4話:狼煙
ちょっと朝、起きるのが楽しくなっていた。
ランが羊を連れて牧場にやって来る。
そして必ず顔を出してくるのだけれど……
それを先に起きていて、顔を近付けて来た時に驚かすのだ。
寝たふりをして、足音が近付いて来るのを待っている。
木のベットとマット、毛布をかぶって俺は待っていた。
そして今日も……
今日の足音はちょっと違った。
「コムっ!」
いつもは羊の首に下がった鈴が鳴る音とランの足音がする。
それが今日は足音だけだった。
「コムっ!」
それに、やってくる足音も「走って」いた。
「コムっ!」
時間も全然早い、いつもなら陽がちゃんと昇ってから。
それが今日はまだ薄暗い、陽の出までは、ちょっとあるだろう。
「コムっ!」
「なんだよ……今日は早いな……」
「起きてたんだ!」
「まぁ……なぁ……」
「ちょっと来てっ!」
眼鏡の、勉強しか出来ないって思っていたラン。
そんなランが強烈に手を引いてくる。
転げ落ちるようにしてベットから出た。
「早くっ!」
「ちょ、待てってば!」
家を出ると、まだ紫色の空の下だった。
星だってまだちゃんと見える。
久しぶりに見る色の空だった。
船でこの空を見ると日はいい一日になる事が多い。
「あれ!」
「あれ?」
「あれ!」
「ああ?」
ランの言っている、指差しているのがイマイチわからなかった。
ランの腕に顔を寄せて、指差す先を見極めた。
「なんだよ?」
「わからないのっ!」
「わからねーよ」
「よーく見て!」
「あ、ああ……うん……ああ……」
朝も早くから……
でも、ランの気迫は声でわかった。
軽く受け流す……のはちょっと出来なかった。
とりあえず「なにか」を確かめてからでも……
ランの示す先は「隣の世界」。
ユフナの村から海があって、世界の端になっている。
ここ、ユフナの村は陸地から世界の端が見えるめずらしい場所だった。
世界の端……その向こうにはまた別の世界があった。
「世界」がどんな感じになっているか、目の当りにできる場所がユフナの村だ。
「よく見てっ!」
「ああ……」
ランの示す先……隣の世界。
隣の世界には万年雪の積もった山がそびえている。
海があって、そして世界の端があって、海の水がそこから滝のように落ち込む。
隣の世界に行ったことなんてないし、行けるはずもない。
あっちに行くには空を飛んで行くしかないのだ。
行くなら……
「!!」
「見えた?」
「ああ……あれは」
ランの指差した先に小さな煙が立っている。
小さい……でも、それはぱっと見だ。
煙周辺の景色と比べると、その煙がまっすぐ、そして太いのがわかる。
「狼煙だ」
俺はランと一緒に隣の世界を見ながら、
「あっちに人がいるなんて……聞いた事あるか?」
「ううん……そんな事今まで一度だって」
「だよな」
「それに……」
ランの言葉の意味はすぐにわかった。
狼煙が途切れるのを、俺は息を飲んで数える。
先に言葉が出たのはランだった。
「バット……だよね」
「ああ……あれはバットの狼煙だ」
隣の世界にバットはいた。
なんで隣の世界に行けたか……その辺はよくわからない。
でも、ともかくあの狼煙の主はバットに間違いなかった。
「取り引きの時、相手を確かめた時の狼煙だ……」
「ふふ、わたしも一度、聞いた事あるから」
「そうなんだ……ランも知ってたんだ」
「バットは……たまに悪い連中がいるからってね」
「あいつ……どうやって……でも生きていてよかった」
「うん!」
そんな返事に、俺はランが嬉しそうに笑みを浮かべているのを見た。
ランとはそれほど親しい……つもりはない。
確かに眼鏡でいじめられっこって事で、ついつい目が行くのはある。
それに……一度は命を助けられた……今はついつい視線が行く。
今まで見たこともない笑顔が、そこにはあった。
バット……孤児で村では嫌われ者な方だと思う。
森の木の上に家を作って暮らしていた。
俺も……父親がいなくならなければ、バットと友達になっていたかわからない。
ランは接点がないって思っていたけれど、俺の知らないところで二人はずっと友達だったのかもしれない。
ちょっと、二人の事が知りたかった。
「なぁ、ラン」
「なに?」
「バットとは……友達だったの?」
「うん……変?」
「ああ……だって、お前は村長の家の娘だろ」
そんな言葉にランは小さく頷いた。
「わたしが……いじめられているのはわかるよね」
「うん……それが?」
「バットも学校に来ると、いじめられるよね」
そう……孤児のバットが学校に来る。
クラスの連中は嫌な顔をし、ケンカっ早いのはすぐに手が出る。
「だから……いじめられっこつながり……きっと」
「そうなんだ」
「バットは別に……慰めたりかばってくれたりしたわけじゃないんだ」
「うん……で?」
「最初はそう……コムと一緒かな……なんでケンカしないんだ……って」
「そうなんだ」
「わたし、女の子だよ……ケンカなんてできないよ、勝てないもん」
「……」
「それから……たまに話すようになったの」
「そうなんだ」
「バットはほら、木のぼりとか上手で……よく二階の部屋まで来てくれたの」
ランの顔を見ると……まっすぐ狼煙を見つめていた。
