12話:空へ
朝日がのぼる……目覚めた時はびっくりした。
隣でランが寝息をたてていたんだ。
グライダーは完成しているみたいで、ずっと作業をしていたらしい。
段々色彩を取り戻していく世界。
俺は牧場を、海を、その先の「隣の世界」を見た。
「コム……起きたの?」
「ああ……昨日は泊まっていったんだ」
「うん……これ、作っていたから」
「すぐに出来なかったのか?」
「寸法はそのままだったけど……補強とかコウモリ避けとか」
「サンキュ……」
「コム……でも……」
「でも?」
「その足で、飛べるの? 走れるの?」
「親父と飛んだのを思い出したんだ……レールを使うから大丈夫」
「納屋の前の……台車でいくの」
「うん……」
「でも……言いににくいけど……落ちるよ、きっと」
ランの言っている意味はよくわかった。
一度試しに飛んで落ちたのだ。
そりゃ、親父がくれた翼はある。
でも、それで向こうの、隣の世界まで飛べるなんて思ってもなかった。
「今まで通りだったら、落ちるさ」
「コム……なにかあるの?」
「カモメが飛ぶだろ」
「カモメ……」
「風を受けて高く飛ぶのに、翼を動かして上昇しない」
「上昇……」
「出来るだけ高くあがってから、あっちの世界までは落ちていくのさ」
途端にランの顔が明るくなった。
「よかった……わたし、そこまで考えなかった」
「え?」
「わたし……資料の数字ばっかりだったから、あっちまでは絶対行けないって」
「上昇してって思わなかったの?」
「うん……考えなかった」
ランが何度も頷きながら、
「だから、落ちる事しか考えられなかった……だから……あれを壊そうって」
「え……」
「世界の端から落ちて死ぬくらいなら……嫌われてもいいから壊してって」
「ふふ……そうだったんだ」
でも、笑っていられるのはそこまでだった。
海から吹いて来る風に違音がした。
「ラン、すぐに飛べるか?」
「え!」
「海から音がする……でかい船だ」
「そんな……まだ見えないよ」
「エラの戦艦だ……軍艦の足は速い」
「コムは……ごはん食べて、昨日の残りだけど」
「え……」
「わたしが台車を準備するから、ともかく食べて」
「そんな事している場合じゃ……」
「足、まだ痛いんでしょ!」
「う、うん……」
「今、コムにできるのは食べる事だけだよ」
「わ、わかった……」
ランが準備に行ってしまうのに、俺は昨日の残りもので朝食だ。
椀をかき込んでいると、南の海に点が見えた。
その点がどんどん大きくなっていく。
「コム……台車はどれでもいいんだよね」
「ああ……急いでくれ……すげー速い」
靄のかかったような水平線。
一瞬赤く光ったように見えた。
嫌な予感がする。
いきなりユフナの海に水柱があがった。
「ラン、出るぞっ!」
俺はグライダーを持ち上げると、すぐに台車に向かった。
ゆっくりなら歩くのに支障はない。
「待って……だめ」
「え?」
「あれ、見て」
牧場の吹き流しに元気がなかった。
「あれが間横になるくらいは、風がいると思うの」
「それは……そうだけど……」
また水柱が上がる。
さっきは点だった船が、今ははっきりとしたシルエットになっていた。
村人も逃げてくる。
まさか本当にエラが攻めて来るなんて思ってなかったんだろう。
そんな村人の群れから、一人駆け寄ってくる人影。
黒服のビンだ。
「どうした……エラが来るぞ!」
「お前が呼んだんじゃねーか!」
「早く飛ばないと、やられるぞ!」
「うるせーっ!」
怒鳴ってみたけど、台車を蹴って飛び出す……出来なかった。
今は吹き流しに目が釘付けだ。
「何故行かないっ!」
「風がないとダメなんだよっ!」
「お前……船便の仕事してたんだろうっ!」
「なんだよっ!」
「この辺の朝は凪んじゃないのか」
「う……」
「だったら何で夜に飛ばなかったんだ!」
ランが怒鳴った。
「まだ出来てなかったんでしょっ!」
「!!」
「夜も凪いでいたわよっ!」
「大丈夫、風、きっと吹くから!」
ランの勢いに、俺もビンもただ頷くしかできない。
「コムは荷物、持った?」
