3話:ラン
村のはずれの、断崖絶壁の上に家がある。
家の周辺は牧草地になっていて、ヤギや羊なんかがやってきて草を食んでいる。
俺は一度家に戻ってから、スケジュールの書かれた黒板に目をやる。
でも、もう船はなく、バットもいない。
スケジュールは全部流れてしまっていた。
それでも……それがもう体にしみついていた。
そんな確認作業の後で家を出る。
なだらかな斜面の牧草地。
ゆっくりと下って行くと、ツタなんかに埋もれた納屋があった。
「……」
家のもかけていない鍵をここにはしていた。
所々破れた屋根から陽の光が漏れている。
薄暗い中に「飛行機」の骨組みがたたずんでいた。
部屋の隅にある机で図面を確認する。
もう削り出してある部品を手に、飛行機に向かった。
飛行機の骨組みは木で出来ていて、出来るだけ釘を使わないで組んでいる。
(どうしたもんだか……)
こう、バットに投げ飛ばされて生き残った。
バットは多分、海のもくずかさもなくば世界の端から落ちたのだろう。
(エンジン……)
飛行機のエンジンが収まる部分。
今は木箱が押し込んであった。
搭載する予定のエンジンのサイズ、形状の木箱だ。
俺はそんな木箱を引っ張り出して床に置いた。
飛行機にぽっかり、スペースができる。
(船もないし……仕事だって……)
失ったものの大きさを改めて思い知らされた。
また、船を買って、仕事をする……
バットと思いつきで始めた時はなんとも思わなかった。
でも、今は違う。
仕事で散々煮え湯を飲まされたのや、金で苦労した。
「初めて」の時は「わからない」から突っ走れもした。
でも、今はその苦労を知っているから「うんざり」な気持ちが大きかった。
(またゼロからってのは……キツいかな)
飛行機に木箱を戻すと、納屋を出て牧場に横になった。
青い空には真っ白な雲。
じっと見つめていると、微妙に形を変えながらゆっくり流れていく。
そこにやたらと大きな雲……じゃなくて羊。
雲と違ってその白は汚れ気味だ。
「今日は……ありがとう」
「!!」
「トイレで……」
「ああ……」
ランは隣に体操座りすると、
「いつも……どうしていいかわからなくて……」
「どうしていいかわからないって……なんだよ」
「だって……」
「いじめられるのが嫌なら、ガツンといけばいいんだ」
「だって……叩いても叩き返されるし……」
(やった事あるんだ)
「わたしが叩いても全然だし……」
(まぁ、そんなもんだろ)
「コムは……へっちゃらなの?」
「は?」
「いじめられたりしないの?」
「……」
「昔は……いじめられてたよね?」
そう……ボスに昔いじめられていた。
あっちの方が歳下だけど、体は大きいのだ。
でも、何度かケンカして、勝てたかどうか……ともかくいじめはなくなった。
「まぁ……昔はいじめられてたな」
「どうしていじめられなくなったの?」
「まぁ……いろいろ」
「……」
「それに……」
「それに?」
「俺、船便の仕事してたろ」
「うん……」
「仕事してるといろいろあったんだよ」
「いろいろ?」
「うーん、いじめのすごい感じ……かな?」
「え……どんな感じ?」
「支払いすっぽかされたり……仕事横取りされたり……かな」
「わ、わからない……」
「支払いすっぽかされると……金がないからどーなる?」
「さ、さあ……」
「船はガソリンで動いているだろ……ガソリン買う金がないんだよ」
「なるほど!」
「仕事横取りされたら、当然収入無くなるしね」
「ガソリン買えない……と」
「まぁ、そんな感じ……それに」
「それに?」
「子供が仕事してるとバカにされたり舐められたりするわけ」
「そう……なんだ」
「だから……そんなの経験したら連中のイジメなんてね」
「コムはいいね……強くて」
「そーでもないさ……今は途方にくれてる」
「??」
「またゼロから仕事って……うんざりなんだよ」
ランはクスリと笑うと、
「苦労するのは嫌なんだ」
「まぁ……もう舐められたりはしないと思うけど」
「……」
「船を買ったりするのは金が」
