【競作】ネコノトーク - Neko No Talk
第八回競作イベント、夏のファンタジックホラー祭り開催中!
本作は競作『起承転結』の『承』であります!
氷を入れた飲み物のようにホラー要素がだいぶ薄まって参りました……でも、そこはファンタジックホラーなのでファンタジー押しで!
企画には起承転結と銘打たれていますが、私の作品は連作ではなく曖昧なつながりのみ意識しておりますので単独でお楽しみいただけます。
「まだ着かないの?」
いすかは足を止め、振り返って聞いた。
「もう少しだよ」
後ろからついてきていたノワールも足を止め、答えた。
「さっきももう少しって言った」
「じゃあ、あと少しだよ」
「むー、疲れたー」
「まあまあ、そう言わないで。ボクの宝物を見せてあげるって言っただろう? もう少し、あと少しだ」
宥めるようにノワールが言う。
だが、目の前には坂道が続いている。緩やかに傾斜したハイキングコースが見えなくなる先までずっとあった。
「ほんとに? ほんとにあと少し?」
もし、そこを越えるとしたらもう少しでも、あと少しでもないといすかは思った。
だけど――、
「そう、もうちょっとさ」
ノワールがそう言うから、いすかはむくれながら歩いて行く。
舗装されていない曲がりくねった砂利道は、サンダルではとても歩きにくかった。やっぱりノワールの言うとおりに靴に履き替えればよかったと後悔する。
普段、走り回ることしないいすかは体力もほとんどない。それでも疲れたから帰るなんて考えはいすかの中にはなかった。
ノワールは色々なことを知っていた。
例えば、いつか大人になったら役に立つなんて言って男心の動かし方を教えてくれた。おばあちゃんの知恵袋のような生活の豆知識を教えてくれた。訊いてもいないのにカレイが右でヒラメが左だと教えてくれた。
だが、ノワールは自分自身のことはあまり話さなかった。だから、他愛のない話の中からぽろりと出た宝物の話に飛びついたのだ。
太陽が眩しい晴天の空の下で、二人の影が少しづつ長くなっていく。
見に行くかいと訊ねる声に重ねる勢いで迷わず返したのが数時間も前のことだ。いすかはノワールが見せてくれるという宝物を絶対に見るつもりだったが、そろそろ頭がクラクラしてきていた。
見たいけど、苦しいどうにかなりそう。
そんな思いが、またいすかの口を開かせる。
「……まだ、着かない?」
「いや、この先だよ。ついてきて!」
ノワールはひょいっと脇道に身体を躍らせて、藪の中に入っていった。ノワールが首に掛けた鈴の音を頼りにいすかはついていく。大人が通るには辛い狭さの獣道だったが、小学生サイズのいすかにはちょうどいい幅と高さだ。多少苦労しながらノワールの姿を追う。
そして、数分もしないうちに藪は開けて、日の傾いだ空が見えてきた。そこは大きな木の根物だった。他の木や草は背の低いものばかりで視界を、その景観を遮るものはなにもなかった。
「見て、これがボクの宝物さ。月並みで恐縮だけどね」
「…………」
このときに見た空をいすかは生涯忘れないでいようと思った。
宇宙の中心にいるようだった。
海の底のような深い深い青い空が見渡す限りぐるりと続いていた。病室の窓から毎日のように見上げていた見慣れた空とはまるで違った。頭の後ろすら青く染まっているような感覚が襲ってくる。
「すごい……」
綺麗だった。
それがノワールに教わった中で、一番大切なことだった。大切なことに言葉はいらないということ。
ノワールは色々なことを知っていて、上手にそれを教えてくれる。いすかのどんな悩みもじっと聞いてくれ、いい方法を探してくれた。
「ねえ、いすか。いつものをくれないかな?」
そんなノワールがいすかに求めるものはいつもひとつだけ。
プルトップを立てて、缶詰を開ける。
「はい、どうぞ」
足元に置くと、待ちきれなかったかのようにノワールは飛びついた。
「おいしい?」
「ああ、やはりこの味だ」
85g、145円の高級猫缶。
あっという間に食べ終わったノワールはごろごろと喉を鳴らして丸くなる。いすかはそっとノワールを撫でる。黒い体毛はなめらかで触っているだけで気持ちいい。
色合いを変えていく空を眺めながら、ゆっくりと流れる時間を二人は共有した。
「いつか友達をここに連れてきてあげて。きっとよろこぶよ」
「ノワールがいれば友達なんていらないと思うけど」
いすかは疑わなかった。この飼い主とペットという関係性では説明できない、ノワールとの日常がいつまでも続くと思っていた。
