優
ゆっくりと目を開けると、目の前は真っ白だった。
ここはどこだろうか。
わからない。
頭がぼやけている。目もかすんでよく見えない。
もしかして、天国だろうか。
もしそうだとしたら、羽矢がいるはずだ。
羽矢は天使なのだから。
しかしだんだん頭が鮮明になっていくと、ここが病院だということに気づいた。
翔太は病院のベッドに寝かされていた。
頭が痛い。腹も痛い。顔も痛い。もう……どこもかしこも痛い。少し動いただけでも痛い。声も出せない。
翔太は羽矢が男につれていかれたことを思い出した。
あの全身黒づくめの男。羽矢を傷つけた人物。
翔太は羽矢を護れなかった。
悔しくて涙が出そうになった。
体の痛みより、心の痛みの方がつらかった。
「あ、起きたんですね」
翔太の横で、女性が声をかけた。
目だけ動かして見ると、おばさん看護婦が翔太の顔を心配そうに見ていた。
「大丈夫ですか?」
翔太は体を動かせないので何もいわなかった。大丈夫かどうか、わざわざ本人に訊かなくても、見ればわかるだろう、と思った。
看護婦は翔太の気持ちをわかったようで、一方的に話した。
「玄関で気を失っているところを、となりの家の人が見つけてくれたんですよ。8時頃に家に帰ってきたら、あなたの部屋が少し開いていて、なんだろうと思って覗いてみたら、あなたが傷だらけで倒れていた、ということです」
翔太の部屋は一番左端にあるので、隣人は一人だけだった。
「顔もお腹も傷だらけ。脳震盪、不眠、栄養失調。あなた、どういう生活をしてたんですか?」
少し怒ったように翔太にいった。
翔太は毎日、悪魔のいる学校、稼ぎの少ないアルバイト、大切な羽矢のことばかりで、自分の健康のことなどほとんど考えたことはない。
まさか自分の体がそんなことになっていたなんて、全然気づかなかった。
そして、翔太の体を心配してくれる人は誰もいないこともわかった。
看護婦は黙って翔太を見た。
なんだか息子を見る母親のような目だ。
「私にもね、高校生の子どもがいるんです。男の子です」
どうやら翔太を高校生だと思っているようだ。
「毎日、部活動で友だちと楽しくやってますよ。最近、好きな女の子もできたみたいで」
翔太とは正反対だ。
看護婦はそっと翔太の額に手を乗せた。
そして、ゆっくりといった。
「かわいそうに」
その瞬間、翔太の目から涙が溢れた。
膨れていた風船がぱん!と割れたように、翔太の涙が流れていく。
翔太がいままでずっと我慢してきたこと。それは泣くことだ。
幼い頃、母は『男の子は泣いたらだめ!』と翔太にいった。
翔太も、羽矢も一緒に泣いてしまうと思って、絶対に泣かないようにしていた。
そして、初めて人に優しくされた。
翔太は人を優しくしてきたけれど、優しくされたことはない。
父親は頼りなくて小心者だし、母親は口うるさくて信用できない。そしてわがままで自分勝手な羽矢に振り回される。
そんな毎日が、10年以上も続いた。
翔太の気が休まるところなど、どこにもなかった。
看護婦は、翔太の涙をそっと白いハンカチでぬぐった。
翔太はそれをぎゅっと手でつかんだ。その時は痛みがなかった。
声を出しながら翔太は泣いた。とまらなかった。