「え、あ、ああ……」
「信号弾!」
「持った持った!」
「台車に乗って!」
「う、うん……」
牧場の、家の上にある道を村人が列になって歩いている。
駆逐艦と揚陸艦が近付いて来たのに水柱があがらなくなった。
代わりに駆逐艦の艦砲射撃が村を襲う。
家屋や農業サイロが次々と火を吹いた。
「エラの連中、何やってやがる」
ビンが苦々しい顔でつぶやく。
「どうした……何か計算違いかよ?」
「飛行機だぞ飛行機……砲撃したら壊れるだろう」
「?」
「奪いに来るって思ってたんだよ……それがまったく」
「でも、上陸する気は満々だぜ」
揚陸艦からボートが出てくる。
「風はまだか……」
視線を吹き流しに戻してみたけれども、なびく気配はない。
ボートの群れが海をしぶきでいっぱいにした。
「風はまだか……」
一瞬、吹き流しがなびいたように見えた。
でも、すぐに勢いを無くし垂れてしまう。
同時に俺の回りが暗くなるのを感じた。
エラの軍艦のエンジン音や発砲音にまぎれた音。
俺が、そしてランとビンも顔を上げた。
「飛行船っ!」
小さい飛行船だった。
エンジン音に聞き覚えがある。
飛行船で手を振っている人影。
「空賊っ!」
最初に声を上げたのはビンだ。
「シータさん!」
俺を地上に戻してくれた人が操縦している。
小型の飛行船は二つ。
どんどん高度を下げながら煙幕を焚きだした。
遅れて空賊の「フリーダム」が出現。
通路に船長のタウとメカニックのファイが手を振っている。
「タウさん……ファイさん……」
「お前……空賊だったのか?」
「この間、ちょっと追っかけっこしただけだよ」
ビンが肩を強く握ってきたけど、無視して吹き流しを見た。
まだ、なびく気配はない。
最初の二機の飛行船の煙幕で村は見えなくなってしまった。
でも、空賊「フリーダム」の砲撃と着弾音が聞こえてくる。
「コム……」
ランが俺の腕をつかみ、揺すった。
指差すのに、視線を合わせる。
煙幕がゆっくりと流れ始めるのがわかった。
風が来る!
思った瞬間、吹き流しがゆっくりとなびき始めた。
段々と水平になっていく吹き流し。
はためく音がしっかりと聞こえた。
「よし……行こう!」
俺が台車を蹴ろう……ランが止めた。
「なにを……」
「コム!」
俺の腕をつかんでいる手に力がこもるのがわかった。
ランがぶつかるように、体を預けてくる。
唇と唇が重なった。
でも、一瞬だ。
すぐにランは離れると、固く目をつむって、
「死なないでっ!」
突き飛ばされた。
ランの目尻に涙が浮かんでいるのがキラキラしていた。
転がりだす台車の車輪。
レールをすべりながら、俺は前のめりになった。
ランの突き飛ばしは思った以上に強くて、バランスを崩しそうになる。
でも、風が体を、翼を支えてくれた。
なんとか持ち堪えて、台車の上でふんばった。
レールが、牧場の端で終わる。
飛べ!
台車が飛び出す。
レールのでこぼこを拾っていた振動が消える。
下に目をやれば、もう体は宙に浮かんでいた。
台車だけが落ちて、どんどん小さくなっていく。
大丈夫……行ける……この間落ちた時とは感じが違った。
翼はちゃんと風を受けて、ゆっくりと上昇に転じていく。
このまま上昇して高度を取れば……きっと向こうの世界まで行ける。
いい感じでカモメが一羽飛んでいた。
その後を追うようにグライダーを傾ける。
いい感じで高度が上がっていくのを感じた。
「!!」
真近に水柱が立つ。
エラの駆逐艦が点滅、発砲だ。
水柱が次々と回りにそそり立った。
距離をとるしか……それにはもう、世界の端を飛び出すしかなかった。
迷っている暇はない。
世界の端に向かって飛んだ。
まだ狙ってきている。
水柱が、進む先、右に左に立ち上がった。
高度もどんどん落ちてくる。
水柱が崩れて、しぶきになって降ってきた。
嫌な予感……ちらっと見上げると翼が濡れているのがわかった。
このままじゃ……落ちるっ!
でも、どうしようもない。
どんどん水面が近付く。
世界の端がはっきり見えてきた。
まだ……引き返せる?
着水すれば……引き返せる?
