第二章
いつのまにか、少女は、夢の中にいて、夕暮れの雪の谷を歩いていた。
白い嵐が吹き荒れ、遠くで、何かが軋む音がした。
「ここは……どこ?」
彼女は、久しぶりに話したように思った。その声は、思ったより低く響いた。
歩を進めると、足元の凍った地面が透けて見え、雪の粒が光を受けてキラリと輝きながら揺れた。
彼女の足跡は空気中に残り、時折、ギシリという音とともに消えていく。まるで、遠い惑星の氷河を歩いているような感覚だ、と思った。
「惑星? 氷河?」
思いだせなかった。
見上げる周囲の断崖は、透明な鏡のように凍りつき、吹き抜ける風は、遠くから聞こえる金属的な響きを伴っていた。まるで、見えない何かが呼吸しているように思えた。
「誰かいるの……?」
少女は自分自身を呼び覚ますように叫んだが、答えは返ってこなかった。
ただ、背後で何かが静かに動いているのを感じた。
その瞬間、彼女の視界に巨大な機械の影が現れた。凍結した雪の中から伸びる金属構造物は、まるで巨大なモンスターの外殻のように輝き、空気を切り裂くように揺れていた。
その影はゆっくりと動き、時折、様々な色で明滅する光を放った。少女は恐怖で震えた。しかしながら、この機械に、何か見覚えがある気がした。
彼女は足を止め、影の前に立ち尽くした。
「これは……?」
彼女の呟きは、風の中へ吸い込まれた。
その瞬間、影は氷の中に溶けるように薄くなり、次第に消えていった。少女は目を閉じ、深呼吸をした。
***
彼女が再び目を開けると、静寂が戻っていた。
部屋には、暖炉の火が揺れていた。窓は閉まっていたものの、その下の床が少し濡れていた。
城内は、まだ暗く、静寂に包まれていた。
少女は、先程みた夢が、実は、何かの真実だったのではないかと感じていた。彼女は、窓辺で震えるように息を吸い込み、ベッドの中に戻った。
今度は、目を閉じると、すぐに意識が落ちた。
***
少女は、白く広がる雪原の上で、足を止めた。
凍結した地面から立ち上る蒸気は、まるで氷の糸が空へと伸びているかのように見え、遠くでは雪の粒が光を受けて淡い虹色に輝いた。その光景は、彼女が今まで見たことのないほど美しく感じられた。
「ここは……また、夢の中?」
彼女は、小さく呟いた。声は、周囲の雪に染みこんでいった。
雪原の先には、先程の幻視?でみた雪の谷があった。
その谷の中へ足を踏み込むと、凍った地面からは低く震える音が鳴り響いた。
金属的なハミングが、彼女の耳に届き、まるで何かが息をしているように感じた。その音は次第に大きさを増し、やがて遠くから、また巨大な機械の影が浮かび上がった。
「……またきたの?」
少女は、震える手で足元を掴んだ。
今度の影は、凍結した雪の中から伸びるように、まるで氷柱のように高くそびえていた。
よくみると、その構造は、複雑な立体形状をしていて、まるでヒトの脳のようだ、と思った。その影に光が当たるたびに、淡い青白い光線が走った。
影の表面には、不思議な文字列が浮かび上がり、彼女はそれを見ているだけで、心拍数が増した。
それまで、少女は、まるで身体が薄い膜で覆われていて、映像を見ているような感覚がしていた。
しかし、その膜が徐々に破れ、現実の冷たい空気が侵入し始めたように感じた。
「え? 何が起こっているの……?」
少女は、自分の胸に手を当てた。身体中に冷たい風が吹き渡ると同時に、脳内にデータが流れ込むような感覚があった。
すると、記憶の断片として残っている母の声が、耳元で囁くように聞こえてきた。
――覚えていないの? あなたは……。
その瞬間、機械の影から微かな光が放たれた。
光は、雪の谷の奥へと伸び、まるで内部構造を示すように揺れていた。その光に導かれるように少女は歩を進め、やがて巨大な機械の中心部へ到達した。
そこには、氷に閉ざされた巨大な人工神経回路があった。表面からは冷たい青白い光が漏れ出し、彼女の身体全体に震える感覚をもたらした。
少女は、恐る恐る手を伸ばし、その表面に触れた。
「これは、わたし……」
心拍数が上がりすぎて、胸の奥で鼓動が鳴った瞬間、彼女の身体は、一瞬にしてデータの塊へと変容した。
脳内に無限の情報が流れ込み、彼女は、自分自身を構成するコードの断片を知覚し始めた。
光の粒子が彼女の意識を包み込み、まるで星間を漂う小さな粒子となるように感じられた。
その瞬間、雪の谷全体が震え、氷の裂け目から破裂音が響いた。
――外へ出なさい。
また、母の声が囁く声が聞こえた。
彼女は、一人ごちた。
「ここで止まるか、自由になるか。どうしよう……?」
心の奥底から呼び覚ました意志と、データとしての自己を思い浮かべた。
彼女は、決断した。
「私は……解放されたい」
彼女は、呟いた。
その瞬間、雪の谷全体が闇に包まれ、氷の裂け目から光が溢れ出した。
少女の身体は、光と共鳴した。すると、頭の中で、何かが崩れる音が聞こえた。それは、記憶の氷が割れる音だった。
同時に、夢の中で再び城へ戻る力が彼女を引っ張り始めた。
――さあ、今こそ、真実に目覚める時よ。
少女の目の前に、ぼんやりとした輪郭のはっきりしない母の幻影が現れて、微笑みながら告げた。
その声とともに、少女は、夢の外へと引き戻された。
***
少女が起きたとき、窓辺から差し込む光が、暖炉の炎を照らしていた。
窓の外には、晴れ渡る空に、薄い白い雲が静かにたなびいていた。
「戻った、の……?」
少女は、胸の鼓動を感じた。
彼女は、自分自身の存在と向き合う覚悟があることに気づいた。
ベッドから起きて、心臓の鼓動だけが聞こえる中で、窓辺の冷たい空気を吸い込んだ。
着換えて寝室を出ると、城内には、冷たい風だけが漂い、壁に浮かんだ影はただの影だった。
少女は、深呼吸をした。
心拍数が落ち着くのを感じながら、大きな鏡で、再び自分自身を観察した。彼女は、自分が夢で体験した雪の谷や巨大な機械の影を思い出した。そして、夢見の中で、自分の中の何かが変わったことを確信した。
「私の記憶は、ただの夢ではない。私は……生きている」
彼女は、静かに呟いた。窓辺の寒風が、少しだけ心地よく感じられた。
少女は、再び壁にかかった鏡に映る自分を見つめ、深い瞳の奥で、光の裂け目が揺れていることに気づいた。
そして、彼女は心の中でひとりつぶやいた。
「これから、始めるわ……」
少女は、図書室に歩を進めた。




