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2話:学校

 ドアの軋む音。

 差し込む陽の光を腕で遮った。

「コム……学校行こう」

「……」

 ランはそれだけ言うと、黙って台所に姿を消した。

 一杯の水と固くなったパンを持って戻ってくる。

「食べて」

「……」

 トレイを毛布の上に置いてから、ランは椅子を持ってきて腰をおろす。

「起きがけに食えるかよ」

「食べて」

「……」

 ムスッとした目で見つめている。

 俺はそんな責めるような視線に耐えられなくなってパンを口に運んだ。

 固い……ビスケットもびっくりなパン。

 所々色が変っていた。

 指でほじくりながら、避けて食べる。

「あのさ……」

「……」

「なんで毎朝来るんだよ」

「……」

「俺、学校なんか行きたくないんだけどな」

 ランの目が厳しさを増す。

 俺はコップの水を飲みながら、そんな視線から目を逸らした。

「毎朝来るなよ……」

「コム……」

「学校なら、ちゃんと行くってば」

「……」

 疑った眼差しが続いた。

「そりゃ……船で働いている時は学校なんか行かなねーよ」

「……」

「お前が言いだしたんだろ……学校行けば給食は出るって」

「うん……」

 そう、船便の仕事をしている時は学校なんてかったるくてやってられない。

 首都ダリマから辺境のユフナの村まで、途中に二つ大きな街がある。

 その二つまでは、大きな運送会社も船を出していた。

 俺とバットは小口の仕事を受けて稼がせてもらっていたのだ。

 でも、今はそんな仕事も無くなったし、再開するにも船もない。

 学校に行けば……給食だけは出る……一食は確保できる。

「だから学校をサボったりしねーよ」

「……」

「遅刻もするなってか?」

「うん」

「学校なんか、勉強なんかたるいんだよ」

「もう……」

「ランが言うから……学校で給食食えるから行くんだ」

「給食だけみたいな……言い方」

「そうだよ……まったくこの村は……」

 そう、辺境も辺境なユフナの村。

 隣村まで行くのに山を越えないとダメだし、船で行くのだって「難所」あり。

 そんな村から飛び出したい……気持ちもあって船の仕事だった気もする。

「俺は給食さえ食えればいいんだ……だからもう朝から来るな!」

 ベットから出ながら、声を強めて言った。

 ランは相変わらずにらんできたけれど、俺だって視線を逸らしたりしない。

「べつに……コムのために来てるんじゃないもん」

「なんだよコラ!」

 ランが黙って半分開いていたドアを全開にする。

 草の緑が広がっていて、羊がじっと見つめていた。

「羊を連れてきてるだけだから……」

「チッ!」

 そう、俺の家の回りは、海にせり出した絶壁の上の草原に建っている。

 広がる草原に村の羊やヤギが昼の間、放たれているのだ。

 村から近いこの場所は狼も出ないし、大きな鳥も現れない。

「早く行こう」

 ランはさっさと歩き始める。

 背を向ける一瞬、眼鏡の縁が光を反射してキラキラした。

 俺は前を歩く小さな背中……学年なら二つ下のランに歯ぎしりしていた。


 給食欲しさに登校し、職員室に顔を出す。

 先生はめずらしいといった表情を隠さなかった。

 それから遭難の事で一言二言、言葉をくれたけど、全然頭に入らない。

 ただ、「頑張ってね」の言葉だけ、覚えている。

 なにを「頑張る」のか……急にバットがいなくなったのを感じた瞬間だった。

 先生が男だったらよかったと思った。

 女の先生だから、優しく言葉を掛けてくれた……んだと思う。

 男の先生だったら「なにサボってやがる」なんて鉄拳制裁……

 痛いのは嫌だけど……痛みで余計な事を考えないで済んだろう。


 後ろの方の、空いている席に腰を下ろす。

 教室の後ろ二列は空きが目立った。

 俺だけじゃない、働いているヤツは他にもいる。

 家の仕事を手伝って学校なんて来れないのだ。

 小学校の一年から六年までが全部同じ教室で勉強していた。

 一年は……おしゃべりばっかり。

 二年もかわらない……か。

 三年からは掛け算が出てきて、ちょっと雰囲気が変ってくる。

 四年・五年・六年は教科書こそ違えど、同じような事をやってた。

 ランは四年。

 前の方の席で、いつも真面目にやっていた。

 それどころか、時には一・二年の子供の世話もしていた。

(勉強できるヤツはいいよな……)

