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砂場の街

作者: 路傍の紳士

少し長めで読みにくいかもしれませんが、東北の方たちのことを想って書きました。

二人は小高い丘の上から、その崩壊した街並みを一望した。建物は崩れ津波によって流れ込んだ大量の汚水が、美しい街を覆っている。

「兄さん、僕、散歩してくるよ」

二人のうちの弟の方が兄に言った。兄は黙ったままでただ頷く。


ここは砂場の街である。だがその事実を知る者はほとんどない。皆この世界が当然のもの、皆共通のものだと確信している。そんな砂でできた脆い街が、現世の大きい人間の「水遊び」によって破壊されたのである。だが然るに街の住民たちは、これを天災としか考えていない。哀れである。だが、愚かではない。


弟と別れた兄は独り街を歩いていた。被害の少なかった地域も無論あり、兄はその道を一抹の不安を抱えながら歩いていた。他でもない、弟のことである。今回の津波で死別した恋人が弟にはあった。それ故弟は衰弱していった。そんな弟が「散歩」と嘘をついて向かった先を、兄はちゃんと知っている。ただその衰弱ぶりを、案じているのだった。

兄はなお歩いた。彼はそこで目まぐるしい光景を見た。砂をかき集め、積み上げ、建物を建て直している大勢の人たちの姿だ。兄は建築家のたまごでもあったから、それを複雑な気持ちで眺めていた。汚水をポンプ車で汲み出す人もいれば、材木ならぬ材砂を忙しく運んでいる人もいる。

「ああ、動いている。一度死にかけた街が、人が、こんなにも忙しく動いている……」

兄はこんなことを考えながら、一つ小さく溜め息をついた。そしてすぐさま材砂屋に問い合わせて砂を買うことにした。この街には土地の難儀な問題はない。兄は街のはずれに「ある建物」を建設することを決めたのである。



それからというもの、兄は毎日毎日「ある建物」を造りに出かけた。弟はと言うとこちらも毎日「散歩」に出かけ、家に帰るのはいつも日暮れ頃だった。街はいつしか活気づき始めていた。天気の良い午後などには、ペットと共に散歩に出歩く人の、その悠々とした姿さえ多く見られるようになった。


兄は仕事へ向かう道中、たいがいあるカフェに入る。コーヒーを注文することが多いが時々紅茶を注文したりした。しかし目当てはその品の美味であることではない。カフェに集まる老若男女の何気ない会話を聞くことである。いくら洒落たカップに注がれたコーヒーであろうと紅茶であろうと、兄にとってはただの備品であった。

「広場沿いの質屋が建て直ったらしいよ。ほら、あの変わった店長のさ」

「あああそこかね。それは良かったことだ。それより、お宅はどうなんだい」

「もう少しというところだよ。友人も何人か手伝ってくれてね、全くありがたいよ」

「良かったじゃないか。なあ、こう言っては何だが、今回の津波で何となく絆とか協力とか命とか、いろいろなことを知れたような気がしないか?」

「そうだ、その通りだと思うよ。そういうふうに考えることは、大切なことだ……」

「さあ、そろそろ行くか? もう一息だぞ」

三十代後半ほどであろう、この二人の男性の会話を聞いて、兄は愉悦と興奮とを強く感じていた。兄も徐に立ち上がり、カフェを後にした。



それから二ヶ月が過ぎた。兄は「散歩」に行こうとする弟をせき止め、二人で歩こう、と言った。歩いているときでも弟は無言だっが、兄はそれを気にとめなかった。

しばらく進んでいくと、またあの丘に着いた。だがこのときの眺望は以前とは打って変わっていた。街を覆う汚水などは一縷いちるもなく、建物もしっかりと建っていると見え、いよいよ活気づいているのだ。そして何より一変したのは、丘の中心に巨大な「教会」が建てられていることで、他でもない、兄が建設したものであった。そしてその庭には実に多くの人々が集まっている。そして兄の姿を見ると、大きな歓声をあげた。皆、何かを待っているに違いなかった。


「さあ、もうすぐ鳴りますよ。早く、早く」

群集の中の男性が兄弟をせかして言った。兄弟は教会の天辺てっぺんを仰いだ。するとほぼ同時に屋上の鐘が高らかに鳴り響いた。カラン、カランと音を立て、青空の雲とよくコントラストを成した。鐘の音は信じられないほど大きく、いつまでも鳴り響いた。眼を閉じて涙する人もいれば、復興万歳! と大きな声で騒ぎ立てる人もいる。

兄は不意に弟を見た。弟の眼にはいっぱいの涙が浮かんでいる。

「兄さん、感謝するよ。毎日毎日これを造っていたんだね」

「まだ完璧ではないけれどね、復興祝いと……お前のための鐘だ」

「ごめんね、毎日通わずにはいられなかったんだ。会わなきゃ気が済まなかった」

「知っていたさ、お前が死んだ彼女のお墓に通っていたことくらい。無理もない……」

弟は涙をこらえきれず、左の腕で両目を覆った。

「いいか? 失ったものばかり数えちゃダメだ。そして一番やってはいけないことは、独りで抱えて自分から死のうとすることだ。嫌になっても、絶対死のうとするなよ」

弟の身体は小刻みに震えていた。それにかまいなく群集は騒然としており、青空で羽ばたく鳩は太陽の光を背に受けて楽しそうに踊っている。鐘は今もなお鳴り続いている。


「兄さん、僕、頑張れるよ。もう、前を向くしかないんだから」

弟はようやく顔を上げてこう言った。

「おうそうだな、頑張れよ。そして決してこの街を恨むなよ。もっともっとこの街のこと、人のことを知ろうとしないといけんぞ」

「そうだね、よくわかったよ」

そのときの弟の笑顔は兄には眩しかった。そして高らかに鳴る鐘の音よりも大きく心に響いたのである。

不意に群集の中からある統一された言葉が聞こえてきた。その声はだんだんと大きくなり、鐘の音さえもかき消した。

「愛を! 愛を!」

「トーホクに愛を!」

その声は波のように兄弟の方へも近づいてきた。兄は大きく息を吸い込み、叫んだ。

「砂場の街トーホクに、愛を!」

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