「コムはすごいね……そんな事まで考えられるなんて」
「そんなにすごいかなぁ……」
「もう……船には乗らないんだ」
「面倒……なのはある……」
「村で仕事すればいいのに」
「たいした仕事ないしな……船便は稼ぎが段違いなんだよ」
「そう……でも……面倒なんだよね」
「だな~」
ランに言われて俺は笑った。
背伸びをして体を起こすと、
「バットに助けられて、ちょっと戸惑っていたんだ」
「うん?」
「助かったのはいいけど、バットはいなくなるし、船もなくなる」
「……」
「学校でぼんやり授業受けて、給食食ってると、ふぬけになるのが自分でも……」
ランはくすくす笑っている。
「最近そんなのもいいかな……って思うようになってるんだ」
「そうなんだ」
俺は近くで草を食っている羊を捕まえて抱きしめる。
毛でむくむくな羊はもがいていたが、逃がしたりしない。
「船で仕事をして、大人の世界に片足突っ込んだ」
「うん……」
「そこでさ、学校で連中にいじめられていたのを思いだしたんだ」
「……」
「連中のいじめを受けてる時はうんざりしてたさ……あいつら一つ下だしな」
俺は羊を手放すと、
「でも、大人の世界のいじめに比べりゃ、たいした事ないんだ」
「そう……」
「ランも……乗り越えられるって」
「コムはそう言うけど……言うけど……」
「?」
「もういじめられなくなったから言えるんだよ」
「そうかも……なあ……」
「だから簡単に言えるんだよ」
「でもさ……ラン……俺はさ……」
「?」
「船で仕事をしてて、バットといつもぼやいたもんさ」
「うん?」
「大人に何度もだまされてさ、金を巻き上げられたりしたんだ」
「それで?」
「もうちょっと……頭が良ければ……って思う事がしょっちゅうだった」
「それが?」
「ランは学校の成績、むちゃくちゃいいよな」
途端にランの頬が赤くなるのがわかった。
今まで目を見て話していたのが、目を逸らされてしまう。
「六年のところをやってるけど、本当はもっと上をやってるだろ」
「どうして……わかるの?」
「いや……なんとなく……」
俺は首都ダリマ、シハヤの店の娘・ルーンの事は言わなかった。
居酒屋で働くルーンは学校に行けないでいたが、自分で教科書を買ってきて勉強をしているのを見ていたから、なんとなくわかるのだ。
学校に通いながら、お目当ては給食だけじゃなかった。
新聞……図書館でチェックしていた。
辺境のユフナに新聞が届くのは数日遅れだけれども……俺はバットの事を探した。
「……」
新聞には遭難に関する記事はほとんどなく……南の隣国エラとの緊張ばかりだ。
ギリア国のある北の大陸とエラのある南の大陸。
国土の大きさの差もあって、エラはいつもギリアに舐められている……感じだ。
ギリアはエラの四倍は国土があって、国力も四倍くらい……思う。
国同士はいがみあっていたけど、仕事ではまたちょっと違った。
南のエラでしか手に入らない香辛料の取り引きがあったりする。
俺としては……別段エラの連中とケンカをする理由はない。
「空中戦艦……配備……か……」
巨大飛行船が写る白黒の記事。
改めてパラパラとめくってみたが、遭難の記事は見当たらなかった。
「戒厳令発令……か……」
面倒くさい事になりそうだ。
戒厳令……話に聞いた事しかない。
でも、今回の遭難を思うと、特公の連中がどういった動きをするか……
記事を改めて眺めてみたら……そんな記事があった。
(不穏分子を逮捕……か……)
国力差が四倍のエラにギリアが勝てない……歴史で習った。
いいところまでは、いつもギリアが優勢なのだ。
でも、最後のツメで、返り討ちにあってしまう感じ。
(まぁ……でかい海があるからなぁ……)
ギリアとエラの間には広大な海。
ギリアの海軍がそこを苦手にしているのだ。
国力ではギリアが確かに上だったが……
エラの地に住んでいた民は昔から積極的に海に出ていた。
それは小学校の教科書にだって載っている事だ。
歴史で習うと……いつも最後、海を越える戦いで負けていた。
(でも……まぁ……)