「ボクは猫だからね、いつまでも一緒にはいられない。だからいすかも、お友達を作るんだよ」
「ん、そだね……」
帰り際にノワールが放った、言葉がいすかの耳にこびりついた。
―――――――――――
「なに、ここ……」
目が覚めるといすかは暗闇にいた。
上を見ても下を見てもなにもない。自分が溶けてしまいそうな漆黒の中だった。自分の手や足が見えることから、単に明かりがないのではなく、そういうところなのだとわかる。
「ノワール、いる?」
不安になって、ノワールを探して辺りを見回す。
緑の瞳が二つ、虚空に浮いていた。その宝石のような宝石のような輝きは間違いなくノワールのものだ。赤い首紐も、そこについた鈴も
「よかった、びっくりしたよ!」
いすかはほっと胸を撫で下ろす。
どんな場所でもノワールがいれば安心していられる。いすかはノワールの傍に腰を下ろして笑顔になった。
「なんだか前にもこんなことがあったね」
いすかは以前のことを話し出した。
夜中に学校に忍び込んで、そのまま閉じ込められてしまったのだ。幸い宿直の先生に発見されて大事にはならなかったが、そのときはずっとこのままなのかもしれないと思ったものだった。
(あの時も、ノワールったらあんまり喋らなかった……怖いのかな)
太陽が好きなノワールは、夜は嫌いなのかもしれない。それなら今だって怖いはず、といすかはノワールに色々な話をして気を紛らわせてあげようと思った。
「暗いところはわたしのほうが得意かもね。あのね、学校の自然学校でこんなことがあったんだ」
夜中にクラスみんなで寝ているところに大きな虫が入ったのだ。虫の嫌いなひとりが大騒ぎして、それがみんなに伝わって大変なことになった。
「電気を点ければよかったとあとになってみんな思ったけれど、そのときは誰も気がつかなかったんだ。わたしが、虫をぺちんと潰すまでほんと大変だったんだから」
ノワールもたまに虫を食べる。振りだけなのかもしれないが、素早い虫をさっと捕まえるノワールを何度も目撃していて、自分でもやってみたくなったのだ。
そのあと、しばらくムシキラーと呼ばれて嫌な思いをしたが、それは話さないことにした。
「大騒ぎしてた子に、ありがとって言われたけど。あんまり嬉しくなかったな。その子は読子ちゃんって言って、本の虫なんだって言われてるから」
ムシキラーと本の虫だからしばらくセットで扱われた。あまり思い出したくないことだったので、いすかは切り替える。
「そういえば本の虫ってなんだろう? ねえ、ノワール、知ってる?」
ノワールはなにも答えない。この暗闇でいすかが起きてからずっと、黙ったままでいた。
さすがにいすかも不安になって、ノワールに手を伸ばす。明かりのないこの空間では黒い毛とあいまって姿が曖昧だ。瞳はこちらを向いていても身体があるのか全然わからなかったから。
だが、ノワールはその手からひょいっと逃れた。それから一定の距離を保ってこちらに向き直る。
「え?」
いすかは呆然としていた。
ノワールがそんな風に逃げたのは初めてだった。ノワールが嫌いなお風呂だっていすかがシャンプーをしてあげるときにはいつもじっとしていたのだ。
「ノワール、触るよ?」
伸ばしたを見て反射的に逃げたのかもしれないと考え、一言言ってからもう一度捕まえに掛かる。
今度は近寄らせてもくれなかった。歩いて近づけば歩いて逃げる。駆け寄ろうとすると軽快に後退する。いすかはなにかにぶつかることも考えずに全力でノワールを追い回したが、結局捕まえられなかった。
手の届かないギリギリの距離でノワールはこちらを見つめるだけだ。
「どうして!」
荒い息を整えることも忘れていすかは問い詰める。ノワールは反応を返さない。ただ水晶のような瞳が、いすかの姿を捉えていた。
裏切られた気持ちになって、恨みがましくノワールを見つめた。そしてこの暗闇が悪いのだと考えを改める。こんなところにいるせいで、ノワールは自分のことを無視するんだと思った。
「……どうやって、出るんだろう?」
いすかは出ることを真っ先に考えたが、そもそもここはどこなのかもわかっていなかった。いつからいたのか、どうやってきたのか。なにも思い出せなかった。
ノワールの宝物を見たのが、一番新しい記憶だったはずだ。そういえば、今日はお母さんが久しぶりにカレーを作ってくれると言っていた。それを食べていないことを思い出して、……なにがあったのだろう。
