三話:邂逅する白と黒
木羽祐吾は夏バテしていた。
「随分とグッタリしているな?」
「同居人が暑がりでね。エアコンをバカみたいに効かせやがる。おかげで夜は南極、昼はサハラで体はボロボロ」
つまるところ彼女は、夏に弱い。
祐吾のアパートにはエアコンが一台だけあり、いつも外気温との差を考えた絶妙な温度設定で快適な夜を演出している。だが、彼女が来てからは、エアコンの使用権は奪い去られてしまった。しかも悪いことに、エアコンは寝室に設置している為、祐吾に逃げ場は無い。
その結果の夏バテだ。
「酷い女だ。しかし、底無しの寛大さという噂は、どうやら事実みたいだ」
目前に座る女性は、確かな殺意を孕んだ切れ長の金色の瞳を祐吾から決して外さない。
「何だその噂は?」とこちらも目を離さず、世間話に専念する。
「それより、その同居人というのは大学の助教授だそうだな? 驚いた。一回りも歳上なんて。年増好み?」
「年増好みってのはやめてもらいたいな。実年齢はそうだが、精神年齢は俺より若い」
同居人についても調査済みか。
遠回しに人質に取っている事をアピールし、こちらの動きを制限しようとしている。
逆効果とも知らずに。
「私も若々しいけど?」
「んん? 目玉焼きには何掛ける?」
「醤油」
「俺はケチャップ。残念だ、気が合いそうに無い」
二人は笑いあう。目だけは笑わず、声だけは楽し気に。
この駆け引きは、祐吾が圧倒的に不利だ。
あちらは脅すための情報を山程持っているというのに、こっちにはどこぞの政府機関という事しか分からない。そして何故、政府の役人がわざわざ脅しに訪れたかも、心当たりがありすぎて分からない。
恐らくは、先月に燕皇とちょっかいを出した諜報員だと思う。それは、祐吾の背後に立つ殺気という名のコートを羽織っているかのような物騒な女の子が証明してくれている。
この匂い、間違いなくあの時の少女だ。
では、何故このタイミングなのだろうか?
燕皇の不在を狙ってとも取れるが、どうせ脅しを掛けるなら二人共の動きを封じる方が効果的だ。追跡装置を設置した人物の特定に時間が掛かった、とも考えられるが、そんな甘いチームには見えない。
何かしら理由があるはずだ。
しかし、その理由が分からない。何をきっかけとして、祐吾を脅しに掛かったのか。
素直に聞いたところで、明かしてはくれないだろう。
何せ、所属はおろか名前すら語らず、いきなり世間話を始めたのだ。意図が分からない。
「――そうか。いや、すまない。我々の勘違いだったようだ」
女性は後ろに束ねた髪を振りほどく。艶の良い紺色の長髪が左右に乱れる度に、趣味の良いシャンプーとリンスの香りがし、思わず胸がときめいてしまう。
「ディケード、この男では無い」と背後の少女に指示する彼女の瞳に殺意は既に無く、代わりに軍人然とした鋭い眼光を宿していた。
張り詰めていた空気が和らいだ。
「証言通り何も知らない。あの夜のアリバイもある」
「不可能、という事ですね?」
「そうだ。退散するぞ」
女性は立ち上がりながら、「長生きしたければ、我々に手出しはするな」と言いポケットから小さなビニール製の袋を取り出し祐吾の前に置いた。
袋の中には、一月前に仕掛けた安っぽい追跡装置が入っていた。作動すると、赤いLEDライトがチカチカと明滅する何とも分かりやすい作りのものだ。
やはり、あの黒いSUVに乗っていたチームか。
そう理解する間に、二人は戸口から出ていった。
祐吾は数分の間を置いた後、「始めるか」と遊撃特務部隊のオフィスを後にする。向かうは警備室だ。
屈辱、そうこれはもう屈辱以外の何者でもない。
こんな屈辱、標的に返り討ちに合うより辛い。
何故なら世界を股にかけるような殺し屋である朱鳥来美が、四人掛けの席の二人掛けの長椅子を占領し寝かされた挙げ句、頭に濡れた布巾を置かれ、見ず知らずの少年に丁重に介抱されているのだ。
