1話:嵐の夜
コム:船便の仕事をしながら飛行機を作っている少年
バット:コムの友達で一緒に船便の仕事をしている
ラン:村長の娘
空は真っ黒だ。
空のどこかに太陽があるはずなのに、夜と思ってしまうぐらい。
時計を確かめてみる。
ちゃんと秒針は時を刻んでいる。
「バット!」
「わかってるっ!」
目の前に見上げるような波が迫る。
乗っている船は小さい。
できる事なんて、ただ舳先を向けるだけだ。
どんどん波をのぼって、最後には船首が波を割るようにして越える。
「バット!」
「なんだ、コム!」
「引き返さないか?」
言うまい……言ってはいけない……思っていた言葉。
バットはそれを聞いて、俺の方をじっと見返して、
「ダメだ」
「……」
「後を尾行けられているからな」
「その事なんだけど……」
「なんだよ?」
「本当かよ?」
「絶対だ」
バットの目は自信たっぷりだ。
でも、俺は、ちょっと嫌気がさしてきているところだったりする。
「特公の連中が追って来るってさ……」
「……」
「本当なのかよ?」
「ああ、絶対だ」
「信じられないな……」
「コム……言ったろ……今回の買い物がヤバかったんだよ」
「エンジンか?」
小さい操舵室に俺とバットはいる。
人が三人も入ればいっぱいな操舵室で、舵輪はバットが握っていた。
俺はただ、そんなバットの横で窓の外を見守るだけだ。
そんな俺の前に、船倉へのドアがあった。
船倉には問題の「エンジン」。
「オレ、最初から嫌な予感がしてたんだ」
「なんだよ、今さら文句かよ……」
「いや……コムだってそんな気がしてたんじゃないのか?」
「それは……」
そう、俺とバットは船で商売をしている。
いつもは食料品や燃料を運んでいたが、今回は違った。
軍の新型エンジンの横流しに飛び付いたんだ。
「おかしい……思うだろ」
「まぁ……どうして……って思いはしたけど……」
軽くて馬力の出るエンジン。
スペックだけ考えると軍事機密でもいいようなエンジンだった。
今、戦争になりそうな隣国エラでも買いに来るかもしれない代物だ。
「最初から、あやしかったのさ」
「じゃ、バットは反対だったのかよ?」
バットをにらんだ。
そんな俺の視線にバットは気付かないのか知らない顔をしているのか……
視線を一度も合わせようとせずに笑みを浮かべた。
「いや……賛成だ」
「なんだよ……」
「あのエンジンは前から欲しかっただろ」
「ああ、俺はな……でも……」
「コムが欲しけりゃ、オレも欲しい」
「なんだか嫌だな……本気でそう思っているのか?」
「本気も本気」
また大きな波が壁になってやって来る。
バットはスロットルを全開。
波が崩れる前に乗り切った。
どんどん波を下りながらバットは、
「コム……二人で仕事を始めた時……」
「うん?」
「コムが空を飛ぶ……それが理由だったよな?」
「まぁ……な……最初は……」
そう、船便の仕事を始めた第一の理由はそれ。
父の残してくれた資料。
そこから「飛行機」を作る事だった。
設計図はあった。
大工仕事で作れるところは、俺とバットで作りもした。
でも、エンジンだけはどうしようもなかった。
船にだってエンジンはある。
最初は船のエンジンを使い回して……って思ったりもした。
でも、船で使っているエンジンは重たかった。
それに馬力だって……きっと足りない。
「このエンジンは絶対必要だ」
「バット……」
まっすぐ前を見ていたバットが、一瞬だが目をくれた。
ちょっと笑ったような唇……うそをついている顔じゃない。
「今、空を飛ぶなら飛行船か気球だろ」
「ああ……だな」
「気球は風まかせ……そりゃ、風が読める連中はある程度は自由に飛べるさ」
「ああ……でも、風まかせだろ」
「そう……コムの言う通り」
小さな波が何度も船首を越え、窓にぶつかった。
バットはきしむ舵輪をしっかり押さえながら、
「飛行船に乗るには……」
「軍に入るしかないだろうな……」
「コムはなんで軍に入ろうって思わないんだよ?」
バットがニヤニヤしながら言う。
「そんなの自由に飛べる訳ないじゃん」
「だろ……飛行船を持っているのは空軍だけ……じゃなきゃ金持ちだ」
「……」
「それに飛行機は飛行船とは全然違うだろ」
「鳥のように自由に?」
「だろ?」
そう、飛行機は気球や飛行船とは違った。
風を受けて飛ぶのは一緒かもしれない。
でも、気球や飛行船のように浮かぶための部分はなかった。
