6話:空賊
シハヤ:居酒屋のおやじ
ルーン:居酒屋の娘
首都ダリマ、シハヤの店に着いたのは夕方だった。
この間、エンジンを仕入れた時から街の雰囲気は豹変していた。
いや……街の騒がしさや忙しさは変らない。
でも……空に浮かぶ飛行船「空中戦艦」が戦争を感じさせてくれる。
街に入る直前、海には何隻もの戦艦が隊列を組んで浮かんでいたりした。
シハヤの店は表だっては「食堂」「酒場」。
でも、裏では軍の横流しや隣国エラとの非合法交易品を扱っている。
表にはサイドカーが三台にバイク二台が止っていた。
そんなバイクの隣に止めると、中に入ってカウンターに目をやった。
「コム!」
すぐに店の娘・ルーンがやってくる。
「お久しぶり」
「生きていたの?」
「……知ってるのか?」
「いいから座って」
言われるままにカウンターの隅に陣取った。
ルーンは注文を取る仕種をしながら、ちょっと表情をこわばらせて、
「なにしに来たの」
「なにしにって……客に言うかな」
「お父さんに用事でしょ」
「うん……」
「ここに来るまでで解っているとは思うけど……オムライスでいい?」
「オムライス」の時だけ笑みがもれた、ルーンの得意料理だ。
「ああ、いよいよ戦争みたいだな……空中戦艦が浮かんでた、デカい」
ルーンがグラスをカウンターに置きながら、
「合図したら、トイレに入って」
トイレ……ヤバイ時の取り引き場所だ、教会なら懺悔室辺り。
「なんか……あったのか?」
「入る時、気付かなかったの……公安や特公が張り付いてるわよ」
「そうなんだ」
ルーンはそれだけ言うと、奥に引っ込んでしまった。
料理人に混じって鍋を振るい出すのがチラチラ見える。
ちょうど目の前に電話器。
(ラン……いるかな?)
メモを残してきたけれど……
出発する時は電話を掛けるつもりなんてなかった。
(夕方に電話とか……書いておけばよかった)
思いながら、ハンドルを回して受話器を取った。
交換に家の番号を伝えて待つ。
いきなり繋がった。
(いたよ、運がいい)
最初に聞こえたのは、ランの声じゃなくて息遣いだった。
「ラン……いてくれてよかった」
『コムっ!』
「メモにはダリマに行くってだけしか書いてなかったからな」
『もうっ! いきなりいなくなってっ!』
「はは、ごめんゴメン……いろいろあってさ」
『もうっ! もうっ!』
「いてくれてよかった……でさ……」
『コムっ、聞いてっ!』
「うん? なんだ?」
『納屋がっ! 飛行機が燃やされたのっ!』
「は?」
飛行機が燃やされたショック。
でも、すぐに我に返った。
ルーンがオムライスとマッチ箱を持って来た。
マッチ箱……中身はトイレで話すための無線みたいなものだ。
ウィンクするルーンに頷きながら、
「ラン……どうしたんだ?」
『村に……情報局の人が来てて……きっとそのせい』
「わかった……」
さっきのルーンの「公安」「特公」を思い出しながら、
「電話が通じるって……家は大丈夫?」
『うん……家は……』
「じゃあ、こっちで用事済ませて帰るから」
『コムっ! コムっ!』
この電話も盗聴されていると思っていいだろう。
おれは受話器を戻すと、箱を持ってトイレに入った。
壁にそれを押し付けてから、
「オヤジさん」
『コム……生きていたみたいだな』
「新聞に遭難の事は出てなかったって思うけど……」
『エンジン買ったろう』
(エンジン……)
『本当にすまないと思っている……あれは軍のまいたエサだったんだ』
(バットの言ってた通りだな……)
『壁、開けるから待ってろ』
「え?」
「壁を開ける」ってのは初めて聞いた言葉だった。
箱を押し付けている壁をノックするように二度。
それから音もなく、トイレの壁がスライドした。