細めた目には涙が浮かんでいる。
「わたし、眼鏡だったり村長の娘だったりで……友達がいないから……」
俺はひらめいた。
ランを信じていい……そう思うと、ランの手を握っていた。
「ちょっと……いいか?」
「?」
そのままランを連れて納屋へ。
ドアの鍵を開けて、
「ランには見せた事ないよな……バットから見せてもらった事は?」
「ううん……ここには入った事ないよ……鍵かかってるし」
「だよな」
ランと一緒に中に入る。
俺は壁のスイッチを入れて、
「こいつで……バットを助けに行く!」
「!!」
作っている最中の飛行機。
見せていいか、迷いはあった。
でも、ランがバットの友達なら……協力して欲しかった。
「飛行機……空を飛ぶ機械」
「ひ……飛行機」
ランはびっくりした様子で飛行機に近寄ると、翼の部分を触りながら、
「これで……空を?」
「ああ……ずっとバットと一緒になって作っていたんだ」
「そうなんだ」
「俺の親父が……発明家だったのは知ってるな」
ランは一瞬表情をこわばらせ、小さく頷いた。
「親父は飛行機を作っていて……黒服連中に捕まったんだ」
「うん……見てたし……知ってる」
俺は部屋の本棚から分厚いファイルを三冊持ってくると、
「見てくれ」
パラパラとめくって見せる。
文字の部分は今はいい……図面だ。
今、目の前にある飛行機の図面を見せながら、
「俺は親父の設計図を見て……ここまで作った」
「……」
「途中……難しい計算があるけど……ともかくこの図面だけは見て、その寸法で同じ物を作る事ができる」
「わからないけど……作った」
ランの言う通りだ。
「ラン……ランはこれ、読んで解らないかな……」
俺はランにファイルを押しやった。
ランは最初こそゆっくりだが、ページをめくりながら、
「難しい計算みたいだけど……説明があるから解るかも」
「じゃあ、ランは計算式や数字の意味を……俺に教えてくれないか?」
「……」
「ダメか?」
「よく調べてみないと……」
「それ、持って帰っていいから」
「え……いいの? 大事な物じゃないの?」
「もう、ここまで出来ているから……な」
ランは資料を改めてめくって、パッと明るい顔になった。
「ちょっと解るかも……」
「それでこそランだ」
「家でゆっくり読んでみるね」
「ラン……お前ってさぁ」
「?」
「お前、すげー勉強好きなんだな」
「勉強……うーん」
「?」
「わたしは……別に勉強苦手じゃないってだけと思う」
「苦手じゃない……ってだけ」
「うん……コムは船で仕事してるよね?」
「ああ……」
「わたしは船に乗るのは好きだけど……帆の上げ下げとか力仕事になると」
「なんとなくわかるかも」
「コムは勉強は苦手……なだけだよね」
「まぁ……なぁ……」
ランは資料のファイルを前に出して見せながら、
「でも、コムもちょっとはこれ、読んだんだよね?」
「ああ……図面の数字を拾って作ったくらいだからな」
「ふふ……」
「なんだよ、気持ち悪いな」
ランが微笑むのにどんな顔をしていいのかわからなくなった。
いい感じで、俺の腹の虫が助け船を出してくれる。
低い、唸るような音にランの顔がまた弾けるように笑みを浮かべた。
「お腹空いてるんだ」
「あ、ああ……」
「またコウモリ捕まえてくれたら、ごはん作ってあげるよ」
ランのコウモリ料理はなかなかだった。
俺は頷くと、
「先に家に行っててくれるか……ここ、戸締まりするから」
「うん」
ランはファイルを持って出ていった。
俺は壁際、帆に使う布をまくる。
最近乗っていなかったバイク。
俺はタンクキャップを開けて中を確かめた。
燃料はばっちりだ。
でも、タンクの燃料だけじゃ首都ダリマまでは行けない。
すぐに陸路と燃料を売ってくれる店を思い描いた。
(久しぶりのツーリングだな)
「コムー、どうしたの?」
外からランの声がした。
俺はすぐに帆を元のように戻して急いだ。
ブーメランも忘れない。
「ああ、待っててくれ、すぐ行くから」
日付が変るくらいまで仮眠をとってから、ベットを出た。
明かりを付けて、ラジオのスイッチをひねる。
天気予報を聞きながら、準備していた荷物を確かめた。
呪文のような天気予報を聞きながら、頭の中で天気図を描きあげる。
(久しぶりの陸路だからなぁ……)
頭の中で地名と天気図を重ねて、記憶する。
それからメモ用紙を出してペンを走らせた。
(ランは……黙って出て行ったら怒るかな?)
明かりを消して、ラジオのスイッチを戻す。
荷物を背負って家を出た。
運がいい……思い立った出発の日が満月だ。
月の明かりがあれば、夜道も大分楽に走れる。
納屋のバイクを引っ張り出すと、スターターを引っ張ってエンジンを掛けた。
二度目にエンジンが小気味よい音で回り始める。
アクセルを軽くあおると、マフラーから吐きだされた煙が青白い雲になった。
(よし……行くか!)
ここのところ船ばっかりで、相手にしていなかったバイク。
久しぶりの相棒……タンクを軽く叩いて、俺はシートをまたいだ。
アクセルをちょい開いて、ゆっくり進み出すバイク。
ライトの灯けて、砂利道を飛ばした。