鳥のような、空気を受け止める翼で空に留まる。
「おもしろいから……オレ、今まで付きあってたんだぜ」
「……」
「だから、あのエンジンは絶対必要だったんだよ」
バットが言い終えると同時に船が嫌な振動を発した。
足に、手に、船のエンジンの不調が伝わってくる。
操舵室の明かりも暗くなった。
「大丈夫かよ?」
「やばいかもな……」
「バット……戻ろう」
「もう遅い」
バットは目を細めながら、真っ暗な海を見つめて、
「コム……なんでこんな仕事を始めた?」
「あ? ああ……なんでってそりゃ……」
「そりゃ?」
「誰もやらないからだろ?」
「そう」
首都ダリマから俺達の住んでいるユフナの村まで海運業をやる人間は他にいない。
ダリマからユフナまで「やばい海」だからだ。
「風は西に流れてる」
「西……」
風のまま、ただ流されれば「世界の果て」がすぐそこだ。
海はそこで終わって、奈落の底に滝のように落ちているのだ。
海図と時計を見ながら俺は、
「まだ一番狭い所じゃない!」
「いや……」
「弱気になるなよ!」
「……」
俺の言葉にバットの目も覚めたようだった。
舵輪を握ってニヤリとすると、
「そうだったな、しぶといのが売りな俺らだ」
「だろ、バット」
また大きな並が甲板を洗い、窓を叩く。
明かりが消えて真っ暗になった。
「コム、ジャケット着ろ!」
「ああ、バットも」
「俺はいいから……あれを見ろ」
「?」
バットが窓から覗き込むように外に目をやる。
視線の先は……マストだった。
「コム……あれが見えるか?」
「ん?」
「マスト……ちょっと帆がほどけてる」
「ああ……」
「帆の番は……今日はコムだったろ」
「あ……ああ……」
バットの言うのも当然だ。
でも、今、マストにのぼって帆をたたみ直すのはさすがに引いた。
「当番、コムだったな」
「うう……」
ほんのちょっと、一メートルくらい垂れている。
でも、風をはらむのがよくわかった。
「コムだったな……」
「わ、わかったよ、ちっ!」
俺が操舵室のドアを開く。
背中に何かを感じた。
「あばよ」
「え!」
そのまま、体が浮く感覚。
投げられるのがわかった。
海に放り込まれながら、視界の隅にバットの白い歯が一瞬見えた。
(なんで!)
海の中。
顔を出す。
船はもう波の向こうだ。
(なんで!)
いつも乗っているボロ船。
今まで見たことのないスピードで離れていく……ように見えた。
何度も波をかぶったけど、目が離せない。
(バット!)
声にならなかった。
口を開こうとしても、声をあげようとしても、波がさえぎる。
船乗りとしての経験や本能が自然とそうさせていた。
(バット……)
もう、船は見えなくなった。
真っ暗な海に独り。
本能で泳ぎ始めた。
絶対無理……解っていても体が動いた。
黒い海、青い空。
俺は空を飛んでいた。
背中に父の体の温もりを感じながら、二人して空を飛んでいる。
「お父さん、飛んでるよ!」
「ああ、奇麗だろう」
「海がきらきらしているよ」
「ああ……だな」
「空が青いのって……色が全然違うんだね」
「うん……」
父の声はしても、顔は見えない。
ただ、背後にいて、俺の背中に温もりだけが伝わってくる。
飛行機は右にゆっくり傾き、向きを変えた。
家や納屋が見えた。
牧場の緑には雲のような白い固まり。
羊がこっちに気付く様子もなく、のんびりしていた。
「お父さん……羊がちっさいよ」
「家も小さいだろ」
「だね」
空からの景色。
見たことのない情景に目が離せない。
ゆっくりと右に旋回しながら、また海の方向に向き直る。
その瞬間、目の前をなにかが横切った。
体が緊張で一瞬固まる。
でも、すぐに「それ」がなにかわかった。
一羽のカモメが飛行機の前に浮かんでいる。
「お父さん!」
「ああ……一緒になって飛んでいるんだ」
「鳥と一緒に飛んでいるんだ」
一羽、また一羽と視界に入ってくるカモメ。
一羽はまるで止っているように……
一羽は微妙に左右に体を揺らしながら……
一羽は降下と上昇をくり返し……
「お父さん、鳥と一緒だよ」
「ああ……そうだね」
「お父さん!」
「コム……そろそろ終わりだよ」
「お父さん、もっと飛んでいたいよ!」
言った途端、飛行機は急降下。
黒い海面が迫ってきた。
「!!」
波が陽の光を反射してキラキラしているのが近付いてくる。
「お父さんっ!」
「コムっ! コムっ!」
声がした……でも、耳に届く声が女の声だった。