でも……エラの軍隊が撃ってきている。
「ままよっ!」
世界の端を越えた。
さっきの、断崖から飛び出した時に似ていた。
海が終わって、滝のように落ち込んでいる。
高度もガクンと落ちた。
すぐに海面よりも低い高度に吸い込まれた。
今度は海水が滝になり、水滴になって翼に降り掛かってくるようになる。
まっすぐ落ちると速度が出過ぎて、翼が耐えられるかこわかった。
体重移動でゆっくりと左にターンしながら落ちた。
翼は水を吸って重たいみたいだけれど……ストンと落ちるような事はない。
フリーダム号から離れる時、小型飛行船が落ちたのよりはマシだった。
翼が落ちていく感覚は、あの落下とは全然違う感じだった。
「なんか……すげえ……」
弧を描きながらの降下。
世界の端から海が落ちるのが見えた。
もう、どれだけ降下したか……よくわからない。
でも、世界の端から落ちた海水は、もう自分の周囲では霧のようだ。
どんどん視界が霧の、雲の中に入って見通しが効かなくなった。
「世界は象や亀に支えられてるんだよな……」
学校ではそんな事を習った。
そして、フリーダム号ではニュース映画を見せられていた。
あの映画の中で、確かに一瞬、象の鼻のように動く「何か」を見た。
もう、回りは真っ白で何も見えない。
でも、明暗でなんとなく世界のある方はわかる。
出来るだけ明るい側を飛ぶように心がけた。
霧の中を飛んでいるのに、速度の感覚がなくなった。
今度は暗い、灰色の濃い、世界のある側がこわくなった。
ぶつかりはしないか、象の鼻がいきなり来ないか、ドキドキする。
「!!」
一瞬、進んでいる先に何か影がよぎった。
こんな所にどんな生き物がいるのか?
それとも映画の象の鼻?
緊張に、手に力がこもって、肩が震え、パンパンだ。
また、黒い影がよぎる。
右から左へ……左から右へ……
だんだん現れる影が増えていくのを感じた。
霧で視界はゼロ。
船で仕事をしているときも、たまにこんな時があった。
船便の仕事なら、慣れた航路で不安は少なかったけれど……
今は飛んでいる最中、それも世界から落ちた所だ。
「何が……いるんだ?」
ちらちらする影をじっと見つめた。
霧で姿はさっぱり見えない。
でも、その「動き」は覚えがある。
目を細めて、なんとか姿を見ようとした。
でも、姿を見る前にピンと来た。
「コウモリだ!」
いきなり視界が開けた。
霧の、雲の下に出た。
上に雲、下にも雲。
灰色の、世界があるって思っていた側には、確かに絶壁がそそり立っている。
開けた視界の先には、コウモリの群れがうねっていた。
「まずいっ!」
コウモリの翼は黒で、こいつの翼は青。
姿がはっきり見えたせいで、コウモリが向かってきた。
あいつらの爪にかかったら、こっちの翼はひとたまりもない。
得物……照明弾があった。
でも、一発だし、コウモリに当てるのは無理だ。
ともかくこいつを操って、コウモリの少ない方に進むしか出来なかった。
運がない……朝でちょうど、夜型と昼型の入れ代わり時間。
コウモリの群れがない場所を探す方が難しい。
ゴマ粒の点のように見えるコウモリ……少ない方にともかく進む。
点々がだんだん大きくなって、姿がはっきりしてくるように思えた。
果物を食べるコウモリが襲ってくる事はそうそうない。
でも、肉食のヤツはたまに人に噛みついたりする。
それに……巣に近付く敵には攻撃してきたっておかしくないだろう。
絶壁に向かい、すれすれを飛ぶ。
棚のようになっていて、まだ飛び立っていないコウモリがぶら下がっている。
「本気でまずいっ!」
群れの一つが向きを変えた。
嫌なオーラを感じずにいられなかった。
こっちに向かってくる。
ランが……コウモリ避けを塗ってくれていた。
でも……ここに来るまで散々水をかぶっている。
俺はぶら下げていた信号弾に手を付けようとした時だった。
「!!」
急に向かっていたコウモリの群れがばらける。
弾かれたように絶壁から離れ始めた。
「なんだっ!」
叫んだ瞬間だ。
棚の一つから、灰色の何かが飛び出してきた。
咄嗟の事で、下に避けるしか出来ない。
「何か」の下をくぐる……行き過ぎた所で振り向いて確かめる。
ニュース映画で見た象の鼻!