人ひとり通れるだけ開くと、シハヤのオヤジさんが顔を出す。
「こっちに来い」
「こんな仕掛けがあったんだ」
「今回は本当にヤバイんだ」
壁の向こうには小部屋。
シハヤのオヤジさんはトイレの取り引きの時はここで話しているらしい。
そんな懺悔室くらいの部屋を通り抜けて、店の事務所に出た。
「こんなになってるの……初めて知った」
「さっきの部屋がシェルターになってんだ……それに……」
「それに?」
「事務所から直でトイレに行けるだろ」
「そーゆー使い方も出来るんだ」
おれが呆れて笑っていると、オヤジさんはシリアスな表情で、
「ルーンから聞いてるとは思うが……店は公安の連中に見張られている」
「気付かなかったよ」
「この間のエンジン……軍の最新式だったろ」
「うん」
「軍はあれをわざと流して、集まってくる連中を……な」
「オヤジさん……」
「何だ……悪かったと思ってる……悪気はなかった」
「言いにくいんだけど……エンジンもうない?」
「は?」
「だから、エンジン、もうない?」
「お、お前……」
「遭難しちゃったのは……知ってるんだよな」
「ああ……一応ほら、軍の無線も傍受してるからな」
「ここは大丈夫?」
「今朝調べた、大丈夫」
「バットが……ユフナの向かいの世界にいる」
「は!」
「あの日、遭難して、俺だけ村に流れ着いたんだけど」
「ユフナの向かい……」
オヤジさんはデスクに地図を広げて、
「灰色山脈のある世界だよな」
「うん……万年雪積もってる」
「なんでバットがあっちにいるって判るんだ?」
「狼煙だよ、狼煙……よーく見ると上がってるんだ」
オヤジさんは頷きながら、
「で、エンジンってなんだよ?」
「飛行機の話は……以前してたよな」
「飛行機……うん……まさかそれの為の?」
「うん……俺、設計図の意味はさっぱりだけど、エンジンの重さと出力は解るから」
「あのエンジンが欲しかったのはそれでか!」
「うん……オヤジさんは解ってると思うけど……俺は難破して船もなくなったし、金だってこの間のエンジンで使い果たした感じ」
オヤジさんは渋い顔のまま、
「金の事は……こっちもエサと知らずに振ったからいいんだ……でも……」
「エンジン……やっぱりないんだ」
「全部売った……でも……」
「でも?」
オヤジさんが肩をつかんで来る。
事務所から店の中がある程度見渡せた。
カウンターに座っているくたびれた軍服を指差しながら、
「他のエンジンは連中に売った」
「軍人じゃないの?」
「お前も判るんじゃないのか……あれが軍服か?」
「階級章……海軍っぽいけど?」
「海軍の服か?」
言われて……首を横に振った。
「あれは空賊だ、解るか?」
「空賊って!」
空軍の脱走兵が集まって組織している「空飛ぶ海賊」こと「空賊」。
オヤジさんは難しい顔をしながら、
「さっきの通路からトイレに戻れ」
「う、うん……」
「連中は今日、支払いにやって来たんだ……もう用は済んだから帰るばかりだ」
「俺が自分で交渉って事?」
嫌がうえにも口の中が苦くなる。
空賊の噂は聞いているし、新聞にだって載る連中だ。
子供の俺が相手にされるか……嫌な事しか考えられない。
「俺はお前の事を……連中に何度か話した事がある」
「え?」
「だから……案外うまく行くかもしれん」
「そ……そうなんだ……」
「バットを助けに行く……それは本当なんだな」
「うん」
頷いて顔を上げると、オヤジさんがじっと見つめている。
その意味がよく解らなかったけど、
「オヤジさんが話した事があるなら……それに賭けてみるよ」
俺は来た通りに戻ると、ルーンのオムライスを掻き込みながら空賊の連中を見る。
やたら図体のデカイのが一人。
あとは細いヤツばっかりだ。