戦争がどれだけ続くか……わからない。
教科書に戦争は何度も出てくるけど、理由はいろいろだ。
いがみあっている理由が見えないから、余計どれだけ続くかなんてわからない。
(おとなしくしていた方が……いいのかな……)
新聞を畳んで戻す。
図書室には他に生徒はいたけど静かだ。
運動場で遊んでいる連中の声の方が大きく聞こえるくらいだった。
ランが羊を迎えにやって来た。
もう陽も大分傾いていて、空は茜色で燃えるようだ。
羊の気の汚れも、この赤い光の中じゃ目立たない。
「コム……食べる?」
「ああ?」
「食べる?」
ランが出してくれたのは弁当箱だ。
丸いアルマイトの筒で、船でいつもお世話になっていた。
この辺じゃ漁師はあたりまえで使っている。
「ありがとう……って」
弁当箱を受け取って開けてみれば、そこには白飯だけがぎっしり。
「まぁ……そりゃ……」
そう、この辺の弁当箱は一つには白飯、一つにはスープが定版だ。
一品に一箱。
ランが持ってきたのは一つだけだ。
「家から持ち出せるのがそれだけしか……」
「まぁ……いいけど……」
俺はとっととそれを持って家に入ると、白飯を皿に出して弁当箱を返しながら、
「おかずは今から獲るから」
「え……今から?」
「ああ……」
今一度家に戻ってブーメランを出すと、
「これで……」
「これで?」
ランがポカンとするのに、俺はブーメランを投げて見せた。
くるくると回って飛んで行くブーメラン。
途中で弧を描きながら向きを変え、手元に戻って来る。
「すごい……なに、それ」
「ブーメラン……知らないか?」
「う、うん」
「エラの……昔からの狩りの道具なんだってさ」
「へぇ」
「こいつと……こいつで狩りをするんだ」
もう一つは、腐ったリンゴだ。
俺はそれを思い切り空に放った。
山なりに飛んで行った腐ったリンゴは牧場の草に落ちて見えなくなる。
「しゃがんで」
「!!」
「よーく見てろ」
「うん」
俺はランと一緒に牧場にしゃがみ込んだ。
じっとしていると、大きなコウモリが一匹やってきた。
『コウモリを……大コウモリを呼んだの?』
『ああ……あれ、腐ったリンゴの匂いに集まるからな』
ランがぐいぐいと服を引っ張るのに、俺は肘で押し返す。
コウモリが一度、高い位置に行くと狙い目だ。
『それっ!』
しゃがんだまま、でも、出来るだけ大きく腕を振り出す。
ブーメランは最初こそ見当外れに飛んだが、すぐに向きを変えてコウモリにヒット。
「当たった!」
「すごいだろ!」
「すごいすごいっ!」
早速しとめた獲物を確かめる。
広げると二メートルにはなりそうな大物だ。
「今夜はこれがおかずだ」
「コムは……こんなのどこで?」
「ああ、エラの商人から……面白いだろ」
「コウモリって銃で撃ってもダメなのに」
「このブーメランは当たるんだ……なんでか知らないけど」
この辺はコウモリを、家に閉じ込めてから捕まえる。
ブーメランを使えるのは俺だけだ。
「吸血コウモリも落せるぜ」
「すごい……それだけで仕事になるよ」
「バカ言え」
俺は苦笑いしながら茜色の空を見上げた。
今、果物を荒らす大コウモリの群れが、世界の端を目指して飛んでいた。
果物を食べる種類は昼間活動して、夜は世界の果てで休んでいる……らしい。
そして入れ代るように夜は肉食や吸血コウモリの世界だ。
うかつに野宿でもしようものなら、腕や足をひっかかれて血を吸われる。
「あの……コム」
「なんだ?」
「わたしが、捌こうか?」
ランが体をもじもじさせながら言う。
そんな仕種に俺は……
「ラン……お前ちゃんと料理できるのか?」
「ちゃ……ちゃんとできるよっ!」
「なんか体くねらせて……変だからさ」
「そ、それは……」
まぁ、村の女子は小さい頃から母親と一緒に料理をするから大丈夫だろう。
俺はしとめた獲物に目をやって、
「ま、こんだけ大物……一人じゃ食えないしな」
コウモリを手渡すと、ランはニコニコしながら、
「じゃ、台所借りるね」
「ああ……汚すなよ」
ランが一瞬にらんできたのに、俺は笑って手をひらひらさせた。