「ノワール……」
どうしても、なにも思い出せずにノワールに頼ろうとしてしまう。だが、ノワールはずっと黙っていた。やっぱりなにもヒントをくれないのかといすかが諦めようとしたそのとき、ノワールはただ一度、猫のように鳴いた。
悲痛な叫び。
いすかはノワールの猫としての鳴き声を一度も聞いたことがなかったはずだった。が、その声には聞こえ覚えがあった。
フラッシュバックする。悲痛なノワールの鳴き声。耳をつんざくクラクション。目を焼いたトラックのフロントライト。浮遊感。衝撃。赤い空。赤い地面。赤い匂い。
「車に轢かれたの……?」
言葉にした瞬間、暗闇が姿を変えた。
夕焼け空と『KEEP OUT』の黄色いテープで仕切られた道路。前面がひしゃげたトラックの車体に大量の血を流す男が乗っている。そして、少し離れたところに小さな黒い身体があった。
「ノワールも、……轢かれたの?」
だが、その場には少女の姿はなかった。自分らしき影が見当たらないことに、いすかは疑問を抱く。
なんにしてもここは夢の中なのだといすかもようやく気づく。
「お母さん……」
いすかのつぶやきに反応したかのように、事故現場は病室に姿を変えた。いすかの母親が、今にも泣き出しそうな顔でベッドの傍のパイプ椅子に座っている。
死んだように横たわっているいすかは体中に管を刺されていて、機械に繋がれたような姿になっていた。
(どうして、わたしだけ……? ノワールも、トラックに乗ってた男の人もどうして病院にいないの?)
次に映しだされたのは、お葬式だった。遺影はトラックの運転手。事故から、明らかに時が経っていた。
いすかは、なにかに気づきそうだった。それが恐ろしい答えであると直感したから、考えることを避けようとした。だが、ノワールに目をやったとき、どうしようもなくわかってしまった。
ころんと鈴の音が鳴る。
ノワールは赤い首紐を自ら器用に脱ぐように外した。その紐はいすかの手作りでノワールにプレゼントしたものだった。
いつまでも一緒にはいられない。
脳裏に蘇るノワールの言葉――
「いやだ!」
絶叫だった。
別れることなんて絶対に認められなかった。いくらノワールがそう言っても、受け入れられないものもあった。
それでも、いすかは否定してしまった。そうなった、と認めてしまった。夢の世界は夢が満ちている時しか現れない。いまとなっては残酷な結果だけを残して終わろうとしていた。
なんとかノワールを引き留めようと必死にいすかは考えた。
ノワールは色々なことを知っていて、上手にそれを教えてくれる。いすかのどんな悩みもじっと聞いてくれ、いい方法を探してくれた。
だけどノワールが求めるものはいつもひとつだけ。そんなノワールがいすかに求めるものはいつもいつだってひとつだけ。引き留められるのだってたったひとつだけだ。
考えたらいつの間にか手には猫缶があった。85g、145円の高級猫缶。プルトップを立てて、缶詰を開ける。
「ねえ、ノワール! いつものだよ、こっちにきてよ……!」
ノワールは動かない。
まるでもう要らないと黙して語るように。じっと、いすかを見つめていた。
夢の世界が渦巻くように消えていく。すーっと暗闇が晴れていく。ノワールの姿が溶けていた闇ごと、明かりが照らしだしていく。
「どうして」
いすかは泣いた。
夢が開けるほんの一瞬前の白く染まった世界で大声で泣いた。自分の涙声の反響が聞こえるような気がして、ますます現実感が戻ってきた。
何時間も、何十時間も、何年も泣いた。
ひとしきり泣いたところで、もう現実は目の前にきていた。まぶたを引き上げたらきっとそこにある。
手には開けた猫缶。
いすかは口をつけて、飲み干すように食べた。生々しい味がした。
―――――――――――
「いすかちゃん、お見舞いにきたよ」
目が覚めて二日。読子がやってきた。
いすかは、心に決めていたことを口にする。
「ねえ、読子ちゃん。お友達になってよ」
皆さん、夏バテしていませんか? 『食べる』ことが今回、私の競作の全体のテーマとしてありますが、これがなかなかモチーフとしておいしく、生命を表すのにとても使いやすいのですね。
なにはともあれ、ほのぼのしていただけたでしょうか。
参加者の方へ
予約掲載というオモシロシステムを知らなかったので、お昼は完全におでかけしてました。本当に申し訳ないm(_ _)m
以後、設定してから出かけることにします。心よりお詫び申し上げます。