 ランは一年の頃から全然出来が違っていた。

 入学して来た時から、中学校レベルで出来ていたのかもしれない。

 俺はその時三年で……もうかなわないって思っていた。

 でも、そんなランにも弱点がある。

 弱点……というか「いじめられっ子」まさにそれ。

 一番まずいのは眼鏡。

 この学校で眼鏡をしているのはランだけだ。

 いや……村で考えても眼鏡をしているのはめずらしいかもしれない。

 じじいもばばあも、みんな達者で目はいい。

 ユフナの村は農業・酪農・漁業をやっている家ばかりだけれども……

 畑だけじゃとても食べられないから、家畜を飼って、漁もする感じ。

 家畜を放牧するのと漁をするのは、目がよくないと話にならない。

 村で目が悪くなったら……家にこもって機織りか網に手入れ。

 そして目が悪くなっても、眼鏡を買うなんて出来ないのだ。

「では、社会の勉強を始めます……四年生から上の子は教科書を開いて」

 そんな先生の言葉に上級生が慌ただしくなる。

 先生は黒板に資料を広げて見せた。

 その資料に低学年の子達も視線を奪われる。

 広げられたのは「世界図」。

 大きな亀の甲羅に、何頭もの象が乗り、その背中に海と陸地。

 海は世界の「端っこ」まで行くと、滝のように流れ落ちてしまう。

 そんな「世界図」だ。

 先生はみんなが資料を見つめるのを確かめてから、窓辺に移った。

 そして窓の外を手で示しながら、

「はい……見てください」

 俺も、なんとなく目をやった。

 この授業は、いつものパターンだ。

 ユフナの村は、このギリア国の中で唯一陸地から「世界の端」が見える場所。

 海が途中で無くなって、そして「向こうの世界」が見えるのだ。

 ユフナの村から、「向こうの世界」の海が滝のように落ちていく……のがちゃんと見えるのだ。

 一年の子が手を上げて、

「先生っ!」

「はい……なんですか?」

「海が落ちてるよ!」

「はい、そうですね」

「ねぇねぇ、象さんは見えないかな?」

「象さんは……象さんと亀さんは、ずっと下の方にいるから見えないわね」

 俺も小学校に上がったばっかりの頃、同じ質問をしたような気がする。

 海が落ちるのを見たら……大きな象や亀を見てみたい。

 俺も低学年の頃は思ったものだ。


 ふと……あの瞬間を思い出した。

 バットがめずらしくライフジャケットを言い出した。

 そして、嵐の海に投げ出したのだ。

(あいつは……助からないってわかってて……)

 風は西に流れていた。

 帆は畳んでいても、流される。

 船が世界の果て、端から落ちるのを、バットは感じていたのかもしれない。


 目を細めて、海を見つめても、自分達の船の姿はない。

 何隻か、漁船が出て漁をしているのが見えるだけだ。

「漁師になりたい子は、世界の端っこまで行って落ちないようにね」

 先生の言葉に気持ちが重たくなる。

 そんな事は解っていても、出来ない時だってある。

 チャイムが鳴って椅子が床を擦る音でいっぱいになった。

 休み時間になったのに、先生はちょっと呆れた顔をして教室を出ていく。

(早く給食にならないかな……)