「コムっ! コムっ!」
どこかで聞いた覚えのある声だ。
でも、さっきまで一緒に飛んでいた父の声では……絶対ない。
「コムっ! コムっ!」
体が揺れるのを感じる。
痛みが走った。
叩かれているんだ。
「コムっ!」
一等大きな声、そして頬の痛み。
目を見開くと、陽の光で真っ白だ。
「コムっ!」
陽の光をバックにシルエット。
そのシルエットが腕を振り上げる。
叩かれるのがわかっても、体が動かなかった。
頬に食らうビンタ。
戻る手の甲、骨っぽくて余計に痛い。
「待てっ!」
次の一発を食らう前に声をあげた。
でも、一発くらった。
たまらず両腕を前に出す。
「痛い痛いっ!」
「コムっ!」
目が慣れてきた。
シルエットに色が着いてくる。
眼鏡のフレームが陽の光でキラリとした。
「い、生きてる!」
「あ、ああ……」
何度か咳込んだ。
口からあふれる海水。
体を起して、よつんばいになり、吐けるだけ吐いた。
着いた手……木だ。
水を出し切り、息が整ってくる。
まだクラクラする頭を、必死に冷静になれと言い聞かせた。
「コム……大丈夫?」
「あ、ああ……もう叩くな」
「ご、ごめんなさい」
さっきまでの大声はどこえやら……
おどおどした口調になる女。
コムは見るまでもなく、解っていた。
村長の娘・ランだ。
「大丈夫?」
「ああ……ランがいるって事は村?」
深呼吸しながら顔を上げる。
船の上……小さな漁船の上だった。
ランの姿の向こうに村が小さく見えた。
「ランが助けてくれたんだ」
「うん……遭難したんだよね?」
「遭難……」
バットから放り出されたのが、すぐに頭によみがえった。
「俺だけか?」
「うん……」
「……」
「朝……波止場に来たらこれが……」
ランは板切れを持ってきて見せながら、
「コムとバットの船のだよね?」
板切れの塗装……村では確かにコムとバットだけの色だった。
「びっくりして海を見ていたら……ジャケットが見えたから」
「そうか……サンキュ」
あの嵐がウソのように凪いだ海。
黒い海に、波がキラキラとしていた。
空は濃い青で、高いところをカモメの白が浮かんでいる。
「また聞くけど……」
「なに、コム?」
「戻って来たのは……俺だけか?」
「う……うん……コムだけ」
ランは言ってから、モジモジしてしまう。
視線を逸らす。
眼鏡の角度のせいで、目が見えなくなった。
「バットは……戻って来てないよ」
「そうか……サンキュ」
「……」
「そうだ……今日は何日?」
「十五」
「十五!」
「うん……十五……三日?」
船で戻る日は村長に告げてあった。
そう、あの嵐の日は天候がよければ出発する日。
そして問題なければ十二日には戻っているはずだった。
「ああ……村長に言っていたからな……荷物もあったし」
言ったものの、ランの表情が急に厳しくなる。
にらむラン。
さっきみたいにちょっと顔を逸らしてほしかった。
「なんだよ……」
「予定はいつも……わたしも聞いてる」
「まぁ……ランの家に言いに行くからな」
「なんで嵐なのに出港したのっ!」
「……」
「なんでっ!」
「……」
「あの日の嵐は……解ってたはず」
「い、いや……」
「海で仕事して、長いから、天気図が読めないなんて言わせない」
「そ、そりゃ……」
噛み付きそうな顔が近付いてくる。
俺は腕を突っ張って後ずさり。
「今まで仕事していて……最近は無茶してなかったのに!」
「……」
「なんで出港したのっ!」
「それは……」
なんだこの眼鏡女。
村長の娘だからってえらそうに。
俺やバットがなにしたっていいだろうが。
学校の成績がちょっと……一番だからって説教してんのか?
ムカムカした気持ちが膨らんで、右の拳が固まった。
でも、いきなり叩いたりはしない。
ちょっと脅かすだけだ。
なに、この眼鏡女、学校でもいじめられている。
にらんで、叩くふりで、それで泣きだすに違いない。
俺は逸らしていた視線を向けた。
もう、ランは泣いていた。
大粒の涙をポロポロこぼして、肩を震わせ、嗚咽をもらしていた。
「な、なんでお前が泣くんだよ」
泣かすつもり……先に泣かれて戸惑っていた。
「うるさいっ! バカっ!」
ランは立ち上がると船尾に行って、船外機スターターを引っ張った。
「うるさい……バカ……」
そう、つぶやくように言うと、船を動かし始めた。
俺はそんなランに、なにも言い返す事ができなかった。