店内に客は後から入ってきた男性が一人だけで、その男性客の座るカウンター席からは、こちらの姿は見えないようだ。唯一の救いとでも言うべきか。それでも、もう恥ずかしくて死にそうだ……。
「気分は? まだふらつく?」
「い、いえ、お陰様で大分よくなりました」
心配そうに顔を覗き込む少年にどぎまぎしながら、来美は体を起こそうとする。が、「まだ寝てなきゃ」と少年に肩を抑えられた。
最も屈辱なのは、この少年が無神経にベタベタ体を触る事だ。下心どころか、悪気すら無いから強く反発出来ない。
「あ、何か飲む? アイスティーでいい?」
「あ、いえ、そんな……。水で結構ですから」
「それじゃ味気無いでしょ? ちょっと待ってて」
本当、屈辱的だ。
この少年がよく分からない。何故、今日偶然会ったばかりの来美に、ここまで親身になって介抱するのか、理解に苦しむ。
知らずの内に、来美は少年を観察していた。
少し長めの黒髪でアホ毛が気になる。エメラルドグリーンの瞳は本物の宝石を連想するほど美しい。身長は百七十強、体重は五十八前後といったところか。何かスポーツをやっているのか、そこそこ引き締まっている。が、線は細く弱そうに見える事から、争い事とは無縁のようだ。印象は理系、もしくは文系。
服装はネイビーカラーのジャケットに、ダークグレーのインナー。黒のチノパンに黒のスニーカー。腰には濃緑色のウェストポーチ。遠目からは全身真っ黒に見えて、少しダサい。今は取っているが、出会った時には藍色に黒い一本線の入ったソフト帽を被っていた。
恐らくお洒落に気を使わないタイプで、当たり障りの無いような服装を心掛けているようだ。そして暗い色を好むらしい。
性格は温厚且つお人好し。損な役回りが多そうだが、好青年なのだろう。
左腰の裾が若干だが膨らんでいる。ヒップホルスターに『S&W M19』回転式拳銃が入っている。“4インチ”モデルの『コンバットマグナム』と呼ばれるマグナム拳銃だ。
この人の良い少年が身に付けるアクセサリーにしては、些か物騒だ。
それも含めて、センスが悪すぎる。せっかく整った顔立ちをしているのだから、きちんとすれば、それなりにはモテるというものを…………って、何を考えているんだ!
「ん? どうかした?」
「あ、いや、別に……」
あまりジロジロと見ていたからか、女性店員と何やら話し込んでいた少年が、優しげな表情をこちらに向ける。
迂闊にもその動作に、心臓が大きく一跳ねしてしまった。
「何をビビって……」と自分を忌々しく思う。
「いやぁ、恋人同士に間違われて、誤解を解くのに時間掛かったよ」
「迷惑だね」と苦笑しながら、少年が帰ってきた。
本当、本当に心底迷惑だよね。殺意は通り越すと呆れに変わるのだと、この時学んだ。
「はい、アイスティー」
「ありがとうございます……」
少年はアイスティーを来美の前に置き、自分はコーラを片手に向かいの席に座る。
苦笑はゆっくり体を起こし、ストローに口を付ける。先程の喫茶店に比べると、なんて美味しい紅茶なのだろうか。
「何から何まで、ありがとうございます。えっと、お名前は……?」
「おっと、これは失礼。俺はこういうものだ」
少年はウェストポーチから一枚の名刺を取り出した。
こんな子供が何の名刺か、と訝しみながら受け取ると、そこには目を疑いたくなるような、思わず吹き出しそうになるような事が書かれていた。
「私立探偵、鳴海翔梧?」
ふざけている、わけでは無さそうだ。
「探偵でイケメンで高校生。揃い踏みだろ?」と輝かしい笑顔を作る鳴海翔梧なる少年は、嘘をついているようには見えなかった。
本当に探偵なのか?
……そして、何が揃い踏みなんだろう?