 俺は勉強なんて、どうでもよかった。

 船の仕事を始めてから、勉強の大切さを身にしみてわかっている……つもりだ。

 読み書き計算は、仕事でしっかり覚えた。

 船や航路の勉強は学校で教えてくれない。

 もう、今は村の漁師よりも詳しいだろう。

 一番こわいのは「大人」。

 船の仕事を始めて最初のうちはやられてばかりだった。

 言いくるめられたり、だまされたり……船の仕事なんてやるんじゃないって思った事は数え切れないくらいだ。

 ふと、一番の取り引き先、シハヤのオヤジさんの顔が思い浮かぶ。

 何度も失敗したりやられた俺とバットに手を差し出してくれたのはシハヤのオヤジさんだけだった。

「子供」ってだけで銀行に口座も開けず、困っていたのをオヤジさんが間に入って……とは言っても地下銀行だが……金の方をやってくれた。

 シハヤのオヤジさんが間に入ってからは、仕事はぼちぼちうまく行くようになった。

 それまでだましていた連中が、まっとうに取り引きしてくれたりだ。

(でも……今回はだまされたのかな……)

 軍の新型エンジン……横流しは今までだって当たり前だった。

(今……考えると……)

 普段の横流しは食品や雑貨。

「新型エンジン」は次元が違うアイテムだ。

(でも……オヤジさんがだましていたようには……)

 あれこれ考えているとランが教室を出て行くのが見えた。

 すぐ後に、急ぎ足でやってくる男子三人組。

(あー……)

 後を追うように出ていった三人はコムも以前やられた事があった。

 俺は六年で、三人組は五年だったから今はやられる事なんてない。

 でも、俺がまだ小さかった頃は、一つ下にもかかわらず連中に負けていた。

 最近は……俺が仕事をしている事もあってケンカにはならない。

 俺も連中も距離を取るようになっていた。

 でも、さっきのランを追うように出て行ったのは見え見え。

「ふう……」

 ランには海から助けてもらった「借り」がある。

(大体ランが眼鏡なのがよくない)

 そう、あれさえなければ……ちょっと悪いくらいなら、我慢すればいい。

 俺は後を追った。

 教室を出てすぐ、トイレの前でランは三人に囲まれていた。

 ランはトイレに行けないのに困っているのか、三人に囲まれてびびっているのか、よくわからないけど困った顔をしている。

 三人……一番大きい「ボス」がランの襟首をつかんでいる。

 他の二人は服を引っ張ったり腕を引っ張ったりだ。

「おい……邪魔」

「!!」

 俺はトイレに入りながら、わざと一番大きなボスに体をぶつけてみる。

 一つ下だが、俺よりも頭一つは背が高い。

 こいつくらい体が大きかったら……仕事をしていても子供扱いされなかったかもしれないと思った。

「ちっ!」

 舌打ちするのを聞いてから、俺はボス、そしてランに目をやって、

「ラン、さっき先生が職員室に来るように言ってたぞ」

「え……」

「先生が、呼んでたぞ、わかるか?」

「あ……うん……行く」

 でも、ランの襟首をボスが放す事はなかった。

「さっさと行けよ」

「うん……」

 俺はそれ以上言わずに、個室に向かう。

 ドアを閉じる瞬間、ちらっと見たら三人組の目が嬉々としているのが見えた。

 ボスの手が、ランの襟首を放しているのがちゃんと見えた。

「コムがクソしてるぜ」

 ドアの外はお祭騒ぎだ。

 用を足すのも考えたが、うるさくてかなわない。

 俺はトイレットペーパーの芯を抜くと、一度ドアに耳を寄せる。

 三人の足音と声を確かめてから、勢いよくドアを引いた。

 同時にトイレットペーパーの芯を突き出した。

 ドンピシャでそれはボスの腹にめり込んだ。

「ぐえ……」

「あ、悪い……紙切れててさ」

 ボスがしゃがみ込むのに、二人が背中をさすり始める。

 俺は手をひらひらさせながら、見向きもしないでトイレを後にした。



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