まるでウナギやアナゴみたいにうねりながら伸びていく。
そして……嫌な予感通り……こっちに向かってきた。
「待てまてマテーっ!」
象の鼻が襲ってくる。
唸りを上げてすぐ下を通過した。
すぐに絶壁から離れる。
象の鼻は、勢いを殺して、またこっちを狙っているらしい。
「なんだ……アレ?」
象の鼻……みたいな動き……でも、象の姿が見えない。
うねる、細長い、何か……ウナギやアナゴなんかじゃない。
どっちかと言えばタコやイカの触手だ。
また、鞭のように襲い掛かってきた。
よく見れば……コウモリなんかよりずっと動きが鈍い。
こっちも落ちるだけしかできない……でも、先読みでなんとか避けれた。
また、すぐ下を通過していくそれ。
よく見れば金属を繋ぎ合わせた機械みたいだ。
「なんでこんな所に機械があるんだよ?」
つぶやいた時、進む先に次々と触手が出てくるのが見えた。
「一つだけじゃないのかよっ!」
学校で習った世界図。
世界を支えている象は一匹じゃない。
何頭もいるから……触手もうんざりするくらい現れた。
一本を避けるのは、読めない事はなかった。
でも、何本も同時に襲い掛かって来るのを読むのは無理。
なんとか目先の三つくらいを読んで避ける。
続いてやってくる触手は、もう翼を操って「なんとか」だ。
上に行く事は、上昇は出来ないから、落ちる落ちる。
右に左に避け、ゆっくり降下、急降下で避け。
追っかけてくる触手を避けるのは下に落ちるスピードが不可欠。
「象の鼻じゃないのかよっ!」
ようやく追ってくる触手がなくなったのに吐き捨てるように叫んだ。
一瞬、どこかで聞かれて怒ってくる……見回してみる。
でも、触手は一本も見えなかった。
翼を傾けて、上の方をちら見してみる。
触手はどれも、微妙なカーブを描いて止っていた。
しかし……先端がこっちを狙っているように感じずにいられない。
一勢に襲い掛かって来たら避けられる自信はなかった。
でも、何度か翼を傾けて見たけれど、触手は固まったままだ。
「ここまで届かないんだ」
出来るだけ長く、翼を傾けて確かめた。
触手は止っているように見えて、微妙にうねっているのだ。
「ざまぁ……」
翼を水平にして、視線をおとしたら、下の雲がどんどん薄くなっていた。
「!!」
雲の下には、落ちてきた水が溜まっていた。
鏡のような水面の一点から波紋が生まれる。
その波紋が広がるのに合わせて、何かがゆっくり浮上して来た。
「象は……亀に支えられてるんじゃなかったっけ?」
さっきのは触手で象じゃなかった。
でも……昔、誰か探検したのかもしれない。
じゃなきゃ、見たこともないのに世界が象や亀に支えられているなんて言い出せる筈がないって思った。
そんな事、見たこともないのに想像できるなんて、どんな頭をしてるんだ。
波紋が広がり、何かが姿を現していく。
山みたいな、灰色のドームみたいな何か。
さっきの触手と同じで材質は金属らしい。
大きさに圧倒されていたけれど、よくよく景色と見比べると、結構すばやく動いているのがわかった。
「あ!」
ドームが現れた時、水から浮上したって思っていた。
でも、本当は水が引いていた。
底が現れて、岩や砂、壊れた船がたくさんある。
今まで世界の端から落ちた船や残骸がそこかしこに転がっているのだ。
「あれは……」
ニュース映画で見た飛行船があった。
ドームよりも、その飛行船に視線が釘付けになる。
残骸の船とは、全然様子が違う。
大体気嚢がまだ形を残している辺りがおかしい。
「生きているのか?」
でも、人影を見つける事は出来なかった。
まだ、底までは、ドームのてっぺんまでは距離がありすぎて、人を探すのは無理。
「え!」
それに、ドームの先端が開き始めたのだ。
左右に目のように光る何かも現れる。
その目みたいな光る点……こっちを見ているように見えた。
二つに裂けるように開いていくドーム。
「こ、これ、亀の頭で口が開いてるってか?」
口が開くと食べられる……単純にそう思った。
でも、開いていく口の奥、喉がキラキラと輝くのが見えた。
輝く……よく見れば中心に向かって稲光が走っている。
ニュース映画を見せられた時、神の雷は「下から」って言っていた。
「神の雷!」
どんどん開いていく口。
あれが開き切ったら「神の雷」だ……きっとそうに違いない。
避けよう……翼を傾けてみたけれど、亀の口はしっかりこっちを追ってくる。
それにどんどん降下していて、距離も詰まっていた。
だんだん口の中心、喉に向かって走る稲光が増えていくのがわかる。
「ままよっ!」
どうせ死ぬなら、得物は使って終わりにしたい。
信号弾の狙いを定める。
外すような的の大きさじゃない。
それに、こっちを狙うように追っかけてくれる。
「死ねっ!」
トリガーを引いた。
軽い発射音がして、信号弾は尾をひきながら喉に向かって一直線。
普段は上に向かって発射するのを下に向けてだ。
ぶれる事なく、信号弾は喉まで届き、炸裂した。
信号弾の発火するのに、一瞬火花が散った。
でも、その後で、もっと大きな火花が弾ける。
「え?」
「当たり」を引いたのを感じた。
「手応え」ってヤツだ。
喉の奥から真っ白な光が、爆発が湧き上がって来る。
風圧を感じた。
でも……最後に「神の雷」が出るかも……思った。
それに……真っ白な光が広がっていくのに目を細めながら……
「巻き込まれるっ!」
翼を思い切り傾けた。
もう、亀の口が追って来る事はない。
でも、上に逃げる事も出来なかった。
ただ、ただ、背を向けて、距離をとるだけしかできなかった。
爆発が、背中を押した。
俺は咄嗟に手すりにしがみつく。
そんな事しか出来なかった。




