透明
もういなくなればいい。
この世から『瀧川羽矢』というわがままな子どもが消えてしまえばいい。
透明人間になるのだ。
そうすれば、兄は幸せになるかもしれない。
しかしそんな勇気が出せるわけない。
そしてまた、自分が嫌いになる。
羽矢は部屋の中で何度も思った。
いま、自分は中学生だ。
『思春期』の時。
思春期になると、男も女も体つきや心の中が変わっていく。
大人になっていくのだ。
でも自分は何も変わっていない気がする。
わがままで、自分勝手で……。
なんて子どもなんだろう。
「子どもなんて思われたくないよ。大人扱いして。お兄ちゃん」
こういえたら、この悶々とした気持ちは一気に消え去るだろう。
しかし、また翔太に「何いってるんだ。まだ子どもだろ。わがままで、自分勝手で、お兄ちゃん子で、一人じゃ何もできないっていつもいってるじゃないか」
なんて返されてしまったら、ショックでさらに落ち込んでしまう。
それだけじゃない。
あの夜、羽矢は翔太を「一人の男」として見た。
ふつうの、3歳年上の男の人。
一目惚れというものだろうか。
一気に目も心も奪われた。
羽矢はいままで人を好きになったことがない。
もちろん、翔太がいたからである。
「これって初恋なのかな」
羽矢は声に出していった。
しかし翔太は血の繋がった兄だ。初恋なんておかしい。
ひとつだけできそうなことを見つけた。
兄を持つクラスメイトたちに答えを教えてもらうということだ。
仲直りする方法を教えてくれるかもしれない。
羽矢は学校に行くことにした。
部屋から出たら翔太と顔を合わせることになる。
でももうこんな毎日を送るなんて耐えられない。
話しかけられても何も答えない。
透明人間になろう。
そう決めて、クローゼットの中の制服と鞄を取り出した。
翔太が朝ご飯の用意をしていると、羽矢が部屋から出てきた。
制服姿で学生鞄を肩にかけている。
1ヶ月ぶりの羽矢を見て、翔太は緊張した。
「ああ、羽矢。出てきたのか」
翔太が話しかけると、羽矢は何もいわず、目も合わせなかった。
そして玄関に行き、ドアを開けて出て行った。
完全に翔太を透明人間扱いしていた。
翔太の心の中に、ぽっかりと穴が開いた。
やはり羽矢は翔太のことを信用していないのだ。
いままで自分が妹のためにやってきたことが、全て透明な世界へと消えていった気がした。