羽は栞がアルバイトを始める前からの常連客らしい。彼と鳴海先輩はここで知り合い、何故か意気投合した。それ以来、詳しくは知らないが何かと二人で仲良くやっているようだ。
鳴海翔梧が探偵をやることに賛成派な為、栞は好ましく思っていない。
「注文、いいかな? アイスティーと、それからコーラをお願い」
「…………かしこまりました」
人の好い微笑を浮かべ、鳴海先輩は栞に声を掛ける。
栞はドリンクを用意すると、円形のトレーにそれらを乗せ、その傍らに木羽から受け取った紙切れを置く。
先輩はそれを一瞥すると、「ありがとう」とドリンクのグラスを両手に持って、少女の元へ戻ろうとする。
その前に、「先輩……」と気になっている事を勇気を出して確認する事にした。
「可愛い彼女さんですね?」
「彼女? いや、違う違う。さっきそこで倒れかけてるのを助けただけ。初対面」
「えっ!? そうなんですか!?」
「あぁ、そうだよ。――あ、オススメのパイもお願い」
鳴海先輩は少女の元へ戻って行った。
栞はその背中を目で追いながら、ほっと胸を撫で下ろす。
そうか、彼女じゃ無い、赤の他人か。
それもそうだ。あんな綺麗な人が、ダッサイ少年探偵何かを相手にする筈もない。いやぁ、焦って損した。
て言うか、道端で人助けなんてお人好しにも程がある。しかも、介抱までしてしまうなんて、最早バカが付くほどだ。
「バーカ」
「ククッ、良かったね」
いつから見ていたのか、木羽がまるで子供を見守るお父さんのような優しい眼差しで、栞を見詰めていた。
喫茶店での夢のような時間はあっという間に過ぎ去り、二人は名残を残しながらも解散した。
去り際、朱鳥来美は今までに無い最高の笑顔を見せ、「縁があったら、また会いましょう」と言ってくれた。
縁が無くとも、また会えそうだが。
鳴海翔梧は店で別れた後、急いで迂回し朱鳥来美の尾行を続行する。気になる女の子を尾行なんて、最早ストーカーの所業だが、これは仕事なんだと自分を納得させた。
彼女は特に寄り道はせず、町外れの団地に建つマンションまで真っ直ぐ帰っていった。
流石にそこまで行くと人通りが少なくなり、目立ちそうだったので、身を隠しておこうと辺りを見渡した結果、公園の遊具に丁度良い隠れ場所があったので、そこに身を納めた。
ドーム状に穴が幾つか空いている遊具だ。
マンションの玄関が見え、元が黒いから隠れるのに丁度良かった。
それにここの団地には、翔梧を知る人物が多い。迂闊に周囲を彷徨くと、誰かに話し掛けられ彼女にこちらの存在を知らせかねない。
ここからは尾行ではなく、張り込みだ。何もなければ、ここで野宿になる。
こんな時、助手が居れば必要な物を持って来て貰えるのだが、生憎その助手が実家へ帰省中の為、何も無しで一夜を過ごす事になりそうだ。
「しかし、あっちぃなぁ……蒸し焼きになっちまう……」
遊具の中は、想像を絶する暑さだ。
それもその筈。本日は晴天、直射日光はコンクリートの遊具を容赦無く照り付け、内部に熱が籠って汗が滝のように流れ出る。
気分はまるで小籠包。
ある程度の暑さは想定していたが、これは予想外だ。
さっき自販機で買った五百ミリリットルのスポーツドリンクでは、足りないかも知れない。
日光に蒸されて約一時間。
唐突に携帯電話が木羽祐吾からの着信を告げた。
「木羽さん、対象は町外れの団地のマンションに入りました。部屋は二階東の角部屋です。――彼女、どうしたんですか? 家出娘か何か?」
「彼女はホムンクルスである可能性が高い。そして、彼女が『魔刀ノ皇帝』を名乗る殺人鬼」
衝撃的な発言に、翔梧は一瞬暑さを忘れてしまった。
暑さのあまり、幻聴が聞こえたのかと自分の耳を疑ってさえみた。
「鳴海翔梧、聞いているか?」
「……何を根拠に?」
「彼女と全く同じ容姿をした少女が、同じ時間に別々の場所に居た」
「双子って可能性は?」
「“Dシリーズ”のホムンクルスと、飼い主が言っていた」
「けど、話した感じは普通の少女だった。普通の、優しい少女だ。それに性格が全く違う。ホムンクルスに個性は無いはずだ」
「そうだ。今までのホムンクルスには個性が無い。同シリーズのホムンクルスは、全く同じ性能であらねばならない。――けど、彼女達は違う。学習能力が高いんだ。だから環境に合わせて性格が変化したようだ」
ホムンクルス、人造人間、戦闘用の人形。
そんな単語が頭に浮かんでは、クルクルと回転する。そしてある結論に辿り着いた時、一瞬にして消え去った。
よくよく考えれば、翔梧にとっては別に大した問題ではなかった。
ホムンクルスだろうとフランケンシュタインだろうと、何であれ彼女が朱鳥来美である事実に変わりはない。それ以外の理屈が、必要なのだろうか。
そしてそれよりも気にしないといけないのは、もう一つの衝撃だ。
「だとしても、何故、彼女が『魔刀ノ皇帝』と言えるのですか?」
「それは、“幸運の女神”が囁いたんだよ」
木羽祐吾は、たまに『幸運の女神』という言葉を使う。
その正体をよく知っている翔梧には、否定する材料が何もなかった。こうなれば、彼女が犯人と疑わなければならない。
「とにかく、監視は続けてくれ。証拠が無ければ、機動隊どころか合同捜査本部も動いてはくれない」
「分かりました。――けど、木羽さん。一つだけ頼みがあります」
「何だ?」
「もし、万が一彼女が真犯人だったとしたら、俺に説得をさせて下さい」
その申し出に木羽祐吾は少し思案した後、「分かった。だが、俺も立ち会うぞ」と了承してくれた。
翔梧は礼を言い、通話を切る。
朱鳥来美が『魔刀ノ皇帝』を名乗り、人を殺して回っている。
それは俄に信じがたい。
あの天使のような少女と極悪非道な殺人鬼とは、どうしても結び付かない。けど、今はそれを証明出来る証拠が無い。
彼女の無実を証明するには、彼女が『魔刀ノ皇帝』による殺人事件が起こった時間に、このマンションから一歩も外に出ていないという証拠が必要だ。
その為なら、一晩でも二晩でも彼女を見張っやろうじゃないか。
こうして翔梧は未だかつて無い情熱を抱いて張り込みに当たるのだったが、日も傾き夜へと変わろうとする時刻に彼女がマンションを出て、女学生を尾行し始めたのを確認してしまった。
疑惑は残酷にも確信に変わり、木羽祐吾に連絡を取るのであった。