カウンターに収まり切らない数人がテーブルにいる。あれはきっと見張りだ。
「シハヤ、またな」
一番デカイのがカウンターを叩きながら言う。
事務所からシハヤが出て来て手を振る。
そんな男に従うように、空賊の連中は店を出て行ってしまった。
俺は最後の一人が店を出たのに合わせて、さじを皿に置いた。
片付けに来たルーンに「ツケ」の合図を送って、すぐに店を出ようとする。
途端にルーンに肩をつかまれた。
「なっ!」
「これ、持ってって」
ルーンが俺に押し付けた新聞紙の包み。
「お父さんから、武器はダメって言われてるからこんなのだけど……」
手の上の重み……信号弾だ。
「サンキュ、これでも人が殺せるぜ」
刹那、警笛の音が店に響いた。
テーブルの数人は私服の公安だったらしい。
俺より先に店を出る。
店先から爆音が飛び込んで来る。
リズミカルな排気音……店先に並んでいたサイドカーやバイクだ。
そんな音に混じって公安の連中の制止の声。
「バーカ」
さっきのデカイ男の声だった。
追うようにガスの漏れる音がして、店先は煙に覆われた。
そんな煙に紛れて、エンジン音が走り去っていく。
「逃げたぞっ! 車をっ!」
すぐに公安の車が三台やってくる。
連中が行くのを確かめてから、俺は自分のバイクに駆け寄った。
キーをひねり、スターターに紐を掛け、引っ張った。
まだ温もりを失っていないエンジンはすぐに息を吹き返す。
シフトペダルを踏み込んで一速。
軸足を遠くに着いて車体を倒し込む。
アクセルを開く。
クラッチリリース。
弾けるようにして向きを変えるバイク。
すぐに車体を起こすと、空賊のバイクの音を追った。
石畳の上を暴れる車体。
普通に走るのは簡単だ。
でも、連中を追って全開走行はスリップの連続。
左右に振れるリアタイヤを気にしていると公安の車に追い着いた。
「!」
急に静かになる。
先行しているはずの空賊のバイクのエンジン音が消えた。
公安の三台の合間から空賊のバイクは見える。
(なんで静かになったんだ?)
空賊のバイクは音はしないけど……進んでいる。
デカイ男が振り向いてニヤリと笑うのが見えた。
(ヤバイ!)
なにが「ヤバイ」かなんてわからない。
本能がブレーキを絞らせていた。
同時に空賊のエンジン音が戻る。
ダッシュするサイドカーに公安の車も加速した時だった。
針路を遮るように路面電車が現れる。
三台のブレーキランプが悲鳴のように明るく光った。
衝突音と同時に路面電車がバチバチと火花を散らした。
(路面電車止めてやがった)
俺も道を塞がれてしまう。
でも、とりあえずは衝突は免れた。
エンジン音が遠退くのに、その方向を感じながら、
(ダメか!)
そんな考えを振り払うように、何度も首を横に振った。
どんどん遠退く空賊の気配。
(空賊……)
今まで何度も新聞記事で見た事があった。
(飛行船で盗賊……)
事故現場が騒がしくなるのが目に入った。
そんな騒動を見ていると、妙に冷静さが戻ってくる。
(飛行船……)
ちらっと空を見上げる。
軍事パレードで展示飛行した空軍の空中戦艦が浮かんでいる。
俺はアクセルターンを決めると抜け道を選ぶ。
飛行船はデカイ。
空軍なら飛行場に停泊出来る。
空賊の連中はそんな事は出来ないから……どこかに飛行船を隠すはずだ。
あんな目立つ代物を隠せる場所なんて知れていた。
南の森の方に向かう。
深い森で飛行船を隠すには向いていないと思う。
木が邪魔で気嚢が引っ掛かるだろう。
(だからこそ……だ)
ダリマの街を抜け、すぐに森に入る。
もう陽も落ちたのか、どんどん空が藍色に染まっていく。
アクセル全開で森の中を走った。
鼻に排気ガスの匂いが入ってくる。
連中のテールランプが見えるのに、時間はかからなかった。




